第二章 慈善学校
19:こんなの慣れっこよ
彼女が教室に入ってきたとき、そこだけ異次元のように思ったのは、何も一人二人だけではない。
腰元まである長いキラキラした金髪に、吸い込まれそうな翡翠色の瞳。白い肌は陶器のように滑らかで、まるでお人形のようだった。彼女が身に纏っている服もまた同じで、フリルがふんだんに施されているそのドレスは、お姫様が着ていそうなものにも見える。
誰もがポケーッと口を開けて眺めていると、彼女は教壇に立ち、口を開いた。
「アデラよ」
「えーっと、それだけかな……?」
「ええ、それだけ」
高慢な態度でアデラは腕を組むと、担任のトリシアは、困ったように眉を下げる。
「ええっと……アデラは、ロージーとフリックと同じ、アトラリア孤児院からやってきたのよね?」
「ええ」
アデラは鷹揚に頷いた。
ここから自己紹介の話へと続けるつもりが、彼女には話を膨らませるという意志はないようで、トリシアはほとほと困り果てた。
「素敵なドレスね。どなたからの贈り物?」
「お母様よ。お母様が買ってくれたの」
「そう……とっても似合っているわ」
「ありがとう」
そんな奇妙な会話を終えた後、アデラはトリシアに示された席に腰を下ろした。慈善学校の子供達は、皆好奇の視線でそんな彼女を眺めていた。
「ほらほら、アデラのことが気になるかもしれないけど、もう授業を始めますよ。教科書を開いてね」
トリシアは軽く手を叩き、教壇に立った。始めは注意が散漫だった生徒たちも、やがて大人しく板書を取り始める。
だが、そんな中、人一倍鋭い目で未だアデラのことを見ていた者がいた。彼の名はカルロ。市場の果物商の一人息子だ。アデラがコニーと共に果物を買ったとき、丁度相手をしたのが彼である。アデラは、カルロのことなどすっかり忘れていたが、カルロの方はそうはいかない。授業中終始不愉快そうな目で彼女を睨み続け、そして授業が終わった後も同じだった。
だが、一つ違うのは、彼が徐に立ち上がったこと。
次の授業の準備をしているアデラの前に立ち、カルロは威圧感を出した。アデラは訝しげに彼を見上げる。
「何か用?」
「お前、孤児院から来たんだってな」
「それが?」
アデラの口調は素っ気ない。だが、カルロは臆せず口元を歪めた。
「偉そうだし派手な格好だし、てっきり貴族かと思ったけど、笑えるぜ。お前、平民ですらないんだな。親もいない可哀想な孤児め」
「いるわよ。お母様もお父様も元気よ。それが何か?」
ため息交じりにアデラが答えれば、カルロは初めて狼狽えた。両親がいない者が孤児院に行くのだと、勝手にそう思い込んでいたのである。だが、すぐに彼は気を取り直し、腕を組んだ。
「じゃあ捨てられたんだな。可哀想に。お前なんかもういらないって言われたんだろ」
「違うわよ。お母様はすぐに迎えに来てくれるもの。何も知らないくせに、勝手なことを言わないでくれる?」
底冷えのする視線がカルロに向けられる。その瞳に静かな怒りの存在を悟ったカルロは、うっと詰まった。
――いつもなら、これくらい言えば大抵相手は怯むはずなのに。なのにこいつは、怯むどころか、真っ向から反抗してくる。
「そもそもお前、何だよその格好。その派手な服、寄付金で買ったものか? お前みたいな分際で贅沢すぎるだろ」
「失礼ね。これは私のドレスよ。お母様から頂いたものなの。さっきの話、聞いてなかったの?」
「…………」
いよいよカルロは何も言えなくなった。今まで、孤児相手には、親がいないことや、寄付金で生活していること、身につけているものは全てお古だということを攻撃の対象にし、そして相手よりも優位な立場になっていたのに、アデラが相手では、攻撃できるようなものがない。そもそも、今までにない反抗的な態度は、カルロを怯ませるには充分だった。しかし、まだ授業が一つ終わっただけのこの時分、新参者に対して、そう易々と引き下がるわけにはいかない。
カルロはサッと教室を見渡した。
「フリック、ちょっとこっち来いよ」
「な、なに……?」
カルロの目にとまったのはフリックだった。彼も同様孤児ではあるが、同じクラスになってからというもの、彼はカルロに刃向かったことなど一度もなかった。
「ほら見ろよ、こいつのシャツ。これ俺が寄付した奴なんだぜ。そうとも知らず、こいつ――」
音を立てて、アデラは立ち上がった。
突然大きくなったアデラに、カルロは一瞬たじろぐ。
「な、何だよ」
「こっちの台詞よ。あなたさっきから何なの? 私に喧嘩を売ってるの? そっちがその気なら、私だって考えがあるけど」
「はっ」
「もし私が孤児だとして、あなたに何の関係があるの? 私が孤児だったらあなたは偉いの? フリックの服があなたのものだからって、それが何なの? 寄付されたものを着て何が悪いの? 着られたくないのなら寄付しなければ良いじゃない」
「なっ、俺はそういう意味で言ってるんじゃ――」
「とにかく!」
なおも言いつのろうとするカルロに対し、アデラはうんざりしたように髪を掻き上げた。教科書を胸に、カルロはもう一睨み。
「私は今忙しいの。くだらないことで話しかけてこないで。ロージー」
「……っ!」
急に呼ばれたロージーは、ビクッと肩を揺らした。仲裁した方が良いのか、放っておけば良いのか、まさに悩んでいる最中だったので、皆の視線が急に自分に集まり、困惑した。
「何?」
嫌々ながらロージーが返事をすれば、すっかり嬉しそうな表情になって、アデラは飛んでいった。
「私、さっきの授業全然書き取れなかったんだけど。何を書いているのかさっぱりだったわ」
「そりゃそうでしょう。あんたはそもそも文字すら書けないんだから。だから下のクラスに行けって言ったのに」
「冗談言わないでよ。この私が年下と一緒に授業なんて受けられるわけがないじゃない」
何故だかアデラは得意げに答える。ロージーは呆れてもはや言葉も出なかった。
「とにかく、さっきの板書を見せてよ。書き写すわ。後、ついでに文字と内容も教えて」
「呆れた……あたしはあんたの先生じゃないのよ」
「いいじゃない、折角同じクラスになったんだし。ほら早く。次の授業が始まるわよ」
「頼みごとしてる人の態度とは思えないわね……」
アデラとロージーとが、頭を突き合わせて勉強を始めれば、もうそれ以上カルロがちょっかいを出してくることはなかった。しかし、不機嫌そうに椅子に腰掛ける様からは、未だ溜飲が下がっていないことは丸わかりである。
彼にチラリと視線を向けた後、ロージーは眉間をもんだ。しばらく大人しかったのに、アデラのおかげでまたうるさくなりそうだ、と。
「アデラ」
ロージーはボソボソと囁いた。
「何よ」
「カルロには気をつけて。あの子、孤児を目の敵にしてるみたいなのよ。ことあるごとにあたし達に突っかかってくるし」
「なあに、そんなこと。私、ああいうのには慣れてるからバッチリよ」
「だからこそ怖いんじゃない。調子に乗ってあたし達にまで迷惑かけてこないでよ」
「任せなさいって」
アデラが自慢げに言えば言うほど、それだけ頭が痛くなってくるロージーであった。