第六話 類は見合いを呼ぶ

152:気まずい知り合い


 アイリーンは、その日も朝から忙しなくバタバタしていた。ここ連日見合いばかりで、正直なところ、休む暇すらないのだが、ステファンの気苦労はきっとそれ以上だろうはずなので、愚痴を零せないのが辛いところだ。
 ドロシアの手製のドレスを身にまとい、メイクを施して、髪もいつもよりはきちんと結い上げ。
 ようやく支度が出来ると、アイリーンは疲れた顔で階下に降りた。例によって、ステファンは今か今かと待ちきれない様子で居間の中を歩き回っていた。

「準備は出来ましたか? すぐに家を出ましょう」
「はいはい」

 近頃、ステファンは、突然連絡もなく家に帰ってきたかと思えば、明日は見合いですから、と伝えてくることが多かった。見合い相手の名前はもちろんのこと、家柄や性格、噂に至るまで、ことこまかに説明する様は、見事としか言いようがない。正直なところ、本当に結婚するかどうかも分からないうちから、そこまで調べ尽くさなくともいいのではないか、と思わないでもなかったが、ステファンの性格上、生半可な調査では落ち着かないのだろう。
 彼の綿密な調査のおかげで、アイリーンはほとんど今まで変な男性と顔を合わせたことはない。皆、人柄が良さそうな人ばかりだ。――にもかかわらず、アイリーンとそりが合わない。
 とはいえ、こればかりは双方の性格の一致もあるだろうから、とアイリーンは楽観的だった。自分のために頑張ってくれる弟のために、早く良縁があればいいと思うものの、未だ少々人ごとのような感覚のあるアイリーンは、今日も今日とて、断られないよう、お淑やかに行こうということくらいしか頭にない。
 戸締まりをして、二人は揃って家を出た。最近お財布が寂しくなってきたので、馬車は無しだ。というより、いつもよりは近い場所で待ち合わせをしているらしく、もう馬車はいいでしょうとアイリーンが押し切った形だ。

「――で、今日のお見合いの相手は、一体誰なの?」

 アイリーンは何気なく尋ねた。いつもなら喜々として相手方の情報を並べ立てるのに、今日は何故だか、一言も漏らそうとしない。
 アイリーンの言葉に、彼女に背を向けていたステファンの肩が、ピクリと揺れた。

「……会えば分かりますよ」

 明らかな間と、意味ありげなその内容に、アイリーンは眉を顰めずにはいられなかった。

「どういうこと? まさか……知り合い、とかじゃないわよね?」
「どうでしょうね。さあ、早く行きましょう」
「嫌よ!」

 アイリーンは思わずその場で踏みとどまる。

「誰よ、変な人じゃないわよね!?」
「失礼な! 僕がそんな人との見合いの席を設けるとでも!? ……まあ、多少性格に難はありますが、いい人だとは思いますし、大丈夫ですよ」
「ますます怖いんだけど……。本当に大丈夫よね?」

 何度もそう確認するアイリーンだが、ステファンは適当なもので、ヘラへラッと笑って頷くばかりである。
 もう少しで待ち合わせ場所に到着というところで、ステファンはアイリーンに向き直った。

「では、この先は一人でお願いします」
「ステファンは来ないの?」

 アイリーンは意外そうに聞き返した。いつもは、お見合いの席には必ず顔を出していたものだ。
 ステファンは小さく肩をすくめた。

「この後はすぐに学校に行かないといけないんです。あんまり授業を休んでもいけませんから」
「あ、そ、そうよね……」

 もっともなことを言われ、アイリーンは恥ずかしくなった。自分のお見合いごときで、年若い弟の将来を奪うわけにはいかない。
 ステファンと別れた後、アイリーンは歩みを進めた。待ち合わせ場所はこの街一番の劇場近くの公園だ。話に困ったら、その劇場へ行けとわざわざチケットまでもらった。ステファンが言うには、今まで二人きりで話す時間が長すぎて、ボロが出ていたのだと。しばらく演劇を見て暇を潰せば、ボロも出ないのではないかというのが彼の了見である。――有り難いやら空しいやらで、その話を聞いたとき、アイリーンは恥ずかしくなった。
 待ち合わせ場所にはもう相手方は到着していたようで、木によりかかるようにして男性が立っていた。まだ時間も早く、小さな公園は閑散としていて、おそらく彼が見合い相手なのだろうと当たりをつけた。
 彼に近づくにつれ、アイリーンの顔は訝しげなものへと変化していく。
 どこかで見た顔のような、あれって、もしかして……。
 男性がアイリーンに気がついて顔を上げる。

「え……」
「な……?」

 アイリーンの足ははたと止まった。男性も驚愕の表情でアイリーンを見やる。

「も、もしかして、あなたもお見合い……?」

 アイリーンが震える手でその男性――ファウストを指させば、ファウストもまた、アイリーンに近づいてくる。

「あなたもって、お前――!」

 そうして何かに気づいたかのように、彼は両手で頭を抱えた。

「してやられた……」

 悲壮感すら漂う彼の姿に、おそらく自分も似たような表情をしているのだろうとアイリーンは容易に想像がついた。
 だから何度聞いてもステファンは相手について教えてくれなかったのか、と。きっと教えたら、知り合いは嫌だと駄々をこねるだろうから……。
 でもそれは仕方がないだろう! 何が悲しくて、今まで対立や嫌味の応酬を繰り広げてきた相手と見合いをしなければならないのか!

「私、弟がこのお見合いを用意したの。あなたは?」
「俺も弟だ……」

 渋々アイリーンが口を開けば、ファウストもまた苦々しく答える。揃った答えに、二人は一緒に項垂れた。

「ったく、どうしてこの歳になって、弟に見合いを強行されないといけないんだ」

 ファウストの呟きに、アイリーンも思わず同意しそうになった。が、ここで頷けば、自分も彼と同類になってしまうのではないかと思い、すんでの所でアイリーンは思いとどまった。自分は、弟に見合いの席を強行された可哀想な行き遅れではない。断じて違う。こうなったことは、自らの意志だったのだ、と。

「で、どうする」
「え?」

 唐突に聞かれ、アイリーンはぼんやり顔を上げる。真剣な表情をしたファウストと目が合った。

「俺たち、見合いなんて柄じゃないだろ。弟たちには適当に言って解散するか?」
「そ、そうね……」

 しばしアイリーンは悩んだ。折角ステファンが好意で設けてくれた見合いの席、独断でなかったことにしていいものか。
 そんな風に考えたとき、彼女は己のポケットの中の存在を思い出した。スカートに手を入れ、チケットを取り出す。

「そういえば、私、ステファンに演劇を見に行ってこいって言われたんだけど、あなたは?」
「言われてみれば、俺も……」

 ファウストもチケットを取り出した。見比べずとも、同じものだった。思わず二人は黙り込む。

「感想、聞かれるわよね?」
「行かなきゃ感づかれるだろうな。俺たちの弟、同級生らしいし、つじつまが合うか答え合わせされるかも」
「それにもったいないわ。これ一枚でいくらするのかしら」
「…………」

 そして同時に、二人は自身の弟にまで考えが及ぶ。
 アイリーンの脳裏に浮かび上がった、今朝の弟の言葉。

『僕の気持ちも少しは分かってくださいね? くれぐれも、会って早々別れるなんてことがないように』

 ファウストの脳裏に浮かび上がった、今朝の弟の言葉。

『いい加減兄さんも所帯を持ってほしいものですよ。くれぐれも、始めから無理だと帰ってくるなんてことがないようにしてほしいです』

 二人は互いに視線を合わせ、そして再びため息をついた。心境は、どちらも同じなようだ。

「……行くか」
「……そうね」

 なんとも悲壮な空気を漂わせながら、二人は渋々劇場へ向かった。せめて、せめて演劇を見るまでは、帰れない、と。
 しかし、劇場に到着して早々、二人はまた引き返すことになった。早くチケットを消費して家に帰りたいのはやまやまだったが、まだ劇場は開演の時刻ではなかったのだ。
 仕方なしに、二人は再び先の公園に戻り、ベンチに腰掛けた。流れる沈黙は、非常に居心地が悪い。おまけに公園には全く人がいないものだから、余計に今の状況が身に染みる。
 アイリーンは、仕方なしにファウストをちらっと見た。

「あなたも、最近お見合いはよくしてるの?」
「見合い? 最近はあんまりだな。前はよくしてたが、今はもう両親も諦めた節がある」
「……お互いいい年だものね」
「失敬な。俺はまだ大丈夫だ。お前の方が大変なんじゃないか?」

 女だし、という含みを感じ取って、アイリーンは思わず反発する。

「私は別にいいのよ! ……いえ、よくはないけど、でも家を継ぐわけでもないし、のんびり相手を探すわ」

 そう、ステファンは焦ってはいるが、アイリーンはそれほどでもないのだ。子供達が自立しようと家から出て、ようやく少し落ち着いた今。ゆっくり相手を吟味するのも悪くはないのだ。

「でも、騎士団の副隊長ともなれば、女性が喜んで寄ってくるんじゃないの?」
「昔はな」

 ベンチの背もたれに盛大に寄りかかり、ファウストは空を見上げる。その様が、なんだか達観しているように見えて、アイリーンはピンとくるものがあった。

「もしかして、あなたの本性を知って幻滅された?」
「本性ってなんだ」

 心外だ、といわんばかりの口調。アイリーンは一層笑みを深くする。

「潔癖だし、偉そうだし、口うるさそうだし。女性からしてみれば、結婚相手には望ましくないわよねえ」
「そういうお前はどうなんだ。嫌味は言うわ、偉そうだわ、貧乏だわ。散々じゃないか」
「ちょっ――貧乏を馬鹿にしたわね!? 好きで貧乏なわけじゃないのに! それに、貧乏なおかげでいろいろと得たものは多いのよ!」

 そこまで言って、二人は黙り込む。
 なんだか空しくなってきたのだ。何が悲しくて、互いの貶し合いをしなければならないのか。

「……行くか」
「……そうね」

 そろそろ劇場も開く頃だろうと、二人は重い腰を上げた。