01:正反対の二人


 家族揃っての食事こそ面倒なものはない。昔は嫌で嫌で仕方がなく、体調不良を装い、使用人に自室まで食事をもってこさせていたことも何度かあったくらいだ。しかし、最近は両親も忙しいのか、各自で食事をとることが多くなり、ハリエットは内心気を楽にしていたのだが。
 珍しいことに、今日は久しぶりの家族揃っての昼食だった。忙しい中、両親が時間を作り、家族が揃うよう計画を立てていたのは、他でもないある客人のためだった。

「マティアス様、ご趣味はなんですの?」
「趣味ですか。私は狩猟が好きですね。領地の近くに山があるので、そこでよく狩りをしています」
「あら、いいですわね。今度私たちの領地で狩りをなさったら? ねえ、あなた」
「そうだな。その時はぜひお手柔らかに頼むよ」
「そんな、滅相もありません。バーナード様の狩猟地と腕前のお噂はかねがね伺っております。こちらこそよろしくお願いしますね」

 礼儀正しく、明朗なこの青年の名はマティアス。地方の少々落ちぶれた子爵家の嫡男ではあるが、何せ見目も人当たりも良いので、たびたび社交界では噂になっていた。

「その際には、ぜひ私のパディもお連れになって!」

 腰まで届く長い巻き毛の少女――彼女は、ハリエットの義妹であるグレンダだ。テーブルから身を乗り出し、瞳をキラキラさせている。

「狩猟犬としてきっとマティアス様のお役に立ちますわ。小さい頃お父様が買ってくださったのだけどね、利口だし、鼻も利くし、何よりすっごく足が速いの。絶対連れて行った方が良いわ」
「おいおい、グレンダは私よりもマティアス殿の味方か? 随分薄情な娘に育ったものだ」
「あら、お父様は自分の領地でなさるのだから、手慣れたものでしょう? 私くらいマティアス様の味方にならないと」
「全く……」

 呆れたようにバーナードがため息をつけば、その場は笑い声に満たされる。ハリエットも反射的に愛想笑いを浮かべた。

「ねえ、ハリエット。あなたは何かマティアス様に聞きたいことはないの?」

 最初の挨拶が終わってからというもの、ハリエットは全くもって話題に入ってくることがなかった。そのことを気にして、彼女の母カミラが話題を振った。

「え? あ、そうですね」

 ハリエットは少々考え込む素振りを見せる。初対面で質問されるようなことは、一通りマティアスが自分から話していた。あまり込み入ったことは聞けないだろうから、と頭を悩ませる。
 ハリエットがあんまり真面目に考え込むので、食事の席は静かになってしまった。痺れを切らしたグレンダが、甘えるような声を出した。

「お姉様はまだ考えてるみたいだから、私が質問してもいい? 私、マティアス様の女性関係がすっごく気になるわ。だって、社交界に行く度に、マティアス様の噂で持ちきりなんですもの! 誰それがマティアス様にご執心だの、愛を告白した人がいるだの、どれが本当でどれが嘘なのか分かったものじゃないわ。ねえ、この際全部教えてくださらない?」
「そうだな」

 グレンダの言葉に、バーナードも目を瞑って頷く。

「私も、その点は気にはなっていたんだ。君は人柄もよく、好青年だが、その分女性がらみの噂が多い。見たところ、不誠実には見えないが、この際、直接君の口から話を聞きたい」
「そうですね」

 マティアスは、相づちを打って一呼吸入れる。控えめだが、重みのあるバーナードの言葉にも、彼は動揺しなかった。

「確かに、女性にお声がけを頂くことはあります。私自身、女性にはいつも真摯に接するよう心がけていますから、そのせいで何か誤解を生むような結果になったのかもしれません。しかし、ただ一つ自信を持って申し上げられるのは、私は決して不誠実なことはしていないということです」
「言い方は悪いが――女性を弄ぶようなことはしていないと?」
「もちろんです。私の噂をお聞きして疑うお気持ちはごもっともです。実際、私の噂には耳を疑うようなものもありますから。ですが、バーナード様は、噂などに振り回されない方と信じています。だからこそ、噂などものともせずに私をこの場に呼んでくださったのでしょう?」

 いささか挑戦的な目つきでマティアスはバーナードを見た。驚いたように彼は目を丸くしたが、やがて堰が切れたように笑い出した。

「面白い。いや、確かにそうだ。噂などよりも、直接この目で確認したかったからな。その様子では、マティアス殿は此度御自分が呼ばれた理由をなんとなく察せられているのでは?」
「……そうですね、薄らとは」
「それならば話が早い」

 バーナードは、笑みを一層深くし、身を乗り出した。

「今回マティアス殿をお呼びしたのは、長女のハリエットの婚約者にどうかと思ったからだ」
「ハリエット様の?」

 思ってもない言葉だったのか、マティアスは聞き返す。バーナードは大きく頷いた。

「もし今日娘と話してみて、両者共々もその気になったのなら、メイリー家に婚約の打診をしようと思っていてな。もちろん、今日だけで決められないというのなら、その後も交流の日を設けよう」
「身に余るお話しでございますね。本当に私でよろしいのですか?」
「今日話してみて、私は君が気に入った。ぜひ婚約を進めたいと思っている」

 満足そうに言い切るバーナードの傍ら、ハリエットは、その冷静な顔の裏で、頭を抱えていた。どうして父はこのような大切なことを、当事者である私に黙っていたのだろうか、と。せめて、彼を呼ぶ前に一言あっても良いだろう。
 とはいえ、このことを知らなかったのは、何もハリエットだけではなかったらしい。グレンダは、唖然と口を開けていたが、やがて我に返ると、眉間に皺を寄せた。

「でも、マティアス様はさぞお美しい女性の方達にも言い寄られているのでしょう? お姉様で満足なさるのかしら」
「グレンダ!」

 カミラが窘めるように一喝する。グレンダはペロリと小さく舌を出した。

「冗談よ、お母様。ちょっとからかってみただけじゃない。――で、マティアス様、その辺のことはいかが?」

 追及の手は止まず、グレンダは曰くありげにマティアスを見る。まるで獲物を狙う鷹のようにその眼光は鋭く、マティアスの失言を今か今かと待っているようだ。しかし、今回もまた、マティアスは冷静だった。

「初めて会ったばかりですから、ハリエット様のことはまだよく分かりません。ですが、所作も食べ方も綺麗で、マナーを徹底されている方なのだなとお見受けしました。お話しする機会を頂き、もっとよくハリエット様の魅力を知ることができればと思っています」
「まあ、逃げたわね」
「グレンダ、もうその辺にしなさい」

 グレンダは唇を尖らせた。ことごとくマティアスが一枚上手なので、自分の思うような事態にならないことが不満なのだ。

「ハリエット、あなたからは何かないの? マティアス様もこうおっしゃってくださってるんだし」

 カミラの言葉を受けて、マティアスは、ハリエットに涼やかな笑みを向けた。ハリエットは軽く会釈をした。

「愛想のよい方だとは思いました」
「もう、この子ったら……」

 娘のあまりに簡潔な返事に、カミラは頭を抱えた。

「マティアス様、愛想のない子でごめんなさいね。この子は全くいつもこうで――」
「まあまあ、カミラ」

 いつものように小言に発展しそうな空気を察し、バーナードはにこやかに割って入った。

「娘は昔から感情を表に出すのが苦手でね。だから、マティアス殿なら、娘ともうまくやっていけるのではと思ったんだが」
「もったいないお言葉です」
「そうだわ、ねえ、ハリエットと一緒に庭を散策なさったらどうでしょう?」

 唐突にカミラがポンと手を打った。

「ハリエットは話下手ですけど、二人きりなら、さすがに少しは話をするでしょう。ぜひそうなさって、ね?」

 娘の承諾などどうでも良いのか、カミラはマティアスにしか目を向けない。マティアスは躊躇うことなく立ち上がった。

「喜んで」

 そうしてテーブルを回り、ハリエットの側まで来ると、手を差し出した。

「ハリエット様、お手をどうぞ」
「……ありがとうございます」

 にこやかに微笑むマティアスは、貴公子然としている。その影響か、ハリエットまで深窓の令嬢のように見えて、カミラはうっとりとした表情を浮かべた。

「とってもよくお似合いねえ。ね、あなた?」
「そうだな」

 二人は連れ立って扉まで歩く。グレンダとすれ違いざま、彼女の表情がスッと冷えていったことに、ハリエットは気づいていた。