第一章 孤児院
17:私に任せて
雨が止んですぐ、タバサが探しに来てくれたので、アデラ達は事なきを得ることができた。とはいえ、アデラは熱で朦朧としていたので、その間のことは全く覚えていなかったのだが。
ピクニックの翌日、アデラはずっと寝込んでいた。しかし、その次の日には、まるで風邪なんか引いていなかったかのように、からっとしていた。代わりに貧乏くじを引いたのはロージーである。子供達は皆ピンピンしていたというのに、アデラの側にいたことが影響してか、アデラが元気になってすぐ風邪を引いてしまった。
アデラの時よりも酷いようで、熱も高く、咳も苦しそうだ。
さすがのアデラも申し訳ない思いになって、珍しく看病を願い出たのだが、熱がぶり返しても駄目だから、とタバサに断られてしまった。代わりに彼女が任されたのは、買い物だ。
いつもはロージーかタバサがやっていたのだが、そのどちらも、今は外に出られない。代わりに白羽の矢が立ったのが、アデラというわけだ。
アデラは二つ返事でこれを承諾したものの、実際の所、買い物は初めてだった。だからこそ、コニーが自分も行くと言い始めたときは、正直嬉しいと思ったものだ。しかしそれを表に出さないのがアデラ。仕方ないわねえと、偉そうな態度で承諾した。
「じゃあアデラ、コニー。気をつけて行ってらっしゃいね」
「ええ」
「はあい」
済ました態度で返事をすると、アデラはコニーと共に孤児院を出た。買い物を任されるなんて、なんとなく誇らしい気持ちでもあった。普段ならば仕事なんて嫌だと駄々をこねそうなものだが、買い物はあまり仕事という印象がなく、むしろ楽しそうな雰囲気こそあったからだ。
「市場はどっち?」
「こっちだよ」
年下のコニーに先導されながら、アデラは市場に向かった。もしも一人だったら、そもそも市場にすらたどり着けなかったのだが、彼女はそのことにすら気づかない。
「最初に何買うの?」
「えっとね……」
コニーは懐から羊皮紙を取り出した。アデラは文字が読めないので、買い物の一覧表もコニーが携帯していた。
「リンゴとお肉。牛乳と塩!」
「全部バラバラねえ。じゃあ手当たり次第目に入ったものから買っていきましょう」
「うん」
まだ早朝だというのに、市場は多くの人でごった返していた。コニーが自然に手を繋いで、アデラは照れくさく思ったが、はぐれないためには仕方がないかとすぐに思い直す。
「ほら、お肉あったわよ」
「うん。どれを買うの?」
「安いのでいいんじゃない? 量はどのくらい?」
「えっと……」
苦心して一覧表を解読した後、無事肉を購入し、露店を後にする。その後も次々にお買い物を成功させたため、いつの間にか二人の荷物は多くなっていく。コニーはまだ小さかったので、アデラも仕方なしに一緒に荷物を持ってあげながら、最後の買い物である果物を探す。
「コニー達が風邪を引いたときにね、せんせーがいつもリンゴのフワフワしたもの作ってくれるの」
「フワフワ? ふうん、そう」
「おいしいんだよ」
「じゃあ、ロージーと一緒に食べさせてもらえば? どうせ今日も作るんでしょ?」
「駄目だよー。フワフワは風邪を引いたときの特別なご飯なの!」
「ふうん……」
何がそんなに楽しいのか、コニーはいつもニコニコ笑みを浮かべている。しかし、アデラも悪い気はしなかった。コニーを見ていると、まるで、母といるときの自分を見ているようで、くすぐったくもあったのだ。もしかして、母も今の自分と同じようなことを思っているのだろうか、と。
「あ、ほら、ここがそうじゃない」
会話に夢中なコニーの手を引いて、アデラは立ち止まった。季節柄、豊富な色とりどりの果物か並べられている。
「最後のお店だー」
コニーは駆け寄り、屈んで果物を眺めた。店番をしているのはアデラと同い年くらいの男の子で、分厚い本を読んでいる。
「リンゴ二つください!」
その少年に向かって、コニーは元気よく注文した。本に夢中なのか、少年はアデラ達に目もくれない。
「ねえ、聞いてるの?」
堪らずアデラも声をかける。
「あなた店番でしょ? 本なんか読んじゃ駄目じゃない」
億劫そうに、ようやく少年が動いた。僅かに下げた本から目を上げ、上から下までアデラのことを眺める。
「冷やかしはごめんだ」
「冷やかしですって? なんでそうなるのよ。私はお客よ? リンゴ二つ」
「…………」
アデラが胸を張って注文すれば、さすがにもう動かない訳にはいかず、少年はノロノロとリンゴを手に取った。
「代金」
「コニー」
アデラはツンと澄ましてコニーに視線を向ける。コニーは元気よく返事をしながら財布を取り出した。当然のことながら、アデラはお金を使ったこともなかったので、年上の威厳もなく、財布は今までもずっとコニーに管理させていたのだ。
「えっと……」
拙い動作でコニーは銅貨を取り出した。その様を、少年は胡散臭そうに見つめる。
「はいっ!」
「……どうも」
銅貨と引き換えに、少年はリンゴをコニーに手渡した。
「ありがとう!」
満面の笑みでコニーはリンゴを抱えた。用は終わったとばかり、少年は再び本に目を戻す。その様が癪に障って、帰路についたときも、アデラは腹を立てて文句を言うばかりだ。
「愛想のない店番ねー。もうちょっと笑顔で元気よく受け答えすればいいのに」
「お腹でも痛かったのかな?」
そんなくだらない会話をしながら歩くことしばらく、二人はようやく孤児院に戻ってきた。朝早く出てきたのに、もうその頃には昼近い時間帯になっていた。
「お帰りなさい」
出迎えてくれたタバサは、アデラとコニーが仲良く手を繋いでいるのを見て、目を丸くした。彼女のその驚きが容易に分かったアデラは、すぐにパッとコニーの手を離す。コニーは不思議そうにアデラを見上げたが、彼女が反応を返すことはなかった。
「無事に買えたようね。ご苦労様。預かるわ」
「リンゴのフワフワ作るの? コニーも手伝う!」
「ありがとう」
タバサとコニーを見送り、アデラは欠伸をしながら寝室に向かった。他の子供達は庭で遊んでいるのか、賑やかな声が漏れていた。
いつもよりは気を遣って静かに寝室の扉を開け、中に身を滑り込ませる。物音に気づいたのか、ロージーは僅かに顔を上げた。
「アデラ? 買い物終わったの?」
「ええ」
「大丈夫だった? 迷子になったり、財布落としたり」
「そんなことあるわけないでしょ」
本当のことを言えば、全てコニーのおかげでそういった問題ごととは無縁でいられたのだが、アデラはそんなこと気にもしない。
「今院長先生がリンゴのフワフワ作ってるわよ」
「フワフワ? ああ、すりおろした奴ね」
納得したように言った後、ロージーが堪えきれずに少し笑ったので、アデラはムッと唇を尖らせる。
「……コニーがフワフワって言ってたのよ」
「はいはい」
適当な様子で返事をすると、ロージーは窓の外に視線を向けた。薄らと子供達のはしゃぐ声が聞こえる。
「外で遊んできたら?」
「……別にいい」
「アデラが来てくれたって皆喜んでくれるわよ」
「興味ないわ」
会話はすぐに終わった。が、沈黙が居心地悪いというわけではなく、むしろ、穏やかな心地になれる不思議な時間だった。
「アデラ、また風邪がぶり返すといけないわ。ロージーのことは私に任せて、外で遊んでらっしゃいな」
その後、リンゴのフワフワを手に持って、タバサが寝室に現れた。彼女はすぐにアデラを追い出したが、アデラはやはりロージーのことが気になって、寝室の前をウロウロしていた。