第七話 愛は一日にしてならず
157:お節介な店主
次の日、オズウェルは酷い二日酔いになった。この日が休日で良かったと、心からそう思うくらいには、彼は午前中ベッドから抜け出すことができなかった。
アルコールのせいで、身体の節々が痛んだし、吐き気を催すことも何度かあった。途中途中、水の補給をし、ベッドで大人しくし、睡眠を取り、そうしてようやく、午後には何とか動けるようになっていた。午後、食堂でマリウスと顔を合わせたが、彼もまた、随分と酷い顔色をしていた。不幸なことに、彼は今日市中見回りの勤務だったらしく、ゆっくり休む暇もなかったようだ。昨日、彼を飲みに誘った身として、オズウェルは一瞬罪悪感を抱いたが、昨夜の彼の罪を思い出し、思い直した。頭だってまだ酷く痛むのだ。
オズウェルは、昨夜のことはほとんど覚えていた。マリウスが話したことも、自分が話したことも、アイリーンと出会ったことも。
――花。
当然、彼が最後に思い至った結論もそっくりそのまま覚えていた。やるからには早いほうが良いだろうと、早速花屋に向かうくらいには、行動力に溢れている。
そう、オズウェルは、ようやく重い腰を上げたのだ。こればっかりは、いつまでも受け身ではいられないし、流されるままではいけない。
オズウェルは、花屋なんて洒落たものにはこれまでてんで無縁だった。大きい街なので、一つや二つ、どこかに花屋がありそうなものだが、思い返してみても、記憶にはない。独身が集まる団員ならば、一人くらいは知っているかもしれないが、聞き込みをする最中、勇気のある団員に、花屋に何の用ですかとか、もしかして懇意にしている人でもいるんですかとか、余計な詮索をされるかもしれない。
そう考えたオズウェルは、自分一人の力で探すことにした。とはいっても、闇雲に探すのは面倒なので、往来を歩いていた老人に尋ねるくらいだが。
「ああ、花屋かい。だったらあそこがいいんじゃないかね……アマリスさんとこの。あの人、お喋りで気が良いから、話し相手にもなってくれるしねえ」
女性一人きりで切り盛りしている花屋。だが、花の種類は豊富なようで、なかなか繁盛しているらしい。
オズウェルは、早速その花屋に向かった。割合リーヴィス家に近い場所にあり、むしろ好都合だと思った。
花屋は、裏通りの、閑散とした場所にあった。人通りが少なく、もし夜にここを通ったならば、薄気味悪い雰囲気を感じただろう――花屋がなければ。
その裏通りには、花屋が一軒あるのみだったが、その存在のおかげで、周囲は随分華やいでいた。離れた場所からも、良い香りが漂ってきて、気が滅入っている時でも明るくなれそうだ。
店先では、一人の女性が鼻歌を歌いながら水やりをしていた。髪は高いところで一つに結い上げ、明るいエプロンがその姿によく似合っている。
「あっ」
オズウェルが彼女に声をかける前に、彼女の方がオズウェルに気がついた。閑散としているのだから、気づくのも当然なのかもしれない。
「もしかして、あなた、確か警備騎士団団長のオズウェルさん……?」
「えっ」
「良かった、一度話してみたかったんだ!」
女性は慌てて水やりを終えると、すぐにオズウェル野本にやってきた。そうしてキラキラした瞳で彼を見上げる。
「ここへはどうして? 花を買いに? 誰かに贈り物?」
「え? あ、いや……まあ」
矢継ぎ早に尋ねられ、オズウェルは慌てふためいた。どう答えたものか。そもそも、彼女は誰だったか。向こうはこちらのことを知っているようだが、知り合いだろうか。それとも、ただ単に団長としての自分を知っているだけなのか。
「ね、ちょっと聞きたいことがあるんだけど。あのさ、アイリーンとあなた、結局の所どういう関係なの? いろいろ噂あるよね? アイリーンに聞いてもはぐらかしてばっかりでさー」
「は、あ……」
アイリーンの知り合いでもあるらしい。
このままでは調子を乱されると、オズウェルはコホンと咳払いをした。
「あの、どこかでお会いしたことありましたか?」
思い切ってオズウェルがそう切り出せば、女性は目を丸くした。そうして次の瞬間には、ケラケラと笑い出す。
「ごめんね! 自己紹介がまだだった! あたしはアマリス。この花屋の店主をやってるよ」
「オズウェル=カールトンです」
オズウェルは軽く会釈をした。アマリスは嬉しそうに頷き、彼を店内に引き入れた。
甘い花の香りがオズウェルの鼻腔をくすぐる。たくさんの花の香りが混じり合っているようだが、不思議と嫌な気持ちにはならない。
慣れない場に、オズウェルは居心地悪そうに辺りを見渡した。色とりどりの花々が目に眩しく、まさしく自分はこの場に不適切なのではないかと思わないでもない。
「ほら、ここに座って。いろいろと話したいことがあって。あ、時間ある?」
相手の都合は後回しで、とにかく自分の話したいことを話すアマリスにしては、この言動は非常に珍しい。が、オズウェルにはそんなこと知るよしもなく、ただただ頷くのみである。
「さっきも言ったと思うけど、あたし、一度あなたと話してみたかったから、あなたがここに来てくれて良かったよ」
「……なぜ?」
オズウェルの純粋な問いに、アマリスは身体を反らして笑った。
「覚えてるか分からないけど、あたしたち、一度会ったことあるんだよ。ほら、アイリーンが殿下を誘拐したとか何とかで、連行していったことあったでしょ?」
「ああ……」
カイン殿下の時のことか、とオズウェルはようやく合点がいった。確かに、あの時、アイリーンは誰かと一緒にいたような覚えがあった。
「あの時の印象、最悪だったからさ。いや、確かにあなたも任務を遂行してるだけってのは分かってたんだけど、どうもいけ好かないって印象が拭えなくて……。アイリーンと噂になるからには、そういうこと抜きで一度会って、ちゃんと話がしたいって思っててね」
「噂って……たいしたことはしていないつもりですが。ただ、家族ぐるみで何度か会うことがあって」
「またまたー。あたし知ってるんだから。二人の出会いは舞踏会で、花祭りを楽しんだり、王宮での舞踏会でダンスを踊ったこととかもさ」
「彼女が話したんですか?」
オズウェルは訝しげな顔で尋ねた。
自分とのことを、アイリーンが周りに話す姿など想像つかなかった。むしろ、恥ずかしいこととしてひた隠しにしそうものだが。
オズウェルのそんな疑問を容易に見抜き、アマリスは再び豪快に笑った。
「ああ、違う違う。あの子はなんにも話してくれないよ。あたしが知ってることは全部、周りから聞いた情報ばかりだから」
「……そんなに噂になっているんですか?」
オズウェルはげっそりとした顔で再び尋ねる。当人達を置き去りに、噂だけが一人歩きするのは、あまり気分が良くなかった。何より、彼女とその弟が一番苦労するだろうに。
「うーん、そんなに酷くもないけどね。あたし、こう見えても結構な情報通だから、色々とその筋の伝手はもってんのさね」
アマリスは怪しく笑った。
なんとなくではあるが、彼女を敵に回すのは賢明ではないとオズウェルは悟った。
「それを聞いて安心しました。あなたは、彼女とは友人なんですか?」
「え? まあ……友達って言ったら友達だけど。でもあたし、アイリーンがこーんなにちっちゃい時から見守ってきたから、あたし的にはあの子達の親代わ――いや、お姉さん! お姉さんのつもり!」
慌ててアマリスは言い直した。自分が自分で親代わりと宣言してどうする、と。あたしはまだそんな歳じゃない! と彼女は一人ブツブツ呟いた。
「そうそう、ごめんね、話が逸れちゃった。うん、だから結局あたしが知りたいのは、二人の真実?」
頬に手を当て、アマリスはわざとらしく小首を傾げた。
オズウェルもまた、アイリーン同様、自分のことは話さない質なので、突如自分の前に現れたこのお喋りな女性に、正直手を焼いていた。事実をありのままに話して、自分とアイリーンはそんな間柄ではないと説明したとして、オズウェルの中にある気持ちに、アマリスは気づくのではないか。そう思わずにはいられない。
「――ま、いっか。折角のお客さんに根掘り葉掘り聞いたら失礼だもんね。うん、もういいよ。ありがとう、スッキリした」
オズウェル自身は特に何も話していないのだが、アマリスは晴れやかな笑みで立ち上がった。
「それで何だっけ? 花を買いに来たの?」
「ああ、はい」
「どんなものをご所望? プレゼント用? 花束の方が良い?」
「花束を……小さめの」
オズウェルは俯いてそれだけ言った。アマリスににんまり笑われそうな、そんな予感がしたからである。
「ふーん……」
オズウェルの予感は当たった。アマリスは間延びした返事をしながら、品定めするような視線をオズウェルに向ける。
まさに、女の勘だった。
「ね、本当にアイリーンとは何ともないの? その花束も、もしかしてアイリーンに贈る……とかじゃなくって?」
「…………」
もともと歯切れの悪かったオズウェルは、とうとう黙り込んだ。
沈黙は肯定なり。
アマリスは嬉々とした声を上げた。
「えー! やっぱりそうなんだ!」
「…………」
「あたしさ、女の勘ってやつで、前々から思ってたの。アイリーンと噂の団長さんって、絶対何かあるって」
「…………」
「火のない所に煙は立たぬって言うじゃない? そもそも、あのアイリーンと噂になるくらいだから、よっぽど親しいんだろうとは思ってたけど。まさか……ねえ?」
むふふ、とアマリスの口角は上がっていく。穴があったら入りたいオズウェルである。沈黙は貫きながらも、顔を深く下げる。
「ね、アイリーンのどこを好きなの? いつから好きなの? まだ気持ちは伝えてないんだよね? 今日花束渡して伝えるつもりなの?」
「…………」
秘儀、黙秘!
オズウェルは沈黙を貫いたまま、遠慮なく店内をうろついた。花束のための花を物色するためだ。後ろからはアマリスの残念そうな声が聞こえる。
「えー、何にも答えてくれないの? せめて一つくらい教えて欲しかったのに……」
オズウェルがウロウロするのにあわせて、アマリスもまた彼の後についてくる。お喋りをするくらいなら、花に対する助言でもしてくれ、と言いたげな視線を彼女に送れば、これまたオズウェルの内心を悟ったのか、彼女は微笑んだ。
「あたしが見繕ってもいいけど、でもそれじゃあ団長さんにもアイリーンにも悪いからね。好きに選びなよ」
「……じゃあ、これとこれを」
店主である彼女にそう言われてしまえば、もうオズウェルはなすすべがない。店内をもう何周かした後、目星をつけておいた花をいくつか指さした。
「まいど!」
アマリスは元気よく叫び、花束を作るべくカウンターの中へ入っていった。包装するのには少々時間がかかるらしく、オズウェルはその後もチラチラと店内に視線を向けていた。
「こんな感じでどうかな?」
オズウェルは花のことはよく分からなかったが、一目見て、綺麗な花束だと思った。可憐で小ぶりな白い花と、それに囲まれた群青色の花々。ピクニックのことが脳裏に蘇った。彼女もまたそうだといいなと思いながら、オズウェルは代金を支払い、花束を受け取った。
「紙袋か何かもらえますか?」
「ん? 花束をその中に入れるの?」
「はい。持ち歩くには少し不便で」
「そのまま渡しちゃえば良いのにー」
アマリスは唇を尖らせながらも、紙袋を持ってきてくれた。オズウェルは有り難くそれを受け取り、花束を仕舞う。さすがの彼も、裸で花束を持ち歩きたくはないのだ。
オズウェルの後に続いて、アマリスは店先まで見送りに出て行った。
「いい人そうで良かった。頑張ってアイリーンを落とすんだよ」
そうして、お節介焼きな彼女は、満面の笑みで親指を立てる。
「アイリーンは本当にいい子だから。あたしが保証するよ」
「……はい、そうですね」
僅かに逡巡した後、オズウェルは小さな声で頷いた。からかわれることを承知の上で、である。が、彼のそんなちっぽけな勇気は、アマリスの持ち前の豪快さの前では気づかれることはなかった。
「今度また来なよ! サービスするから!」
「はい。今日はありがとうございました」
「あ、今の時間帯なら、アイリーン、仕事場にいるんじゃないかな。ドレッサムって言う洋裁店! その辺の人に聞けば分かるよ!」<
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オズウェルが軽く頭を下げると、アマリスは勢いよくぶんぶん手を振った。強烈な人だと思った。もし今回、こんな形で会うことがなければ、おそらく彼女は、明るく、人なつっこく、優しい人物なのだろう。が、今日この場でさんざん追求され、からかわれ、笑われた身としては、彼女のことがすっかり苦手になってしまった。