01:あの後 


「……早速ですけどディアンさん」
「ん? 何?」

 ミリアムがディアンに想いを伝えたあの後、あの場はすっかり常連客達だけで盛り上がってしまった。最初こそミリアムをからかいの対象にして遊んでいたのだが、途中からなぜか夜の酒盛りの話になってしまったのだ。

 そこでミリアムは用事があることを理由に、ディアンと共に抜け出してきた。そして彼らが向かったのはディアンの家。人目に触れたくないとミリアムが言い難そうに言うので、ディアンがここを提案した。

 そして今。ミリアムはソファに座って真剣な瞳でディアンを見上げ――。

「記憶頂いていいですか?」
「え?」

 ディアンはきょとんとした表情になる。

「いや、本当最近全然記憶食べてないからお腹空いちゃって。そろそろ食べないと我慢できなくなりそうなんです」
「…………」
「いいですか?」

 ミリアムに見上げられ、ディアンは内心でため息をついた。
 真面目な顔で、人目のつかないところへ行きたいと言う彼女。てっきりもっと甘えたいという彼女なりの表現だと思っていたのだが、どうやらとんだ思い違いの様だ。
 ディアンは僅かに落胆しながらも、しかし笑顔で頷く。

「どうぞ、遠慮なく食べて」
 そして復讐のつもりで更に付け加える。

「俺のミリアムへの愛の記憶」
「はっ、恥ずかしい言い方しないでください!」

 ミリアムは想像通りの反応をする。

「え、何で? でもそういうことだよね?」
「だ、だからって……!」

 ミリアムが食べるのは、彼女に関する記憶。ならば言い換えれば、記憶だけでなく、ディアンがミリアムに対して抱えた感情もついてくるわけだ。それを愛の記憶と言わずに何と言う。

「あ、それと前も言ったけど、他のやつ――特に男の記憶は食べないでね。想像したら怒りが抑えられなくなる」
「そ、れは……」
「俺のだけで我慢して」
「う……」

 ミリアムとしては、絶対に言いたくはないが、今後はディアン以外の記憶を食べるつもりはない。それは、他の人に同意も得ずして行っているという罪悪感だけでなく、単純にディアンの記憶の方がおいしいということもある。彼がミリアムに対して深い愛情を持っているからこそ、彼の記憶はそれを証明するかのように美味だった。

 絶対に絶対に言いたくはないが、もうミリアムは彼の記憶でないと満足にお腹も膨れない体になってしまっていた。絶対に言いたくはないが。

「あの、それで……今、いいですか?」
 ディアンももうすぐ仕事だろうし、ミリアムも書店での店番がある。できればすぐに終わらせてそちらへ向かいたかった。

「あのさ、ちょっと提案していい?」
「何ですか?」

 しかしディアンの方はそうもいかないようだった。ミリアムは聞き返したが、彼は少し間を置き、そして口を開いた。

「ミリアムが俺から記憶をもらう時、キスしようよ」
「……はい!?」

 一瞬訳が分からなかったが、合点がいったとき、ミリアムは思わず叫んだ。それもそうだ。
 しかしディアンは口火を切ったことで勇気が湧いたのか、何とも流暢な口調で捲し立てる。

「だってさ、よく考えてみてよ。もしミリアムが俺の記憶を食べて、たまたま今この瞬間の記憶を食べてしまったら、俺は何をしていたのか分からなくなるわけでしょ? でもあらかじめ記憶を食べるときにはキスしますって約束しておけば、いざ記憶を失ってもキスしてるから、ああ、ミリアムが記憶を食べただけだなってすぐに気付けるよ」

 一気に言ったので、さすがのディアンも息が切れる。深呼吸し、そして独りでに頷く。

「よし、そうしよう!」
「いや、私まだ承諾してませんから!」
「でもそうした方が分かりやすいことは確かでしょ?」
「う……」

 ミリアムは言いよどむ。記憶を頂いている身としては、そう言われてしまえば何も言えない。

「じゃあそう言うことでよろしくね。記憶が欲しかったらキスしてほしいって言ってね」
「……って、はい!?」

 再び叫ぶ。

「な、何でそんなこと言わないといけないんですか!」
「いや、だって回りくどい言い方されても俺が気づかない可能性もあるし……。でもミリアムからしてくれるのなら別に言わなくてもいいんだけどね」
「は、はあ!?」

 私が、自らディアンさんにキスをする……?
 そんなこと、考えただけで頭が爆発してしまいそうだ。絶対に自分には無理だ。しかしそうなったら、もう残る道は一つしかないじゃないか。

「き……」
「ん?」

 ミリアムがやっとの思いで口を開く。だが、ディアンは笑顔のまま、聞こえないと首をかしげる。

「き……記憶を食べたいので……」
 何だか負けた気分だ。

「き、キスしてくださ――」
「喜んで!!」

 言い終わらぬうちに、ディアンに襲い掛かられる。

「やっ、やめっ――」
「ごめん、止められない」
「〜〜っ!?」

 口を塞がれたので、ミリアムは叫ぶこともできない。熱いキスの中、ただ心中でディアンに怒鳴ることしかできなかった。


 結論から言うと、ディアンのキスで頭が混乱したミリアムは、少しの記憶も頂くことができなかった。それは何度やっても同じで、ミリアムが怒りを爆発させるまでキスの嵐は止まなかった。