01:巡る運命


 真っ暗な闇の中に光が差すように、少女の自我は次第に芽生えていった。それは始めから影響力を持っていたわけではなく、生まれた時はまだ微々たるものであった。短い手足は思うように動かせないし、脳は言葉を理解していないので言葉も話せない。ただぼんやりと自分というものを認識できる、ただそれだけだった。
 しかし年を重ねるごとに、自我だけでなく、記憶の断片をも呼び起こされるようになった。それは長く深い眠りの中の夢で見たり、日常の中で既視感を覚えたりすることで根ざされていく。
 始め、幼い少女はこの不思議な感覚をあまり気にしていなかった。しかし夢で見たことや、頭の奥底で眠る記憶が、実際に現実として次々に身の回りで起こっていくことを経験するにつれ、次第に彼女もこの事実を見過ごせなくなっていく。――それは半ば当然のことであった。
 これらの不思議な出来事は、彼女の母親が亡くなった時に頂点を極めた。それは、以前にもどこかで見たことのある光景だった。父は母の亡骸の前に泣き崩れ、周りには涙にくれる人々が大勢集まる。そして最後に父は、少女を抱き締める。きつく、痛いくらいに。

「クレア……」

 父親のその声に、クレアはハッとした。
 瞬時にきょろきょろと辺りを見回す。今まで長い夢を見ていたような感覚だった。何もかもが靄がかかったかのように見えていた視界が、急に鮮明に見えた。同時に頭も覚醒し、合点がいった。この既視感は、気のせいなんかじゃないと。以前自分が経験した出来事そっくりだったのだと。そっくりどころか、再度繰り返していると言っても過言ではない。
 しかし、同じ人生をもう一度繰り返すなんてそんなこと、本当に有り得るのだろうか。
 貧富や身分の差があったとしても、死は誰にでも訪れるものだ。いつ自分に訪れるか分からない死。これを人は皆恐れる。それは、人生は一度きりだからこそに他ならない。死んだらそこで全てが終わる。だからこそ怖がる。――にもかかわらず、私の中に存在している記憶。これもまた紛れもない事実。
 クレアは覚えている。この目の前の出来事や、過去のことだけではない。節目節目の出来事や、自分がなしたこと、果ては自分の死に際という将来のことまで。そっくりそのまま全てという訳にはいかないが、以前の人生の生き様はほとんど記憶に残っている。それが、何よりの証拠じゃないのか。
 仮に、本当に自分が同じ人生を繰り返しているとして、ではなぜ私は、もう一度同じ人生を歩む機会を与えられたのだろうか。
 確かに前回は、死ぬには少しばかり早すぎる歳での死去だった。しかし、もう一度機会を与えられるほどクレアが善人だったかと言うとそうでもない。悪人ではないが、これと言って特徴もない平凡な生涯だった。にもかかわらず、なぜもう一度機会を与えられたのか――。
 まだ分からない。分からないことが多すぎた。しかし、同時に思う。せっかくもう一度機会を与えられたのなら、もう一度自分の人生を歩みたいと。誰かに干渉されてその生涯を閉じるのではなく、自分の足で歩み、そして世界を味わいたいと。
 私だけではない。父にだって幸せになって欲しい。妻を失ったばかりの父。私は以前、彼を傍で支えることもせず、ただ意気消沈している父を遠くから見つめることしかできなかった。
 妻を失った父と、母を失ってしまった娘。二人は互いを支え、寄り添って生きることをせず、ただ自らの悲嘆にくれるばかりだった。その結果、クレアが死ぬ間際になってもぎくしゃくとした関係は変わることは無かった。

「…………」

 落ち着いたのか、いつしか父親のすすり泣く声は途絶えていた。
 クレアは父の背中をポンポンと優しく叩く。
 ――母が亡くなって悲しくないわけではない。でも、父と一緒になら、乗り越えられるような気がした。
 それに。
 クレアはそっと唇を噛む。
 前回の人生に、後悔が無いなんて言えない。あるに決まってる。やり残したことなんてたくさんあるし、やりたいことだってたくさんあった――。
 そこまで思い至ったとき、もうクレアの心は固まっていた。この世界をもう一度生きたい、と。
 だが、それも手探り状態になるだろう。一度体験しているとはいえ、故意にしろ無意識にしろ、前回と違った行動を起こすだけで、当然異なる展開になることだってあるのだ。ちょっとした出来事にも注意が必要だ。
 人と話すときも、選択を迫られたときも、そして、新しい出会いのときも。

『クレア、友達が欲しくないか?』
『友達?』

 運命が、再び廻り出そうとしていた。