13:誕生祭
冬も随分深まった頃、フレデリカの誕生日がやってきた。その日は朝からお祭りような雰囲気で賑わい、普段よりも町も活気づいている。フレデリカが市民に対し、お披露目をするということはないのだが、それでも彼らがお祝い気分になっているのは、愛国心ゆえだろう。近隣諸国では戦争が絶えないが、ガレニア国には優秀な魔術軍団があるため、ここ二百年近く、どの国にも攻め入られたことはないのだ。
経済も比較的豊かで、戦争の恐怖に怯えることもない。
そんなこともあって、政治や軍事に秀でている王室を、市民は心から敬愛しているのだ。
さて、オースティン家も、朝からてんてこ舞いだった。何せ、友人でもあるフレデリカに、王宮で開かれる誕生パーティーに招待されたのだから、それも当然というもの。
王宮に赴くのは二度目とは言っても、緊張しないわけがない。クレアの顔色はもちろん浮かなかった。もともと堅苦しいのが苦手なのだから尚更だ。いつもフレデリカに接するような気安さではいけないのだ。
礼によってベティに装いを整えられ、髪を結い、薄く紅を引けば完成だ。彼女に連れられる形で、階下へ降りる。下では、ライルが今か今かとクレアのことを待ち望んでいた。
「今日のドレスもよく似合ってるよ」
階段を降りるよりも早く、ライルは満面の笑みでそう言い放つ。今となってはこんな台詞も日常茶飯事なので、クレアは薄ら笑みを浮かべるだけに留める。
「ありがとう」
「今夜の初めのダンスは僕と踊ってくれるよね?」
「ライルと? でも、お父様が何ていうかな。次の夜会もお父様と踊るって約束しちゃったし」
「許可はもう取ったよ」
「そうなの?」
クレアは目を瞬かせた。前回の舞踏会で、次も始めのダンスは俺と踊ってもらうと父に散々言い聞かせられたのだ。その父が、何がどうしてライルに譲ることになったのか。
「あ……準備できたんだな、クレア」
なんだか父の顔がげっそりしているような気がして、クレアは首を傾げた。一体、自分がいない間、居間で何があったのだろう、と。
*****
めでたい日とあって、王宮は大わらわだった。招待客はかつてないほど大勢いたし、それに伴って軽食や舞台となる会場の内装も豪華だった。その雰囲気に圧倒され、クレアは会場の隅で縮こまってばかりだった。王室に挨拶する番がやってきたとき、むしろホッとしたくらいだ。
「クレア! 来てくれたのね、ありがとう!」
壇上からフレデリカは嬉しそうに駆け下りてきた。彼女の懐かしい笑みにクレアもまた、安堵の笑みを浮かべた。
「ううん、こちらこそ招待してくれてありがとう。お誕生日おめでとう」
「ありがとう。これでようやくクレアと同じ歳ね」
「うん。でも、数ヶ月とはいえ、私の方がお姉さんだなんて信じられない。フレデリカの方がよっぽどしっかりしてるもの」
「まあ」
明るく笑い合った後、フレデリカは後ろを振り返った。
「クレア、お兄様を紹介するわ。――お兄様?」
フレデリカの短い呼びかけに、やれやれと苦笑を浮かべた青年が立ち上がる。主役のフレデリカよりも少々落ち着いた、しかしそれでも煌びやかな彼の様相に、クレアは頬を紅潮させる。
「こちら私の兄のローレンスよ。そしてお兄様、こちら私の友人のクレア」
「お初にお目にかかります、クレア=オースティンと申します」
クレアは深く腰を落とした。まさか、兄――ガレニア国第二王子殿下を紹介されるとは思ってもいなかったので、心の準備はまるでできていなかった。前世でも確かにフレデリカとは仲が良かったが、それでも学園の範囲内のことであって、
「フレデリカからいつも話は聞いてるよ。大切なお友達だって」
「まあ、お兄様ったら。何もクレアの前で言わなくても良いじゃない」
フレデリカはキッとローレンスを睨み付ける。が、そんな言葉とは裏腹に、彼女の瞳は楽しそうだ。クレアもつい頬を緩める。
「フレデリカ、あんまり時間もないから、これだけ……。お誕生日おめでとう」
気恥ずかしい思いだったが、クレアは小さな箱を差し出した。フレデリカは目をぱちくりさせながら箱を受け取る。
「まあ、私に?」
「うん。私とお揃いだよ」
そうっとリボンをとき、フレデリカは箱をあけた。そこに入っていたのは、七色に輝く飾り紐である。シャンデリアの光にかざしながら、フレデリカはうっとりと目を細める。
「すごく……嬉しいわ。本当にありがとう」
飾り紐を胸に抱き、フレデリカは花が綻ぶように笑った。頬がバラ色に色づき、瞳をキラキラさせて微笑む彼女は本当に綺麗だった。クレアは照れくさくなって足先を見つめた。
「ううん。喜んでもらえて良かった」
「もちろんよ。絶対大切にする」
ただの誕生日の贈り物にしては、やけに力のこもった言い方だった。だが、彼女が真面目なのはいつものことなので、クレアもさして気にしない。
むしろ、これで用事が終わったので、そろそろお暇しようと様子を見計らった。このままフレデリカと話していたいのはやまやまだが、自分たちの後ろには、王族へ挨拶をするため、まだまだずらりと列があるのだ。
その場は一旦退席して、クレアは会場の隅まで移動した。あんまりフレデリカと長話をして、注目を浴びたくなかったのだ。どこで誰の反感を買うか分からない。前世を思い出し、クレアはぶるりと身を震わせた。
先に挨拶が終わったはずのライルは、なかなか姿を見せなかった。おそらく、ウォルフと共に貴族のお偉い方に捕まってしまったのだろうとクレアは当たりをつけた。ライルから見て母方の祖母が王女であるウィルキンス家は、未だ権勢も衰えを見せず、おまけにライルの才能は王からの覚えもめでたいのだ。お近づきになりたい貴族がさぞたくさんいることだろう。
居住まい悪くクレアがキョロキョロしていると、舞踏会が始まった。一曲目を王と王妃が踊り、皆がそれに見入る中、クレアはこちらに向かってくるフレデリカに気づいた。
「クレア。今一人なの?」
「うん。みんな知り合いといるみたい。ねえ、それよりもいいの? こっちに来ても」
クレアは声を潜める。気が気でなかった。王族というものは、そもそも壇上からほとんど降りてこないものなのでは。自分なんかと一緒にいるところを見られたら、どんな誤解をされるとも分からない。
前世でもフレデリカとは友達だったが、あのときは学園内という狭い社交の範囲であった。舞踏会などはほとんど参加したことがなかったし、王女と友達ということもそんなに大事と捕らえてはいなかった。だが、今は違う。ここは社交の場だ。噂はすぐに広まるし、当人達を差し置いて、とんでもない尾ひれがつくこともままある。」
「当たり前でしょう。私の誕生会なんだから、好きにしたって構わないわ」
だが、対するフレデリカはどこ吹く風だった。クレアとは違って、注目されることには慣れているのだ。むしろ、彼女に取ったら、壇上よりは人混みに紛れた方が視線を阻めるため、願ったり叶ったりなのだろう。
クレアは落ち着かない視線をうろうろさせる。そして、フレデリカの後ろに視線をやった時、とんでもないものを見つけてギョッとする。
「お、王子殿下……」
「やあ。フレデリカについてきたんだけど、お邪魔だったかな?」
困ったように頬をかくその姿は、どことなく気弱に見える。クレアは大きく首を振った。
「そんな、滅相もありません!」
「ごめんなさいね、あそこじゃゆっくりもできないから、お兄様も一緒に連れてきたのよ」
見れば、壇上の下にはわらわらと高位貴族達が集まっていた。確かに、あれじゃ気の休まる時間もないだろう。クレアはフレデリカ達のことを気の毒に思った。
「それに、今日は折角の舞踏会よ? 私たちもじっとしているだけじゃなくって、踊りたいわ」
「そうだね」
クレアはにこにこ賛同する。話をするのも楽しいが、踊るのも案外楽しいものだ。友達と話しもできず、ただただ座っているだけというのはあまりに不憫――。
「ねえクレア、折角だから、兄と一緒に踊ったら?」
だが、続いてフレデリカはとんでもないことを口にした。あまりの驚きように、クレアは聞き返す余裕もない。
「折角だもの。お兄様もダンスくらいしたいでしょう?」
良いことを思いついたとばかり、フレデリカはローレンスの方を振り返った。
「オースティン嬢がお嫌でなければ、もちろん」
ローレンスは涼やかな瞳をクレアに向けた。逃げるようにクレアが咄嗟に見たのは、ライルの方だった。
「えっと……」
例によって、ライルとは踊る約束をしていたので、ローレンスと踊ることで、それを裏切ってしまうのではないかと思ってしまったのだ。しかし、肝心のライルは女の子達に囲まれていて、視線すらあわない。クレアが戸惑っているうちに、ローレンスは優雅に右手を差し出す。
「オースティン嬢、よろしければお手を」
「……よろしくお願いします」
その手を取り、クレアは腰を落とした。ローレンスはにっこり笑って、クレアを会場の中央までエスコートした。
「私、あまりダンスが上手じゃなくて、殿下に恥をかかせてしまうかも。あっ、もちろんそうならないように気をつけますが……すみません」
しどろもどろになってクレアは頭を垂れる。ローレンスは明るく笑って肩をすくめた。
「気にしないよ。それに、この人混みだ。誰も他の人のダンスなんて見ないよ。ただ君が楽しく踊ってくれれば、僕はそれで」
「ありがとうございます」
クレアはようやく顔を上げた。ターンをし、目まぐるしく背景が変わるダンスでは、ローレンスのことしか目に入らなかった。
「それよりも、妹と仲良くしてくれてありがとう。いつも嬉しそうに君との話をしてくれるんだ。どんな子だろうっていつも思ってたよ」
「そんな……。私の方こそ、フレデリカ――様とお友達になれて光栄です。今まで女の子の友達がいなかったから、嬉しかったです」
「そう言ってもらえると、フレデリカも喜ぶよ。今日だって、まるで自分だけの宝物を見せるようにうるさかったんだ。お兄様だからクレアを紹介してあげる、お兄様だからクレアとダンスを踊っても良いわってね」
「フレデリカがそんなことを?」
「本当、君のことになるとうるさくなるんだ。ピクニックの時だって、朝早く寝ているところを叩き起こされたと思ったら、今にも死にそうな顔でピクニック行きたいって言い出すものだから困り切ったよ。護衛もなしに危ないっていったら、じゃあお兄様の近衛兵貸してって無茶言い出すし。おかげで、あの日僕はずっと自室に籠もりっぱなしだったよ」
ローレンスは終始笑顔で語ったが、クレアは聞きながらみるみる血の気を失った。まさか、王子たる彼にそんな迷惑をかけていたとは。慌ててクレアはぺこっと頭を下げる。
「申し訳ありません! 殿下にそのようなご迷惑をおかけしていたとは……。私が何も考えずに彼女を誘ってしまったから」
「君は悪くないよ。それに、ピクニックの時のことは、僕も良い傾向だと思ってるよ。フレデリカは、今までやり過ぎなくらい頑張ってきてたから。王女としての役目を全うしようとするばかり、周囲に人も寄せ付けず。君が友達になってくれて本当に良かった。それを思えば、兵を貸してっていう我が儘くらい、可愛いものだよ」
よくよく考えてみれば、とんでもないことを口にしているような気もするが、しかしローレンスは怒ってないようなので、とにかくクレアは安心した。ピクニックの件で、今後フレデリカと思うように遊べなくなってしまったら元も子もない。クレアはローレンスの寛大な心に深く感謝した。
「さ、そろそろ戻ろうか。曲も終わりそうだし」
「あっ、そうですね」
クレアは頷き、ようやく周りを見る余裕も出てきた。そして愕然とする。結構な数の視線が自分たちに集まっていたことに。
それはそうだ。王子殿下と踊るのだから、注目が集まるのは必至。ローレンスが流れるように会話を続けてくれたため、クレアが気づかなかっただけで、周りはいつも自分たちのことを見ていたのだ。
クレアは顔を真っ赤にさせて、それからはできるだけ顔を上げないようにした。そのため、社交界の好奇な視線も、妬むような視線も、フレデリカの見守るような視線も、そして、自分たちを射貫くように見つめているライルの視線にも気づくことはなかった。