12:楽しい遠出
本格的に冬が始まった。まだ雪は姿を見せないが、初雪が降るのも時間の問題だろう。
外は寒いし、鬱々としている。
だから最近は全く外出したことがなく、ちょっぴり太ってきたんじゃないかと思う今日この頃。
そんなことをついポロッとライルの前で零してしまったところ、じゃあ馬で出掛けようよ、と彼は提案してきた。彼曰く、近くの山まで馬で出掛けて、ご飯でも食べようと。馬に乗るだけじゃ大した運動にはならないじゃない、とクレアはあまりいい顔をしなかったが、対するライルの方は非常に乗り気だった。馬に乗れないからとクレアが辞退しても、僕と一緒に乗ろうと言われる始末。ライルと一緒に乗るのはどうにも気恥ずかしかったため、首を縦に振らずにいたら、じゃあ馬車で行こうとライルが譲歩した。
馬車に乗って出掛け、目的地でご飯を食べる。
結局運動のうの字もない行程だが、良い気分転換にはなるだろうとクレアはその提案に乗ることにした。家に居るだけでは、息が詰まってしまうのだ。
世間話のつもりで、フレデリカへの手紙にそのことを綴ったら、なんと自分も行きたいという旨の返事が来た。断る理由もなかったし、むしろ二人で行くよりは大勢の彭が楽しいだろうと思って、クレアはこれを承諾。ライルにこのことを伝えたときは、あまりいい顔をしなかったが、この前の茶会もあったことだし、むしろ、もっと三人が仲良くなる良い機会なのてはないかとクレアは考えていた。
ピクニック当日、いの一番にフレデリカがやってきた。馬車共々、彼女の格好はお忍びの様相だったが、それでも内面からにじみ出る高貴な雰囲気や立ち居振る舞いは隠せそうもない。馬車だって、王家のものにしては少々地味だが、六人乗りの時点で普通ではない。フレデリカもそれは分かっていたのか、オースティン家の馬車で行こうとクレアが提案すると、すぐに承諾した。
「あと、スザンナも連れて行って良いかしら。私の侍女なの」
「もちろんよ」
勢いよく頷いて、クレアはベティのことに思い至った。これを機会に、フレデリカにはベティとも仲良くなって欲しいと。気の置けない友人のようなベティを、彼女にも紹介したいと思った。
「それなら、ベティもいい? 皆で行った方が楽しいもの」
「そんな。私などがおこがましいですわ。私は邸宅でお帰りをお待ちしていますから、どうか楽しんできてください」
ベティはひたすらに頭を下げて恐縮した。クレアに対しては、あっけらかんとしているくせに、王女たるフレデリカの前だとこうだ。クレアはこみ上げてくる笑いをかみ殺した。
フレデリカの方は、困惑しながらも微笑を絶やさない。
「一緒に行きましょうよ。それに、女の子四人の方が人数もスッキリして良いわ。ね?」
「ですが……」
「そうだよ。ベティも一緒に行こう?」
「……いいんですか?」
「もちろんよ」
クレア、フレデリカ共にためらいなく頷くと、ようやくベティは笑みを見せた。
「では、お言葉に甘えて」
「これで決まりね。じゃあ、早速行きましょうか」
「随分楽しそうですね」
愉快そうな、でも落ち着いた声が響いた。振り返ると、ライルがゆっくりと四人の方に歩いてきているところだった。ライルはクレアには目もくれず、フレデリカをじっと見つめていた。
「でも、僕のことを忘れてはいませんか?」
「すっかり失念していたわ」
悪びれた様子もなくフレデリカはケロッとしていった。
「ごめんなさいね。でも、困ったわね。五人になっては、馬車には入れきれないわ」
「五人って、なぜそんな人数に……?」
「クレアと私。それにベティとスザンナ。四人も入ったら馬車は満員になってしまうわ。座れないこともないけれど、まさかライル様ともあろうお方が女ばかりの中に入ってらっしゃるわけじゃないわよね?」
「要するに、僕が邪魔だと?」
ライルは不敵に聞き返す。それに慌てるのはベティの方だ。
「王女様! お気持ちは大変嬉しく思いますが、私は御者台の隣に乗せてもらいますので、どうかお気になさらず。ぜひライル様に乗って頂いてください。四人で乗車した方がさぞお話しも盛り上がるかと思います」
「それを言うなら、女四人の方が話が盛り上がると思うのだけどね。それに、御者台は硬いから、女性には少しきついかもしれないわ」
「そんなことありません! 私は忍耐強いので大丈夫です」
互いを気遣いつつ話すフレデリカとベティ。が、フレデリカの視線は、もの言いたげに時折チラチラとライルに向けられる。その視線が言わんとしていることに気づかないほど、ライルは察しの悪い男ではなかった。
「……いいよ。僕が御者台に乗るから」
「本当ですか? さすがライル様ですわ」
フレデリカは邪気のない顔で笑ったが、ライルはそれに苦虫を噛み潰したような顔になった。クレアとしては、なにが何だか分からなかった。なぜ会って間もない筈のこの二人が、まるで牽制するかのように応酬を繰り広げるのか。
ピクニックは、そんな波乱な展開から幕を開けた。
小さな馬車に四人が乗り込み、御者台に御者とライルが乗り込んだ。とはいえ、四人の中には一国の王女が紛れているので、馬車の周りは護衛がぐるりと囲った。物々しい雰囲気に、クレアが少しだけ緊張してしまったのは内緒だ。
女三人寄れば姦しいとはいうが、四人も集まれば、一層賑やかになった。あのお菓子がおいしいだの、今はどのドレスが流行っているだの、話題は多岐にわたり、尽きることはない。
とはいっても、クレアの方はいまいち熱を入れることができなかった。ピクニックに誘ってくれたのはライルだったのに、現時点ではのけ者のように御者台に座らせていることが申し訳なくてならない。そうなればクレアが御者台に座るのが一番良いように思えるが、ライルがそれを許すわけがない。となると、やはりどうするのが良かったのか。
いつものライルのように、余裕綽々としていたのなら、ここまでクレアも心苦しく思うことはなかったのだろうが、今日のライルは少しばかり違う。本当に悔しそうにしていたので、余計クレアは頭を悩ませていた。
「それよりもクレア様」
心ここにあらずといった様子でクレアがボーッとしていると、いつの間にか彼女に話の矛先が向く。スザンナがキラキラした瞳でクレアを見つめていた。
「先ほどからずーっと気になっていたのですが、その左手の指輪、どうなさったのですか? まさか、ライル様が」
「そうなんです!」
クレアよりも先に声高らかに答えたのは、ベティだった。頬を上気させ、興奮した様子で拳を握る。
「もうすぐクレア様のお誕生日だからってことで、ライル様が贈ったものなんだそうですよ。素敵ですねえ」
「クレア様とライル様は婚約されてるのですか?」
「私はただの幼馴染みだと聞いたわ。そうよね、クレア?」
「え? ええ」
どんどん話が先に進むので、クレアは何度も目を瞬かせた。ようやく話に追いつくと、ゆっくり頭の中を整理させる。
「お父様達は婚約に乗り気だけど、私はいまいち分からないから。ライルのことは良い友達だとは思ってるけど」
「クレア様は素直じゃないんですよ。指輪だって全然外そうとしないし」
からかうようにベティがまたも話に入ってくる。クレアは慌てたように彼女の方を見た。
「だからこの前も言ったじゃない。本当に抜けなくなったんだって!」
「どうだかー? 数日経てば普通すぐに抜けるものじゃないですか」
「魔法が……」
ふとフレデリカがクレアに手を伸ばした。
「え? 何かおっしゃいました?」
しかし、クレアの左手に触れるか触れないかの所で、彼女の動きは止まる。ハッとしたように手を戻し、微かに笑みを浮かべる。
「いえ、何でもないわ」
フレデリカの些細な行動はあまり気にとめられず、ベティは話を続けた。
「当主様同士は乗り気ですし、ライル様もあのご様子ですから、お二人が結婚するのも案外速いかもしれませんね」
「ベティまで止めてよ」
「そうよ」
フレデリカは硬い表情で組んだ両手を見下ろした。
「大切なのは当事者同士の気持ちだわ。ライル様はそうでも、クレアはどうなの? 本当に結婚したいって思ってるの?」
「私?」
突然己に話の矛先が向いて、クレアは頭を悩ませる。
「私は……どうだろう」
「好きでもない人と結婚しても良いの?」
「好きって気持ちがよく分からなくて……。それに、ライルは大切な人だから、結婚が嫌って訳じゃなくて」
「外堀を埋められたからって、流されるまま受け入れるのは違うと思うわ。あなたにはもっとたくさんの選択肢があるのに。周りにいる魅力的な異性は彼だけじゃないのよ」
ポカンと口を開け、クレアはフレデリカを見返した。いまいち話の行き先が見えなかった。前世でだって、誰が好きだの、結婚がどうだの、一度だってフレデリカとはそんな話をしたことはなかったのに、どうして急にこんなことになってしまったのか。
クレアとしては、御者台の方も気が気でなかった。壁一枚隔てた向こう側――いくら砂利道を進んでいるとはいえ――御者台に座っているライルにこの話が聞こえているのではないかと気になって仕方がなかった。
一体どうしたのだろう。
様子のおかしいフレデリカを気遣ってか、以降は彼女の侍女スザンナが話題を変え、馬車の空気は穏やかなものに戻った。
*****
目的地に到着したのは、昼を少し過ぎた頃だった。互いに持ち寄った昼食を食べ、のんびりした時間を過ごす。山地は冷え込んでいて寒かったが、辺りを散歩しているうちに、そんなに気にならなくなった。その一方で、クレアがよほど気になるのは、ライルとフレデリカのことの方だ。
「――それにしても、僕は二人が文通をしているほどの仲だとは思いも寄りませんでした」
フレデリカと初めて会って早々、刺のある口調をすることの多いライル。
「まあ、私たちのことをいちいちあなたに報告しろとおっしゃるの?」
微笑みは絶やさないまでも、その瞳には力が入るフレデリカ。
いくら鈍いクレアでも、この二人の様子がおかしいことは嫌でも分かる。
「そういう訳ではありませんが。最近会ったばかりなのにと、つい不思議に思っただけです」
「仲良くなるのに理由なんて必要ですか?」
フレデリカはツンと澄ました顔で言い返す。
「私、昔からお友達がいなかったものですから、クレアとたくさん遊びたかったんですもの。自由に外に出たことも少なくて」
「それにしては、よく今日のことはお許しが出ましたね? ピクニックの話は最近決まったはずなのに」
「お許しは頂いておりません」
しれっとした顔で、フレデリカはとんでもないことを言った。さすがのライルもこれには絶句する。
「でも心配は無用ですよ。代わりといっては何ですが、兄が近衛兵をつけてくださいました。王位継承権第二位の近衛兵だなんて、充分安心感があるとは思いません?」
「随分事態を甘くみているんですね。もしあなたに何かあったら、処罰を受けるのは僕たちの方なんですよ。それを分かっていて?」
「ええ、重々承知しています。でも心配は無用ですわ。私、伊達に十二年間も王女をやってきてはいませんもの。自分の責任くらい自分でとります。あなたに迷惑はかけません」
「も、もうそのくらいで!」
どんどん白熱してくる口論に、クレアはいても立っても居られず割って入った。
「ライル、終わったことをグチグチ言っても仕方がないよ。でも、フレデリカもフレデリカだよ。いくらピクニックだっていっても、本当に安全だとは言い切れないし」
「ええ、ごめんなさい」
急にしゅんとなってフレデリカは頭を垂れた。どんな変わり様だとライルが目を剥くくらいには、あまりにも態度が違っていた。
「次から気をつけるわ。でも、ここまでするくらい、クレアと遊びたかったっていうのは分かって欲しいわ。クレアと外出なんて、本当に楽しそうだと思ったの」
「フレデリカ……」
円らな瞳で見つめられ、懐柔されない人がいるわけがない。
クレアはすぐに頷いた。
「じゃあ、今度は前もってフレデリカを誘うね。今度は町でお買い物しようよ。きっと楽しいよ」
「ええ、そうね。とっても楽しみだわ」
フレデリカは本当に嬉しそうに目を細めて笑った。釣られてクレアも笑う。
それからは、すっかり和やかな雰囲気で散歩や食事、釣りを楽しんだ。とはいえ、ピクニックの間中、やはりライルは不機嫌だった。しかし、楽しい空気に水を差されまいと、女子陣はそのことに関してはもはや気を遣うことなく、明るく、楽しい一日を過ごした。