第六話 類は見合いを呼ぶ
153:小芝居
演劇は、文句なしに面白かった。
以前アイリーンがお世話になったモリス率いる劇団の演劇だったのだが、思わず引き込まれた。主演はサンディで、その他チラホラと知り合いもいたのだが、そのことをすっかり忘れてしまうほどの演技力。後半なんて、アイリーンはもはやハンカチ常備だった。あのファウストですら、嗚咽をあげていたくらいだから、よっぽどのものだ。
劇が終わり、舞台が幕を下ろすと、アイリーンとファウストは名残惜しい気持ちで劇場を出た。感動が尾を引き、二人真面目な顔で、先の劇についてああだこうだと討論を繰り返す。
「何よ! 最後くらいハッピーエンドを熱望したっていいでしょ!」
「あれはあの最後だったから良かったんだ! ご都合主義で幸せになられたってスッキリしないだろ」
「するわよ! スッキリしまくりよ!」
大の大人が劇場の前で言い合う姿。
二人は非常に目立っていた。彼らの共通の知り合いが側を通りかかったとき、思わず足を止めてしまうくらいには。
「お、前たちは……一体。珍しい組み合わせだな」
面食らった声にアイリーンたちが振り返れば、彼女たちの動きははたと止まった。咄嗟に引きつった笑みを浮かべる。
「オズウェルさん?」
「き、奇遇だな」
「そうだな」
オズウェルは、騎士団の制服を身に纏っていた。おそらく、街の巡回をしているところなのだろう。どうしてよりにもよって彼に見つかるのか。
アイリーンとファウストは、どちらからともなく視線を合わせた。
「今日は一体どうしたんだ?」
「…………」
「…………」
さて、どうしたものか。
アイリーンとファウストは、見つめ合ったまま沈黙した。おそらく、互いが今考えていることは、ほぼ一緒だろう。見合いをしているなどと、オズウェル(さん)には決して知られたくない! と。
内情はそれぞれである。アイリーンの方は、知り合いに見合いをしている場面を見られるなど、恥ずかしいことこの上ないし、ファウストに至っては、好敵手――一方的にファウストが敵視しているだけだが――に弱みを見られるなど、あってはならないことだと。
そういった各々の事情により、とにかくオズウェルには、見合いをしているなどと知られたくないのだ。一瞬にして、それらのことを知らず知らず意思疎通したアイリーンたちは、すぐさま顔に笑顔を貼り付けた。
「ぐ、偶然そこで会ったのよねー?」
「そ、そうそう! ほんっと偶然に!」
しかしこの大根役者たち、自分が思っている以上に大根役者である。視線はその辺りを泳ぎまくり、手足はソワソワ、おまけに台詞は棒読み。
当然、オズウェルの視線も疑い深いものになる。今まさに劇場から一緒に出てきたのを見たばかりなのに、何が偶然なのか。
「――芝居、見に行ったのか?」
「――っ!」
対して二人は、まさか劇場から出てきたところを見られていたとはつゆ知らず、至極慌てた。――とはいえ、実際は、彼らの言い合う声がうるさすぎて、嫌でも会話がオズウェルの耳に飛び込んできただけなのだが。
「え、えっと、偶然チケットが一枚余ってたから……」
「そうそう! 俺も暇だったし、仕方なく一緒に……な?」
「……そうか」
あまりにも怪しすぎるこの二人。
だが、不思議なことに、オズウェルはそれ以上深入りしようとしなかった。いつもならば嫌と言うほど真実を追求しそうなものだが、今日の彼は、どこかおかしい。
「……気をつけて帰れよ」
「えっ? ええ」
どことなく落ち込んだ様子でオズウェルは去って行った。
アイリーン達は拍子抜けである。
「やり、過ごせた……?」
全くもってやり過ごせていない。だが、そのことに気づかないのは当人たちだけである。
「ああ……ここらで解散するか」
ファウストもなんだか疲れたような顔である。
「もう十分でしょうね」
「使命は果たしただろうな」
アイリーンとファウストは満足そうに頷き合うと、互いに向き直った。
「じゃあな」
「ええ。今日はありがとう」
そして、いやにあっさりした形で、二人は別れた。もしもステファンがこの様を見ていれば、全くもってお見合いさせた意義がない! と烈火のごとく怒り出すだろうが、幸か不幸か、ここに彼はいなかった。
アイリーンが疲れたような顔で家に帰ると、すぐさまステファンが迎えに出た。
「――で、どうだったんですか?」
開口一番、そんなことを言うステファンに、アイリーンは笑みを返す。
「ああ、すごく楽しかったわ」
「そう、なんですか?」
やけに嬉しそうな姉に、これは案外うまくいったのか……? とステファンが期待に胸を膨らませる中、アイリーンは爆弾発言をかます。
「思わず泣いちゃったもの、あのお芝居。主役がサンディっていう知り合いの子なんだけどね、また演技がものすごく上手いのよ! 母との別れのシーンなんか、思わず涙ぐんじゃって」
「…………」
ステファンは急に押し黙った。どうかしたのかしら、とアイリーンが彼の顔をのぞき込めば、彼は丁度怒りで震えている真っ最中だった。
「誰が」
「……?」
「誰が芝居についての感想を聞いてるんですか」
「え」
「――今日のお見合いは! どうだったかって聞いてるんです! それがなんですか、芝居のことばっかりペラペラペラペラと! まさか今日の目的を忘れてるわけじゃないでしょうね!」
「わ、忘れてないわよ……。ちょっとお土産話を聞かせようと思っただけじゃない」
「言い訳だけは立派ですね。僕は見合いの方をお土産話としてたんまり聞かせてもらいたいものです」
鼻息荒く、ステファンはそっぽを向いた。ご機嫌伺いにアイリーンがお茶を入れれば、彼は少し溜飲を下げた。
「で、どうでしたか。ファウストさんは」
「ええ……。相変わらず喧嘩腰ではあったわね。今日も失礼なことをたくさん言われたし」
「そういうことを聞いてるんじゃありません。結婚相手としてどうかと聞いてるんです」
「け、結婚相手……」
勢い込んで聞いてくる弟に、アイリーンはたじたじになった。
「私はこんな性格だし、向こうから断ってくる可能性もあるじゃない? 私がどうこう言って、どうなる問題でも――」
「では、姉上としては、ファウストさんは許容範囲だと?」
「どうしてそうなるのよ……」
アイリーンが思わず頭に手をやると、ステファンは目つきを鋭くした。
「真面目に聞いてください。あなたの結婚相手のために、僕はこんなに奮闘してるんですよ?」
「分かってる、分かってるわよ」
重いため息をつき、アイリーンは両手に顔を埋める。
ステファンの気持ちは分らないではない。だが、それ以上に自分の気持ちが追いつかないのだ。今まで恋だの結婚だの、そんなものとはてんで離れた場所にいたので、いざそういう類いのものを考える機会を与えられても、うまく心の整理ができないのだ。
「でも、あの人と恋人のような雰囲気になれるとは到底思えないわ。だって、会えばいつも嫌味の応酬だもの。そんな人と結婚ですって? 無理よ無理」
「でも、喧嘩するほど仲がいいとも言うでしょう。案外、姉上には自然体でいれる相手の方が合っているのかも知れません」
「それにしたってあの人はないでしょう」
潔癖だし偉そうだし小うるさいし、とアイリーンはファウストの問題点を挙げ連ねる。あなたも問題点は多いのですが、とステファンは遠い目になったが、それを口に出すことはなかった。
「あっ、そうだステファン。お見合いするにしても、場所を考えてくれない?」
「どうしてですか?」
「知り合いに会ったら気まずいじゃない」
アイリーンは苦虫を噛みつぶしたような顔で言う。ステファンは一層首を傾げた。
「こんな街中で、そうそう知り合いに出会うことなんて滅多にないでしょう」
「それがあったのよ!」
アイリーンは勢い込んで言った。
「劇場から出た途端、オズウェルさんにばったり会ったのよ! もう気まずいったらないわ。お見合いしてる、なんて恥ずかしくて口にできたものじゃないし」
ステファンは困惑したように口をつぐみ、そしてアイリーンに詰め寄った。
「……オズウェルさんと会ったんですか?」
「ええ!」
「なんて言ってました?」
「……? 別に何も」
「そう、ですか……」
一瞬落胆したような顔になったが、ステファンはすぐに気を取り直した。目下、目指すべきは目の前のことだと。
「とにかく、嫌な気はしなかったということでいいんですね? 次回もまた取り付けますよ」
「えっ、まだやるの?」
「当たり前でしょう。相手から断られない限り、このお見合いは続けますよ」
「そんなー……」
「だって、他に気になる人もいないんでしょう?」
「そうね……」
そもそも気になる人というのはどういう人なのか。
恋愛などしたことがなかったアイリーンは、まずそこからさっぱり分からなかった。