01:魔女見習い、帰宅する
帰ってきた。やっと、帰ってきたんだ。
メアリは家の前で、感動に打ち震えた。
思い返せば、アベルと共に過ごした二週間はてんやわんやだった、本当に。
始めの一週間はまだましだ。どんな出来事が起きようとも、一応家には帰れていたのだから。しかし、エリスがやって来てからは碌に帰れていなかった。酒場に行ったり風邪をひいたり、エリス達を仲良くさせようと作戦を立てたりで、呑気に家に帰っている暇など無かったのだ。
師匠に手紙は送っていたので、きっと師匠も師匠で上手くやっているのだろうが、それでも心配だった。小うるさい弟子がいないと、途端にぐうたらな生活を始めるのだ、彼女は。
メアリは魔女の村に降り立つと、躊躇せずにずんずんと入って行った。途中、顔見知りの魔女達が笑顔で挨拶してくれる。メアリもそれに応え、そのまま女同士の世間話に突入したいところだが、今は何より師匠のことが気にかかっていた。
その気持ちを堪え、メアリは師匠の家の前で立ち止まった。もう随分年季の入った家だ。もはや何年ここで師匠と共に暮らしたのか覚えていない。たった一週間帰っていないだけで、ずいぶん懐かしいような気持になる。
メアリは扉の前に立つと、にんまり笑い、大きな声を出した。
「師匠〜! 可愛い可愛い弟子メアリが帰ってまいりましたよ!」
もう日はとっくに上っているにもかかわらず、目の前の家に気配はない。出かけているわけではない、絶対に。どうせうるさい弟子がいないことを良いことに、惰眠を貪っているに決まっている。
彼女の睡眠など構わず、メアリは再び大きな声で怒鳴る。
「師匠〜!? ミネルヴァさーん!! 早く起きてくださーい!! 中に入れず困ってまーす!」
何度も何度もこれを繰り返し、ようやく家の中がガタゴト騒がしくなってきた。
「もう……うるさいねえ。いったい誰だい、こんな朝方に」
師匠ミネルヴァは、不機嫌そうに眉を寄せている。その仕草が懐かしくて、思わずメアリはニヤニヤと笑う。
「嫌ですね、師匠ったら〜。朝方って、今昼ですよ? こんな時間間で寝てるの、師匠くらいですよ」
ん?とミネルヴァは眠たげな目をゆっくりと開ける。そうして目が合った、と思った瞬間、鼻先でドアをバタンと閉められた。しばしの沈黙、そして。
「え……ええー!? 何ですか何で!? ひどいですよ師匠!!」
「うるさい! あたしはあんたみたいな非常識な弟子を持った覚えはないよ!」
「ひ、非常識ってどういうことですか! 時間ですか、時間ですよね? どうせもっと寝ていたいから起こしてくれるなとか、そんな下らないこと言いたいんですよね!」
ミネルヴァの考えていることなどだいたい分かる。十数年一緒に暮していれば当然だろう。
しかし彼女の言い分は全く違っていたようだ。
「そんなことじゃない! あたしが言ってんのは、無断外泊のことだよ!」
「無断……外泊?」
ミネルヴァの早口に、メアリの思考が追い付かず、彼女は捲し立てる様に続けた。
「あんた、ここ一週間このあたしに何の連絡も寄越さずに、外泊したね! いったいどこをほっつき歩いてたんだか!」
「え……?」
ミネルヴァは一気に言い終えると、呼吸を整えるために深呼吸をする。その間に、メアリも思考を整理する。
「わたし、手紙出しましたよね……?」
風の魔術で送ったはずだ。
「……一応、一日おきくらいに手紙出したんですけど」
扉の向こうが静かになった。
「届いて……ませんでした?」
とどめだった。音もなくドアが開く。ミネルヴァが出てきたが、その顔に表情は無い。そのまま、静かに出てきた。慌ててメアリが横に退く。ずんずんと歩き出した。目的地は、赤いポスト。
ミネルヴァはガサゴソと中を漁り出した。きっとメアリがいない間、ほぼ一週間分がたまっているのだろう。大切な手紙が来ていたらどうするんだと問いたい。
と、突然彼女の動きが止まった。目当ての物でも見つけたのか、恐る恐るそれを取り出す。――メアリが書いた手紙だ。
「……ったく、分かりにくいことするんじゃないよ! あんた、仮にも魔女の端くれだろ? ならポストになんか投函せずに幻影の魔術で直接伝えたらどうだい!」
逆切れされた。
「ええー! 酷いです、さっきの完全に濡れ衣じゃないですか」
「知らないよ。今はあんたの情報伝達技術について語ってんだ。話逸らすんじゃないよ」
「いやいや、話逸らしてるの師匠ですから! 誤魔化されませんよ!?」
メアリはいつも以上に食いついた。こんな風にミネルヴァに理不尽なことを言われるのは日常茶飯事だが、これはさすがにメアリも腹が立つ。一週間ぶりの再会だというのに、自分の失態を棚に上げて弟子の不出来を語るなど!
「あんた、いい度胸だね……」
「へ?」
今回ばかりは負ける気がしない、と思っていたメアリだが、ミネルヴァの低い声に、いつもの癖でビクッとする。
「――丁度良かった。これ、隣村のジェイソンに渡して来てくれないか?」
「え……」
「ほらほら、一週間ぶりのお使いだろ? 有り難いねえ」
「いや、さっきの話はどうなって――」
「口答えするんじゃないよ。弟子は黙って師匠の命令に従ってな」
「ひ、ひどい……」
結局いつも通りだ。向こうの方が間違っているのは明白なのに、師匠命令だと言われればもうこちらとしては何も言えない。何より、師匠には大人しく従っておかないと、一生一人前の魔女とは認めてもらえないかもしれない。
いや、何より本当にわたしは魔女になれるのだろうか、と目の前のニヤニヤ笑っている師匠を前にして嘆く。彼女が認めてくれるとはどうにも思えなかった。
大魔女ミネルヴァと言ったら、近隣の村々では大層有名だ。もちろん魔女の間でも。その類まれなる知識と魔術技術はもちろんのことだが、それ以上に有名なのは彼女の頑固さや偏屈ぶりだ。その難儀な性格のせいで、いったい何人が薬を手に入れられずに泣く泣くミネルヴァの家を後にしたことか……。
もちろん、彼女は本当に薬を必要としている人だったら、惜しむことなく分け与える。その辺はまだ良いのだが、金をたくさん持っていると知ると、途端に手のひらを返したように法外な値段を請求するので、お金持ちとしては堪ったものではない。
師匠には師匠なりの思惑があるのだろうが、それでも弟子のメアリだってそのがめつさは何とかしてほしいと思う。食べ物だって服だってメアリのお小遣いにだってそのケチ加減は現れるのである。師匠に何か野望があったとしても、それを弟子に押し付けるのは止めてほしい!と常々思っているのだが、やはり口に出せはしないメアリだった。
「ほら、何ちんたらしてるんだい。早く行きな」
「分かってますって。見習い魔女メアリ、師匠の理不尽な命令に従ってきますよ」
「はいはい。行ってらっしゃい」
メアリを出迎えてくれた時とは大違いの満面の笑みだ。弟子心としては、一週間ぶりの弟子を出迎えるときに、その笑顔を見たかったものだと寂しくため息をつく。そしてすぐに踵を返す。いつまでもグズグズやっていたら、嬉しそうな顔をしたミネルヴァに、更に仕事を増やされること請け合いだ。
隣村まで箒で行こうと跨いだところで、ふとメアリは思い出す。昼餉を食べていないことを。
しかしもうここまで来たのだ、諦めるしかない。メアリの体が同い年の女子よりも多少小さいのは、だらしない師匠の不規則な食事のせいではないかとメアリは睨んでいる。しかし恨んでいてもしょうがない。これが十数年生きて来たメアリの慣れ親しんだ生活なのだから。
朝は家の掃除や洗濯、食事作りなどに精を出し、昼はミネルヴァのお使いをしながら村や街の人々の手助けをする。
それが、魔女見習いメアリの一日の過ごし方だった。