07:父親達の葛藤
着替えのためクレアが退室してからずっと、彼女の父親オースティンは、部屋の中をうろうろと往復ばかりしていた。ドアの方に向かったと思えば、気落ちしたようにこちらに戻ってくる。そして思い詰めたように再びドアの方へ歩き出すのだ。同じ部屋にいる者としては堪ったものじゃない。
「おい、少しは落ち着いたらどうだ」
「いや、しかし……何だかじっとしていられなくてな」
「今のお前は妻の出産を控えてる夫みたいだぞ」
「しゅ、出産!?」
「……なぜそこで顔を赤らめる」
「いや……つい懐かしくて。そういえば、妻の出産のときもこんな風に落ち着かなかったな、と」
照れたような表情でオースティンは頬をかく。視線は自ずと妻の肖像画に。
「だってなあ……! あの小さかったクレアが、クレアが――」
しかしすぐにまた唸り出すと両手で顔を覆う。
「デビュタントだなんて!」
彼は、己の内から溢れ出る高揚と共に手を大袈裟に広げるが、ソファに座っているライルと彼の父ウォルフは何の反応も示さない。心なしか、子煩悩を見やる視線も冷ややかに見える。
「はいはい、お前が嬉しそうで何よりだよ」
態度だけでなく言葉でも示す作戦のウォルフ。しかしそれも仕方がない。先ほどから部屋をうろちょろされてうんざりしているのは自分たちの方なのだから。
「いや……でも気に食わないことが一つ」
再びオースティンはくるくるとその場で回り出す。
「なんでクレアのエスコート役がライル君なんだっ!」
ビシッと指を突きつけられるが、当の本人、ライルは苦笑いだ。
「おいおい……前回だってその手はずだったんだからいいだろう?」
「よくない……。前回も渋々だったんだ……。ライル君が欠席するって聞いたから、俺にクレアのエスコート役のお鉢が回ってきたと思ったのに……。クレアは行かないっていうし、お見舞いに行くっていうし!」
「クレアちゃんもお前みたいなおっさんより若い男と腕を組む方がいいに決まってるだろ? しかもその若い男は美男で将来有望ときたもんだ」
ウォルフは若干決め顔で一人息子を抱き寄せた。
「止めてくださいよ父上……。それにオースティン様、エスコートするのは僕ですが、クレアの最初のダンス役はぜひオースティン様がお勤めください」
「――いいのか!?」
「はい、もちろんです。きっとクレアもその方が喜びます」
「そ、そうか……。ふ、ふふふ」
「単純なやつだ」
ニヤニヤと含み笑いをするオースティン卿を、残念な者を見る目で憐れむ一方で、ウォルフは隣の息子が怖くてたまらない。
――なぜ誰も疑問に思わないんだ。普通エスコート役も最初のダンス役もクレアちゃん自身の意見を窺ってからじゃ? それになぜライルに決定権があるみたいな雰囲気になってるんだ。聞いたことないぞ、娘の幼馴染にダンス役を譲られる父親なんて。
クレアの父親に恩を売っておいて損はないと踏んだのか、我が息子は自分が譲るという形でダンス役を明け渡した。が、真の意味では本当に重要なのはエスコート役ではないのだろうか。始めのダンスは、どうしてもエスコートしている男性の手から女性が次にダンスをする男性の手へと渡るような形で始められる。ならば、深い意味など無くても、傍から見ればそれこそ女性を譲ってもらったなどという形に見えるわけで……。
我が愚息もそのことを理解しているのか、エスコート役という一番おいしい役を持っていった、かの様に見えた、ウォルフには。
「我が息子ながら、恐ろしいやつだな……」
かつて自分も似たようなことをして愛妻を手中に収めたことを棚に上げて、彼はうんうんと頷いた。ライルに魔術や頭脳、容姿だけでなく、物事を見極め、思うように動かす手腕もあるとは。
息子の将来が楽しみだ、と始めの恐怖とは裏腹に、ウォルフはにんまり笑った。
*****
父親たちの葛藤、疑念が渦巻く家の二階、とある一室では、少女の叫び声が響いていた。
「いた……痛いって!」
言わずもがな、部屋の主クレアの叫び声である。
「お嬢様あ、これくらい我慢してもらわないと」
メイドのベティが拳を振り上げて力説する。
「女は腰が細ければ細いほど美しいんですから!」
「まだそんな歳じゃないよ。それにこんなにきつくちゃおいしいものも食べれないし……」
どんどん尻すぼみになっていく。クレアだって自覚している。食べに行くために着替えているわけではないということくらい。
「はいはい。そんなに食べたいのなら帰ってから食べてくださいね〜。今日はたくさんの殿方と知り合う機会ですよ? 頑張ってくださいね!」
「はあい」
この場を凌ぐため一旦生返事を返す。ベティはなかなか当家の主人に忠実な所があるので、またいつ父に告げ口されるか分かったものではない。
しかし、一方でベティはそんなことは露ほども考えていなかったようで、再び呑気な口調で口を開いた。
「ま、クレア様にはそんな必要ないかもしれませんけどね」
「どういうこと?」
「く……ふふ」
隠しきれていない笑みを浮かべ、彼女はクレアの肩を叩く。興奮しているのか加減ができていないので、なかなかの痛みだ。
「だってライル様がいるじゃないですかー!! 顔よし家柄よし性格よし!! 頭もいいし、優しいし、とんだ優良物件ですよ!」
「はあ……」
クレアはとぼけた顔で首を傾げる。
まだそんな歳でもないので、今まで彼女はライルをそんな目で見たことなど無かった。前回の時も、学院で落ちこぼれないよう、課題をこなす日々で忙しかったため、彼の他に良い雰囲気になれた男性もいなかった。しかしその一方で、ライル=ウィルキンスの幼馴染ということで、彼を慕う女子からの妬みを買うことはあったが。
前回も入れると、クレアの精神年齢は相当なものになるだろう。にもかかわらず、自分がまともに恋愛経験の一つもしていないことに、呆れとともに、ほとほと空しさが生じてきた。このままじゃ、一生結婚なんて無理かもしれない。
クレアはため息をつきたくなるのを堪え、伸びをした。考え込んでいるうちにコルセットが装着されたらしい。ベティの手を借りながらドレスを着る。始めに髪を結ったので、後はもう様相を整えるだけなので楽だ。
「お似合いですよ、クレア様」
「そうかな。ありがとう」
今宵はなんと王家からの招待状なので、それなりに立派な恰好をしている。普段は着古したドレスばかり着ているので、それだけ緊張する。
「皆さまに見せに行きましょう」
「……そうだね」
恥ずかしいので気は進まないが、避けることはできない。渋々クレアは階下へ降りていった。
まずは扉の前で深呼吸を、と思って立ち止まるが、それを察してくれないベティが気を利かせたのか扉を開けた。中途半端に口を開いたままクレアは皆の前にドレスを披露することとなった。
「ど……どうかな」
シーンと静まり返る空気に耐えきれなくなってクレアは自ら聞いてみた。先に我に返ったのはやはり父のオースティンだった。
「おおっ、似合ってるじゃないかクレア! 今日の晴れ舞台にはふさわしい!」
「うんうん、妖精さんが現れたかと思ったよ」
さすがはライルの父親である。彼はクレアが縮こまってしまうほどの台詞を口にした。
「とっても似合ってるね。可愛いよ、クレア」
続けて、惚けたようなライルも後に続く。ライルの甘い言葉には慣れたつもりだが、彼のそのとろける様な笑みには未だ照れる。クレアは耳まで真っ赤になった。
「ら、ライルだって……」
言いながら、クレアは固まる。じっと見られていることに気が付いたのか、ライルは不思議そうな顔をした。
「え、もしかして似合わないかな?」
「え? ああ、ううん、似合ってるんだけど」
そう、確かに似合っている。
白い正装は、ライルの紳士な性格を模しているようでぴったりだし、ポケットから覗く赤いバラも対照的で似合っている、と思う。が、だからこそ。
「…………」
妙に軟派に見えるのは気のせいだろうか……。跪きながらポケットの赤いバラを捧げ、ライルが甘い言葉で女性を誘惑する構図が思い浮かぶ……。おまけに四六時中クレアを口説いているのだから、余計にそう思えてしまうのも仕方がない。
口を手で覆ったままクレアが固まっているので、ライルは一層慌てた。
「え、え!? 変? 変かな!?」
「う、ううん。そうじゃないんだけど、その」
珍しく取り乱すライルがおかしくて、クレアはころころと笑った。
「上手く言えないけど、似合ってると思う。ちょっとびっくりしただけ」
「なら良かった。クレアに相応しい恰好をしたいからね」
「うん……」
時々ライルの思考が分からない時がある。そういう時はとりあえず頷くに限る。クレアは得意の愛想笑いでやり過ごした。
「お父様、出発にはまだ時間あるの?」
「ああ、そうだな。余裕を持って準備したから、お茶をするくらいならあるぞ」
「なら良かった。疲れたから一息入れたかったの」
そう言ってクレアはソファへ向かった。しかしすぐにその肩をライルに引き留められる。
「あ、ちょっと待って。クレア、これ」
言いながら、ライルは胸ポケットから先ほどのバラを抜き取る。
「そのバラ……」
「髪に挿してもいい?」
「う、うん」
ライルの顔が近づく。どぎまぎしてクレアは目を瞑った。息が当たるんじゃないかと気を使って呼吸まで止める。早く早く、と思っているうちに彼の指が耳に触れた。途端、一気にそこが熱を持つ。驚いてパッと目を開けた時には、もうライルは遠ざかっていた。嬉しいような寂しいような、そんな不思議な気持ちだった。
「バラも似合うね。途端に艶やかになった」
ライルは再びとろけそうな笑みを浮かべた。バラくらいで何が変わるものか、とクレアは憤慨するが、更にライルのその向こうにニヤニヤ笑ってこちらを見守る父親たちの姿が目に入った。くっとクレアは詰まる。急に恥ずかしくなって彼女は父親たちに背中を向け、思い切り叫ぶ。
「もう勘弁してよおー!!」
ライルの言動は予測がつかない。父親たちの目の前で甘言を吐かれる方の身にもなってほしい。
心からクレアはそう思った。