第六話 類は見合いを呼ぶ

150:見合いの日


 その日は、朝からバタバタしていた。朝早くステファンが厳しい顔つきでやって来て、アイリーンを急かすのだ。もちろん、彼女も彼が来るずっと前から準備はしていたものの、やはり女性の身支度には時間がかかるもの。
 ステファンが優雅に紅茶を飲んでいる居間に、アイリーンは慌てたように駆けこんだ。肩で息をしながら、ステファンと目が合うと、引きつった愛想笑いを浮かべてみる。

「お、終わったわ」
「ようやく、ですか」

 やれやれとでも言いたげなステファンに、アイリーンは唇を尖らせた。

「仕方ないじゃない、普段はここまで丁寧に身支度をしないんだから」
「いい加減慣れてくださいよ、何度目ですか」
「あーもう、時間がないんじゃないの? 早く行きましょうよ」
「……はい。馬車はもう外に呼んでますから」
「また馬車を呼んだの? もったいない」

 アイリーンは歓喜の表情を浮かべるどころか、思いっきり顔をしかめて見せた。街中へ行くだけなのに、どうしてわざわざ馬車に乗らなくてはいけないのか。

「一介の令嬢たるもの、そうそう外を歩いたりなんかしませんよ。お見合い相手に、なんてじゃじゃ馬なんだと思われてしまうでしょう」
「じゃじゃ馬って……」

 アイリーンは眉間に皺を寄せて黙り込んだ。外を歩くだけで、どうしてここまで言われなくてはならないのか。確かに、令嬢としてはあってはならないことなのかもしれないが、普通の町娘なら当然のことだろう。幸か不幸か、アイリーンは一応令嬢の立場なのだが。

「それに、その靴じゃ長いこと外を歩けませんよ。店に着く前に根を上げられてしまっては困りますから」
「はいはい」

 もう反論するのも面倒で、アイリーンは適当に相槌を打っておいた。今日のステファンには逆らわない方が良いと、本能が告げていたのだ。
 その後、すぐに家を出て、アイリーンたちは馬車に乗り込んだ。アイリーンはいつもの継ぎはぎドレス、擦り切れた靴ではなく、きちんとしたドレスにハイヒールだ。ステファンの方も、正装を纏っている。

「いいですか、姉上」

 正面の弟が、やけに畏まった表情で姉を見る。アイリーンはうっと僅かに口元を引き攣らせた。

「今日も待ちに待ったお見合いの日です。くれぐれも粗相はないように」
「はあ……」
「そもそも、お見合いはこれで何度目になるんでしょうね。今までに何度失敗したことやら。いや、確かに相手方の性格がよくなかったということもあったことは否めません。しかしそれ以上に、相手方が怯えるようにしてお断りを入れてきた数も、負けず劣らずあったことをお忘れなきよう」

 前方から、ぷっと噴き出すような声が聞こえてきた。おそらく、御者のものだ。会話が聞こえていたのだろうとアイリーンは一層顔を俯けた。

「相手方も多少は姉上の噂話や事情を耳にしているでしょう。ですから、何も清純な振りをしろとは言いません。でも愛想くらいは振りまいてくださいね? 気を抜くとあなたは嫌味を言ったり仏頂面になったりの連続なんですから」
「そ、そんなことないわよ……」

 否定してみるが、そんな彼女の声は小さい。嫌味を言った……記憶はないのだが、無意識のうちに口にしている可能性は大だった。
 その後も、ステファンの小言は流れるように続いた。後半にかかると、御者が笑い過ぎて呼吸困難になりかかっていたが、その寸前で、何とか馬車は目的地に着いた。行きと同じように、御者がわざわざ扉を開けてくれたが、アイリーンは彼の顔を見ることができなかった。ステファンは、そんな彼女の複雑な機微をちっとも分かっていない様子だった。全く、妙なところで鈍感な弟である。

「ここ……高いんじゃない? 私、そんなにお金持って来てないわよ」

 アイリーンはげそっとした顔で、目の前のお店を眺めた。
 シャルルの洋菓子店系列のお店で、いかにも若い女性が好みそうな場所だ。だからこそ、値段設定も高いに決まっている。

「大丈夫ですって。こういう場所は相手方が払ってくれますから。姉上はただニコニコしていればいいんです」
「ニコニコ……ねえ」

 うんざりしたような顔で呟く姉を置いて、ステファンはさっさと店の中へ入って行った。アイリーンもその後に続く。

「まだ来てないようですね」

 隣り合わせでテーブルにつき、相手方を待つ。その間すら、ステファンの小言は止むことはなかった。

「僕は少したら帰りますからね。相手方の顔は、まだ拝見したことが無いので、話をして帰ります。くれぐれも、僕が帰った後も気を抜かないようにお願いしますよ」
「はいはい。もう手慣れたものよ」

 悲しいかな、アイリーンはここ数か月で、それなりの数の見合いを経験していた。次第に愛想よく笑うのに慣れてきた。

「何か勘違いしておられるようですが」

 ステファンはコホンと咳ばらいをした。

「愛想よくするのが目的ではありませんからね? 健全なお付き合いから始まって、最終目標は結婚ですからね?」
「はいはい、分かってますって……」

 アイリーンは遠い目になる。何が嬉しくて、実の弟から結婚結婚と催促されなければならないのか。全く、姉としての威厳が台無しである。
 カランカランと涼やかな音が響き、アイリーンとステファンは揃ってそちらに視線を向けた。丁度お見合い相手がやってきたところのようで、ステファンがサッと立ち上がった。

「こちらです」
「ああ、申し訳ない。遅れてしまいましたか」
「いえ、僕たちが早く来すぎただけなので、どうかお気になさらず」

 男性が腰を下ろしたところで、ステファンは咳払いをして互いの紹介をした。その間、アイリーンは心持ちお淑やかに見えるように、常に微笑みを浮かべたままだ。頬が引きつってきた頃、紹介を終えたステファンは、いそいそと立ち上がった。

「では、僕はこの辺りで失礼します」
「ああ、ありがとう」

 今回の見合い相手――アルダスに笑みを浮かべると、コッドステファンはもの言いたげにアイリーンを一瞥した。おそらく、ちゃんとやれと言いたいのだろう。アイリーンはにこやかな笑みを帰した。
 ようやく小うるさい弟が消えたところで、アイリーンはお茶を口にする。そうしてコトリとカップを置いたところで、アルダスと目が合った。

「よくできた弟さんですね」
「ええ、自慢の弟です」

 アイリーンの瞳がキラリと光る。小姑のように彼は口うるさいが、優秀なことは確かだった。

「国立学校に通っているんです。しかも奨学生なんです」

 彼女の口調が自慢げなものになってしまうのも、仕方がないだろう。

「それは結構なことです。リーヴィス嬢も鼻が高いでしょう」
「もちろんですわ」
「おまけに、聞くところによれば、孤児院の経営までしてらっしゃるんでしょう? 全く感服しますよ」
「孤児院?」

 思ってもない言葉に、アイリーンは唖然と聞き返した。

「あの、何か勘違いしてらっしゃるようですが、私は孤児院の経営はしていません」
「そうなんですか?」

 アイリーン以上に、アルダスはきょとんとした。

「リーヴィス嬢は孤児達を可愛がっているとお聞きしたのですが」
「ああ……」

 途端にアイリーンは言葉を濁らせた。てっきり、己の噂について、彼は全部承知の上できていると思ったのだが、とんだ勘違いだったようだ。
 言いづらそうに、アイリーンは言葉を紡ぐ。

「当時行き場のなかった子供たちを、家で預かっていたんです。その子たちも、今は大きくなって、私達の元を旅立ちましたが」
「――家で孤児を育てていたんですか?」
「ええ」

 アルダスは視線を泳がせた。思いも寄らない事実だったのだろう。アイリーンにしてみれば、何をそんなに動揺することがあるのか聞きたいくらいだが。

「お気を悪くされないと良いのですが」

 アルダスはそう前置きした。

「もし私とあなたが結婚したとして、その孤児達を家に引き入れるおつもりですか? これからもずっとその孤児達と関わりを持つと?」
「――私は彼らのことを本当の弟、妹のように思っています。引き入れるなんて、嫌な言い方はなさらないでください。それに、子供達は皆自分の力で生きていこうと必死になって頑張っているところです。その応援はしたいと思っていますが、あなたはそれすらもさせてくれないのですか?」
「そういうつもりではありませんが……しかし、あまり孤児と懇意にしていると、周りが何と言うか」

 控えめにアルダスは言う。しかしそれでもアイリーンは我慢がならない。瞳に失望を映して、ポツリと呟く。

「では、私が過去少しだけ孤児院にいたということをお知りになれば、体裁が悪いとさぞお責めになるんでしょうね」
「――っ」

 アイリーンの言葉に、アルダスはとうとう顔色を失った。どういうことかと聞き返しもせず、ただ黙っておろおろする。
 アイリーンは嘆息した。
 今回も駄目だったか、と。

「あなたと私は合わないようで。これで失礼します」

 静かにそう言うと、アイリーンはテーブルにお金を置いた。きっちり自分が頼んだ分だけだ。この男性に奢られるのも、自分が必要以上にお金を払うのも嫌だった。

「さようなら」

 それだけ言って、アイリーンはさっさと店を出る。
 大通りを歩き出したところで、多大な疲労感が襲ってきて、アイリーンは再びため息をつく。

「あーあ、足が痛ーい……」

 足も痛いし、コルセットもきついし、気分も悪いしで、もう最悪だった。
 久しぶりにエミリアのおいしい手料理が食べたいとふと思ったが、家にはもう誰もいない。
 仕方なしに自炊するしかないかと、アイリーンはその足で市場へ向かった。