15:魔女見習い、憤慨する

 王宮に勤める者たちの朝は早い。

 まだ日が昇らぬ頃、使用人たちは起き出し、各自せっせと仕事に励む。専属料理長は朝餉・昼餉の下ごしらえを始めるし、侍女たちも王族に朝を告げる準備をする。国に仕えている騎士たちもまた、朝餉の前にランニングやトレーニングを始める。

 夜の帳に包まれていた王宮は、こうして次第に騒がしくなるのである。

 しかしながら、王宮のほとんどがどんどん眠りから覚める中、一向に目を覚まさない者たちがいた。それは悪化の一途をたどり、日がすっかり真上に到達してもなお、泥のように眠っていた。

 言わずもがな、酒場で騒ぎまくった一行である。

 隊長が指揮してくれなければ隊が成り立たないとジェイルは部下に起こされかけたが、寝起きの悪さで彼らを一掃し。

 侍女が控えめに朝餉の刻を告げたが、エリスは唸るだけで聞く耳持たず。

 エリスが出かけないのならば護衛は必要ないと、ウィリスは放っておかれ。

 アベルに至っては、最近仲が良いらしいメアリに任せればいいと、存在を忘れ去られており。

 当のメアリはもう夜も遅いので、適当に見つけた空き部屋で倒れこんだまま眠り。

 それぞれ思う存分、惰眠を貪っていた。

 さて、昨夜は大変な醜態を晒していた一行ではあるが、その中で一番早くに目覚めたのは、やはり年長のジェイルであった。早くと言っても、とうに日は真上を過ぎている。おそようと嫌味を言ってくれる人すら周りにはいない。

 ジェイルは何だか爽やかな気分で起き上り、大きく伸びをした。そうしてそのままゆっくりと昨夜のことを思い浮かべ、首をかしげる。

 ――目覚めはすこぶる良いジェイルだが、酒を呑んだあたりからの記憶がさっぱり抜け落ちていることが唯一の難点だった。

 昨夜の醜態のことをすっかり忘れているジェイルは、すぐに自分が上半身裸であることに気付き、更に首をかしげた。

「服がないな。どこに置き忘れたのだろうか」

 置き忘れたんじゃないです。決して服を着ようとせずに、服を見ることすら嫌がったからわたしが持ち帰ったんです……。

 献身的に上半身裸男の世話をしていたメアリがこれを聞いたらひどく嘆くだろう。

 次に起きたのはエリスである。幾度か侍女に起床の声をかけられていたので、その眠りが浅くなっていたためだった。

「お水を貰えるかしら」
 侍女を呼び、グラスを受け取る。一気に飲み干して、ホッと息をついた。

「どうして……こんなに頭が痛いのかしら……」
 思わずエリスは呟いた。その小さな声が聞こえたのか、侍女は口を開く。

「昨夜はずいぶんお飲みになられたようですよ?」

 昨夜……と呼び覚まされる記憶の数々。

 残念ながら、エリスはしこたま飲んでも、記憶はしっかりと所持しているタイプのようだ。

 エリスは嘆く。そして嘆きのあまり、やりきれない思いを枕に拳を叩きつけることで清算した。

「メアリっ! メアリったら、どうして昨日のあの私の所業を止めてくれなかったのよ!」 
 必死に止めようとしました。でも手が付けられなかったんです……。

 エリスの大酒飲みを必死に調整していたメアリは、これを聞いたらひどく悲しむだろう。

 その次に起きたのはウィリスだった。あまりに無理な体勢で一晩中寝ていたため、体の方が先に悲鳴を上げたようだ。

 ウィリスは痛む体を軋ませながらフッと目を開ける。まだ覚醒しない頭で周りを見回した。

「あれ……俺、何で銅像と肩組みを……?」
 肩好きですよね、やたら肩を組みたがるのは何でですか……。

 ウィリスの肩組み被害者に片っ端から謝っていたメアリは、これを聞いたら呆れ返るだろう。

 そして最後に起きたのはアベル。誰にも彼にも忘れ去られていたアベルは、自分の部屋でひっそりとその瞼を開く。彼も昨夜の記憶はあやふやらしく、フラフラする頭を抑えようとした。が。

「あ、あれ……何だこれ」
 両手がタオルで縛られていた。よくよく見れば、ブーツも片っぽないし、シャツも乱れている。何だか目も腫れぼったいような気がする。何があったのかはさっぱり覚えていないが、しかし何かがあったことだけはわかる。

「昨夜……途中から記憶がないな」
 覚えているのは、自分がやたらメアリメアリと叫んでいたことと、泣き叫んでいたこと。加えて今現在のこの状況。これらのことから導き出されるのは。

「メアリのやつ、緊縛趣味でもあるのか……?」
「はっ、はあ……!?」

 アベルの世話で手いっぱいだったメアリは、これを聞いたら言葉もなく立ち尽くすだろう――。
「いや、いますから。聞いたらとかじゃなく、聞いちゃいましたし!」

 誰にともなくメアリは突っ込んだ。その声に、アベルは振り向いた。

「おまっ、いつからそこに!」
「殿下が起きる前からいましたよ。起こそうと思ったら独りでに混乱してるし、面白そうだったからそのまま見ていようと思ってたら――」

 途轍もなく失礼な言葉を聞いてしまったのである。

 しかしそんなメアリは何のその、アベルは呆れたように首を振った。

「というかお前な、いくら俺が酔っ払って意識がないからってこれは無いだろ。お前の趣味に付き合う気は毛頭ないからな」
「ちょ……ちょっと、もしかしなくても殿下、本当にわたしにそっちの趣味があるとお思いで……?」
「そうじゃないとこの状況が説明できないだろ。おぼろげだが覚えてるんだ。俺がやたらメアリの名を叫んでいたことを」
「…………」

 しばらくメアリは頭を抱えた。怒り、憤り、憤怒、憤慨。――メアリの頭の中は全て同じ感情で埋め尽くされた。そして爆発する。

「あんた……あんたらなあ! 昨日わたしに散々迷惑かけておいて、謝りの一つもないんですか!」
「お、おい……、急にどうした」
「しかも何ですか、緊縛趣味って……! このわたしに、そんな趣味があるように見えるんですか!」
「いや……そういうわけでは……」
「それはねえ! ジェイルさんの仕業ですよ! あなたがわたしを殺したって泣き叫ぶもんだから、ジェイルさんがあなたを捕縛したんです!」
「は、はあ!?」

 だいぶ端折っているメアリの説明に、当然アベルはついていけない。目を白黒させるばかりだ。しかしメアリはそんなことお構いなしに叫ぶ。

「本当昨夜はみなさん大暴れでしたよ、いろんな意味で! 楽しかったですか、自分の欲望のままに暴れまくって!」
「い、いや、悪かったって。その、いろいろと迷惑をかけたようで」

 思い出せはしないが、怒り狂うメアリに臆し、とりあえずアベルは謝意を示す。しかし彼女に耳には届いていないようだ。どんどんと地団太を踏み始めた。

「もういいです、もういいです。殿下になんか期待したわたしが馬鹿でしたよ。ええ、おお間抜けでしたよ!」
「いや……」
「今まで散々つくしたのに、こんなのってないですよ! この大馬鹿野郎ー!」

 叫びながらメアリは部屋を飛び出した。呆気にとられるアベルを置いてけぼりに。すれ違った侍女たちにも不思議そうに見られたが構わない。

 このまま一生ここへ来てやるもんか、とばかりに城を飛び出したメアリ。しばらくすると、頬を何かが伝っていることに気付いた。

 涙……か。しかしそれにしては冷たい。

 涙が冷たいと、心も冷たいってか、傷心によくもまあ追い打ちのようなことをしてくれるじゃないか。――って、それは手の話だろう!! 涙って聞いたことないよ!!

 一人で下らないノリ突っ込みをしていると、やがて大降りに頭上から降ってくる涙に、雨じゃないか、と再びノリツッコみをした。

 行く当てもないまま走っているので、体も冷えてくる。しかしあれだけ大口叩いておきながら、今更戻ることなんてできない。何より、向こうが完全に悪いくせに、こちらが気まずい思いをしながら戻るのが腹立たしい。

 メアリはそう決断すると、とにかく今は雨宿りをすることにした。
 雨宿りできそうなところ……と辺りを見回すと、丁度目に入るものがあった。厩舎だ。

 本格的に降り出してきた雨に、メアリは慌ててその中へ批判した。途端に干し草や穀物、馬具、馬の体のにおいが入り混じった厩舎独特のにおいが鼻を突く。

 アベルと来た時のことを思い出しながら、メアリは彼の白馬のところまでやってきた。厩舎の隅で縮こまっていてもいいが、やはりここまで来たのだから顔なじみの馬と挨拶でも、と思ってのことだった。

 白馬はメアリが近寄ると、前足を折り曲げて頭を下げて挨拶をした。とてもお行儀が良いと彼女は感激した。どこかの誰かさんとは大違いだ、と嫌味も込めて。

 撫でようと手を伸ばしてみると、人懐っこくその鼻面を近づけてきた。その可愛らしい仕草に、思わずメアリも満面の笑みを浮かべる。本当、誰かさんとは大違いだ。

「はあー……、もう疲れましたよ」
 小さくつぶやくと、柵に凭れる様にして背を預けた。

 アベルと出会ってからの怒涛の日々。それまでは師匠と穏やかに、時には怒られながらも慎ましい生活を送っていた。それがどうして、彼と出会ってからは怒鳴ったり怒鳴られたり、馬鹿にしたりされたりの繰り返しである。

 思い返してみると、アベルと出会ってから二週間も経ってないにもかかわらず、ずいぶんいろいろなことがあった。主にマイナスな出来事ばかりだが。

「ほんと、殿下といると碌なことがないんですよね」
 今まで遭遇した散々な出来事を思い出し、眉をひそめる。

「わたし、魔術もたくさん使って殿下の役に立とうと頑張ってるのに」
 手持無沙汰になって、メアリは傍に転がっている石を適当につかむ。

「殿下はわかってくれないし。いつも怒ってるし。緊縛趣味とか言い出すし」
 ついには膝に顔を埋める。

「殿下なんか嫌いだあ……!」
 石を力任せに投げると、すぐ目の前の、何かにぶつかった音がした。顔を少し上げると、目に入る茶色のブーツ。

「――嫌いで結構だ」
 ゆっくりと、完全に顔を上げると、目に入る金髪の少年。

「で、殿下……」
 肩で息をしているアベルが立っていた。その髪は雨でぐっしょりと濡れている。

「お前……あんまり心配かけるなよ……」
 アベルはそう言うと、大きなため息をついて力尽きた様にその場にしゃがみこんだ。メアリは呆気にとられながらその様子を眺めた。

「いっ、今更謝ったってもう遅いんですからね!」
 メアリは拗ねたようにそっぽを向く。するとアベルはガシガシっと頭を掻き、ぽつりと呟いた。

「俺……お前がいないと駄目なんだよ」
 アベルには珍しい、その頼りなげな呟きに、メアリはぴくっと肩を揺らす。

「そ……そんなの、分かり切ったことですけどね!」
 なおもメアリは隅に顔を向けたままだ。アベルはその後ろ姿に語り掛けた。

「お前がいなかったら――」
「…………」
「今夜の晩餐会をどうやってやり過ごせばいいんだ……!」
「……ん?」

 何かがおかしい。

 メアリは怪訝な顔でアベルを見やった。

「お前がいたからこそ今までやって来れたのに……」
 アベルは力任せに拳を地面に突き立てた。

「ちょっ、わたしの存在意義そこ!?」
 メアリは思わずその様子に突っ込んだ。

「純粋にわたしを心配してここに来てくれたんじゃないんですか!?」
「――ん? 心配してほしかったのか?」
「――っ、そうじゃなくて……!」

 不思議そうなアベルに、メアリは真っ赤になる。

 何だか自分が馬鹿みたいだ。殿下が心配して来てくれただなんて勘違いにも程がある。
 羞恥が通り過ぎると、今度は次第に怒りが湧き上がってきた。

「とりあえずメアリ、急げ! もうすぐ会食の時間だ、作戦会議といこうじゃないか」
 アベルは爽やかな笑みで手を差し出した。先ほどまでの二人のいざこざなど無かったことのように。というか、きっと忘れてる。

「おんどれはあぁぁぁ!」
 メアリは叫んだ。その感情のまま、差し出された手を右手で弾いた。

「――余るだろうから、晩餐会の時の肉やるぞ」
「お引き受けします」

 即答し、すぐさま反対の手でアベルの手を取った。