第四話 針は剣よりも強し

141:晩餐での詰問


 馬車から降りると、オズウェルは久しぶりに実家の庭を踏みしめた。けだるい疲労感を伴いながら、玄関へと向かう。
 詰所と自身の実家は、それほど離れてはいないので、歩いてくるのも一つの手だったが、何しろ日頃の仕事の疲れも相まって、疲れていたのだ。警備騎士団団長としては情けないことだが、この短い距離でも馬車という誘惑には勝てなかった。
 玄関に近づくと、馬車の物音を聞きつけたのか、執事が迎え入れてくれた。その後に続いて、オズウェルの母――セルマも姿を現す。

「ただいま戻りました」
「元気そうで何よりです」

 セルマは小さく頷くと、すぐにきびすを返した。立ち話はしないつもりらしい。

「父上はもういらっしゃるんですか?」
「今日は仕事が忙しく、家には帰れないそうです。代わりと言っては何ですが、珍しくウェインが顔を出していますが」
「そう、ですか……」

 オズウェルは渋い顔で頷いた。
 オズウェルの兄――ウェインが家にいようがいまいが、それはどちらでもいいが、父がいないのはなんとも残念だ。たとえは悪いが、いつも緩衝材のような役割をしてくれる彼がいないと、カールトン家はいつも母の独擅場になってしまうのだ。今日、夕食の場で何が議題に持ち上がるか想像ができてしまうだけに、オズウェルは今から頭痛がしてやまなかった。

「やあ、オズウェル。久しぶりだな」

 晩餐室には、もうすでにウェインがいた。オズウェルの到着を待っていたのか、彼の前には空になったティーカップが置かれていた。

「お久しぶりです。兄上もお変わりなさそうで」

 オズウェルとウェインは握手を交わした。会うのは半年ぶりだろうか。お互い仕事が忙しく、会おうにもなかなか時間が取れないのだ。

「さ、二人とも席について。食べようじゃないか」

 何故だか嬉しそうな様子でウェインはそう仕切る。もちろんそれに異論はないので、オズウェルはウェインの隣に、セルマはウェインの向かいに座った。

「オズウェル、騎士団の方はどうなんだ? うまくやってるのか?」

 ワインで乾杯して早々、ウェインはにこやかに切り出す。前菜を口にしながら、オズウェルも口を開いた。

「そうですね。最近では随分治安も良くなってきましたので、もっぱら訓練ばかりです」
「それは良かった。言われてみれば、見ないうちにまた身体ががっしりしてきた気もするな」

 ですよねえ、とウェインはセルマの方を見る。が、彼女はしかめっ面をしてため息をついた。

「本当なら今頃あなたは王立騎士団にいたはずだったのに。どうしてこんなことに……」
「またその話ですか。オズウェルの若さで団長なんて、輝かしい昇進ではありませんか」

 ウェインが擁護にまわるが、セルマは聞く耳持たない。

「こんなもの、どこが昇進ですか。厄介払いの左遷に決まっています」
「母上」

 ウェインが咎めるように言った。セルマは不服そうだったが、やがて口を閉ざした。
 しばらく静かな中での食事が行われる。晩餐室は、ゆうに十数人は座れるほど広々としているので、あまりに静かなのは居心地が悪い。それはウェインの方も同じなのか、彼はオズウェルにひっきりなしに質問してきた。休みはちゃんと取っているのかだとか、休みの日はどうしているのかだとか。しかし、オズウェルはそれが有り難かった。母に『例の話』を持ち出される前に、この夕食を切り上げられさえすれば、今日は上出来だと言えよう。

 メインディッシュが運ばれてくるとき、ふっと会話が途切れた瞬間があった。静かにメイドが入ってくると、一人一人、左後ろから皿を出していく。なんとなくその様を見つめていたら、自然、口を閉ざしてしまったのだ。その隙を見逃すセルマではない。

「もうすぐ、王宮で夜会が開かれることはあなたもご存じですね?」
「はい……」

 来たか。
 オズウェルは神妙な顔で頷いた。

「こちらにも、招待状が届いていました」
「私が転送しましたからね。……もちろん、出席はしますよね?」
「いえ、今はまだ悩んでおりまして。騎士団の方の仕事もありますし」
「またそんなことを言って……。誰かに代わってもらえばいいでしょう。今回の夜会には必ず参加してもらいますからね。これは決定事項です」

 きっちりと言い切ると、セルマはメインディッシュの肉料理にスッとナイフを入れた。なんだかその様が、自身の行く末を案じているようで、オズウェルは冷や汗を流した。

「一年前に出席して以来、あなたは一度も社交界に顔を出していないでしょう。結婚相手も探さなくてはいけないのに、仕事にかまけてばかりで。長い間目をつむっていましたが、もう我慢の限界です。今年中に、良い結婚相手を見つけて頂きますからね!」

 語気を強め、セルマは鋭い視線を放った。オズウェルも疲れた顔で一旦は頷いた。確かに、結婚を視野に入れていると周囲に豪語した割りに、一度も社交界に顔を出さないようでは、信用を失ったとしても仕方がない。
 だが、セルマの話は留まることを知らなかった。

「パートナーの件についてですが、それはこちらで用意させて頂きます。どうせ女性の知り合いもいないでしょうから」
「は……」
「といっても、実はもう目星はつけていますが。お父様と話し合った結果、ブランデル家か、クロスリー家はどうだろうかという話になりました。早いうちに話を持って行かなくてはなりませんから、どちらにするかは数日以内に決めて頂きます」

 呆気にとられるオズウェルを余所に、セルマは流れるように続ける。

「もちろん、夜会だけではなく、その日以降パートナーの方とは仲を深めて欲しいというのが私としての希望でもありますが。家柄は同等、家同士の仲も良いとなれば、こんなに望ましい結婚相手はそういないと思いますが。どちらのお嬢さんも気立てが良くて性格もよろしいですし、あなたも何度かダンスのお相手をしたことがあるでしょう? ですから――」
「ま、待ってください」

 困惑気味に、オズウェルはようやく口を挟んだ。あまりに話が飛躍しすぎていて、どこからどう止めようか迷いに迷っていたのだ。

「いきなりそんなことを言われても困ります。確かにそろそろ結婚を、とは思っていましたが、相手くらいは自分で決めようと……」
「では聞きますが」

 セルマは静かにナイフとフォークをテーブルに置き、ナプキンで口元を拭いた。

「今現在、良い方はいらっしゃるのですか? 結婚をしても良いと思えるような女性は」
「…………」

 黙したまま、オズウェルは視線を逸らす。
 なんと答えたものか……。
 正直なところ、ここまで直球で聞かれるとは思っていなかったのだ。

「……正直なところ、このことに関しては口にしたくはなかったのですが」

 オズウェルの静かな動揺を目の当たりにし、セルマはなおも追求するように視線で追う。

「――あのアイリーン=リーヴィスという令嬢とはどういう関係なのですか?」
「――っ」

 あまりにも突然すぎる質問に、オズウェルは思わずむせてしまった。あからさますぎる息子の動揺に、セルマは自然、目つきを鋭くさせる。

「やはり何かあるんですね? 説明してもらいましょう」
「い、いえ……。ただの知り合いという以外、何もありませんが」
「嘘おっしゃい。あなたたちの噂は社交界でも有名ですよ。やましくないのならきちんと説明して頂きたいわ」
「俺も聞きたい」

 一人、完全な野次馬根性の輩がいるが、しかし母と兄、二人に追求され、オズウェルは拒むことなど出来なかった。しぶしぶ口を開く。

「……確かに、彼女とはそれなりに親しくさせて頂いています。しかし個人的な付き合いをしているというわけではありません。そもそも、彼女には四人の弟、妹たちがいて、彼らが騎士団の世話になることが多かったので、自然と接点が増えてしまったと言いますか」

 言い訳をくどくど並べ立てるオズウェルに、セルマの顔はより一層厳しく、ウェインの顔は期待を裏切られたような表情になった。

「では、あなたとあの令嬢は何の関係もない、ということでよろしいんですね?」

 念を押すように言うセルマ。オズウェルは、この状況になってようやく、はたと思い至った。何の気なしに言い訳を口にしてみたが、本当にそれでいいのだろうか。確かに、自分と彼女の関係を一言で言い表すならば、『腐れ縁』というのが正しいだろうし、彼女の方も異論はないだろう。だが、本当にこのままで――腐れ縁のままで、いいのだろうか――。

「安心しました。やはり噂に尾ひれがついただけだったのですね」

 難しい顔で考え込んだオズウェル二は気づかずに、セルマはワイングラスに口をつけた。

「アイリーン=リーヴィス嬢にはあまりよい噂は聞きません。人嫌いで子供嫌いの魔女、でしたか。どうしてそんな噂が立ったのかはわかりませんが、火のない所に煙は立たぬといいます。それ相応の人徳あってのものでしょう。……いいですか、あなたにはカールトン家の名に恥じぬ相手方と結婚して頂きます。間違っても、素性の知れない女性に入れ込まぬよう、細心の注意を払って――」
「噂だけを鵜呑みにするのはどうかと思いますが」

 オズウェルは、そう口にせずにはいられなかった。
 驚いたような視線が彼に集まる。

「噂が勝手に一人歩きするということも多いんです」

 といっても、彼女の噂のうちいくつかは、否定しきれないものもあるが。
 そのことについては一旦脇に置き、オズウェルは更に続ける。

「直接会って話してみなければ、彼女の人となりは分かりませんよ」

 言い切った後で、やはりこれも最適な言葉ではないか、オズウェルは思い直した。
 初対面の時は最悪な印象だったし、二度目の時も、まだ不信感を捨てきれずにいた。その後幾度と会ううちに、ようやく彼女という人を知ることが出来たのだ。面倒なことに、一回や二回話したくらいで、全て分かってしまうような、そんな簡単な性格をしていないのだ、彼女は。

 どうしてか静まりきってしまったことを不思議に思い、オズウェルは顔を上げた。当然、呆気にとられた顔のセルマ、あんぐりと口を開けたウェインと目が合う。

「オズウェル、お前……相当惚れ込んでるな」
「なっ!?」

 ぽつりと呟かれた言葉に、オズウェルは慌てた。何がどうしてそういうことになるのか!

「知り合いとして、彼女が悪く言われるのが我慢ならなかっただけです。兄上でも同じような状況でしたらこう言うでしょう?」
「いや……それにしたって、ちょっと怒ってる節すらあったから、相当腹が立ったんだと……」
「別に怒ってはいませんが」

 オズウェルは冷静に言い切ったが、眉間に皺が寄っているその様からは、なんの説得力も生まれなかった。

「……とにかく、数日中にパートナーを決めてもらいますからね。ブランデル家かクロスリー家か。それはあなたの判断に任せます。しかしあなたの結婚相手探しは、目下このカールトン家の最優先事項です。あなた一人の希望でどうこうできるとは思われないよう」

 くどくどとセルマの説教が続く。

 数日、猶予があるのか……。
 オズウェルはぼんやりしながら、揺れるワイングラスの水面を眺めていた。