14:二組のダンス
ダンスから帰還すると、クレア達を最初に出迎えたのはフレデリカだった。瞳をキラキラさせてクレアに歩み寄る。
「どうだった?」
「どうって……うん、楽しかったよ」
反射的にちらりとローレンスを見たあと、クレアは恥ずかしげに俯いた。
周りの視線が気にならないくらい、ダンスは楽しかった。緊張はしたが、ローレンスは朗らかで、安心できる何かがあった。それに、すごく大人な感じがした。年上なのだから、それも当たり前だが。
「喉渇いたでしょう。私、飲み物をもらってくるわ」
「僕がとってくるよ。二人はここで話してると良いよ」
「そんな、私がとってきます。お二人こそ、ここで待っていてください」
私が僕がと誰が飲み物を持ってるかで軽く口論になりかける。結局、ローレンスが持ってくるということで落ち着いた。クレアとしては気が気でない。王子殿下に小間使いのようなことをさせておいて落ち着ける人がいたら、会ってみたいくらいだ。
フレデリカと話してる合間もクレアはそわそわしていた。だからこそ、自分の視界に影が差すまで、彼の接近に気づかなかった。
「クレア」
見上げれば、ライルがいた。彼の顔に落ちる影も相まって、なんとなく怖く感じる。
「どうして殿下とダンスを?」
詰問するような口調に、クレアは眉を下げた。約束を破ってしまったから、さすがのライルも怒っているようだ。いつにない彼の強ばった表情に、クレアは下を向いた。
「ごめん、誘われたから……。それに、あの、嬉しく思ったし」
近くにはフレデリカもいる。クレアとしては、約束を破ることの方を重く受け止めていたが、だからといって、大切な友人の兄を蔑ろにできるわけもない。うまく説明できればライルも分かってくれたかも知れないが、この場で、クレアはフレデリカとライル、両方を傷つけずに取りなすことができなかった。
「もういいよ」
ライルは嘆息し、クレアから顔を逸らした。その行動に、失望されたのではないかとクレアは心配になる。ライルは執着しすぎるきらいがあったが、クレアはそれでも彼のことが大切だし、好きだ。幼馴染みという縁もあって、これから先も、付き合いを続けたいと思っている。どうしてか彼の機嫌を直せないかと、クレアは動揺して視線を彷徨わせる。隣のフレデリカと目が合った。
「ライル様」
フレデリカが声を上げた。
「クレアを怒らないで。私が踊ってきたらと提案したんですもの。クレアは悪くないわ」
「…………」
「それに、あなたは女の子達に囲まれていたし。折角の舞踏会なのに、クレアを壁の花にするつもりだったわけではありませんよね?」
僅かに目を見開き、ライルはばつが悪そうに顔を背けた。彼の周りに、もう令嬢方の姿はなかったが、未だこちらに向けられる視線の数は多い。
「ライル様のご機嫌はなかなか治らないようね」
ふて腐れたようにライルは一向に言葉を発さないので、フレデリカはからかうように笑った。失敬だとばかりライルは片眉を上げたが、それでも何も言わない。フレデリカは仕方ないわねといった風に息を漏らす。
「ライル様、お詫びと言っては何ですが、いかがでしょう? 私と踊るというのは」
「は?」
思いも寄らない言葉に、珍しくライルはポカンとする。その顔が案外面白かったのか、フレデリカはコロコロと笑い声を上げた。
「そんなに驚かないでください。意外ですか? 私だってたまには踊りたいんです。折角の舞踏会ですよ? エスコートしていただけませんか?」
「なぜ……僕が」
「目の前にいたから、でしょうか。まさか、お兄様と踊れなどという悲しいことおっしゃいませんでしょう?」
「…………」
にこやかな微笑みに、ライルは何も返せない。クレアが固唾をのんで見守っていると、渋々と言わんばかり、ライルはゆっくり右手を差し出した。
「――王女殿下、僕と踊っていただけませんでしょうか?」
「もちろん。よろしくお願いいたしますわ」
ためらいもなくフレデリカはその手を取り、ライルに微笑みかける。
どこぞの絵画のようだった。背の高い二人は非常に絵になる。未だ幼さを残すクレアでは、こうはいかないだろう。気圧されたようにクレアは二人に対して道を空けた。それは彼女だけでなく、会場で談笑する人々もだった。口をつぐみ、サッと道を空ければ、そこはまるで、バージンロードのようにも見えた。
ポッカリ口を開けていたせいか、口の中がやけに乾いた。生唾を飲み込んでみたが、それでもこの渇きは癒やせない。
「驚いたな。フレデリカがダンスをするなんて」
不意に頭上で声がして、クレアの肩は跳ねた。驚かせたことに築かず、ローレンスは微笑んでクレアに飲み物を手渡した。
「あの男の子は知り合い?」
「はい……。幼馴染みのライルです」
「ライル? ああ、彼がライル=ウィルキンス君だね」
「知ってらっしゃるんですか?」
「王宮でも有名だから。神童だって」
「そうなんですね」
王宮でも名前が挙がるなんて、よほどのことではないだろう。確かに、前世でもライルは有名ではあったが、それ以上である。
急にライルが遠い存在になった気がして、クレアはしどろもどろになってグラスに口をつけた。味なんて分からなかった。自分の身に何が起こったのかも、よく分からない。
「……フレデリカは、彼に気があるのかな」
「えっ!?」
突然の発言に、クレアは驚きのあまり、ローレンスをマジマジと見上げた。
「いや、自分から異性をダンスに誘うなんて、生まれて初めてのことだったから」
その時になって、クレアはようやく周囲の状況が目に入った。皆があの二人に釘付けだった。お似合いの二人だった。
フレデリカが……ライルを?
前世では交流もなかった二人だ。今世では、何の因果か、欲顔を合わせるようになり、そして口論する姿が良く見受けられる。ライルもフレデリカも、クレアといるときと違って……何というか、生き生きとしていたような気がする。
王宮での覚えもめでたい神童ライルと、優等生の王女フレデリカ。
二人は、確かに釣り合っている。でも、何だか……。
もやあっとする気持ちがクレアの中を渦巻く。それは、二人のダンスが終わるまで続いた。
「二人とも綺麗だったよ」
ローレンスがそう言って、まずライルとフレデリカの二人を出迎えた。フレデリカは上気した頬を緩ませる。
「ありがとう、お兄様」
「とんでもありません」
左胸に手を当て、ライルは恭しく頭を垂れた。フレデリカは彼に向かって手を広げる。
「お兄様、こちら、ライル=ウィルキンス様よ。クレアの幼馴染みなの。ライル様、こっちは私のお兄様の」
「ローレンスだ。君のことは噂でよく聞いてるよ。会えて嬉しい」
「もったいないお言葉でございます」
「そんな堅苦しくしないで。妹の友達なら、僕も仲良くしたいから」
「しかし……」
戸惑うライルを押さえて、ローレンスは柔和に笑った。クレアは、今日会ったばかりだが、彼のことが好きになった。第二王子なのに、フレデリカと同じく、それを鼻にかけず、優しく、穏やかな人だ。兄妹仲睦まじいのも微笑ましい。
彼に感化されたクレアは、同じく笑みを浮かべたまま、二人が二言三言会話を交わすのを見守った。話が途切れたところで、遠慮がちにフレデリカは声をかけた。
「お兄様、そろそろ戻りましょうか。あんまり壇上を離れていたら、お父様に叱られてしまうわ」
「そうだね。思いのほか時間が経ってるみたいだ」
王子と王女がそれぞれダンスをしたことも相まって、この辺り一帯の注目度は高い。二人は若干前屈みになっていた体勢を元に戻し、クレア達に手を挙げた。
「クレア、ライル様、今日はこの辺りでお暇するわ。また遊びましょう」
「まだ夜は長い。二人とも、楽しんでいって」
尾の引かない爽やかな挨拶をし、二人は去って行った。
四人から急に二人になってしまった現状。
つい先ほどまで、四人で会話をしていた――ように傍目には見えていただろうが、実際、クレアとライルは直接言葉を交わしてはいなかった。だからこそ、突然の二人きりに気まずい思いを抱く。不機嫌だということはないが、クレアとローレンスのダンスが終わった後の、ライルとのちょっとしたいざこざがまだ解消し切れていなかった。
クレアは下を向いてもじもじしていたが、視界に何者かの手が映り込む。
「――クレア、踊ろうか」
顔を上げれば、微笑むライルがこちらを見ている。仲直りの印だろう。もちろんクレアは彼の手を取るつもりだった。いつもの彼女なら。
「…………」
「クレア?」
なんとなく、今は踊りたくない、そうクレアは思った。
本当になんとなくだ。だが、断る理由も今の自分にはない気がして、クレアは小さく頷いた。