第一章 孤児院

15:つまらないわね


 その日は朝から陽気な天気だった。本当はいつも通りの一日を過ごすはずだったのだが、タバサの思いつきにより、近くの山にピクニックに行くことになった。子供達は大喜びだったが、アデラはそうでもない。母と行ったらさぞ楽しいのだろうが、何が楽しくて孤児院の子達と一緒に行かなくてはならない。

 それに、ロージーもいるし。

 教会でのことがあってから、アデラとロージーは冷戦状態だった。二人が同じ空間にいることはほとんどなかったし、必要以上の会話もしない。タバサが気遣わしげに二人を見つめることはあっても、口を挟もうとはしなかった。
 そしてピクニックの日がやってきた。アデラは憂鬱だった。未だ孤児院の子供達とは仲良くなれていないし――別になりたいとは思っていないが――外で遊ぶなんて、時間の潰しようがないからだ。
 しかし、タバサに全員参加を義務づけられたので行くしかあるまい。アデラはのろのろと支度をし、外に出た頃には、もう皆が二列になって待っているところだった。

「アデラ、遅かったわね。ロージーを知らない?」
「知らないわ」
「わたしのお人形さん取ってきてくれてるの」

 今年七歳になるミンネが手を挙げた。すると、丁度呼応するように孤児院からロージーが出てきた。古ぼけた人形をミンネに手渡すと、アデラの隣に並ぶ。

「さ、じゃあ皆揃ったわね? 早速出発しましょう」

 二列になった子供達は、元気に歩き出した。隣の子や前の子と、彼らは壁なくして嬉しそうに話し出す。しかし、冷戦状態の者と隣同士になってしまったアデラとロージーの空気は非常に重い。それぞれそっぽを向いて、無言を貫くのみだ。
 やがて街を出て、小さい山の麓にさしかかった。そこで一旦立ち止まり、タバサは振り返る。

「山は急斜面があって危ないですからね。隣の子とお手々を繋ぎましょう」
「はあい」

 子供達は元気よく返事をして、手を繋いでいく。アデラはロージーはもちろん微動だにしない。無言のまま前を向いて歩くのみだ。

「おねーちゃんたち、お手々は繋がないの?」

 コニーが振り向き、不思議そうに尋ねる。

「ええ、あたし達はもうそんな年齢じゃないからいいのよ」
「でも、せんせーが」
「いけないわね、ロージーとアデラ。ちゃんと皆のお手本になってくれないと」

 声が聞こえていたのか、タバサは一旦立ち止まった。さも悲しそうに彼女が言うので、ロージーは苦虫を噛みつぶしたような顔になり、渋々アデラに左手を差し出す。

「アデラもいいわよね? 皆のお姉さんになってくれない?」

 子供達のたくさんのつぶらな瞳がアデラに向けられる。アデラはウッと詰まった後、不承不承右手を差し出した。ロージーもまた、いやいやながらその手を握る。

「……はあ」

 小さくため息をついたのに気づいたのか、ロージーは耳ざとくアデラを睨んだ。

「何よ」
「別に何も。あなたの手、汗ばんでるなって思っただけよ」
「なっ――そっちこそ、馬鹿みたいに力入れて握らないでくれる? 手が折れちゃいそう」
「うっ、うるさいわね!」

 やいやい言い合いながら、二人は列に続いて山を登っていく。
 一行は、頂上ではなく、途中の開けた場所で昼食を食べることとなった。何でも、いつもピクニックをするときは、この場所だという。どうせなら頂上まで行けばいいのに、と思わずアデラが口を挟めば、子供の足では頂上まではきついと言う。だったら山になんか来なければいいのに、となおさら思うアデラであった。
 軽く昼食を食べれば、後は思い切り遊ぶのみだ。アデラとしては、一休みしたくて堪らなかったのだが、遊ぼう遊ぼうと盛り上がる子供達を前にして、そんなこと言えるわけがない。全身から悲壮感を漂わせながら、仕方なしに皆と一緒に輪になって集まるのみだ。

「じゃ、まずは何して遊びましょうか」
「鬼ごっこ! 鬼ごっこがいいー」
「鬼ごっこね。いいわ、そうしましょう」

 アデラは少し離れた場所で静観する。

「でも、これだけ人数がいるんだものね。鬼は二人くらいの方がいいかしら」
「わたし、鬼がいい!」
「じゃあ俺も」
「はいはい。じゃあ最初の鬼はミンネとフリックね。皆、逃げるわよー」

 タバサがそう声をかければ、散り散りになって逃げ出す子供達。一応アデラも走ってはみたが、あまり本気にはなれない。子供の数才差というのは大きいものだ。アデラは全く鬼に捕まることなく、むしろ面白くない気持ちで木々の間を行ったり来たりしていた。
 皆はむやみやたらにはしゃいでいるようだが、アデラにしてみればつまらないことこの上ない。
 だんだん立っているのもくたびれてきて、アデラは木の陰に腰を下ろした。日差しから守ってくれる影は案外居心地が良く、時折吹く穏やかな風も爽快だった。
 このまま居眠りでもしてしまおう。
 そう思って目をつむれば、のんびりとしたタバサの声にすぐ気をひかれた。

「なあに、アデラ、こんな所一人で。もしかして鬼ごっこはつまらない?」
「別に。勝手に皆で遊べばいいじゃない」
「折角外にきたんだから、アデラも遊びましょうよ」
「放っておいて」

 鬼ごっこよりも、昼寝の方がよっぽど気が楽だ。
 本気でそう思ったのに、タバサはそれを許してくれない。アデラの傍らで、大きな声を上げた。

「ねえ、みんな! 一回アデラを鬼にしましょう。今鬼の子は、急いで逃げなさい」
「アデラちゃんが鬼ー?」
「ええ、そうよ。……あ、でも、やっぱりアデラが鬼だと、皆すぐ捕まっちゃうかもしれないわね」

 鬼になることをアデラが承知したわけではないのに、タバサは一人でどんどん話を進める。

「あ、そうだわ。ね、ロージー、今どこにいる? ちょっとこっちに来てくれない?」
「あたしですか?」

 ロージーは戸惑った様子で木々の間から姿を現した。やる気のなさそうなアデラに、彼女は密かに眉を顰める。

「ね、ロージーも一緒に鬼になってくれない?」
「まあ……それは構いませんが。でも、あたしも鬼になったら、皆すぐに……」
「いいのよ。二人共に足かせをつけることにするから」
「はあ」

 タバサはツカツカと歩き出すと、ロージーの腕を掴んでアデラの元に帰ってくる。と、またアデラの腕も掴み、そして無理矢理二人の手を繋がせた。

「な……」
「二人とも、手を繋いだまま鬼になってね?」
「はい!? なっ、どうしてアデラと!」
「その方が楽しそうじゃない。年長さんが二人で子供達を捕まえる。今までにない発想だと思わない?」
「そういう問題じゃ……」
「そうよ! 私、鬼ごっこになんか参加するつもりないもの!」

 アデラがパッと手を離せば、タバサは仕方がないなあとばかり肩をすくめた。

「分かったわ、じゃあ三人。三人捕まえられたら、鬼は他の子に交代しましょう。それまでは頑張ってね」
「ええっ」

 結局やるということに代わりはないのか。
 アデラは渋々再度ロージーと手を繋いだ。ロージーは不満そうだし、もちろんアデラも同じ気持ちだ。しかし、やらないと終わりが来ない。
 鬼が二人、しかも手を繋いでいるということが珍しかったのか、子供達が不思議そうに木々の間から姿を現した。捕まえる絶好の機会だとばかりアデラは走り出したが、違う方向に行こうとしていたロージーのせいで思わず転びそうになる。それは相手も同じだったようで、ロージーは怒りの眼差しでアデラを見た。

「ちょっと! 急に手を引っ張らないでよ!」
「でも、すぐ側をコニーが走って行ったのよ。あなたがグズグズしなければすぐに捕まえられたのに」
「何をそんなにやる気になってんのよ。軽い気持ちでやればいいでしょ」
「だからって、本気でやらないと終わりが来ないでしょ!」
「ほら、二人とも。早くしないと皆がもっと遠くに逃げちゃうわよ」

 二人が口論を始めたので、その間に子供達はまた散り散りになってしまった。仕方なしに、アデラとロージーは互いに同じ方向へと歩き出す。
 木の陰になっているところで、三人の子供達が、アデラ達を見てクスクスと笑っていた。ロージーは指を指して叫ぶ。

「ほら! ランドよ、ランドを捕まえるわよ!」
「ランド? どの子よ」
「あんた……もう一月になるのに、まだ顔と名前覚えてないの?」
「わ、悪い!? 無駄に人数が多いんだから、覚えられなくても仕方がないじゃない」

 とりあえず走り出した二人だが、アデラは右へ、ロージーは左へと互いが逆方向へ行こうとするので、全く埒があかない。

「こっちよ!」
「分かってるわよ」

 ロージーに手を引かれ、アデラもランドとやらを追いかける。その際、ロージーは前を向いたままポツリと呟いた。

「皆あんたのことが気になってんのに。あんたがどこから来ただとか、どんな遊びが好きだとか。いつも一人でどっか行っちゃうから、皆聞けずにいるだけなんじゃない」
「…………」

 そんなの知らないわよ。
 アデラは一人でむくれた。
 そんなの、直接聞いてくれないと分かるわけないじゃない。
 鬼ごっこはようやく収束を迎えていた。一人、二人と捕まえたので、後もう一人捕まえれば、鬼の役目は終わりだという所で、不意に空からポツポツと冷たい雨が降ってきた。その時になって初めて、いつの間にか空が黒い雲に覆われていることに気づく。

「……あんなにいい天気だったのに」
「山の天気は変わりやすいもの、仕方ないわ」

 ロージーは一息つくと、声を張り上げた。

「皆! 一旦鬼ごっこは中止よ! 荷物を置いてた所に戻ってきて!」

 ロージーの声に、今まで姿を消していた子供達が一斉に出てきた。皆で一緒にタバサの元へ集合する。

「酷い雨だわ」

 通り雨かと思われた雨だったが、なかなか降り止まない。
 タバサは子供達を振り返った。

「一旦木の下で雨宿りしましょう」
「でも先生、落雷があるかも知れませんよ」
「……そうね、なるべく低い木の所に避難しましょう」

 低い木を探して移動する中、子供達はチラチラとアデラ達を振り返っては、クスクスと笑っていた。何よ、とアデラが不機嫌そうに聞き返せば、それはそれは嬉しそうに彼らは笑みを深くする。

「もう鬼ごっこは終わりだよ」
「仲良しさんだね」
「……?」

 何を言われたか分からない、という顔をするアデラ。ロージーはすぐに意味に気づいたのか、パッとアデラの手を離した。

「こっ、これは……ちょっと忘れてただけじゃない」
「そうよ!」

 アデラも年下にからかわれるのは心外だったので、声を大にする。

「大体、ロージーは足を引っ張ってばかりだったじゃない。運動神経が悪いのね」
「なによ! あんただってあたしが作戦を練っても全然理解できてなかったじゃない。頭が悪いんじゃない?」
「何ですって!」
「何よ!」

 むむむと唇を尖らせた後、アデラはロージーから大きく距離を開けた。また仲吉さんだとからかわれたら堪ったものではない。

「アデラ、あんまり離れると危ないわ」

 山道は細い。
 それを危惧してのタバサの注意だったが、アデラは聞く耳持たない。

「別に大丈夫よ。私のことは気にしな――っ!?」

 途端に足下がぐにゃりと崩れた。思わずアデラの両手は宙を舞うが、辺りに掴まれそうなものはない。

「アデラ!」

 反射的にロージーが駆け寄ってアデラの腕を掴むが、激しい雨が、ロージーの足下の地盤をも緩ませる。
 アデラとロージーは、手を繋いだまま斜面を転がり落ちていった。