第四話 針は剣よりも強し

142:店主の老婆心


 大通りの丁度中央に位置する大きな噴水。そこは、街の中で一番の名所とも言えた。噴水自体は、特にこれといって変わったものではないのだが、近くにはおしゃれなカフェや小間物店が立ち並び、さらには食べ歩きできる露店まであるので、ひっきりなしに人が訪れていた。また、街の東西南北どこからでも交通の便が良いため、待ち合わせ場所としてもよく挙げられていた。

 若い男女が待ち合わをしては、二人並んで連れ立っていく。
 そんな光景が、この噴水近くではよく見られたのである。

 さて、しかしこの噴水の縁に、先ほどからずーっと座り込んでいる女性の姿があった。あまりに沈み込んだ様子で、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

 ……きっと、待ち合わせをすっぼかされたんだと、彼女を見た物は皆そう思った。だってそうだろう。一時間近くも地面を見つめたまま座っていたら、そう思うほかない。彼女の後から来た女性も、嬉しそうに恋人と共に去って行く。その光景が余計、彼女の悲壮感を色濃くしていた。

 しばらくして、彼女とは数歩離れた場所に、ドサッと腰を下ろす男性がいた。ようやく彼女の待ち人が!? と思われたのもつかの間、すぐにそれも間違いだと察せられた。――彼もまた、随分落ち込んだ様子で地面を眺めたままだったのだから。
 彼が現れたことで、噴水周辺で醸し出される哀愁は倍増だ。方や噴水の正面では、楽しそうに語らう恋人達の姿が、方やその裏側では、待ち人が現れない独り身の男女が哀愁を漂わせ。

 むしろこれ、この二人がくっつけば全てが丸く収まるんじゃないのとは、噴水の丁度真ん前に店を構えている、串焼き屋の店主の了見である。
 なんとかして二人の仲が発展しないものか、と彼らを眺めていたところ、丁度二人の間に、ボールがコロコロと転がってきた。噴水の近くでボール遊びをしていた少年のものである。

「すみませーん」

 少年が頭を下げて駆けてくるのを見て、女性と男性、二人は同時にボールに手を伸ばした。触れる指先。咄嗟に交錯する視線。

「あっ」

 あまりにも都合の良すぎる展開に、むしろこれ、ここからロマンスが生まれるんじゃね!? と店主は鼻息荒く眺めていた。改めて見てみても、どちらも顔は整っているし、妙齢の女性に壮年の男性とくれば、もうお似合いとしか言いようがない。一つ難があるとすれば、身分差だろうか。男性の方は貴族なのか身なりの良い格好をしているが、女性の方は少しばかりくたびれた格好をしている。だが、身分差なんて恋愛を余計燃え上がらせる障壁にしかならない! 滾る思いを前に、身分差などという細かいことで諦めることなど出来るものか!

 固唾をのんで店主が見守る中、先に我に返ったのは男性の方だった。立ち上がると、ボールを手に取り、少年の方へ思い切り投げた。彼はまたぺこりと頭を下げると、きびすを返して去って行った。

「…………」

 沈黙の中、男性はゆっくりとまた噴水に腰をかけた。ここは重要だ。彼はそのままどこかへ行く、という選択肢を消し、わざわざまた座るという選択をしたのだ。
 まさか、女性の方に何か感じるものが……? と、店主は余計な妄想を膨らませる。

「ど、どうも……」
「……どうも」

 二人は、何やら挨拶らしきものを交わしたようだが、どうもぎこちない。店主は自身が仲人となって二人の仲を取り持ちたい気持ちで一杯になったが、すんでの所で我慢する。突然目の前にヘラヘラ笑う親父が現れて、この良い雰囲気がぶち壊されてしまっても困る。

「あの……」
「な、なんだ……?」

 何か女性の方が言いかけたが、言葉が続かない。男性も、しばらく彼女を見つめていたが、やがて前を向く。そして。

「はあ……」

 二人一緒にため息をついた。

 なんだこれ!

 だんだん店主はイライラしてきた。

 もういっそのことお前らくっついちまえよ! 失恋したんなら目の前に転がってる新しい恋に踏み出そうぜ! と、そう心の中で叫ぶぐらいには、彼の心は荒れていた。

 それからしばらく経っても、二人の仲は全く進展しなかった。しかし、なにも意識していないわけではないのだ。女性の方はわざとらしく手慰みに扇子をいじっているし、男性の方は何度か話しかけようと試みている。――いずれも諦めたようだが。

 老婆心ながら、なかなか進まない二人の仲に、店主ははたと思いついた。もういっそのこと、俺が何かやってやろうかと。そう、例えば自分の店で売っているこの串焼き。これを、『初々しいねえ! もしかして付き合いたてかい?』とわざとらしく二本渡してやるのだ。これで意識しない若者はおるまい!
 しかしやがて店主は自身の顔を両手で覆った。

 ――難易度が高い。高すぎる。

 こう見えて、この串焼き屋の店主は、硬派だと思われている。元来無口なのだが、言葉数少なく串焼きを渡す姿から、なぜかそう言われるようになったのだ。それについては、店主の方も異論はない。地味だとか根暗だとか言われるよりは、よっぽど褒め言葉だ。だが、もしそんな自分が、突然気安い口調で先の言葉を言ったならば、どうなるだろう? 硬派からは一転、お節介焼きだとか、でしゃばりだとか、しまいにはそんな人だとは思わなかった、などと蔑まれるのが関の山だろう。

 しばらく考えた後、店主は諦めることにした。こういった他人事の色事は好きなくせに、自身の口下手が災いして、今までうまくいったためしがないのだ。

 そうだ、自分が世話を焼いたからと行って、うまくいくとも限らないのだがら。
 そう言い訳をして、店主は黙って二人を見つめた。もう辺りも暗くなってきたが、どうか、良い方に転んで欲しいものだと思いながら。
 そんな彼の視線を遮るように、一人の老婆が目の前に立った。店主は慌てて背筋を伸ばす。

「らっしゃい」
「ああ。牛の串焼きを六本頼むよ」

 言いながら、老婆は疲れたように肩を回した。常連客である彼女に、店主はさっと目をやった。

「……また大口でも入ったのかい?」
「ああ、いや、今回のは内輪のものさ。でもわしの店の沽券に関わることだから、手は抜けられない。全力でやるつもりさ」

 串焼きが網に乗せられ、ジュウジュウと小気味の良い音を立てて焼かれる。老婆の視線はその光景に釘付けだった。

「ここ一月はまた店にこもりっきりになると思うがね。また世話になるよ」
「ああ」

 店主は短く頷く。
 この老婆は、洋裁店を営んでいらしい。そして、店主の店の串焼きが気に入っているらしい彼女は、大口が舞い込んできて、店に缶詰になるときは必ず数日おきに串焼きを買っていくのだ。今や立派な常連客の彼女は、無口な店主をわずかに饒舌にさせる者のうちの一人だった。

「あんた、なんだか嬉しそうだね。何かいいことでもあったのかい?」
「――っ」

 袋詰めをしているときに、店主は不意にそんな指摘をされた。図星だった彼は少々動揺する。

「い、いや……別に」
「なんだい、わしに言えないことか? 何かやましいことでも隠してるんじゃないだろうね?」

 しつこく聞いてくる老婆に、店主はたじたじとなる。話すのは得意な方ではないので、このような状況をくぐり抜けるすべを持たないのだ。やがて店主は観念して口を開いた。

「ほら……あそこにいる二人、見えるだろう? 噴水に座ってる男女」

 老婆は振り返ってそちらを見た。わずかに彼女の目が細められるが、店主は気づかない。

「さっきから見てるが、あの二人、なかなか仲が発展しないんだ。端から見れば、お似合いだと思うんだがね。初々しいから、できればうまいこといってほしいなと思っていて――」

 老婆が急に歩き出したので、そこで店主の声は途切れた。どこへ行くつもりなんだ……? と悠長なことを考えている隙に、彼女はどんどん先へ進み、そしてついには、店主が話していた、あの男女二人組の前で立ち止まった。驚きすぎて、店主はあんぐりと口を開けた。

 な、何をしてるんだあの人は……! もしかして、さっきの自分のあの話を真に受けたのだろうか!?

 自分が招いてしまったこの状況をどうしようかと、店主は大いに慌てた。あの老婆は、時に言葉が悪くなるときがある。悪気は内容だが、しかし受け取り方によっては、気分を害することもあるかもしれない。そんな彼女が二人の仲を取りなそうとしている。――無鉄砲にもほどがある!
 店主の焦りを余所に、彼女はゆっくりと口を開いた。

「アイリーン」

 おもむろに女性の名を口にする老婆に、店主は仰天した。
 もしかして、知り合いだったのか……!?
「ど、ドロシアさん、一体どうしたんですか」

 やはりそうらしい。
 女性の方も驚いたように顔を上げた。

「あれから数日経つが、パートナーは見つかったか?」

 女性――アイリーンの問いには答えず、ドロシアは尋ね返した。

「そ、それがまだ……」
「なんと!?」

 わざとらしくドロシアは両手で顔を覆って見せた。突然の彼女の登場、そして行動に、女性と店主、そして男性は、ただただ気圧されたようにドロシアを見るばかりだ。

「もう夜会までは一月もないんじゃぞ! 未だにパートナーも見つけられんとは情けない! 相手方の男性の採寸もそろそろしたいところだ。早いところ見つけて――」

 と、ここでドロシアの言葉が途切れる。彼女は、今気づいたとばかり、アイリーンから数歩離れた場所に座る男性に目をとめた。

「……お隣さん、お前の知り合いか?」
「え……ええ、まあ」

 言いづらそうにアイリーンは口ごもる。彼女のその返答に驚いたのは、何より店主の方だった。
 まさか知り合いだったとは! いやしかし、それならあのぎこちなさはどうして……?
 更なる疑問が膨れ上がり、店主はより一層彼らに釘付けになった。

「こちら、オズウェル=カールトンさんと言って……よくお世話になっている方です。そしてこちらは、ドロシアさんと言って、私が務める洋裁店の店主です」
「初めまして」
「ああ」

 ドロシアの無言の威圧に耐えきれなくなり、アイリーンは渋々二人を紹介した。が、紹介しろ、と目力を強くしていた割には、ドロシアの返事はなんとも適当なものだったが。

「カールトン家といえば、伯爵家か。……お前さんも今度王宮で開かれる夜会には参加するつもりか?」
「……まだ決めかねていますが、大方参加することにはなると思います」
「パートナーは?」
「はい?」
「パートナーはもう決まっておるのか?」
「……いえ、まだ」
「…………」

 店主は、だらしなく緩む顔を止められずにいた。だってそうだろう。なんとなく肌で感じるのだ。事態がとっても良い方向に進んでいることに!

「お前さん、アイリーンの知り合いなら、パートナーを引き受けてはくれんかね?」

 ほらきた!
 店主は思わず拳を握りしめ、その場で蹲った。
 ここ十年で、ここまで感情が揺さぶられた出来事があっただろうか!? 完全に赤の他人の色事なのに、どうしてこうもハラハラさせられ、そしてワクワクしているのか!

「アイリーンにはどうしても夜会に参加して欲しいんじゃ。そのためにはパートナーも必須だろうし。わしの知り合いに頼めば、なんとかパートナーになってくれそうな男性もおるが、しかしその人はアイリーンよりは一回り以上も年上で――」
「話は分かりました」

 長くなりそうなドロシアの話を遮って、何やら真剣な表情になったオズウェルは立ち上がった。

「丁度私もパートナーを探していましたから、その件は願ってもない話です。彼女さえ良ければお受けしたいのですが」
「あ、ああ……」

 真っ直ぐに見つめてくるオズウェルに、珍しくドロシアはたじたじになった。
 そんな彼女を横に、オズウェルはアイリーンに向き直った。未だ噴水に座ったままの彼女に向かって、右手を差し出す。

「リーヴィス嬢、私のパートナー、引き受けてくださいますか?」
「えっ、あ……」

 何が何だか分からないといった風に、アイリーンはあちこちに視線を這わした。が、やがて険しい表情のドロシアに顎で示されると、彼女もまた、おずおずと右手を出してオズウェルの手を取った。

「よ、よろしくお願いします……?」
「良かったな、アイリーン!」

 ドロシアは一気に破顔して、アイリーンの肩をバシバシ叩いた。彼女は迷惑そうな表情になりながらも、愛想笑いを浮かべる。

「…………」

 店主は、もはや言葉にも出来ない様子で、バンバンと膝を叩いた。一見余計なお節介に思えたドロシアの存在が、まさかここまで二人の関係を発展させてくれるとは!
 高揚する思いを持て余し、店主は串焼きを焼き始めた。何かしていないと、今にも笑い出しそうで仕方がなかったのだ。
 こんな感情は久しぶりだった。何歳か若返ったような気すらもする。

 店主は網の上に一本一本串焼きを並べながら、ふとドロシアのために避けておいた串焼きに目を止めた。
 あれから随分時間も経っているので、すっかり冷たく、堅くなっているだろう串焼き。ドロシアのために、もう一度新しいものを用意しようと店主はふと思った。もちろん代金は無料だ。あんなにも素晴らしい貢献をしてくれたからには、代金を取るなんてそんな野暮なこと、店主にはどうしてもできなかった。
 店主は珍しく鼻歌を歌いながら串焼きを焼いていく。ドロシアからの注文は、牛の串焼きを六本だったことは記憶に新しいが、思わず手が滑ってしまって、三本、四本とどんどん串焼きを追加していく。

 もし袋に入りきらなかったら、あの若い二人にあげてもいい。
 店主はそんなことを考えていた。
 今なら出来そうな気がしていた。『初々しいねえ! 王宮での夜会、頑張って来いよ!』なんて声をかけることくらい。
 あの二人は変な顔をするだろうが、そんなこと構いやしない。何より自分自身がそうしたいと思ったのだから。