09:三人での茶会


 いつもならば、のんびりと優雅なお目覚めから始まるのだが、その日は違った。ノックも無しに侍女のベティが部屋に飛び込んできて、クレアは叩き起こされた。

「たっ、たた、大変でございますー! クレア様、クレア様、早く起きてくださいー!」
「もう、一体何なの……?」

 折角のまどろみを盛大に妨げられ、クレアは非常に不機嫌だった。眼をこすり、ゆっくりと身を起こす。

「それが、本当に大変なんですよ! こんな悠長なことはしていられません。早くお着替えください!」
「先に用件を言ってよ。どうしてのんびりしてたらいけないって?」
「フレデリカ姫様が! 午後にこちらにやってくるって言うんですよ!」
「へ?」
「こうしちゃいられません、早くドレスと装飾品と部屋のお掃除と――とにかく、早く準備をしないといけないんです!」

 ベティはクローゼットを豪快に開け、あれでもない、これでもないとドレスの値踏みをし始める。クレアは彼女の言葉が理解できず、ポカンと呆けるばかりである。ベティはドレスを両手一杯に抱え、ドサッと寝台の上に置いた。

「さ、どのドレスにしましょうか。あっ、ネックレスも持ってきますね。やはりドレスと色を合わせた方が良いですから」

 宝石箱を眺めながら、ベティは顎に手を当てた。

「ううん……どれがいいか。姫様のことだから、多少派手な宝石の方が、釣り合いが取れて見栄えも良いのかもしれない……。でも派手すぎると、かえってクレア様の魅力が――」
「ベティ、姫様って? 本当にフレデリカが来たの?」
「まっ、クレア様! いくらなんでも、恐れ多いですわ、姫様を呼び捨てだなんて!」
「へ? ああ、ええっと……そうだね、フレデリカ様だよね」

 クレアは慌てて言い直した。確かに、一介の伯爵令嬢がフレデリカを呼び捨てだなんて、外聞が悪すぎる。いらない恨みや妬みを買うのはこりごりだ。

「とにかく、クレア様。どちらのドレスにします?」

 ベティは瞳をキラキラさせながら二つのドレスを掲げた。先のクレアの質問などすっかり抜け落ちたようで、今の彼女の頭の中にはクレアをどう飾り立てるかくらいしかないらしい。
 クレアは肩をすくめ、ベティが僅かにチラチラと視線を向けているドレスの方を指さした。


*****


 昼食を食べ終え、しばらく経ってから、フレデリカはやってきた。一応お忍びという呈はとっているものの、彼女が率いる伴の数はクレアからすれば圧倒的だ。それだけフレデリカの立場は重要で、下手をすれば命の危険性があるということだろう。
 クレアは父と共にフレデリカを歓迎した後、すぐに自室に迎え入れた。たくさんの護衛達の前で話すのは息苦しかったし、堅苦しく話すのも疲れたからだ。

「昨日ぶりね、クレア」

 クレアの部屋で二人きりになると、フレデリカの方も砕けた様子になった。

「突然お邪魔してしまってごめんなさい。どうしてもあなたに会いたくて来てしまったの。お土産もあるのよ」
「お土産?」

 侍女を呼び、フレデリカは包みをクレアに渡した。見慣れた包装に、彼女は内心笑みを零す。

「マドレーヌよ。王宮のメイドが作ってくれたものなの」
「わざわざありがとう」

 クレアはニコニコ顔で包装を開けた。中から出てきたのは、記憶に違わないたくさんのマドレーヌが。
 前世でも、クレアはこのマドレーヌが大のお気に入りだった。気を遣ってくれたようで、二人でお茶をするときは、フレデリカはいつもマドレーヌを持ってきてくれていたのだ。クレアには到底手の届かない代物なので、いつも有り難く頂いていた。
 侍女にお茶を入れてもらって、二人だけの茶会が始まる。口を開けば、前世でしか知り得ないことをポロリと話してしまいそうで、クレアは口数が少なかった。それでもフレデリカはどこかはしゃいだ様子で常に笑みをたたえていた。

「私、同い年のお友達がいないものだから。もし良かったら、時々こうして会いに来てもいいかしら?」
「もちろん! 私も少し前まではずっと領地にいたから、ライルくらいしか友達がいなくて」
「昨日の方ね?」
「うん、そう。昨日の」

 おかしなことは何もないのだが、何故だか二人は顔を見合わせて笑ってしまった。初めて会ったのに、昨日の、と言うだけで秘密の暗号のように互いに理解が行き届いたことがくすぐったかったのかもしれない。

「うん、これ本当においしいね」
「ええ、きっと気に入ると思っていたのよ。今度来るときにまた持ってくるわ」
「いいの? ありがとう」

 クレアは照れくさそうに笑い返した。なんだか催促してしまったようで、羞恥と申し訳なさがあった。
 昨日の今日で、すっかり打ち解けたクレアとフレデリカ。二人だけの女の園に、突如この場に似つかない声が響いた。

「クレア? 入るよ」

 部屋の主の返事も聞かずに、ライルはパッと扉を開けた。突然の出来事に、クレアはしばし呆気にとられたが、フレデリカの方は慣れたものだ。

「ご機嫌よう、ライル様」

 フレデリカは、突然の訪問者に気を悪くすることなく立ち上がって小さく頭を下げた。その間にも、微笑が絶えることはない。

「ですが、部屋の主の許可なく入って来られるというのは、一体どういう心境あってこそなんでしょう。まさか、いつもこのような扱いをされているわけではないわよね、クレア?」
「えっ……と、うん、いつもはそんなこともないんだけど……」

 突然自分に流れが来て、クレアは困ったように首を傾げる。自分一人ならば、珍しいライルの失態など気にもとめないが、今回は違う。気さくだとはいえ、仮にも一国の王女がいるのだ。ライルの礼を欠いた行動は咎められても仕方がない。
 彼もそう思ったのか、深く頭を垂れる。

「それについては申し訳ありません。表に見慣れない馬車があったものですから、一体どなたが訪問されているのか気になってしまって」

 謝罪をした後は、ライルはすぐに頭を上げた。

「ですが、なぜあなたがここにいらっしゃるんでしょうか? 王女であるあなたが、一介の伯爵家になぜ」
「お友達の家に遊びに来てはいけないのでしょうか」

 フレデリカはさも驚いたようにパチパチと目を瞬かせた。

「昨日の舞踏会で、私たちお友達になりましたの。私、同い年のお友達がいないものだから、クレアともっと仲良くなりたくて、今日はこちらに。……迷惑だったかしら?」
「そんなこと! むしろ嬉しかったよ。やっぱり女の子の友達が欲しかったから」
「まあ、嬉しい。……それにしても、クレアとライル様も随分仲良しなのね? 昨日の今日で会いに来るなんて」
「そういうわけじゃないけど」

 クレアは曖昧に微笑む。仲良しというよりは、執着されているといった方が的確にすら思える。おそらく、お互い幼い頃に母を亡くし、友人もろくにいなかったから、なかば消去法だったのだろう。
 ただ、ライルの方は、クレアの返答が気にくわなかったらしく、少々ふて腐れた顔になる。しかしそれもほんの少しの間だけで、すぐに気を取り直してクレアに向かって包みを持ち上げる。

「そうだ、前食べたいって言ってたお菓子を買ってきたよ」
「もしかしてモンブラン!?」

 喜色を露わにクレアが聞き返せば、ライルは自慢げに頷く。

「行列がついていて大変だったんだから」
「ありがとう! とっても嬉しい!」

 まさか以前ポロッと零していたことを覚えてくれていたなんて。
 前世とは打って変わって別人のライルは、すっかりクレアに甘かった。前世のライルは、無愛想で冷たかったので、今の彼はすごく接しやすい。……とはいえ、時折度が過ぎるほどにクレアに甘いので、だんだん自分が駄目人間になっていくような気もしてくるクレアである。

「じゃあさ、今日は天気も良いし、外で食べない? ずっと部屋の中じゃ辛気くさいし」
「僕はそれでいいけど」
「私もそれで構わないわ」
「じゃあ決まりだね」

 クレアはほくほく顔でモンブランの包みとマドレーヌとを抱えると、一番に部屋を出て行く。その様からもうクレアが食いしん坊であることが容易に窺えて、後からついていくライルとフレデリカの二人は苦笑いを浮かべるばかりである。
 外は意外に日が照っていた。日差しは少々きついが、外套を着ても寒いこの時分にはむしろ有り難いくらいかもしれない。
 自分から外へ行こうと言い出した手前、今更やっぱり暖かい部屋に戻ろうなどと口が裂けても言えず、クレアは仕方なしに白い椅子に腰掛けた。隣にフレデリカ、向かいにライルが座る。

「じゃあ……うん、食べようか」

 妙な違和感を覚えながらも、クレアはモンブランの箱に手を伸ばした。中には同じモンブランが三つ入っていた。おそらく、二つはライルとクレアのもので、残りの一つは父へのお土産だったのだろう。心の中で父に謝りながら、クレアはその一つをフレデリカの前に置いた。

「お茶入れるよ。クレアは猫舌だから、早めに注いで冷ましておかないとね」
「まあ、ライル様!」

 ライルがティーポッドに手を伸ばしたところ、ベティがすっ飛んでやってきた。

「ライル様にそんなことさせるわけには参りません! それに私の仕事がなくなってしまいますー! ここはどうか私に任せてください」
「そう?」

 彼女にそこまで言われてしまえば、ライルはもう引き下がるしかない。フレデリカはクスリと笑った。

「ライル様は世話焼きでいらっしゃるのね。意外だわ」
「悪いですか?」

 からかうような口調に、ライルは怒らないまでも気分を害したようで、そっぽを向く。

「いいえ、そんなことは。ただちょっと不思議に思って。噂に聞くライル様とは随分様子が違うようで」
「噂って?」

 クレアは興味津々に聞き返した。いつも側に渦中のライルがいると、肝心の噂というものがあまり耳に入ってこないのだ。果たして、前世のライルも、これほどまでに噂になっていただろうかとクレアは首を傾げる。

「あら、クレア」

 しかし、クレアの珍しく真面目な思考をフレデリカが遮った。呆れたような、愛おしむような表情で、クレアに向かって白く細い腕を伸ばす。

「口元についてるわ。取ってあげる」
「あ、ありがとう……」

 お礼を言ったときには、もうすでにフレデリカの手は離れていて、クレアはひたすらに恐縮した。純粋に恥ずかしかった。こんな時にもなって口元に食べかすをつけ、そして友達にとってもらうなんて。それに、仮にも相手は一国の王女である。ますます居住まいが悪くなる。
 クレアはすっかり身を縮こまらせてベティが注いでくれたお茶に逃げの口実を作った。話さなくても済むように、ただひたすらにお茶をこくこくと飲み続けるのだ。
 ただ、そうしていると、テーブルはすっかり静かになってしまった。それほどお喋りというわけではないのに、クレアが黙ると、それに比例してライル、フレデリカ共に、極端に口数が少なくなるのだ。
 異性というせいもあるのだろうが、もとより人見知りのしないライルはフレデリカに話しかけようとしないし、フレデリカの方は、ライルなど眼中にないとでも言いたげにツンと澄ましている。
 お茶会にライルが混じったことで気を悪くしてしまっただろうか、とクレアがチラチラとフレデリカを見れば、それに気づいた彼女が、嬉しそうに微笑む。クレアはなんだかよく分からなかった。
 しかしやがて、その違和感に気づくときが来た。静かなのを良いことに、前世でのことを思い出していたら気づいたのだ。この三人で顔を合わせたことは、もしかしたら今が――厳密に言えば昨夜の舞踏会だが――初めてではないだろうか、と。
 ライルは幼馴染みだし、フレデリカは友達。だが、前世では、一度もクレア含む三人で話してことはなかった。それどころか、顔を合わせたことすらなかったかもしれない。
 それほどこの二人には接点がなかったのだ。クレアを通せば接点はあるにはあるのだが、互いに接触する機会がなかったし、おそらく興味もないようだった。にもかかわらず、現世では、何の因果か、三人でテーブルを囲んでいる。
 二度目とはいえ、人生何が起こるか分からないなあと、クレアは達観した表情で空を見上げた。