11:大切な証
暗い部屋に通され、ライルと二人椅子に座らせられる。部屋の中は肌寒く、異質な感覚があった。おそらく、魔法が漏れないよう部屋全体に結界か何か張ってあるのだろう。
「今からこの魔法石に魔力を流し込んで頂きます。やり方はご存じですか?」
「いえ。初めてやるので、なにが何だか分からなくて」
「初めての方でも簡単にできるのでご安心を。石に触れれば、自然と何かが吸収されるような感覚があるので、それに身を任せるだけで問題ありません。途中でめまいを起こしたり、や気分が悪くなったりしたら、すぐに石から手を離してください。よろしいですか?」
「はい」
緊張の面持ちで、クレアは何度も頷いた。
「でも、私、あんまり魔力なくて。大丈夫ですか?」
「少しの魔力でも魔法石は効果を発しますから、ご心配には及びません。ただ、先ほども申し上げたとおり、気分が悪くなったら、すぐに石から手を離すようお願いします」
「はい、分かりました」
「クレア、頑張ってね」
ニコニコとライルが見守る中、クレアは生唾を飲み込んで、そうっと石に触れた。冷たく、滑らかな、つい先ほど触った石と同じ手触りだ。と、すぐに触れた部分から何かを吸い取られるような感覚があった。クレアのなけなしの魔力を吸い取って、魔法石は仄かに色づく。
「――それくらいで止めておいた方が良いと思う」
パッとライルがクレアの手を掴んだ。その拍子に石から手が離れ、魔力注入が終わった。別段気分が悪いわけでも、めまいが起こっているわけでもなかったので、クレアとしては物足りない気分だった。が、確かに体調が悪くなってからでは遅い。ライルはクレアよりも賢く、物事をよく知っているので、彼に習えば悪いことはない。
「綺麗なお色ですね」
店員の声で、クレアはハッとして顔を上げる。目の前の鮮やかなオレンジ色に、クレアは思わず魅入られる。まるで夕日を閉じ込めたかのようだ。クレアの顔に喜色が広がった。
「わあ、本当に綺麗」
「うん。クレアの人柄が良く表れてる」
「……?」
ちょっと意味が分からなかったが、クレアは気にしなかった。ライルの妙な感受性に首を傾げたのはこれが初めてではない。
「本当にお綺麗です。魔法石は、装飾品にも加工できますし、いざとなったら、この閉じ込めた魔力を魔方陣を組むときに使うこともできるんです。ですので、贈り物にも最適なんですよ」
「そうなんですか? でも、私の魔力は本当に少ししかないので、あんまり役に立たないかも」
「気持ちが大事なんだよ。僕だって、クレアの魔力なら喉から手が出るほど欲しいよ。オースティン様が羨ましいくらい」
本気なのか冗談なのか――彼の今までの言動から考える日本機なのだろう――ライルはニコニコ笑う。クレアは曖昧に微笑んでそれを受け流した。
「では、加工もこちらでさせていただきますね」
「いや、加工は僕がやるよ」
店員へ魔法石を渡そうとしたところ、ライルか声を上げた。
「ライルが? やったことあるの?」
「うん、何度か」
「ウィルキンス様の腕前は素晴らしいものでございます。ご心配には及びませんよ」
なぜか自慢そうに店員が頷く。心配……というよりは、呆れに近い感心があった。本当にライルは何でもできるんだなあという類いの。
「加工には少し時間がかかるかもしれないけど、ちょっと待っててくれる?」
「うん、もちろん。お願いします」
腕前の保証がなくとも、ライルならうまくやってくれそうだと謎の安心感を持ってして、クレアは部屋を出た。店内に戻り、ショーケースを眺めながら時間を潰す。
クレアが退屈を覚え始めた頃、ライルが戻ってきた。何故だか若干顔色が悪いような気がして、クレアは慌てて彼に駆け寄った。
「どうかした? 気分でも悪い?」
「いや……そういうわけじゃ。あ、ほら、これ。うまく加工できたよ」
無理に笑みを浮かべると、ライルは飾り紐のついた魔法石を差し出した。綺麗な楕円状に加工され、艶々と光っている。
「うん、ありがとう、とっても綺麗。でも、本当に大丈夫? 加工ってそんなに大変だったの?」
「大丈夫だって。すぐに休めば治るから。それよりも」
心配するクレアの方を押しとどめ、ライルは彼女の前に何科を差し出した。
「これ、受け取ってくれないかな」
「指輪……?」
意外なものにクレアは目を瞬かせた。繊細な装飾が施された銀の指輪だった。飾り部分には、小さな青い石がはめ込まれている。
「もうすぐクレアの誕生日だからね」
ライルは照れくさそうに笑った。
「気に入ると良いんだけど」
「でも、高かったんじゃない? この石、魔法石でしょ? 加工だってすごく難しそう。もしかして、さっきの時間、魔力注入もしてたの? だから気分が悪くなったの?」
魔力を注ぎすぎると気分が悪くなるという。ライルほど魔力容量の大きいものは早々いないので、見逃してしまいそうだが、相手はあのライルである。少しの魔力注入で良いところを、身体の限界が来るまで魔力を注ぎ込んだのかもしれない。
「もらってくれる?」
クレアの質問には答えず、どこか縋るようにライルは言った。まるで子犬のような瞳に、クレアはそれ以上聞くに聞けず、へにゃっと笑った。
「もちろん。ありがとう、とっても可愛い。どこにつけようかな」
見たところ、指輪は細すぎず、太すぎない大きさだ。親指や小指には入らないだろう。
右利きだったので、なんとはなしに左手にしようと決めた。初めに中指にはめてみたのだが、あまりしっくりこない。次に人差し指を試してみたが、これまた納得がいかない。そのまま消去法で薬指に嵌める。……しっくりきた。
しかし、ピンと手のひらを伸ばしたところで、クレアははたと気づく。左手の薬指に指輪を嵌める意味を。
――親同士が勝手に婚約者婚約者と騒ぎ立てているだけで、厳密に言えばクレアとライルは婚約者ではない。それよりも、大切な幼馴染みといった方が的確だし、居心地も良い。ライルが指輪を贈った意図は不明だが、いつもの言動から、そんなに深く考えていないことは容易に受け取れる。だったら、わざわざこんな意味ありげな場所に指輪を嵌める理由などないのだ。
クレアは落ち着き払った動作で指輪を取ろうとした。――しかし、取れない。急に太ったわけじゃあるまいし、それなのに取れない。関節で引っかかっているというよりは、指輪自体が微動だにしなかった。嵌めたその場所から、一ミリとも動かないのだ。
「な、なんで?」
「どうかしたの?」
ニコニコとライルが聞き返す。
「指輪が……取れなくて」
「焦って抜こうとすると指を傷つけるよ。見せて」
大人しくクレアは左手をライルに差し出した。微笑みを浮かべたまま、薬指に嵌まっている指輪を一撫でするライル。クレアがどうしたのかと聞く暇もなく、ライルはすぐに心配そうに眉を寄せた。
「指が赤くなってる。これ以上抜こうとしない方が良いよ」
「えっ、でも……」
「しばらくしたら突然スルッと抜けるかもよ。それに、別にこの指じゃいけない理由なんてないでしょ?」
「まあ……それはそうだけど」
自分でもよく分からなくなって、クレアは首を傾げる。確かに、この指では駄目な理由なんてない。むしろ、これだけしっかり嵌まっているのなら、無くす心配もなくなるので安心ではある。
「だったらこのままでいいんじゃない? 指輪、とっても似合ってるよ」
「あ、ありがとう?」
なんとなくはぐらかされたような気もしたが、別段不具合もないので、クレアは大人しくなった。二人して、ずっと見守っていた店員に向きなおる。
「今日はありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。またのご来店をお待ちしております」
「じゃあ」
深々と頭を下げた店員に見送られ、クレアとライルは店を出た。朝早く家を出たのだが、すっかり日は高くなっていた。
これで用は済んだとばかり、クレアの足取りは軽くなっていたが、反対に、ライルの足は妙に遅い。やはりどこか体調が悪いのでは、とクレアは立ち止まった。
「ね、本当のこと言ってよ。やっぱり体調が悪いんでしょう? 嘘つくともう遊んであげないから」
腰に手を当て、クレアは言い切った。少しばかり子供っぽい言い草だが、しかしライルにはこれが覿面だったようで、すぐに脱力した。
「ちょっとしんどいかな……。でも、本当に大丈夫。もうすぐ家だし」
「そんなわけにいかないよ! 何かあったらどうするの?」
ライルの腕をギュッと掴んで、クレアは辺りを見渡した。どこか良い場所を、と探し始めて間もなく、公園のベンチが目についた。太陽は真上にあるが、今の時期ではむしろ有り難いことである。
ライルの歩調を気遣いながら、クレアはベンチの元まで歩いた。
「しばらく横になった方が良いよ」
そうして顔面蒼白なライルに対し、ベンチを指し示す。ライルは刃向かう労力もなく、力なくベンチに腰を下ろした。
「クレアも座ってよ」
「私? 私は良いから。ライルが横になりなよ」
「クレアも座って」
まるで駄々をこねるかのようにライルはトンと隣のベンチを叩いた。寂しそうな、どこかお願いするような瞳でクレアを見上げるライル。
こうなってしまったときの彼はもうどうしようもないので、クレアは仕方なしにライルの隣に座った。とはいえ、彼が充分にベンチに横になれるよう、彼とは間隔を開けて、である。その気遣いも知らずに、ライルはすすすとクレアに近寄ると、ごろんと横になった。クレアに了承も取らずに彼女の膝に頭を乗せ、満足そうに下から見上げる。クレアは呆れたような顔になってしまった。
「ライル」
「この方が疲れがとれるから。少しだけなら良いでしょ?」
「……まあ、私はいいんだけど」
彼をここまで疲れさせてしまったのは紛れもなくクレアのせいだろう。となると、彼の可愛いお願いくらいは聞かなければ。
下からの視線を痛いほど感じながら、クレアは手慰みに左手の指輪に触れていた。今まで指輪をしたことがなかったので、初めての装飾品に慣れなかったのだ。
ふと思い立って、指輪を日の光にかざしてみる。暗いところでは、黒に近い青色だと思っていた魔法石だが、明るい火の元では、真っ青に変化した。まるで深海のような色に、クレアは思わず見入る。
「まるで海みたい」
「……海、見たことあるの?」
クレアの一挙一動を下から見つめていたライルがすぐに反応した。対するクレアは慌てる。オースティン家の領地は山や森ばかりで、彼女の生い立ちから考えると、海をみたことなどないはずなのだ。――もちろん、今世のクレアは、である。前世で一度海に行ったことがあり、その時のことをついポロッと零してしまったのだ。
「えっ、ああ、見たことはないけど、図鑑で読んだことはあるの。綺麗な青色だって読んだから、きっとそうなんだろうなって」
「……そう」
拙いクレアの言い訳も、ライルはすぐに受け入れた。どこか悲しげな返答だった。
「僕は見たことあるよ。遊んだりもした。海は塩っ辛くて、すごく冷たかった。秋に行ったせいかな」
そして間をおくと、小さく嘆息する。
「懐かしいな……」
遠くを見るような視線だった。顔色が悪いせいか、ライルは一層儚げだった。油断していると、いつの間にかどこかへ行ってしまいそうで。
「ライル」
クレアは、思わずそんな彼の手を掴んでいた。
「なに? どうしたの?」
「え? あ、いや……その、また今度二人で海に行けたらなって思って。私も海見てみたいし、ね?」
自分の行動に慌てて理由付けをすれば、ライルは数回瞬きをした後、明るく笑い出した。
「うん、行こうね。二人で」
「楽しみだね」
一度握った手を離す機会がなくなって、クレアはそのまま、ライルの体調が良くなるまでずっと手を握っていた。