08:舞踏会にて


 王宮で開かれる夜会へ赴く時間となった。オースティン家とウィルキンス家、一緒の馬車で向かうことも考えたが、手続きが面倒そうなので考え直した。家紋の入った馬車でそれぞれ向かった方が混乱もないので楽なのだ。
 クレアと別れると聞いた時、ライルはそれはそれは残念そうな顔になった。どうせすぐ会うんだからと、いくらクレアが窘めても、駄々っ子のように彼は首を振るばかりである。とはいっても、最終的には眉を吊り上げた父親に連れていかれたのだが。

「緊張するなあ。王族主催の夜会だなんて。クレアは大丈夫か? 初めての夜会が王宮で、だなんて」
「そりゃあ私も緊張してるよ。何か粗相をしないかって」

 人生経験は二倍でも、以前だってそう大して社交界には出たことは無い。緊張しないわけがなかった。

「しかしなあ……どうして王家からの招待状が俺たちに来たのかが分からないんだよ」
「そうだよ。私も気になってた」

 正直なところ、オースティン家、ウィルキンス家共々、田舎貴族である。にもかかわらず、揃って王宮に招待されるのはどうも気にかかる。裏で何か陰謀が企てられているのではないかと危ぶんでいるのはクレアだけではないだろう――。

「田舎貴族と繋がりを持っても良いことなんか一つもないのにな!」

 わはは、と豪快にオースティンは笑った。
 一周してなぜか自慢げな父に、クレアは呆れたような視線を向ける。それに気づいたのか、すぐに恥ずかしそうに父は咳ばらいをした。

「でも本当に大丈夫だよね? 私達、変なことに巻き込まれたりしないよね?」

 楽観的な父に、クレアはなおも食い下がる。前回悔しい死に方であったクレアとしては、今度こそきちんと天寿を全うしたいと思うのも当然だろう。
 父も娘の真剣な気配を感じ取ったのか、神妙な顔をして頷く。

「大丈夫とは言い切れんが、でも安心しろ。何かあってもお前たちは俺たちが守るからな」

 でも私、お父様の力が及ばない学園で前回死んじゃったんだけど……。
 とはもちろん言うに言えず、クレアは父の想いだけを有り難く受け取った。

「でもなあ、俺が思うに」
「何か思いついたの?」

 珍しく思慮深げな表情なので、クレアは興味を持ち、尋ねた。

「もしかしたら……婚約、とかだったりしてな」
「こ……婚約?」

 あまりにも突拍子のない言葉だったので、クレアは間抜けな声を出してしまった。父は照れたように頬をかくが、しかし否定はしない。

「何でも、今夜の招待状は正式には王女様かららしいんだ。もし王女様がライル君に興味があったのなら……一応筋は通るかな、と」
「王女様……」

 懐かしい響きに、クレアは束の間目を細めた。
 フレデリカ王女様。
 クレアの友人だった大切な少女だ。身分の違いはあれど、入学式で隣の席になったことをきっかけに仲良くなった。
 今度もまた仲良くなれたら――。

「何か気になることでもあるのか?」
「あ、ううん。何でもない」

 曖昧に微笑んで白を切る。前回友達でも、今からそうなるとも限らない。

「それにしても、王女様がライルと? 何かの間違いじゃないの?」
「いや、分からないぞ。巷でも有名なライル君の噂が都にも届いているのかもしれない」
「噂、ねえ……」

 確かに、ライルは結婚相手としては申し分ないだろう。貴族だし、容姿も格別、品行方正で頭脳も明晰。街を歩けば彼に流し目を送る少女も数多い。しかし、どうもクレアの中では、ライルとフレデリカが結びつくという想像ができなかった。
 王宮へ着くと、馬車を降り、一足先に到着していたライルたちと合流した。クレアを目にした途端、彼はキラキラと瞳を輝かせて走り寄ってきた。その様はまさに忠犬。

「クレア!」
「ら、ライル……」
「ちょっと到着が遅れてたみたいだけど大丈夫? 何かあったの?」
「別に何もないよ。ちょっとお父様が乗り物酔いしてただけ」
「そう。ならいいんだけど……」

 ホッとしたように彼は破顔した。彼の目には、顔を青くして馬車に寄り掛かる父の姿は見えていないらしい。気づかないまま、今日は少し寒いね、クレアはいつ見ても可愛いねとひっきりなしに声をかけていた。饒舌なのはいつものことだが、今日はそれ以上に舌が回っている。見た目にはあまり分からないが、ライルも緊張しているのかもしれない。何しろ、王宮での夜会など初めてのことだ。加えて荘厳な王宮の様式美に、圧倒されるほどの人だかり。緊張しない方が無理というものだった。
 王宮に入場した後、王族へ挨拶をするため、長い列に並んだ。クレアたちの身分はそれほど高くないので、その列も中間あたりだ。気が楽と言えば気が楽だが、それだけ緊張が長引くので早めに終わらせたいところでもある。
 先にライル達ウィルキンス家が王族に顔見せをした。今までの貴族達よりも、幾分か長い挨拶である。何を話しているかまでは分からないが、国王陛下が、何やら熱心にライルに話しかけているようだ。時折笑い声まで聞こえてきて、クレアはその会話が気になって仕方がなかった。
 ようやくクレア達の番が来た。緊張した面持ちで、彼女はは父親よりも一歩下がった位置で挨拶をする。

「オースティンか。久しいな。そなた、ずっと領地に引きこもりきりで、随分長い間顔を見せなかったからな」
「申し訳ありません」
「まあよい。そなたの事情も分かっておるからな。しかし、これからはずっと王都にいるのだろう?」
「はい。娘も大きくなりましたので、これからはこちらに身を置く所存にございます」
「そうか。そちらが娘か?」
「はい。今年十二になるクレアでございます」

 父が身を退き、クレアは真っ向から国王に見つめられることとなった。慌ててドレスの端をつまみ、腰を深く落とす。

「クレア=オースティンと申します、陛下」
「クレアか。良い名だ。丁度私の末娘フレデリカも十二になる。仲良くしてやってくれ」
「もったいないお言葉にございます」

 そう言って、クレアとオースティンは一層頭を深く下げた。が、視線を感じ、クレアが少しだけ頭を上げれば、椅子に腰掛け、自分たちに微笑みかけるフレデリカと目が合った。途端、クレアも緊張の糸を解し、顔を綻ばせた。
 ――やはり、彼女は彼女だ。
 今回も仲良くなれそうだと、クレアは再び頭を下げた。
 挨拶が終わると、やがて舞踏会が始まった。始めは身分の高いものによるダンスなので、クレア達は端の方に身を寄せる。その途中で、ライルが近づいてきて、こそっとクレアに囁いた。

「……あまり、僕から離れないでほしい」
「なぜ?」
「いや……少し緊張しているというか、ほら、僕って人見知りだし」

 そう言うライルの視線は彼方に向いている。隣にいるはずの彼は、時々遠くに感じることがあった。

「分かった。できるだけ離れないよ。というか、知り合いも特にいないし、ライルと一緒にいるしかないもんね」

 内心では、クレアは全く納得していなかった。
 どうしてそんなに不安そうなのか、額に汗をかいているのか。
 聞きたいことはたくさんあったが、彼を見ていると、なんだか自分まで苦しくなってくるようで、それ以上尋ね返すことはできなかった。
 やがて、クレアは父と始めのダンスを踊った。その最中、自分も踊れば良いのに、ライルはクレアのことをじいっと見つめていた。クレアはそのことが居心地悪く、曲が終わるとさっさと彼の元に戻ってきた。

「次は僕と踊ってくれる?」
「うん……いいけど」
「ああ、もう終わってしまったのか。ライル君さえ良ければ、クレアともう一曲――」
「次は僕の番ですよ」

 ライルににっこり微笑まれ、オースティンはそれ以上もの申す勇気も出ず、愛想笑いをして引き下がった。気心の知れたウォルフには、同情の視線で見られるばかりである。
 次の曲は、緩やかな落ち着いた曲だった。慣れない高いヒールで気疲れしていたクレアにとっては有り難いことである。
 そのことはライルも気づいていたのか、曲が終わるとすぐにクレアを端に連れて行った。

「足、大丈夫?」
「うん、平気」
「でも……」
「そんなに気を遣わなくて大丈夫だって」

 これから社交界に身を投じる身としては、これくらいのことで根を上げられてはいられない。
 ライルもようやく納得してくれたのか、心配そうに眉を下げた顔で、肩をすくめた。

「分かった。じゃあせめて飲み物持ってくるよ」
「いいの?」
「もちろん。隅によってて。すぐに戻ってくる」

 ライルは飛ぶように駆けていった。小柄な分、人混みをかき分けるのは得意なようだ。
 壁の花になって、クレアがしばらく舞踏会の光景を眺めていると、目の端に人だかりが見えた。若い女性達の集団で、何やら色めき立った声を上げている。
 始めは自分に関係のないこととクレアはボーっとしていたが、やがてその中心にいるのがライルだということに気が付くとぎょっとした。しかも、その集団はどんどんこちらにやって来ている。

「あの、クレア、ごめん」

 人混みの中から、ライルは困ったように声を上げた。

「ちょっと……しばらくそっちに行けそうにない」

 そういう彼の表情は苦しそうだ。邪魔になりたくなくてクレアは更に隅による。

「うん、大丈夫。私はここでゆっくりしてるから」
「本当にごめんね」

 ライルは、女性達を伴って、そのまま反対方向まで移動していった。クレアはそれを見送ると、嘆息して再び壁にもたれかかる。
 まさか、ライルがあそこまで人気だとは思ってもみなかった。前世でも、確かに彼はもてはやされていたが、それは魔術の実力と成績、そして顔の良さが伴ったからだ。従って、彼に人気が出たのは、魔術学院に入学してからのことであって、今の段階で女性に人気があったというのは記憶にない。
 それとも、以前よりも性格が軟化したおかげだろうか?
 考えてみても、一向に答えが出てこない。クレアは次第に面倒になって考えることを放棄した。ライルが幸せならそれでいいじゃないか。無愛想かつ不器用なせいで、以前の彼は友達を作るのにも苦労していたようだが、きっと今の彼なら大丈夫だろう。
 クレアはライルから視線を外した。――と、再び会場の視線が自分に集まっていることに気づいた。何事かと頭が状況を理解するよりも先に、クレアの前に少女が立ち止まった。

「クレア様、ご機嫌はいかがでしょう?」
「ふ、フレデリカ様?」

 クレアは慌てて姿勢を正した。
 なぜここに王女様が。
 クレアは素っ頓狂な顔で口を開いたり閉じたりした。

「少し、ここだと皆に見られてしまいますね」

 そんな彼女に、フレデリカは柔らかく微笑む。クレアはしきりに首を縦に振った。

「は、はい。そうですね」
「少しお庭に出ませんか? あそこならゆっくり話せそうですもの」
「はい、私で良ければお付き合い致します」

 とんでもないことになった。
 クレアは自分の背に衆目の視線が突き刺さるのをひしひしと感じた。それもそうだろう。一介の伯爵令嬢が、どうして王女と連れだって庭へ向かうのか。
 王宮の庭には、ちらほらと男女の姿が見られた。クレアは、フレデリカの半歩ほど後ろを歩きながら、緊張のあまり、周りをキョロキョロと見渡していた。

「クレア様?」
「あ、はい! なんでしょう?」
「ここに座りませんか?」

 フレデリカはベンチに視線を滑らせる。もちろん異論のないクレアは、勢い込んで返事をする。すると、フレデリカはおかしそうに笑い、先にベンチに腰掛けた。どうぞと目が合図されたので、クレアもおずおずと彼女の隣に座る。

「…………」

 クレアは、とてつもなく緊張していた。前世では一番仲の良かった友達。今回も、同じように仲良くなれるのだろうか。

「急にごめんなさいね」

 フレデリカは前を向いたまま口を開いた。

「驚いたでしょう。突然話しかけて。初めてあなたを見たとき、何故だか仲良くなれそうな気がしたんです。……迷惑だったかしら?」
「い、いえ、とんでもありません! むしろ、すごく嬉しかったです。フレデリカ様に話しかけて頂いて」
「ありがとう、そう言ってもらえて嬉しいわ。私、あまり城から出ることも無いのでお友達もいないんです。もしよろしければ、仲良くしてくださると嬉しいわ」

 フレデリカはクレアに向き直った。クレアは大きく頷いた。

「もちろんでございます、フレデリカ様」
「フレデリカでいいの。フレデリカと呼んで」
「……はい」

 躊躇いがちにクレアが頷けば、フレデリカは一層笑みを深くした。

「敬語もいいわ。あなたとは対等に話していたいの。どうか自然なままに話してもらえないかしら?」
「――うん、分かった」
 クレアは子どものように元気よく頷いた。フレデリカの提案は、クレアにとっても嬉しいものだった。まるで、昔に戻ったように懐かしく。

「今日はどなたにエスコートされてきたの?」
「幼馴染のライルよ」
「まあ。もうそんな関係の殿方がいらっしゃるのね。羨ましいわ」
「ああ、違うの」

 フレデリカがあんまり驚いた風に目を丸くするので、おそらく勘違いされたのだろうとクレアは慌てて両手を振った。

「ライルはそういうのじゃなくて、本当にただの幼馴染。家が隣同士だから、一緒に来ただけだし」

 未婚の女性のエスコート役は普通父親や兄弟だ。彼らが健在にもかかわらずエスコート役が他の男性だというのは、二人が婚約関係だと示唆するには十分な証拠だ。フレデリカが勘違いするのも無理はない。
 でも……とクレアは苦笑いを浮かべる。これから大人になっていく身としては、エスコート役も考えなくてはならないかもしれない。何しろ、ライルは初めての社交界であれほど騒がれているのだから、いくら幼馴染といえど、隣に女がいるのは彼女たちのやっかみの対象にもなり得る。前回もそうだったので、今回としては、早めに対処しておきたいものだ。

「クレア!!」

 噂をすれば影が差す、とはこのことで、振り返れば肩で息をしているライルと目が合った。珍しく焦ったような様子だ。

「探したよ……。どうしてこんな所に――」

 ライルの言葉が途切れる。彼の視線は、凍り付いたようにフレデリカから離れなかった。己に視線が止まったことに気づいたのか、フレデリカは微笑を浮かべ、その場に立ち上がった。

「ごめんなさい。私がクレアを連れ出してしまったの。どうか怒らないで」
「あ……でも、私もちょうど庭に出たいなって思ってたところだったの。それに、フレデリカと友達になれて、私も嬉しかったから」
「クレア……ありがとう」

 互いをかばい合う言葉に、思わず二人は顔を見合わせる。笑みを交わしあった後、フレデリカはライルの方を見た。

「クレア、この方は?」
「ああ、ライルだよ。さっき話してた私の幼馴染の」
「そう……この方が」

 値踏みするかのようにフレデリカの視線がライルを這う。彼は居心地悪そうに視線を逸らした。

「私、フレデリカと申します。どうかライル様も仲良くしてくださいね」
「――はい、もちろんでございます、フレデリカ様。僕はライル=ウィルキンスと申します。以後お見知りおきを」

 落ち着きを取り戻し、ライルは華麗に一礼して見せた。フレデリカは小さく頷く。

「私、ライル様のお噂はかねがねお伺いしております。先ほどもたくさんの女性達に囲まれていらっしゃいましたね。大変な人気で、私も驚きましたのよ」
「いえ……そういう訳では」
「まさかそんな方がクレアの幼馴染みだとは思いもしませんでした。クレア、ライル様、これからよろしくお願いしますね」
「うん、よろしくね、フレデリカ」
「よろしくお願いいたします」

 クレアは笑みを返し、ライルは再び礼をした。
 その後は、特に会話をすることなく舞踏会の会場に戻ったのだが、その最中、クレアは妙な胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。何かがおかしいような、そんな違和感があるのだ。
 しかし、クレアがその答えにたどり着く間もなく、フレデリカは戻っていき、そしてライルはというと、どこか物憂げな視線でずっと考え込んでいた。