第一章 孤児院

11:すぐに迎えは来るわ


 その日は、朝から忙しかった。皆がバタバタしていて、いつもは身なりに頓着な男子までもが、分け目を揃えてぴっしりしている。

「じゃあ皆さん、朝食を食べ終わってお着替えをしたら、エントランスに集合ですからね」
「はーい」

 どこへ行くのか知っているのか、したり顔で頷く子供達。
 アデラは、隣に座っているコニーに顔を近づけた。

「ねえ、今日はどこに行くの?」
「えっと……綺麗なところ」

 口の中を一杯にして彼女は答える。コニーの返答は、アデラの欲しいものではなかった。アデラは左隣に顔を向けた。

「ねえ、今日はどこに行くの?」
「んん?」

 そばかすの少年、フリックもまたパンをドカドカ口の中に放り込んでいる真っ最中だったので、慌てて水で喉の中のものを奥に押し込む。

「……昨日の夕食の時に話してたけど、聞いてなかったのか? 俺たち、今日は街の教会に行くんだよ。毎月行ってるんだぜ」
「教会? そこで何をするの?」
「歌を歌うんだ」

 ゲッとアデラの顔は歪む。歌は苦手だった。最近なぜ朝食の後に歌の練習をすることが多かったのかと思えば、今日のための練習だったのか。……アデラにしてみれば、全然嬉しくないのだが。

「なんで歌を歌うの?」
「歌を歌うと、豪華な食事がもらえるんだ」

 フリックは得意げに笑う。彼の前の少女もはいっと手を挙げた。

「お菓子だってもらえるんだから!」
「ジュースももらえるよ!」
「ふうん……」

 歌を歌うだけで、なぜお菓子やらジュースがもらえるのかは分からなかったが、アデラも悪い気はしなかった。
 ここ最近、質素な食事だけで飽き飽きしていたのだ。ちゃんとしたご飯が食べられるのなら、アデラも歌は頑張ってみようと思った。
 朝食を食べ終わり、皆に続いて寝室に帰ってみれば、今度は彼女たちは着替え始めた。ロージーが一人寝室のタンスの一番下を開け、中から普段よりは上等な服を取り出す。それを一人一人、列になって子供達に渡していく。

「ほら、あんたも」

 当然アデラもワンピースを渡されたが、彼女はちょっと尻込みして、首を振った。

「いいわよ、私にはドレスがあるもの」
「汚れてもいいの?」
「汚れるようなことするの?」
「別にしないけど」
「ならいいじゃない」

 アデラもウキウキと着替え始めた。普段着にしていたドレスではなく、それよりも上質なものだ。派手なピンク色のドレスで、あまりアデラの趣味ではなかったが、数年前父が誕生日に贈ってくれたものだ。

「うわあ、可愛いね」
「いいでしょう?」

 ロージーに髪を結われながら、コニーは瞳をキラキラさせてアデラのドレスを見つめる。アデラは、まるで見せびらかすようにその場でクルッと回って見せた。

「でも、ちょっと小さいんじゃない?」

 しかし、ロージーは苦い顔だ。アデラはムッとした。

「失礼ね、私にすればこれがピッタリなの」
「あっそ」

 肩をすくめ、コニーの髪に集中するロージー。
 アデラはつまらなくなってもうエントランスに向かおうと寝室の扉へと歩き出したが、ロージーに呼び止められる。

「アデラ、もしかして髪まとめずにいくわけ?」
「悪い?」
「悪くはないけど……」

 自分の家に住んでいたときも、アデラはいつも長い髪をそのままにしていた。時々母の気分が良いときは、おねだりすれば髪を結ってくれたが、それ以外ではほとんどおろしたままだと言っても過言ではない。アデラは自分で髪を結うことも出来なかったが、今まで特に不自由したことはなかった。だって、髪を結って欲しいときには、母におねだりすれば良かったのだから。

「いや、やっぱり悪い。少しでも身だしなみは整えないといけないもの。コニーが終わったらあんたの髪もまとめてあげるから、まだ行っちゃ駄目よ」
「別にいいわよ、このままで」
「良くない。あんたお嬢様だから、きっと自分で髪も結えないんでしょう」
「そんなことない」
「じゃあやって見せてよ」
「…………」

 アデラはウッと詰まり、視線を泳がせる。

「ど、道具がないからできない」
「道具ならそこにあるわよ。勝手に使って」

 ロージーが指し示したベッドの上には、確かに櫛や髪留めがたくさんあった。思いのほか可愛い髪留めもあって、思わずアデラの手が伸びかけたが、すぐに彼女はそれを引っ込める。
 そんな彼女の気持ちなどお見通しなのか、ロージーは鼻で笑った。

「ほら、やっぱりできないんじゃない」
「別にお母様が結ってくれるから私はできなくていいもの!」

 アデラは精一杯叫ぶ。馬鹿にされるのは許せなかった。髪が結えるから何だというんだ。今まで髪が結えなくて困ったことなど一度だってなかった。

「おかーさん……」

 しかし、アデラの叫びを耳にして、コニーはしゅんとなった。

「おかーさん、元気にしてるかな……」
「コニー」

 慰めるようにロージーはコニーの頭を撫でる。アデラはなんてことない表情で肩をすくめた。

「元気よ! 元気に決まってるじゃない!」
「本当に?」

 コニーが期待するようにアデラを見上げる。アデラは鷹揚に頷いてみせた。

「ええ、きっとすぐあなたのことも迎えに来てくれるわ」
「うん!」

 途端にコニーは笑顔になり、嬉しそうに飛び跳ねた。ロージーはちょいちょいとアデラに手招きし、自分の元へ来るよう示した。指図されるのは癪に障るが、言い合うのも面倒だったので、アデラは仕方なしに彼女の元に近づいた。

「何よ」
「アデラ」

 ロージーがアデラの耳元で囁く。

「あんまりコニーに期待を持たせるようなことは言わないで欲しいの」
「どうして? ……もしかして、もうお母様死んじゃったの?」
「ううん、生きてるけど――」
「じゃあいいじゃない。ね、お母様はどんな人なの?」

 ロージーの言葉を笑って受け流すと、アデラは嬉しそうにコニーに向き直った。コニーは頬を染め、恥ずかしそうに俯く。

「え、えっとね、とってもきれーな人でね。コニーに裁縫を教えてくれたの。コニーが上手に出来たときは、たくさん褒めてくれるの」
「優しいお母様じゃない」
「うん!」

 ロージーは黙ってアデラの髪を結い始めた。コニーはベッドに半身を預けてアデラを見上げる。

「おねーちゃんのお母さんはどんな人?」
「私のお母様もとっても綺麗な人よ。髪も結ってくれたし、読み聞かせだってしてくれたの!」
「優しいね! コニーのおかーさんもね、コニーにお裁縫を教えてくれたの。上手にできると、とっても喜んでくれたの」
「だからとっても裁縫が上手なのね。お母様の教えの賜物ね」
「うん!」

 満面の笑みでアデラとコニーは母親の話を続ける。アデラの髪を結っている間、ロージーはずっと浮かない表情をしていた。