08:大切な場所
あれから、一月が経った。
あの事件以後、俊之の身の回りには、特に変わった出来事は起こっていなかった。言及するならば、事件当日とその翌日くらいか。事件後、家に帰ったら両親には改めてこっぴどく叱られたし、学校に登校したらしたで、クラスメイトからどこに行ってただの何してただの、しまいにはどこから聞きつけたのか、実里と駆け落ちでもしてたのか、などとからかってくる始末。
だが、俊之はもう今までの俊之ではなかった。たった一夜のことではあったが、様々なことを経験したあの夜。そのことを、いくら知らないとはいえ、そんな風に茶化されて黙っていられるわけがない。
結局、その日の放課後、俊之の母は学校から呼び出しをくらい、クラスメイトの親相手に頭を下げることとなった。相手側にもからかった非があるとして、その場は和解ということで落ち着いたが、俊之はそれでも不満だった。
家に帰ってから、俊之の母は、先に手を出した俊之が悪いが、攻めることは出来ないと、それ以上怒るようなことはしなかった。
実里の方も、大きな変化はなく、穏やかに過ごしているようだった。父親によって身なりが整えられ、本人も以前の明るさを取り戻したおかげで、友人もでき、放課後もよく友達と遊んでいるらしい。
久美子や弘樹に、実里をよろしくと頼まれた俊之だが、彼は、事件以降、一度も実里と話していなかった。忙しくて会いに行く暇がないことももちろんではあるが、一番の理由は、俊之にはまだやらなくてはならないことがあったからだ。それをやり遂げる前に――中途半端な状態で会いに行くことなんてできない。彼なりの、けじめとも言えた。
そうして、約一月後、俊之は再びあの山の麓に来ていた。両親にはちゃんとここへ来る旨を伝えている。というより、母親はもう先に車で廃墟に向かっているはずだ。――霊能者を乗せて。
俊之は額に汗を浮かべながら、山道を進んだ。秋もすっかり深まり、山は紅葉の季節を迎えていた。色とりどりの木々を眺めながらの登山は、楽しくもあり、しんどくもある。だが、それでも母親の車に乗っていかなかったのは――ひとえに俊之の意地でもあった。
最後。これが、きっと最後になるだろうから。
それに、もしも車という文明の利器なんかに乗って廃墟に行ったら、それこそ弘樹たちに馬鹿にされてしまう――。
「俊之君」
「ぎゃっ!」
驚きのあまり、俊之は足を滑らせて転んだ。そのまま坂道を滑り落ちなかったのは、慌てて実里が押さえてくれたからだろうか。
「大丈夫?」
「な、んで、ここに……」
俊之はしどろもどろになって口を開く。どうしてここに実里が。
このままじゃ、今日は無理かもしれない。また日を改めるべきか。
俊之は咄嗟に思考を巡らせるが、そんな彼の思いなど見透かしたように実里は笑った。
「私も、お母さんたちを成仏させてあげたいって思ってたから」
「――えっ!」
驚きに、俊之は目を剥く。その反応は想定内だったのか、実里は笑みを深くして歩き出した。俊之も慌ててそれを追う。
「あの夜、ね。変な胸騒ぎを感じて、パトカーの中から後ろを振り返ったの。そうしたら、見えた」
「……?」
「みんなは気ついてなかったかもしれないけど、夜の闇の中って、案外幽霊は目立つんだよ。ぼんやりそこだけ光って見えるときがあるから」
実里は前を向いたまま歩き続ける。後ろの俊之からは、彼女の表情はうかがい知れなかった。
「始めは、最後のお別れをしてるのかなって思った。でもその光は、車が離れていっても、全然消えなかった。ずっと、光り続けてた」
「じゃあ、この一月、ずっと気づいて……?」
「うん。会いに行こうと思えば、会いに行くことも出来た。でも、お母さんたちは私をもうあそこへ来させたくなかったから、ああいう風にお別れしたんだろうし、それを思うと、どうしても行けなかった。でも、私が遊んでいる間にも、お母さんたちはずっとあそこにいるんだろうって思うと、どうしたらいいか分からなくなって。誰に相談していいかも分からなくなったから、お父さんに頼んで、幽霊を成仏できる人を探してもらったの」
「あっ、俺も実はその人探してて……」
俊之は慌てて口を挟んだ。彼も、両親に頼んで、霊能者を探してもらっていたのだ。そして、今まで貯めたお小遣いと、両親から借りたお金で、廃墟の幽霊たちみんなを成仏してもらえるように頼み、今日は廃墟へ向かっているのだ。
「うん、知ってる。お父さんが見つけてくれた霊能者さん、俊之君が連絡を取ってる霊能者さんと同じ人だから。向こうの人が教えてくれたの。もしかしてお知り合いですかって」
「そっか」
全ての合点がいき、俊之は大人しくなった。もし万が一、自分の失態のせいで久美子たちのことがバレてしまったのなら、彼女たちに申し訳が立たないだろうから。
しかし、実里の話にはまだ続きがあったようで、彼女は止めることなく話す。
「それでね、霊能者さんが聞かせてくれたの。生きてる人と死んでる人が一緒にいたら、生きてる人は、悪い影響を受けることがあるって。死んでる人にその気がなくっても、時にどうしようもないことが起こるんだって。それがこの世の理だって」
俊之は言葉に窮し、押し黙った。なんと返せばいいというのだろうか。
一月前、弘樹が言っていたことと、まさに同じことではないか。あのときは、素人判断だからと目をそらすことも出来たが、本職がそう言うのであれば、事実なのだろう。
相変わらず、実里の表情は分からない。
すぐ側にいるのに、会えない。
その心境は、いかほどのものなのか。
廃墟に着くと、二人はすぐに俊之の母の車に走り寄った。中を覗いても、誰もいない。
「俊之、こっちよ」
声の先には、母親がいた。後ろに霊能者を連れ、病院の中から出てきた。
「こんにちは」
「今日はよろしくお願いします」
四人は互いに頭を下げた。霊能者は、高齢の女性だった。長い髪を後ろできつく結い、和服をしっかり着こなしていた。
「先ほど、幽霊の方たちと会ってきました。きちんと成仏できそうです」
「本当ですか!」
俊之と実里、二人の声が重なる。霊能者はしっかり頷き、そのまま歩き始めた。早速浄霊するらしい。
「通常、死者の魂は、四十九日までこの世に残ると言われています。現世への執着を無くし、あの世へ行く準備をさせるための期間です。しかし、まれに四十九日を過ぎてもこの世に止まり続ける霊がいます。激しい後悔ややり残したことへの執着、それらへの思いが強いと、自分で成仏が出来なくなってしまうんです」
静かな廃墟内に、霊能者の声が響く。
みんなはどこにいるんだろう。
俊之はぼんやりそう思った。
「彼らは、この世に留まれば留まるほど、原形を失ってしまいます。生前の記憶を失い、幽体すらも失い、最後にはただの強い怨念となってしまうんです。そうなる前に、彼らを成仏させるのが私たちの仕事です」
「お、お母さんたちは、まだ……?」
「大丈夫です。まだ記憶もはっきりしています」
「良かった……」
心から安心したように、実里は息をついた。俊之は、そんな彼女を複雑な表情で見つめた。――彼女は、これから母親と三度目の別れをしようというのだ。いくらなんでも、辛くないわけがないだろう。
一行は、一月前、幽霊たちとお別れをしたあの中庭へやってきていた。彼らは、中庭がお気に入りのようで、実里が学校から直接ここへ来たときも、よくここをたまり場にしていたらしい。
霊能者を先頭に、四人は中庭へ入っていった。てっきり霊能者と俊之、そしてその母が来るだけだと思っていた久美子たち幽霊は、愕然としていた。
『みっ、実里!? どうして……』
『何でここにいるんだよ!』
口々に幽霊たちがざわめくが、実里が一人前に進み出ると、彼らはすぐに静かになった。彼女は霊能者の方に顔を向け、申し訳なさそうな顔になる。
「少し、お時間もらえますか?」
「こちらはいつでも構いません。心ゆくまでお話しなさってください」
穏やかに微笑む彼女に、実里は安心したように笑った。そして一転、顔を引き締めて幽霊たちに向き直る。
「私がここにいるのは、みんなの間抜けな失態から……なんだけど、もうその話はいいじゃない。私は今ここにいるんだから」
『だからってなあ……』
『実里』
なおも言おうとする弘樹を遮って、久美子が進み出た。
『その様子なら、もう分かっていると思うけれど。私たちは今日、成仏するわ。本当にこれでお別れ』
一瞬言葉に詰まったようだが、久美子は気丈に顔を上げた。
『でもね、本当のこと言うと、最後の最後に、また実里に会えて良かった。実里にしてみれば辛いだろうけど、ごめんなさいね、私、今本当に嬉しい。もう後悔はないの。この世に未練は全然ないの。だから実里も、殻に閉じこもらずに、みんなと仲良く――』
「……違うよ」
どこか寂しそうに実里は呟いた。
「私、一人が寂しくてみんなの所に来たんじゃないよ。私、お母さんたちを楽しませたくて、ここに来てたの」
『え……?』
困惑したように久美子たちは固まった。俊之もそうだ。固唾をのんで実里の次の言葉を待つ。彼女は眉を顰めて首を振った。
「だって、ここは辛い場所じゃない。お母さんたちにとって、一番嫌な場所じゃない」
実里は矢継ぎ早に続ける。
「毎日お薬飲んで、点滴を打たれて。外にも出られなくって、人と自由に話すこともできない。嫌な記憶しかないのに、いざ死んだら、ずっとここにいなきゃいけないなんて悲しいよ。なんで幸せに暮らした家じゃなくってここなの? なんで死んでまで病院にいなくちゃならないの?」
『……実里』
「もう誰もいない病院で、ずっとここにいるお母さんたちのことを思うと、いても立ってもいられなかった。せめて……せめて、笑わせたかった。楽しませたかった。お母さんたちが楽になる、そのときまで……」
嗚咽がせり上げてきて、実里はそれ以上言うことが出来なかった。
俊之も、俊之の母も、動くことが出来ない。この場で言うべきは、自分たちではないからだ。
『馬鹿だなあ、俺たち』
泣き笑いのような表情で、弘樹は誰ともなく呟く。
『子守してるつもりが、逆にこっちが構われてたって訳か』
『実里……』
何か言おうと、久美子は口を開き賭けるが、しかし結局閉じてしまう。唇がわなわなと震え、自分でも何を言いたいのが分からないのだろう。
「構うなんて、そんな。むしろ、みんなには私は必要なかったんじゃない? 私がいなくても、楽しくやってたみたいだし」
実里の言葉に、場が静まりかえる。戸惑ったような顔をする実里に対し、幽霊たちは、何か物言いたげに顔を見合わせていた。
「……? どうかしたの?」
『実里……。それは、違うわよ』
絵里子が前に進み出た。何度も俊之を驚かせたあの女性幽霊である。
『あなたは、私たちの光だったの』
あの溌剌とした笑顔は押し殺し、真剣な顔つきだ。
『始め、突然この廃墟にあなたが現れたとき、またかとしか思わなかった。また肝試しに来たんだなって。そして、勝手に私たちに怯えて、勝手に逃げていくんだって。――でも、あなたは違った。私たちを見ても、怖がるどころか、むしろ興味深そうに近づいた。私が話しかけたら、嬉しそうにしてくれたわよね。その後、久美子さんと遭遇して、あなたはもっと嬉しそうに泣いて笑った』
俊之はハッとして絵里子を見た。気づいてしまったのだ。彼女がやたらと人を脅かす理由に。
きっとそれは予防線のようなものなのかもしれない。勝手に向こうが怯えて、自分が傷つく前に、自分から驚かせて怖がらせる――。彼らが逃げるのは、自分が驚かせたからであって、『幽霊の自分』が怖がられたわけではない、と。
『それから、あなたは本当に毎日ここに来てくれたわね。雨の日も、風の日も。あなたがここに来るのは、母親がいるからだって分かってたわ。でも、それでも嬉しかったの』
絵里子は、長い髪の間からボロボロと涙をこぼしていた。釣られて、他の幽霊たちも涙ぐむ。静かに嗚咽を漏らし始めた。
『仲間がいても、寂しかったの。こんな暗くてジメジメした場所、嫌いだったの。廃墟になってからは一層。人間なんて誰も寄りつかないし、仲間と集まって話しても、話題に挙がることは暗いものばかり。だってそうでしょう? この先自分たちがどうなるかも分からない。もしかしたらずっとこのままなのかもって思うと、怖くて怖くて仕方がなかった』
絵里子はぎゅっと両手で自らの身体をかき抱く。唇は震えていたが、その視線はまっすぐ実里を見据える。
『でも、実里がそれを変えてくれたの。子供の遊びの鬼ごっこでも、学校で起こった何気ない話でも、実里がいるだけで、とんでもなく幸せになれた。楽しかった。実里が、実里がいたから、私たち、本当に幸せで……』
すん、と息を吸い込む。
『ありがとう。今まで、本当にありがとう……!』
その言葉を最後に、絵里子はわっと両手で顔を覆い、もう何も言うことはなかった。慰めるかのように、彼女の周りを幽霊たちが囲む。
絵里子の思いは、皆の総意だったのだろう。誰も何も言わない。ただ、実里に感謝が伝わるよう、真に彼女を見つめるだけだ。
実里は複雑な表情で視線を落とした。
「私の方こそ、ありがとう……。みんなと遊ぶの、本当に楽しかった。新しいクラスにも、あんまり馴染めなかったから、ここに来るのは毎日の楽しみだったの。遊んでる間は、何もかも忘れられたから。……弘樹さんの言う子守っていうのも、きっと間違いじゃないよ。構ってくれてありがとう」
『実里……』
切なげに彼女の名を呼ぶ者がいる。
「お母さん……」
久美子は、未だに気丈に立っていた。凜としながらも、その顔はわずかに苦しそうにゆがんでいる。
『実里……。あなたは、私の自慢の娘だわ。人をちゃんと思いやることが出来る。時折、無鉄砲なことをするのは、直して欲しい短所でもあるけれど。成長したら、どんな女性になるのかしらね。お付き合いする男性はどんな方かしら。裕一郎さんにね、頼んであるの。そんじょそこらの人じゃ簡単に許してやらないでねって。だって、実里には幸せになってもらいたいから。私が側にいられない分、実里には一番幸せに……。ほ、本当は、私だって、ずっと側で……!」
久美子の瞳からも涙があふれ出る。まるで決壊したかのようだった。二度目の別れでも、先ほども、気丈に弱音を吐かなかった久美子が、今、この世の誰よりももろく見えた。
『未練がないなんて嘘。本当はずっと側にいたい。こんな姿でも、側にいられるならそれで構わない!』
ハッとして霊能者の女性が動く気配があった。しかし、結局その場から動くことはなかった。気が高ぶった様子だった久美子が、一転して、声のトーンを落としたからだ。
『ごめんね。こんなことを話しても仕方のないことだっていうのは分かってる。必要以上に実里を困らせてしまうことも。私、情けない……。最後までしっかり母親をしたかったのに』
髪を振り乱して、涙にまみれて。
そこにいたのは、たった一人の女性だった。母親ではない、ただのはかない女性。
「ううん、良かった。私は、お母さんの本音が聞けて良かったと思う」
『え?』
しかし実里は、彼女に反し、にっこり嬉しそうに笑う。
「だって悔しかったもん。一度目の時も、二度目の時も、お母さんは誰より冷静で、私との別れなんか寂しくないよーって雰囲気を漂わせて。正直、こんな風に取り乱してる姿が見られて、嬉しい」
『うわ、実里お前、結構性格悪いのな』
呆れたように弘樹が言う。それすらも、実里は笑って受け流した。
「さあて、誰に似たんだろうね」
『絶対父親よ。裕一郎さん、ああ見えて変なところがあるから』
思い当たる節でもあるのか、久美子は嫌そうな顔でそう口にした。毒気に当てられたようで、彼女の涙はすっかり引っ込んでいた。
「私は……もう大丈夫だから」
実里は胸の前で拳を作ってみせる。
『……そうね。いつまでもグズグズ言ってなんかいられない。むしろ、感謝しなくちゃ。あれで最後だと思ったのに、もう一度――三ヶ月も、実里と遊ぶことが出来たんだから』
「といっても、お母さんは小言ばかりだったけど」
『だって仕方ないでしょう! 女の子なのに、野宿ばかり……!』
特に夏休みがひどかったわね、と久美子は額に手を当てる。弘樹たちも思い至ったのか、ああ……と遠い目になった。
十数人も集まっていても、時折しんと静まりかえるときがある。それが転機となることもまた多い。
『そろそろ、行きましょうか』
寂しそうに久美子は言った。周囲の幽霊たちも、同意するように頷く。寂しくても、それで決意が揺らぐわけではなかった。
『お願いします』
強い瞳で、久美子は霊能者の女性を見やる。彼女はそっと頷いた。
「分かりました。それでは、始めましょう」
霊能者がスッと前に進み出た。代わりに実里が後ろへ下がる。気を引き締め、彼女に皆の視線が集まる。
女性は、数珠とお札を取り出し、何やら長い長いお経を唱え始めた。その声に導かれるように、立ち並ぶ幽霊たちの身体を透け始めた。
『……!』
嬉しそうな顔をしている者もいれば、複雑そうな表情を見せる者もいる。しかし、彼らの視線はやがて、実里と俊之に降り注ぐ。
『実里ちゃん、俊之君、今まで本当にありがとう』
『元気でなあ、実里ちゃん、俊之君』
『ううっ、私のこと忘れちゃ駄目だからね〜!』
相変わらず涙もろい絵里子は、またもや瞳を潤ませながら叫ぶ。
『俊坊も達者でな。男らしく、実里のこと守るんだぞ』
『どちらかというと、トシちゃんは守られる側になりそうだけど……』
『そんな可哀想なこと言ってやるなよ!』
弘樹が絵里子のことを小突くが、その声もバッチリ俊之の耳に入っている。俊之はちょっとだけ落ち込んだ。
『元気で、実里』
「お母さんも」
オウム返しに言う実里に、久美子はちょっと目を見開くと、すぐに嬉しそうに笑った。ああ、この子はもう大丈夫なんだ、と。
「みんなも、三ヶ月間ありがとう。本当に楽しかった」
実里はここ一番の笑顔を見せる。かすかに愁いを含んではいるが、それは単純な悲しみではない。
彼女の笑顔を最後に焼き付け、幽霊たちは霞となって消えていった。本当に、今度こそ。
「…………」
実里は、いつまでもいつまでも、その場で立ち尽くしていた。彼女を一人にしようと、俊之とその母、そして霊能者の女性は、そこから立ち去ろうとした。が、その気配を察したのか、実里は瞬時に振り返る。
「私だけ置いていくの?」
「え? いや……」
しばらく一人になりたいのかと思って……と、ごにょごにょ俊之は言い訳をする。実里は彼の隣に並んだ。
「もう行く。もうここにお母さんたちはいないし」
「……うん」
「あの、霊能者さん、今日はありがとうございました」
実里は真剣な表情で頭を上げた。
「今日、ちゃんと代金をもってきたので、後でお支払いします」
「あ、俺も持ってきてて……」
慌てて俊之が声を上げた。実里はきょとんとした視線を彼に向ける。
「なんで俊之君も? 関係ないじゃない」
「関係あるよ」
俊之はどことなく不機嫌な顔になった。この期に及んで関係ないなど、どうして言えるのか。
「……そうだね。ごめん」
実里は旬となって謝った。俊之もそれ以上言う何か言う気にもならず、黙って歩いた。
気を遣ったのか、俊之の母と霊能者の女性は、俊之たちよりもずっと前を歩いていた。
病院を出るときになって、実里はそっと顔を上げた。
「私ね……もうこの病院は、嫌な場所じゃないの」
「…………」
「何度もお母さんとさよならした場所だけど、それ以上に、みんなと一緒に遊んだ三ヶ月の方が、ずっと印象的で、大切。嫌な記憶は、みんな楽しい思い出に塗り替えられた」
「うん、俺も。正直、ここは怖いって印象しかなかったけど、もうそんなことない」
「うん、本当に」
実里の表情は明るい。もう大丈夫なのかと思ったが、彼女の顔はすぐに曇った。
「家に帰ったらまたお父さんに怒られそー」
すっかり闇夜に染まった空を見上げて、実里は口を開く。
「そのときは、一緒に怒られるよ」
なんとなく照れた様子で俊之は呟いた。
「……えへへ、ありがとう」
驚いたように目を丸くした実里だが、またすぐに嬉しそうに笑った。
「二人とも、帰りは車で帰るわよね? もう遅いし」
俊之の母親が後ろから声をかけた。実里は驚いたように振り返った。
「いいんですか?」
「もちろんよ。ちゃんと家まで送り届けるからね」
「ありがとうございます!」
母が運転席に乗り込んだのを見届けると、実里も後部座席に乗り込んだ。俊之もその後に続こうとして……ちょっとだけ後ろを振り返る。
――生者など誰もいない、ただ山奥にひっそりと佇むだけの廃墟。かつては賑やかなほど幽霊に溢れていた場所だが、今は、彼らに別れを告げるかのように、眩しいほどの夕焼けに染まっていた。