03:贈り物
「ん? 何だこの甘い匂い?」
同僚のダリルがノックもせずに入って来た。
昼下がりの休憩時。仕事もひと段落を終え、ようやく至福のひと時を過ごせる矢先のことだったので、ディアンの眉が自然と寄るのも仕方のないことだった。と同時に、素早く机に置いていた紙袋を隠そうとした。しかし目ざといダリルがそれを許すわけもない。
「何だよそれ。貰ったのか?」
「……別にいいだろ」
「隠すなんてなおさら怪しいな。おい、さっさと白状しろ」
「別に何でもない」
素っ気なくディアンが対応するが、にもかかわらず、ダリルの瞳は好奇心で輝いている。その様に、ディアンは諦めた様にため息をついた。
下手に騒ぎ立てられても困る。
ディアンはゆっくりと紙袋を机の上に置いた。本当ならば、他人の目になんか一秒たりとも晒したくない大切なものだ。
ダリルは観察するようにずいっと紙袋に目線を合わせた。
「ずいぶん可愛らしい包装だな。女からの贈り物か?」
「…………」
「おーいみんなー! ディアンが、あのディアンが――」
「――そうだ!!」
くわっと髪を逆立ててディアンは立ち上がる。その目にはダリルも射殺せそうな殺気が籠っている。
「そうか、女か……。あのディアンが、な」
紙袋を見ながらダリルは感慨深げに頷いた。
何しろ、この同僚は今まで全く女っ気が無かったのだから。
商会で働いている男たちは、休日になるたびに妻や恋人の元へ飛んで行く。独り身の寂しい男の中には、娼館へ足しげく通ったりする者もいたのだが、ディアンにはそんな影はなかった。時折朝にフラッといなくなるか、自分の家に帰るくらいしかしていない様に見えていた。そんな彼に女の影。気にならないわけがない。
「どんな女? 可愛いの?」
「…………」
「おーいみんなー! ディアンが、あのディアンが――」
「そうだ!! 可愛い!!」
ディアンがバンッと机を叩く。
「可愛い女の子、ねえ。もう付き合ってるの?」
「…………」
「おーいみんなー! ディアンが、あのディアンが――」
「付き合ってない!! 残念なことに!!」
ディアンはくっ……と苦悶の表情を浮かべる。
「どこで知り合ったの?」
「…………」
「おーいみんなー! ディアンが、あのディアンが――」
「もうその手には乗らない! というか一旦静まれ!!」
再びディアンが机を叩く。――その音と、ディアンの叫び声の方がよっぽどうるさいと思ったのだが、口には出さないでおく。
「悪かった悪かった。詮索はこの辺にしとく」
気になるのなら、ディアンを尾行でも何でもすればいい。
ダリルはこそっとほくそ笑んだ。
「――で、結局その甘い匂いは何なのさ。お菓子?」
「ああ」
「ふーん。……で、開けないの?」
ダリルは不思議そうに問う。しかしディアンは一向に動かなかった。
「ねえ、開けないの?」
「お前が帰ったらな」
「……俺はディアンがそれを開けるまで、ここを離れないよ?」
「でも俺はお前がここを離れるまで開けない」
「…………」
頑固だ、と思う。
そりゃ確かに、意中の異性から手作りらしいお菓子をもらったら、それをたった一人で堪能したいというディアンの気持ちも分からなくはない。が、何より。女っ気のない友人のこの頑なな態度も反応も、面白くないわけがない。
「おーいみんなー! ディアンが、あのディアンが――」
「うるさい! ダリル、いい加減にしろ!」
「いやー、何か今日は同僚たちとお茶飲みたい気分だなあ……。そうだ、ディアンの部屋でやれば――」
「――っ、開ければいいんだろ!」
怒鳴りながら、思わずその感情のままディアンは紙袋に手を付ける。しかし瞬時にこれはミリアムからもらった大切なものだと思いだし、一気に手つきが慎重になる。その様を、ダリルは笑いを堪えながら眺めていた。
慎重に、慎重に取り出したそれは白く、平べったい箱だった。そういえば、パンプキンパイとか言ってたかな、とディアンは記憶を思い返す。
あの時の彼女の動揺っぷりは面白かった。というか可愛かった。きっと、自分にこれを渡すことに緊張していたのだろう。なおさら嬉しい。
「おいディアン、手が止まってるぞ」
ダリルの冷静な声に一気に現実に引き戻された。幸せな余韻を邪魔され、ダリルを睨み付けながらディアンはそっと箱を開いた。開けた瞬間、甘い匂いが部屋に広がった。
「パンプキンパイ?」
机の向こうからダリルが覗き込む。それにディアンは重々しく頷いた。
「この間カボチャをおすそ分けしたんだ。そうしたらお礼にって頂いた」
「くっ……あっはっは!!」
何を血迷ったのか、ダリルは突然お腹を抱えて笑い出した。
「何だそりゃ! 傑作だ!」
「何笑ってるんだ。何か文句でもあるのか?」
「だって、だってさあ……!」
笑いが収まらないのか、ダリルは苦しそうに息をする。
「普通おすそ分けって言ったら、大量に余ってるからそっちにもあげる。だから処分してくれないかって話だろ? それが何で手の込んだ料理になって突き返されてくんだよ!」
「…………」
「朝も昼も夜もカボチャカボチャカボチャ……。そしてデザートまでカボチャってか!」
「…………」
彼が言いたいことは分かった。要は、今もすでにカボチャまみれの食事なのに、更にデザートまでカボチャになってしまった俺の食事事情がおかしくで笑っているのだろう。それは分かった。
だが、どうにも腑に落ちない。目の前で大口笑っているダリルが、よりにもよってミリアムの手作りの料理を馬鹿にされているようで。
「そんなに笑うとは……良い度胸だ」
「……え?」
ディアンはドスを利かせた声で立ち上がる。純粋な怒りでどうにかなってしまいそうだった。それを阻止するためには、標的にこの怒りをぶつけるしかないだろう。もともとこの怒りは、ダリルの無神経な発言によって引き起こされたものなのだから。
「ミリアムさんの手料理を馬鹿にするやつは……生かしてはおけないな」
「い、いや……別に馬鹿にしては……。ってか、彼女、ミリアムって言うんだ。か、可愛い名前じゃん」
ダリルは咄嗟に褒める攻撃に出た。相手を褒めて褒めて有頂天にし、そして怒りを昇華させるのだ。しかしダリルは選択を誤った。決して踏んではいけないディアンの地雷を踏んでしまったのだ。
「勝手にミリアムさんの名を呼ぶな!」
「ええ!? ちょ、落ち着いて!!」
ダリルの焦った声が響く。しかし、そんなことでディアンが落ち着くわけがない。指をポキポキと鳴らしながら、しかし着々とダリルに近づいていく。
「う……うわあああー!!」
そうして何をされたのか、その後情けない声を上げながらディアンの部屋を飛び出していくダリルの姿が目撃された。
彼が走り去った後、ディアンと彼を呼ぶかのように甘い匂いを漂わせてくるパンプキンパイだけが残った。
「本当なら永久保存したいくらいなのに、さすがに食べ物はそんなに持たないから……くっ! あ……ていうかすごくおいしい。さすがミリアムさん」
ディアンしかいない部屋にすごく悔しそうな、しかし嬉しそうな声と、もしゃもしゃ味わって食べる音とが響いた。