06:いつまでも


 季節はまだ晩秋に入ったばかり。しかし木枯らしが吹きつける夕暮れはひどく寒い。
 ライルに言われ、外套を持ってきてよかったとつくづくクレアは思った。当のライルは外套を着ておらず、しかし涼しい顔をしていた。

「ライル、寒くないの?」
「寒くないよ。魔術使ってるから」

 短くライルは答えた。あまりにしれっと答えるので、クレアは一瞬呆気にとられてしまった。

「クレアにもしてあげようか?」
「ううん、私はいい。……でも、勝手に使っていいの? 許可なく使ったら怒られるんじゃない?」
「バレなきゃ大丈夫だよ」

 笑顔でさらっと怖いことを言う。前世とは違い、すっかり性格が軟化しているライルだが、腹黒さではこちらの方が群を抜いているのではないか、とクレアは最近思い始めている。

「それよりどこに行く? 街の方か、野原の方か」

 いくら気の向くまま、と言っても、その二方向位は決めなくてはならない。クレアはうーんと唸った。

「やっぱり……寒いから街の方!」
「言うと思った」

 ライルはくすくすと笑い声を上げた。

「クレアは寒いの苦手だからね」
「あれ、そんなこと言ったっけ?」

 この秋は、ライルと過ごす初めての季節だ。にもかかわらず、寒さが苦手だと言ったっけ……と少しばかりクレアは首をかしげる。しかし、すぐにどうでもよくなった。今は冒険だ。

「確かに寒いのは苦手だけどね――」

 言いながら、クレアは街の方へ歩き出す。ライルも静かについてきた。

「でも冬の方が好きだよ。矛盾してるけどね。――ライルはどの季節が好き?」
「季節……?」

 クレアの問いは、日常に置いて気まぐれによく尋ねられるそれだと思う。しかしライルはひどく驚いたような顔になった。

「季節……か」

 不思議そうな表情のまま、彼は繰り返す。歩きながら、クレアは黙ってその先を待った。

「僕は……特に好みはないかな。今まで好きな季節だなんて思ったこともない。ただ――」

 ライルは言葉を切って、空を見上げた。寂しそうな表情だった。

「冬は、あんまり好きじゃないかな。寒さって心の隙間にどんどん入り込んでくるような気がして……。何だか嫌なんだ。自分が世界でたった一人になったような気がする」
「そっか……」

 ライルの言葉は思ったよりも奥が深く、クレアはそれだけ言って、同様に空を見上げた。ライルはその様子を誤解したらしく、慌てて首を振った。

「あ……別にクレアの意見を否定したわけじゃなくて……。これは単に僕の感想と言うか……その、気にしないで」
「ううん。別に気にしてないよ。少し不思議だっただけ」

 くすくす笑うクレアに安心したのか、ライルも前を向いて歩き出す。徐々に人が増えてきたので、きちんと前を見なければ人にぶつかってしまう。
 夕日が差し込むその通りには、まだまだ人が増えそうな気配があった。二人は、その波に翻弄されぬよう手を繋ぎながら歩いた。

「人、多いね」

 ぽつり、と呟くクレアにライルも頷く。

「何だか良い匂いもするし」
「クレアは食いしん坊だね」
「良い匂いを嗅いだら食べたくなるものなの」

 ムッとしながらクレアは答える。それに笑みをこぼすと、ライルは突然彼女の手を離した。右手から温もりが消え、クレアは寂しそうな顔をしたが、ライルが屋台の方へ向かったのを見、少し期待に満ちた表情になる。
 邪魔にならないように隅に身を退け、ライルを待つ。背の高い人々に隠れ、彼の姿はなかなか見えなかったが、やがて手にほくほくとした甘栗を持って現れた。一気にクレアの顔が輝く。

「もう少し行ったら公園があるから、そこで食べよう」
「うん!」

 それほど大きくないその公園は、はしゃぎ回って遊ぶ子供たちで溢れていた。ベンチは静かに座って歓談に勤しむ老人たちで占領されている。二人は噴水の縁に座ってそれぞれ甘栗を手に取った。

「……これ、どうやって食べるんだっけ?」

 以前、どこかで食べたような気がするが、思い出せない。
 ライルは嬉しそうに笑うとコホン、と咳払いを一つする。

「まず栗の丸い面を正面にするでしょ? で、爪で横に筋を入れていく」
「うん」

 言葉少なに、クレアは言われたとおりに実践する。なかなか甘栗が熱いので、時々冷ましながら筋を入れていった。

「その後指で両側を揉むようにしたらパカッと割れるんだよ」

 どこか自慢げな顔でライルがやって見せる。固い殻の中から可愛らしい球体が覗き、クレアは色めき立った。これなら自分にもできると興奮気味だ。しかし現実はそんなに甘くはない。彼女の殻の中から出てきたのは、真っ二つに割れた果肉だった。

「あ……何で」
「ああ、多分力を入れ過ぎちゃったんじゃないかな。もうちょっと優しくしたらいいよ」

 甘栗を口の中に放り込み、ライルは再び二個目に取り掛かる。今度も彼は上手くやったようで、綺麗な球体が取り出された。

「うう……」

 クレアは甘栗の欠片を口に入れると、自分も二つ目に取り掛かった。せっかくの甘栗の風味を味わうより、何としてでも完璧な球体を拝みたいという欲望の方が強かった。のだが。

「あー悔しい! 栗が半分に割れちゃうよ!」

 やはり果肉は半分に割れたままだ。なかなか綺麗にできない。クレアの手は止むことを知らず、どんどん甘栗の殻を割っていく。
 回数をこなすうち、さすがのクレアも半分に割れずに栗を取り出せるようになっていた。しかしどう頑張っても果肉に小さな亀裂が入ったりどこかが欠けたりしてしまう。どうしても完璧な甘栗を食べたい一心で続けていると、いつの間にかクレアは甘栗の殻を割る係、ライルは食べる係という役割分担にもなっている。ライルは呆れたように苦笑するばかりだ。

「いい加減食べないと無くなっちゃうよ」
「……うん。でも」
「ほら、それ最後の一個だから」
「う……ええっ!?」

 いつの間にか十数個はあっただろう甘栗は最後の一つとなっている。そして驚きと共に指に力が入る。あっと思った時にはもう遅かった。嫌な予感に、ゆっくり殻から取り出してみても、その惨状は変わらない。

「…………」

 がっくりと肩を落とすクレアの頭に、ぽんとライルが手を乗せた。

「ほら、最後の一つ、味わって食べなよ」
「……うん」

 クレアはぽいと口に放り込んだ。もうすっかり冷めているが、でも仄かな甘みが口に広がる。

「甘い……」
「それは良かった」

 もぐもぐと咀嚼するクレアに微笑むと、ライルは空を見上げた。暗い灰色の寒空が広がる。

「この後どうしよっか」
「みんな、心配してるかな」

 クレアは俯く。書置きを残してきたとはいえ、突然家から子供たちの姿が消えて慌てているかもしれない。もしかしたら心配だとか言って探しに来るかも。

「どうだろう。でも大丈夫じゃないかな」
「どうして?」

 ライルはやけに自信ありげだ。不思議に思ってクレアは問うた。

「だってさっきから誰かに見られてるような気配がするんだ。きっとオースティン家の人だよ」
「え!?」

 思わぬ彼の言葉に、慌てて周囲を見回した。誰かに見られてるだなんて、そんなこと全く気が付かなかった。

「たぶんここからは見えないよ。魔術か何かでこっちの気配を探ってるんだと思う。心配なんだろうね」
「……よく分かったね」

 クレアは思わず感嘆の声を上げた。大人が施した魔術の気配に気付くなど、並大抵の実力ではない。やはり、前世での学年一位の実力は見かけだけではなかったらしい。というより、幼い頃からこれほどの実力と言うのは正直羨ましい。

「じゃあさ、この会話も聞かれてたりする……?」

 急に不安になってクレアはライルに身を寄せた。

「大丈夫。この僕が、そんなことさせないよ」

 にっこり笑うライル。
 大人の魔術師の術を上回るなんて、そんなことできるわけがない。
 そう思う一方で、彼ならできそうだと、クレアは苦笑いを返した。


*****


 こちらの位置を把握しているのならば遠くに行く必要もない。手足も凍えてきたので、二人は大人しく帰路についた。その途中で、異彩を放っている建物が目に入る。

「魔術学院……」

 そこは、いつ見ても豪華絢爛な学舎だ。しかしクレアは身をもって知っている。この場所が、見た目ほど煌びやかな世界ではないことを。

「僕は……こんなところ、行きたくないな」
「――え?」

 一瞬、自分の心を読まれたのかと思った。それほど、的確な言葉だった。

「クレアは? ここに入りたいって思うの?」
「わ……私?」

 今日のライルはおかしい。
 クレアは漠然とした不安を感じた。
 どこか……焦っているような、何かに怯えているような、そんな感じ。

「私……私は……」

 クレアは詰まりながら言葉を紡ごうとする。

「よく、分からない。同級生や友達といろんなこと勉強するのは楽しいけど……ちょっと怖い」

 何より、自分の死の原因となった場所である。良い思い出ももちろんあるが、全て死の記憶で塗り替えられ、正直嫌な記憶しかなかった。

「でも、やっぱり仕方ないもんね。家を継ぐためには」

 魔力を持たない者――すなわち、魔術学院に入れなかった者は、即座に貴族の称号を国に返還しなくてはならない。
 一般に、この国では魔術を重視するとともに、魔術師は大変重宝され、中でも国に貢献している者たちには爵位を与えられる。しかしその代わり、爵位を継ぐものに魔力が無い場合は、それを返還しなくてはならない。
 しかしこの制度はそれほど厳しいものではなく、嫡男に魔力が無ければ次男や長女、果ては親せきの子供でも、魔力を持っていさえすれば、家を継ぐことができる。
 だが、クレアの母方に親戚はいないし、父方にも魔力を持った子供はいない。つまり、オースティン家を継げるのはクレアしかいない。
 老後、父に寂しい思いをさせるわけにいかないクレアは、どうあっても魔術学院に入らなくてはならなかった。

「僕は……できれば入りたくない。こんな場所」

 ライルはきゅっと口を結んでそう呟いた。思わぬ言葉に、クレアは顔を上げる。

「どうして? ライルは優秀だから、すぐに皆から認められるよ」

 記憶上のライルも、魔術学院ではそれなりに楽しそうな姿だった気がする。主席のライルと落ちこぼれのクレアとはクラスが違い、加えて成長したライルがクレアを避け始めたことで、二人の接点はほとんどと言っていいほど無くなったが、しかし偶に見かける彼は、友人たちと楽しそうにしていたはずだ。

「……そうかな」

 どこか頼りなさそうにライルは俯く。それを見、彼には彼なりの、嫌な思いもあるのかもしれないとクレアは後悔した。
 落ちこぼれには落ちこぼれのがあるように、主席にだって葛藤がないわけじゃない。周囲からの妬みや過度な期待が重圧とならないわけじゃない。

「ねえ……学院に入っても、友達でいてくれる?」

 ぽつりとクレアは呟く。ライルの視線を感じた。

「ライルと私は、何があっても、どんなことが起こっても互いの味方。そう決めておけば、辛いことは無いでしょう?」

 例え学院全体が敵になったとしても、たった一人の味方がいれば怖くない。そんな気がした。

「うん。僕はいつまでもクレアの味方だよ」

 ようやくライルは顔を上げた。その表情は、どこか晴れ晴れとしているように思えた。

「私も!」

 元気よく答えると、クレアはライルの手を取った。手袋もはめていないその手は氷のように冷たい。すぐに自分のポケットに導いた。

「ね、もうそろそろ帰ろっか。みんな心配してるだろうし」
「そうだね」

 にっこりと笑い合っては歩き出す。二人の小さな影は、ゆっくりと灰色の世界に消えていった。