02:衝撃の再会
「そうだよ。ライル君と言ってね」
クレアの父――オースティンは、ソファに座り、嬉しそうに話し出した。だが、聞かずともクレアには全て分かっている。何せ、一度この世界を経験しているのだから。
クレアの記憶では、婚約の話が持ち出されたのは、彼女が十一歳の頃だった。お相手は、父の友人の息子、ライル。
婚約というのは、まだ幼いクレアとライルには知らされていなかった。知らされずに、二人はこの日、初めて顔を合わせた。前世でも、確か同じような時期にライルと出会ったはずだ。
「クレア、今日はお前にお友達を紹介しようと思う」
父は、いつもよりは穏やかな表情を浮かべてクレアに言った。それもそうだろう、長年の双方の両親の夢である、息子、娘が顔を合わせるのだから。
何でも、クレアの両親とライルの両親は、昔から仲が良かったらしい。母親二人は特にそうで、生前、自分たちの子供が同性ならば親友、異性ならば夫婦になれればいいね、と語り合っていたくらいだ。にもかかわらず、顔合わせがこんなにも遅い時期なのは、母親たちの体が弱く、互いに田舎で養生していたからだ。
そしてクレアが八才歳の頃に母親を亡くし、ライルも数年後に母親を亡くした。この婚約は、どちらの母も亡き今、忘れ形見である子供たちにも仲良くなってほしいという思いの表れなのだろう。
「ライル=ウィルキンス君だ」
父が広げた手の先を見ると、重々しく扉が開かれるところだった。そこから入ってきたのは一人の男性だ。もちろんライルではない。
「やあ、クレアちゃん。数年ぶりだけど、大きくなったねえ。覚えているか分からないけど、私はウォルフ=ウィルキンス。どうか息子共々仲良くしてほしい」
「お久しぶりです。ウォルフさん。ティア=オースティンです」
彼はごつごつとした右手を差し出す。クレアもそれに倣い、そっとそれを握った。
彼はライルの父親だ。彼とは、母が亡くなった時に初めて会った。前世では母を亡くした悲しみでほとんど覚えていなかったが、今回は二度目なので、多少記憶には残っている。
が、どうもクレアは腑に落ちない。彼の様子に少し違和感を覚えたのだ。
前世では、ウォルフは物静かな人だった。奥様を失ってから生気を失い、顔合わせのこの時さえも、あまり笑みは浮かべていなかった印象だった。
しかし目の前の彼は、どうもその時とは違う印象を受けた。満面の、とはいかないまでも、多少の笑みは浮かべているし、何より前世よりも舌が良く回っている。確かに、頬は窪んでいるし、目の下にクマもある。妻を失ってまだそんなに経っていないため、当然落ち込んでいるのだろう。しかし、やはり記憶と食い違う。そして、前世では彼の少し後ろに、無表情で立っていたはずのライルが……今回はいなかった。
「久しぶりだなあ、ウォルフ。少しやつれたんじゃないか?」
クレアの困惑を他所に、父親たちは久しぶりの再会を握手して喜んだ。
「ああ、長旅で疲れてな。もう歳だ」
「冗談言うなよ。そんなこと言ったら俺はどうなる」
「俺よりも歳だな」
「……減らず口は相変わらずのようだ」
ひとしきり再会を噛みしめた後、父はたった今気づいたとでも言いたげに、不意にきょろきょろと見回し始めた。
「ウォルフ……。そういえば、ライル君は?」
「あ、ああ……それがなあ」
ウォルフは少し頬を掻いて空を仰いだ。クレアも気になって彼を見つめる。
ライルは、母親を亡くしてからというもの、全く笑わない子供になっていた。そして滅多に外出もしなかったらしい。そんな時、友達候補兼、婚約者の顔合わせとして白羽の矢が立ったのがクレアである。
思い返してみても、彼と日々を過ごすのは多大な労力を要した。話しかけても無視をするし、遊びに誘っても不機嫌そうにこちらを見やるだけだ。根気よく付き合い続けた結果、多少は打ち解けた気がしてきた矢先、クレアは死んでしまった。ライルのこれからが楽しみだったのに残念だ。
そこまで考えて、クレアははたと気づいた。そうだ、これからライルの成長が見られる。クレアは一度この世界を体験しているのだから、ライルの性格、好物、及び付き合い方は熟知している。それをもってすれば、彼の性格を軟化させることも容易い。それこそ、理想的な幼馴染の関係を築くことだってできるだろう。
「――クレア、聞いているかい?」
「はっ、え? どうしたの? お父様」
熟考に浸りすぎて、父の声が届いていなかった。慌てて笑顔を取り繕う。
「ライル君は用事があるらしく、少し遅れるそうだよ。だから我々は先にお茶でもしておこうか」
「はい、かしこまりましら」
父は使用人にお茶の準備を言いつけると、ウォルフと共にソファに腰を下ろした。クレアもそれに倣い、腰を落ち着けようをすると。
「――クレア!!」
扉を乱暴にあけて、何者かが入ってきた。クレアは突然の物音に驚き、思わずその場に直立する。
「あの、いや……ごめん。びっくりさせて」
うん、びっくりした。
物音はもちろんのことだが、何よりもその様相が。
「あの……初めまして。会えて嬉しいよ。僕はライル=ウィルキンス」
そう言ってにこやかに差し出されたのは、大輪のバラの花束。上品な香りが一気に立ち込めた。それを腕に抱えている我が婚約者、ライルの今の様相は、何というか……突飛だった。赤いバラと対称に、漆黒のタキシード。いや、似合わないという訳ではない。さすがライルというべきか、前世で女性から絶大な人気を誇っていた彼は、幼くとも何を着ても似合うようだ。そう、似合っている。似合っているのだが……現実を直視できなかった。何しろ、前世との違いが浮き彫りになりすぎている。記憶では、彼は常に無表情だった。不機嫌でもあった。それが、今の彼はどうした。無表情どころか、満面の笑みを浮かべている。笑顔でさえ数えるくらいにしか見たことがなかったのに、目の前のそれは、過去最大級だった。
「あ……はい、よろしく」
おずおずと花束を受け取った。過去にもこんな演出は経験したことがない。それが、今では八歳にしてこの体験である。人生とは分からないものだ。
「ラ、ライル……! お前、いったいどうしたんだ」
ライルの思考が分からないのは、クレアだけではなかったようだ。ウォルフも困惑した様子でこちらに近づいてきた。
「いえ、婚約者に会うので、それ相応の服装をしなければ、と思いまして。――オースティン様、遅れてしまって申し訳ありません。母の葬式の時は、大変お世話になりました」
「あ、いや、それはいいんだが……」
父も困惑している。
ライルはクレアに向き直った。
「クレア、僕は君に出会えたことが本当に嬉しい」
もちろんクレアも困惑の最高潮に達している。
「たとえ一生分の幸福が採られたとしても、僕は君と出会うことを選ぶよ」
――誰が想像しただろうか。前世では全くの無表情だった婚約者が、今では満面に喜色を溢れさせているなんて。
これが、クレアとライル、二度目の衝撃の再会だった。