第五話 針子にも衣装
148:有り難い話
「――詳しく話を伺いたいものですね」
口元に微笑を浮かべ、そう尋ねるウェイン。
アイリーンは、思わず変な顔になってしまった。だが、更に続けざま、彼は放り込んでくる。
「一体どんな魅力的な男性なんでしょう?」
「は、はい……?」
アイリーンは、いよいよ不審な者を見る目つきになってしまうのを抑えることができなかった。初対面にもかかわらず、なぜこの人はこうもぐいぐいと聞いてくるのか、と。
そもそも、アイリーンは彼の名前を知らなかった。自己紹介をしていないのだから仕方がない。アイリーンが自分から名を述べることも考えたが、向こうが名乗らないのだから、こちらから名乗る義理はないと考え直した。それに、何故だか向こうはアイリーンのことをよく知っているようなのだ。それなら、なおさらアイリーンも意地になって自己紹介はしなかった。そのせいで、なんとなくぎこちなかった会話の数々。
だが、エミリアの登場によって、何故だか緊張がほぐれたらしい目の前の男性は、一層頬を緩ませて距離感を縮めてくるばかりだ。
「あなたたちがどこで知り合ったのかも伺いたいですね。どうやって知り合ったんですか?」
「直接オズウェル様に尋ねられたらいかがですか」
「僕たちは顔見知り程度ですから。聞いたって話してくれるかどうか」
「…………」
顔見知りのオズウェルですら教えてくれないのに、全くの初対面のアイリーンがどうして教えてくれると思ったのか。
もっともな正論にアイリーンはたどり着いたが、しかしそれを口にすることができない。目の前の男性には、この正論を突きつけても、ものともしないような予感がしたのだ。
アイリーンは、無意識のうちに扇子を取り出すと、黙って顔の前に掲げた。腕を組むわけにもいかないので、淑女の精一杯の防衛線だ。
「……初めて会ったのは、昨年の舞踏会でした」
「紹介で知り合ったんですか? それとも話しかけられて?」
「私が庭に出ていたとき……少し、話しかけられて。そこで知り合ったんです」
アイリーンは苦々しい顔つきで述べた。誰が、真実をありのままに伝えることができるだろうか。庭で靴を履き替えていたところ、それを見咎めたオズウェルに詰問され、口論になったと。
だが、うまい具合にはぐらかしたアイリーンの説明では納得がいかなかったらしく、ウェインは困惑したような顔になった。
「えっと……オズウェルの方が話しかけたんですか? 意外ですね。女性にあまり興味がないのかと思っていたもので。なんて話しかけられたんですか?」
「それは……」
アイリーンの視線は泳ぐ。どういったものか考えあぐねた結果、だんだん面倒くさくなった彼女は、キッとウェインを睨み付けた。
「男女のそういった複雑な事情には、あまり首を突っ込むものではないと思いますが」
「――それはそうですね。これは失礼しました」
ウェインは、困ったように笑うと、小さく頭を下げた。
てっきり、いつものように気を悪くされるに決まっていると思ったアイリーンは、少々肩すかしを食らった気分だった。困惑し、わざとらしく空咳をする。
「いえ、分かっていただければ。あまりこういう話題は得意ではなくて」
「いえいえ、こちらこそ。僕の方が不躾でしたね」
堅苦しくはない調子で、ウェインは再度謝罪を口にした。彼の素直な態度に、アイリーンも少しだけ笑みを浮かべる。
「では、代わりに踊っていただけませんか」
軽くはにかみながら、ウェインは右手を差し出した。
「僕も連れが待っているので、そろそろ戻らないといけないのですが。最後にあなたと踊りたくて」
「ええ、もちろんです」
アイリーンも同じく笑みを返すと、ウェインの手を取った。二人揃って部屋を出て、会場の中央付近まで近づいていく。
――ステファンやオズウェルとはまた違った、穏やかなダンスだった。途中、あまり話すことはなかったが、沈黙が居心地悪いというわけではない。彼には失礼かもしれないが――あまり異性を感じさせる人ではなかったのだ。
兄がいたらこんな感じなのかもとアイリーンがそう考えたとき、ダンスが終わった。
「楽しい時間をありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ」
微笑み、軽く頭を下げると、二人はそつなく別れた。
そうして再び一人っきりになったアイリーンではあるが、その頃になると、もう彼女へ向けられる視線など数少ない。
各々ダンスや世間話に夢中のようだ。
オズウェルはどこだと視線を巡らせても、この人ゴミの中だ、彼の姿は全く見当たらない。
こうなったら、やはり一人で舞踏会を楽しむしかないかとアイリーンもなかなか図太い。再び軽食をお腹に納めに行こうかと考え始めていたとき、ふとある者と目が合った。彼は、名のある貴族と話をしていたようだが、その男性に断りを入れると、すぐにアイリーンの方にやってきた。
まさか……こんな場所で挨拶をするつもり?
思わずアイリーンは顔を引きつらせるが、彼はそのつもりだったらしい。
アイリーンの前で立ち止まる彼――第一王子カイン。
「カイン殿下」
慌ててアイリーンは腰を落とした。カインは、そんな彼女を一笑する。
「久しぶりだな。そうしてちゃんとした装いをしていると、いっぱしの令嬢なんだと改めて感じる」
「なんていう言い草でしょうか……」
あんまりな物言いに、アイリーンは睨み付けたくて仕方がなかったが、まさかこの場でそんなことできるわけがない。頬を引きつらせるだけに留めておいた。
「先ほどの男性、もしかして口説かれていたのか? 随分長い間話し込んでいたようだったが」
アイリーンはしばしの間首を傾げる。
口説かれていたわけではない、もちろん。
しかし、何を話していたかと聞かれれば、何故だか、自分とパートナーであるオズウェルとのことを、根掘り葉掘り聞かれそうになった……というか。
自分で考えておいて、意味が分からなかったので、アイリーンは結局曖昧に笑うだけに留めておいた。エミリアだけならまだしも、カインにまでいろいろ誤解されたくはないと考えた結果である。
「今、暇か?」
「見ての通りです」
念のため尋ねるカインに、アイリーンは肩をすくめて両手を広げる。――可憐な令嬢の周りには次々とダンスを申し込む男性が列をなしているというのに、自分ときたら。
なんとなくその様が哀愁漂っているように見えて、カインは深く聞き返さなかった。代わりに。
「母上に紹介したいんだが、大丈夫か?」
「――カイン殿下?」
アイリーンは至極真面目な顔で咳払いをする。
「私とカイン殿下では、あまりに年の差がありすぎるのでは? お気持ちは有り難いのですが、身分の差というのも――」
「冗談を言うな! 色々世話になったからと紹介したいだけだ!」
途端に顔を真っ赤にして怒るカイン。
アイリーンは唇を尖らせた。
「わ、分かってますよ……。そんなに怒鳴らなくても」
ちょっとからかってみただけなのに、とアイリーンは肩をすくめる。
「でも、私などがお目通りしてもよろしいのですか? 何か粗相をしてしまわないか不安で」
「安心しろ。母上はそこまで礼儀に厳しい人ではない。元は平民だからな。むしろ、リーヴィス嬢のような人が話し相手になってくれれば、僕も嬉しい」
「そこまでおっしゃって頂けるのなら、ご紹介頂いてもよろしいでしょうか」
「頼む」
アイリーンは、カインの半歩ほど後ろを歩きながら、会場の一段高くなっている場所へと向かう。
一度、舞踏会が始まる前に王族には挨拶をしていたのだが、御前のために、直接カインに声をかけることができず、少々ふがいない思いをしていたので、かえって彼から声をかけてもらえて、アイリーンは嬉しかった。もちろん、衆目の場であるということも含めて、カインに声をかけられたアイリーンが目立ってしまうことは仕方のないことだが。
カインの母親コーネリアの前に出ると、アイリーンは恭しく頭を垂れた。
「母上、こちら、アイリーン=リーヴィス嬢です」
「まあ、話には聞いていますよ、リーヴィス嬢」
カインとよく似た風貌の女性だ。
アイリーンは深く腰を落とした。
「お初にお目にかかります、アイリーン=リーヴィスと申します」
「以前話したと思いますが、彼女の弟と縁あって、一時期リーヴィス家にお世話になったのです」
「そう。確か、ウィルド君だったわよね? きちんと覚えているわよ」
カインに笑みを返し、コーネリアは椅子の上でアイリーンに向き直った。
「素敵なドレスね。わたし、あなたのようなシンプルな装い、とても好みだわ」
「お褒め預かり光栄にございます」
有り難い言葉に、アイリーンはひたすら恐縮しながら頭を下げる。
「カインから聞いたのだけど、あなた、洋裁店で働いてらっしゃるんですって? そのドレスもあなたが作ったの?」
「あ……いえ、こちらは私が仮縫いをしただけで、本縫いは店主のドロシアが致しました。なにぶん私はまだ若輩者の身でして、店主から教わることも多いのです」
「そう。でも仮縫いを任されるなんて、きっとその方から信頼されている証ね」
「そう……だといいのですが」
信頼というよりも、単に人手が足りないだけなのでは。
そうは思うが、決してそんなこと口には出せないアイリーンである。
「でも本当に素敵だわ。王室の仕立屋はね、やっぱり見目と見栄を気にして、私の意見も聞かずに豪華にしてしまうのよ。私はシンプルなものが好みなのに」
コーネリアは悲しそうに己のドレスを見下ろした。コーネリアのドレスは、華奢な彼女を際立たせるため、肩幅も広く、裾が大きく広がったものだ。スカート部分には、細かいギャザーと、細部に刺繍が施されている。輸入されたボタンが使用されているのか、彼女が身じろぎする度に、ボタンがキラキラと光った。
「――では母上、母上も彼女の店にドレスの注文をなさってはいかがですか?」
カインが何てことない顔でそう提案する。アイリーンは内心飛び上がったが、むしろコーネリアは喜んで手を打った。
「そうね、それがいいかもしれないわ。リーヴィス嬢、頼まれてくれるかしら?」
「――身に余るお言葉で恐縮するばかりです。ですが、折角頂いた機会、誠心誠意やらせて頂きたく思います」
「良かったわ、本当に」
「良かったですねえ」
ニコニコと微笑み合う親子。
アイリーンは内心心臓がドキドキである。
古くからの常連客がいるから何とかもっているドレッサムが、まさか側妃のドレスを請け負うことになるなんて。
有り難い僥倖であると共に、あのドロシアが何か粗相をしないかものすごーく不安なアイリーン。
その後はもうずっと放心状態で、いつの間にかカイン達の前から下がったことにすら気づかない。更には、舞踏会が終わり、オズウェルが迎えに来るまで、今後のことを考え、頭を抱えるばかりであった。