03:図書館へ


 いろいろと斬新な再会を果たしてからというものの、クレアの日常は大きく変わることとなった。前世同様、近くに住まいを移してきたライルは、毎日のようにクレアの屋敷に遊びに来た。本当なら逆の立場だったのに。

「クレア、今日も美しいね。いや、可愛らしい言った方が似合っているかな」

 照れっとした様子でそんな口説き文句を口にするライル。
 うん、本当に信じられない。

「今日は何して遊ぼうか? クレアの好きなことでいいよ」

 これも不思議だ。一緒に遊ぼうと彼が口にするなんて。
 初対面の後、クレアはもちろんライルについて悩んだ。もしかして一度この世界を経験している、というのは全て自分の妄想なのではないか、と。妄想じゃなかったとして、このライルの変わりぶりは一体どうしたことか、と。
 悩みに悩んで考えに考えたクレアは、次第に面倒になって考えることを放棄した。前世の記憶があったって、ライルがライルであることに変わりはない。この世界のライルとして、接していこうと思い至った。
 それにしたって今は、何をして遊ぶのかを考えなくてはいけない。子供に戻ったせいで、多少思考も子供っぽくなっているとはいえ、さすがに前世の記憶がある中でおままごとや鬼ごっこには興味が湧かない。彼女は今日も、選択肢が他にないのだ。

「じゃあ図書館に行こうか」
「いいよ、僕はどこでも。でも本当にクレアは勉強熱心だね。そんなに図書館が好きだなんて」

 違うと言いたかったが、ここは彼に合わせておかなければ、不審に思われる。じゃあなんで図書館に毎日行くの、と言われれば、答えに窮することは目に見えている。

「ま、まあね。お父様からいろいろ教えてもらって、興味が湧いたの」

 結果、得意そうに胸を張ることでやり過ごした。
 実のところ、クレアは毎日図書館に通って魔法の勉強をしている。子供である今、他にすることが無いというのも理由の一つだが、最大の理由としては、魔術がクレアの前世での死の鍵を握るからだ。前世では、クレアは魔術が全くと言っていいほど使えなかった。そのせいで、死の危機にさらされた時、何もできなかった。何もできないまま、無抵抗に死んでしまった。
 この国――この世界は、魔術が主流だ。武器や武道で戦う組織もあるが、戦争では、当たり前のように魔術師が大勢起用されている。戦争や小競り合い、どんな規模であれ、近距離で戦うよりも、遠距離で攻撃する方が使い勝手がいいに決まっている。そんなわけで、少しでも戦争に連れていける魔術師が増えるように、微量でも魔術の才能を持っている者がいれば、魔術師専用の学院に行かなければならない。むしろ、もし学院に行かなかったことが露見してしまったら、国法に反したとして罰せられる。
 ほんの微量しか持っていなかったが、クレアもその類にもれず、強制で魔術学院に入れられた。その結果、このザマなわけだが。

「将来のことを考えると勉強していた方がいいかな、と思ってね」

 知らず知らずのうちにぼんやりと呟いていた。そう、将来。クレアは今回も、あんな若さで死ぬわけにいかない。折角やり直す機会を与えられたのだから、少しは足掻いてみたかった。

「大丈夫だよ。クレアの将来は安泰だ」

 不意に、隣のライルが安心させるような笑みを浮かべた。

「だってこの僕がクレアの婚約者なんだからね。どんな障害があっても守ってみせるよ」

 ……本当、この人は誰だろう。
 つい先日、前世と今のライルを比べたりしないと誓ったはずなのに、やはりこのようなむず痒い台詞を吐かれたりすると、比較せずにはいられない。

「もしクレアがぼくに嫁いでくれたら、絶対に大切にするからね。あ、もちろんオースティン様も。いっその事、父上とオースティン様、クレアと僕の四人で住もうか! そうだね、そうしよう!」

 一人で勝手に盛り上がるライルに、クレアは置いてけぼり気味だ。

「あの、ライル――」

 クレアが彼に声をかけようとすると、一瞬その顔に陰りが走った。

「一人で大きな屋敷に住むのは寂しいからね……」

 さっきまでの満面の笑みとは似ても似つかない。しかしクレアがその変わりように驚く間もなく、次の瞬間にはライルは明るい声を発した。

「やっぱり子供は大勢の方がいいよね! 無駄に大きい屋敷なんだから、やっぱり賑やかに暮らしたいし!」

 うん、ライルの思考が読めない。というか、この少年は本当に八歳なのだろうか。いったいどこにこの歳で将来産む子供の数を嬉しそうに語る子供がいるのだろうか。しかもいつの間にか自分たちは結婚することになっているし。

「あー、はは、そうだね」

 若干引きながら相槌を打った。
 こうしてライルの未来家族計画は、国立図書館に着くまでの間中、延々と止むことはなかった。


*****


「――ねえ、楽しい?」

 図書館の静けさの中、クレアは思わず口を滑らせた。いけないとは思いながらも、つい口に出さずにはいられない。
 ライルはきょとんと目を丸くした。

「うん、楽しいよ」
「そ、そう……。ならいいんだけど」

 そう言って再び目を手元の本に落した。数分間そのまま様子を見たが、相変わらず視線を感じる。ちょっと目を上げてみると、ライルと目があった。彼は静かに微笑む。

「あの……緊張するんだけど、そんなに見られると」
「ああ、ごめんごめん」

 彼の言葉を信じて、クレアも本に集中を戻したが、しばらくするとまた視線を感じる。いつものことと、クレアは諦めることにした。そう、いつもだ、ライルがクレアを眺めるのは。
 読書している時も話している時も、歩いている時も、執拗に彼はクレアを見つめている。そして目が合うと必ず微笑むのだ。そんな彼の表情に、何か漠然とした不安を感じ、クレアはいつもそこで追及を諦める。記憶の中の彼と今では、性格だけではなく、何かが決定的に違うような気はしている。しかしそれを突き止めるのは何だか怖かった。
 暗い奥底に考えが沈む前に、クレアは一息ついて本を閉じた。

「もう全部読んだの?」
「全部は読んでないよ。いつも通り気になるところだけ」
「いい情報は見つかった?」
「ううん、駄目みたい」

 クレアが今探しているのは防御の魔術。人を苦しめるような術はあまり好きではないから、まずは身を守る術を見につけようと思ってのことだった。
 クレアが本を返そうと席を立つと、同じようにライルも席を立つ。――本当に、本も読まずにこの少年は何しに図書館に来ているのだろうか。
 しかしすぐにその疑問を振り払う。そう尋ねてしまったが最後、そんな気がした。きっと笑顔で、クレアを眺めるため、とでものたまいそうだ。

「でも、この辺のはだいたい目を通したんじゃない?」
「そうだね。毎日通ってるから、全部見たかな」

 歩きながらも、二人はきょろきょろと辺りを見回す。

「まだ読んでないのは……あそこか」

 そう言ってクレアが見上げたのは、普段は目に付かないような書棚の上方だ。いつもは目に付きやすく、取りやすい下方のものを読んでいたのだが、それも尽きてしまった。よし、と意気込み、クレアは近くに放置されていた脚立を引っ張ってきた。足首まであるドレスのスカートを捲し上げ、クレアは脚立に足をかける。しかしすぐに慌てた様子のライルに制止された。

「クレア、僕が上るから下で見ててよ」
「え、別にいいよ」
「良くないよ。危ないし」
「大丈夫だよ。ライルは下で押さえてて」
「いや、でも女の子に上らせるわけにいかないよ」

 いかにも紳士な言葉をライルは口にする。しかし生憎クレアはそんなむず痒い台詞でお言葉に甘えるような年頃ではなかった。

「だって、私の方がライルよりも背が高いから」
「――っ、まあ……それはそうなんだけど」

 無邪気なクレアの言葉は、小さな紳士を傷つけてしまったようだ。

「それにこうしないと本の表紙が見えないでしょ」

 言いながらもどんどんと脚立に上り始めた。言っても、これはそんなに背の高いものではなく、せいぜい子供二人分くらいの高さだ。
 いとも簡単に上りきったところで、クレアはゆっくりと周りを見渡した。――やはり、子供の目線の列よりも、大人の目線の列の方が興味深い本が多い。クレアは脚立に座り込み、じっくりのそれぞれの本の題名に目を走らせた。
 クレアが探しているのは、魔力が少ないものでも使える防御の魔術。前世では、クレアは魔力が低く、理不尽な攻撃に遭った時も、何の反撃もできずに死んでしまった。一矢報いたいという訳ではないが、せめて自分が生きながらえることができるほどの防御魔法は覚えておきたい。どうあっても、クレアが魔術学院に入学することは避けられないのだから。
 クレアはある一つの本に目が留まり、それに手を伸ばした。

「おっと」

 しかし、突然横から入って来た太い腕にそれを掻っ攫われた。呆気にとられ、思わずそちらを凝視すると、一人の若い青年と目が合った。が、すぐに鼻で笑われる。

「君たちには少し理解しにくいものなんじゃないのか?」
「――なっ、失礼な!」

 確かに見てくれはただの子供だ。しかしそれを初対面の若造に馬鹿にされる筋合いはない。こっちは同じ世界を一度体験しているのだから、確実にこの男よりは年長だ!
 そう思って粋がるクレアとは対照的に、ライルは冷静だった。

「クレア、もう行こう」
「ライル……!」
「そうそう、ここは子供が来るようなところじゃない。もう帰ってくれたまえ。ほら、邪魔だ邪魔」

 青年は近づいてきて手でシッシと振り払う仕草をした。身をよじるようにしてその手をよけたクレアは、足場を無くして宙に浮いた。

「わ、わっ!」

 バランスを取ろうと両手が宙を舞ったが、それも無駄な行為。すぐに受け身も取れずに背中から落ちた。

「クレア!」

 ライルの叫ぶ声が聞こえた、と思った瞬間、下からぐえっと苦しそうな声が聞こえた。それが何か簡単に想像できて、慌ててそこから身体をどける。

「ご、ごめんね! ライル大丈夫!?」
「うん、大丈夫……。クレアは軽いからこれくらいどうってことないよ」

 こんな時にも甘い言葉を囁かなくても! 心からそう思ったが、非常事態なので目を瞑ることにする。見たところ、外傷はないようだが、それでも気がかりだ。

「大丈夫? 私思いっきりお腹に飛び込んだよね。気分悪くない?」
「大丈夫だって」

 ライルのお腹を摩りながら身を起こすのを手伝った。平静を装っているつもりのようだが、
 クレアはだんだん腹が立ってきて、先ほどの青年を睨み付けようとキッと顔を上げた。しかしこっちの事情など知る由もなく、自分は知らんふりをしながら彼はカウンターで本を借りる手続きをしていた。子供が脚立から落ちたのに、それの心配もせずに帰ろうとするなど、つくづく性根の腐った男だとクレアは憤慨する。

「……あれ?」

 穴が開くほど睨み付けているうちに、彼の後ろ姿に、何か思い浮かぶものがあった。

「……クレア?」

 ライルの訝しげな視線がこちらに向けられる。

「どうしたの?」
「あ……ううん。何でもない」

 あの性格の悪い青年――彼は、前世の魔術学院にて、防御の魔術を教えていた教師だった。間違いない。今はまだ学生の身分らしいが、いずれ卒業し、そのまま学院で教えることになるのだろう。
 クレアはそのことを思い出し、少しすっきりしたが、しかしすぐにはらわたが煮えくり返る。
 彼は前世でも魔力の少ないクレアを馬鹿にしていた。授業でも皆の前でわざと笑いものにしたり、雑用を押し付けていたり。あの時の意地悪そうな顔は今でも忘れられない。というか、先ほど再びそれに出くわしたことですっかり思い出した。

「あの頃と全く変わってない……」

 いやむしろ、成長していないと言った方が正確か。
 クレアはやけに達観した目で、彼の後ろ姿を見送った。