第五話 針子にも衣装
149:舞踏会の終わり
舞踏会が終わると、アイリーンとオズウェルは王宮の庭に降り、デニスが手配してくれた馬車を待った。夜になるとさすがに少し冷えてくるので、有り難いことだった。しかし、他の招待客も列をなしていて、この状態だと、後しばらくは待つことになるだろう。
王宮から漏れる明かりはあるが、それでも夜の闇は、他人の視線から逃れることができるので、アイリーンとしては嬉しいことだった。
――が、この暗さの中でも、アイリーンを見極められることのできる者はいるようで。いや、むしろ、執着していると言っても過言ではないか。
「まあまあ、貧乏人は悲しいわね、まだ馬車が来ないのかしら」
こんな物言いをするのは一人しかいない。
アイリーンはげんなりした顔で振り返った。
「ジュリアンナ様……」
「ごきげんよう。まあ、なんだか顔色が悪いわね? もしかして、舞踏会で自身のドレスの程度に打ちのめされてしまったのかしら」
ふふんと優雅に扇子を構えるジュリアンナはそれはそれは嬉しそうだ。
彼女は眼を細めると、アイリーンの隣に立つオズウェルに、ようやく気づいた。
「あら、そちらの殿方は? ……まあ、悪くはないけれど、私のお気に入り達とは比べものにならないわね。見てご覧なさい、素敵な人たちでしょう」
ジュリアンナの声に従って、サッと付き従っていた男達が前に出てくる。身長は高く、見目はいいが、皆ひょろっとした優男ばかりだった。やけに自慢げだが、アイリーンとオズウェルは冷めた目で眺めていた。もとより、こんなところで言い争いをするつもりなどない。
「そういえば、忘れたつもりではないわよね? この舞踏会の目的。そちらはどうだったのかしら?」
ジュリアンナにそう言われ、アイリーンははたと思い至った。
そういえば、この舞踏会には目的があったと。ただ周囲の者たちに好奇の目で見られるためにわざわざ赴いたわけではないのだ。
「ま、聞くだけ無駄かしらね。何も言わないところを見れば」
そのまま立ち去ろうとしたジュリアンナだったが、しかし、何かを思い出したかのように、ふと立ち止まり、またアイリーンの元へ戻ってきた。扇子で口元を隠し、まるで世間話をするかのように、アイリーンに囁いた。
「そういえば、ちょっと聞きたいのだけど、あなた、途中で殿下と何を話していたの? その後コーネリア様の元にも行っていたわよね? 知り合いなの?」
「ええ、まあ、カイン殿下とは弟が仲良くさせて頂いて。その縁もあって、コーネリア様にご紹介頂いていたんです。その後――コーネリア様が、ぜひドレスを私たちの店ドレッサムに頼みたいと」
何気なく答えていたアイリーンだったが、次第にジュリアンナに一矢報いるべき手がこちらにもあることを思い出し、素知らぬ顔で最後の一文を強調した。思惑通り、ジュリアンナは蒼白な顔で後ずさる。
「あのドレッサムが、王室御用達になったと言うの……!? そ、そんなことって……」
ジュリアンナは額に手を当て、フラッと足下をふらつかせた。慌てて取り巻きの男性達が、彼女を一斉に抱える。
「そんな……どうして天下のシャルルには頼まなくて、よりによってドレッサム!? ああ、お父様に何て言えば……」
「ジュリアンナ様!」
「ジュリアンナ様を早く馬車へ!」
「退け、退け!」
なんとも騒がしい声を響かせて、ジュリアンナは優男数人がかりで抱えられていった。
たいしたことはしていないが、とんでもない疲労感を感じたので、その後、馬車が来るまで、アイリーンはオズウェルは黙ったままだった。
正装を着替えるため、アイリーン達を乗せた馬車はドレッサムに到着した。馬車の音を聞きつけてか、いつもならば悠々と安楽椅子に腰掛け、お帰りも言わないドロシアが、いそいそと扉を開けて出迎えた。
「どうだった、アイリーン!」
開口一番に放った言葉がこれである。
アイリーンはシラッとした顔で彼女の横を通り過ぎた。
「疲れました。一旦着替えてもいいですか?」
「焦らすんじゃない! どうだった、勝負は!」
アイリーンの肩をガシッと掴み、自分の元へ引き寄せるドロシア。アイリーンはため息をついた。
「勝敗は分かりません。私たちは、側妃のコーネリア様からドレスの注文を受けることはできましたが、その他はからっきし。対するジュリアンナ様は、複数の貴族達から注文を受けているようでした」
「側、妃……」
ドロシアの目が点になる。その隙をついてアイリーンは更衣室に駆け込もうとしたが、またもドロシアに肩を掴まれる。
「でかした、アイリーン!!」
「ちょっ……」
「お主ならやってくれると信じておったぞ! なんと、王室御用達になったというのか! ドレッサムも出世したもんだ! いや、あたしの腕があるんだから、これくらい当然とも言えるが!」
「でも、ただの社交辞令かもしれませんし」
「そんなことあるものか!」
おずおずと付け足したアイリーンを、ドロシアは笑って一掃した。
「王室御用達……。ああ、本当に夢のようだね! よくやったよ、アイリーン! ……ああ、確か着替えるんだったね。ちょっと待っとくれ。すぐに準備をしよう」
なんだかやけに優しいドロシア。いつもならば自分で着替えろと言い捨てそうなものだか、今日ばかりはアイリーンをねぎらうつもりなのか、彼女も一緒に更衣室に入ってきた。アイリーンの背中のボタンを開けたり、コルセットを外すのを手伝ったりと、献身的である。が、その途中途中、堪えきれない笑い声が漏れており、アイリーンは気味が悪くて仕方がなかった。
が、彼女の気持ちも分かった。普段は適当な彼女が、今回の舞踏会のために、日夜徹夜して頑張っていたのだから。
「私……ちょっとドロシアさんのことを見直しました」
ポツリとアイリーンは呟いた。
「ジュリアンナ様に言っていたこと――流行を自ら生み出すって。こういうことだったんですよね? 顧客に迎合せず、自分が良いと思うものを作り出す――」
「何を言っとるんじゃ、お前さんは」
怪訝そうな顔でドロシアは聞き返した。アイリーンは彼女以上にきょとんとする。
「客に迎合? 何のことじゃ?」
「え? ですから、お客様の意見を聞いたドレスばかり作るのではなく、自ら生み出した新しいデザインを――」
「アイリーン。流行を生み出すとはな、要するにごり押しのことじゃ」
「ごり……押し」
理解が追いつかない。ぽかんと口を開けながら、アイリーンは復唱した。ドロシアはそれはそれは得意げになって語り始める。
「その年安く手に入った素材で作れるデザイン、もしくは、例年よりも高値になった素材を使わないデザインで作ったドレスをごり押し。消費者なんて純粋で単純なものさ。お前さんにはこれが似合うだの、今はこれが流行だの囁いてやれば、嬉しそうにそれを買う。これの繰り返しで、流行の出来上がりよ」
「…………」
「お前さんも一つ学んだの」
ニカッと非常に嬉しそうに笑うドロシア。アイリーンは、もはや愛想笑いを浮かべるほかなかった。
あんなに偉そうにのたまっていた『流行』のからくりの実態が、実はただのごり押しだったと言うの……?
もう、この店主に期待はしない。
アイリーンがそう心から誓った瞬間だった。
アイリーンが着替えた後、オズウェルもすぐに着替え始めた。彼を待つ間、アイリーンはデニスの入れてくれた温かいお茶で身体を温める。
ドロシアは、分厚い本と睨めっこをしながら、コーネリアのためのドレス考案に大忙しである。またしばらくはドレッサムも忙しくなりそうだな、とアイリーンは嘆息した。
「待たせたな」
「いいえ。じゃあ行きましょうか」
オズウェルが更衣室から出てきたのを見て、アイリーンは立ち上がった。
「今日は本当にお疲れ様でした」
「いえ、こちらこそ。遅くまで待たせてしまってごめんなさい」
「そんなことは。アイリーンさん達のおかげで、おばーちゃん、とっても嬉しそうですから」
デニスはニコニコとドロシアを振り返る。
「おばーちゃん、アイリーンさん達が帰るって」
「ああ、はいはい。お疲れー」
つい先ほどの献身っぷりはどこへやら、さっさと帰れといわんばかりにドロシアは手をヒラヒラと振った。呆れるのももはや面倒で、アイリーンとオズウェルはデニスに挨拶をして、ドレッサムを後にする。
こうして、長い長い舞踏会での一日が幕を下ろしたのであった。