第六話 類は見合いを呼ぶ
151:二人の弟
ステファンは、項垂れながら教師の前に立っていた。本来ならもうとっくに寮に帰っている時間のはずだが、担任である彼女に呼び出され、こうして教員室にやってきたのだ。
「これまであなたが成績を落とすことはほとんどなかったから、今まで目をつむっていたけれど、このままでは他の学生に示しがつきません」
「はい……」
近頃、ステファンは学校を休むことが多かった。というのも、姉であるアイリーンの見合いのため、毎日奔走しなければならなかったからだ。見合い相手を選別したり、見合いを提案したり、席を設けたり……。見合いの席で、何か姉がやらかすことがあれば、その後始末もステファンの仕事である。リーヴィス家当主兼、弟として、ステファンの気苦労はいつも絶えないのだ。あまりの忙しさに、時に学校を休むこともあった。もちろん、あまりそうならないように心がけてはいたが、日が経つごとに、焦りと共に見合いの回数も増えていくのだから、あまり効果はなかった。
「――他の教員からも、あなたの評価は高いと聞いています。それなのにどうしてそう何度も休むんですか。何か理由でもあるんですか?」
「えっと……家庭の都合、でしょうか」
姉の見合いのため、とは言いづらく、ステファンは視線を逸らした。この場で思い切り愚痴を吐きたいのはやまやまだが、それではまたどんな醜聞が蔓延るかも分からない。噂に尾ひれがつき、実の弟にまで大迷惑をかける姉――半分は真実だが――なんて噂が囁かれては堪ったものではない。これ以上見合い相手の幅を狭めてしまわないよう、ステファンはいつも神経をすり減らしていた。
「……分かりました。もうこれでこの話は終わりです。これからは、体調不良以外で授業を休むことは自粛するように」
「はい。ご迷惑とご心配をおかけしてすみませんでした。これからは気をつけます」
自分のためを思ってこうして苦言を口にしてくれていることは重々承知していたので、ステファンはしっかり頭を下げた。それを見た教員は、わずかながら眉間の皺をゆるめ、頷いた。
「もう行っていいですよ」
「はい。失礼しました」
もう一度深く頭を下げると、ステファンはきびすを返して出入り口に向かった。突き当たりまで来たところで、丁度ステファンと同じく出ようとしていたらしい少年とかち合った。微笑んで扉の方を示すと、相手の少年はぺこっと頭を下げてそのまま扉の前に立った。そして丁寧なことに、ステファンのために扉を支えて待っていてくれた。
「どうぞ」
「ありがとう」
和やかな気分で、ステファンは教員室を出た。少年の方も、後に続く。
「…………」
「…………」
教員室の前の、長い長い廊下は、ステファンとこの少年の二人だけである。二人は、なんとなく見つめ合った。そして同時に照れたような笑みを浮かべた。
「君も……呼び出された口、だよね?」
「うん、恥ずかしながら」
再び苦笑を浮かべると、二人は肩を並べて歩き出した。
静かな教員室では、誰かが発すると、よくその声が響いた。教員室内で声を発しているのは、怒られているステファンとこの少年、そしてそれぞれを叱っている教員二人のみだったので、互いの会話がよく耳に飛び込んできたのだ。
「家庭の都合で休んだって言ってたね。実は僕もそうなんだよ」
歩きながら、ポツリと少年――スコットが呟いた。
「不可抗力で仕方なく休んだのに、それが積もり積もって今日呼び出された。今までずっと優等生だったのに、初めて叱られたよ」
どことなく落ち込んだ様子のスコットに、ステファンも強く頷いた。
「本当に……。こんなことで呼び出されたのが情けなくてしようがないよ。いや、休んだのは僕が悪いんだけど、その内容が内容なだけに……」
深く言うことは躊躇われて、ステファンは言葉を濁した。だが、スコットの方には思うことがあったらしく、ステファンの言葉に食いついた。
「君もか! 僕も家庭の事情でってことであまり事細かには説明しなかったけど、実は母親から、兄弟に連絡がつかないって相談されてね。定期的に様子を見て、そして報告してくれないかって頼まれるんだよ。兄と弟、二人ずつにね。二人がそれぞれ母に手紙やらなんやら送ってくれればいいのに、忙しいんだか面倒なんだか、滅多に連絡しようとしないんだよ。だから僕に毎回白羽の矢が立つってわけ。本当、嫌になってくるよ」
鬱憤が溜まっていたのか、スコットは流ちょうに愚痴を口にした。ステファンの方も、同情と共に、他人事とは思えない境遇に共感を持って相づちを打った。
「兄と弟がいるの? 僕の方もそうだよ。上に姉が、下に弟が二人と、妹が一人。真ん中はいつも苦労させられるよね」
「本当だよ! 毎回毎回、いつも上や下がなにかやらかすんだ! そのくせ、貧乏くじを引くのはいつも真ん中だし」
「すごくよく分かる!」
スコットの言葉に、ステファンは息巻いて返事をした。
「こっちは姉と弟が二人とも問題児でね。いつも尻拭いをさせられるよ」
「うわー、とても他人事とは思えないな……。お互い大変だね」
「真ん中はいつも気苦労ばかりだよね」
ステファンとスコット、僅か十五の少年たちは達観していた。遠い目のままそれぞれ呟く。
「下はともかく、早く上は結婚してくれないかなって最近は思うんだ。兄の手綱を掴んでくれる人が現れれば、僕もこんなに苦労することはないのにって」
「君の所も結婚はまだなんだ? 僕の所も結婚はまだでね……。今日先生に呼び出されたのも、姉の見合いのために授業を休みすぎたせいなんだよ」
ステファンはついに姉の見合いにまで言及した。いつもは他人に愚痴をこぼすようなことは苦手としているステファンだが、今回ばかりは気負うことなく鬱憤を吐き出せた。自分と似た境遇のこの少年に、強い親近感を覚えたのだ。
「そうか……。お互い兄弟には苦労させられてるね」
「うん……」
哀愁に満ちた空気が流れる。互いが互いのことを同情していた。だが、あまりに暗い雰囲気になってきたため、気を取り直した少年は、明るい表情を浮かべた。
「見合いしてるって言ってたけど、君のお姉さん、おいくつなの?」
「今年で二十二だよ。世間では立派な嫁ぎ遅れっていう目で見られるから、なかなか縁談にこぎつけられなくて」
「僕の所はもう二十七だよ。確かに男は女性よりは多少結婚が遅れても大丈夫さ、でも一生結婚しないっていうのはさすがに外聞が悪いし。所帯を持っていい加減大人しくなってほしいもんだよ」
はあ、と二人は同時にため息をつく。
「僕の兄の手綱を握ってくれる女性がいればね」
「あの姉の噂をものともしない男性がいればね」
しばし、二人の視線が交じり合った。一瞬にも永遠にも思えるその時間。先に口を開いたのはスコットの方だった。
「君のお姉さん、どんな人なの? おしとやか?」
「いや、おしとやかには程遠いかな。少し気が強い所がある。――君のお兄さんはどんな仕事をしてるの?」
「気が強い……いいじゃないか! 多少元気な方が、見ていても小気味いいよ。兄は騎士団で副隊長をしてるよ」
「騎士団! 二十七で副隊長なんてすごいね! 将来有望じゃないか」
ステファンは瞳をキラキラさせてスコットを見やる。スコットもまた、鼻息荒くステファンを見返した。
「失礼だけど、君のお姉さん、散財とかする方? 僕の兄さん、潔癖気味で、しかも無駄な出費にはうるさいんだ」
「ああ、その点なら大丈夫さ! 姉はドけち――いや、節約がお手のものなんだ。君のお兄さんの方は、どんな性格なの? えっと……その、大人しかったりとか」
「ああ……いや、その逆だよ、残念ながら。気が強いというよりは、我が道を進むというか、自分のことしか考えてないというか、やたらプライドが高いというか」
「それなら良かった! ああ、いや、うん、変な意味じゃなくって、その、たとえ気が強い女性が伴侶になったとしても、屈しないというか……」
「うん、分かる分かる。僕の兄も性格がちょっとひねくれてるところがあるから、大人しい人が伴侶だと、言われるがままになっちゃう可能性も……」
目を合わせたまま、二人の少年は黙り込んだ。そして次に口を開いたとき、その声は見事に被った。
「ねえ」
二人の少年は確信した。相手も自分と同じことを考えている、と。
「お見合い、させてみようか」
そう切り出したステファンに、スコットも確かに頷いた。
「お願い、できるかな」
「こちらこそ」
二人の弟は、にっこり笑い合うと、固く手を握り合った。
その瞳は、キラキラキラキラと、今までにないくらい嬉しそうに輝いていた。まるで、これからの行く末が良い方向へ変わってことを暗示しているかのように。