第四話 針は剣よりも強し

140:パートナーは


 そわそわとどこか落ち着かない様子で、アイリーンは国立学校の前を行ったり来たりしていた。王宮並に立派な門構えに、さすがの彼女も多少気後れしていた。現在抱えている問題に対する自信のなさも相まって、今の躊躇いがちな状況を生み出していた。

「姉上」

 それは、久しぶりに会う弟に会っても変わらない。場所が場所だけに、見慣れたはずのステファンの顔も、なんだか別人に思える。

「驚きました。どうしてここに?」
「ええ、ちょっとね。少し外を歩かない?」

 さすがに会ってすぐ本題というのは躊躇われる。弟の心境も聞きたいことだし、とアイリーンはつかの間の現実逃避をすることにした。
 国立学校は、大通りから少し離れた場所にあるため、たとえ昼間といえども、その周りは静かで落ち着いている。気温が上がって多少暑いような気もするが、我慢できないほどではない。二人は歩幅を合わせて並んで歩いた。

「学校はどう? 勉強についていけてる?」
「そうですね、予習復習を頑張ってなんとか、という感じでしょうか。試験が多くて大変ですよ」

 苦笑するステファンだが、その顔はどことなく嬉しそうだ。アイリーンも自然、笑みを受かべる。

「そんなに忙しいなら、休日の度に家に帰ってくることないのよ?」
「さすがに学園にいた頃よりは忙しいですけど、勉強ばかりしてたら煮詰まりますから。息抜きくらい必要ですよ」
「でも友達と遊んだりとか……」
「もう、そんなことを言うためにわざわざ来たんですか?」

 ステファンの顔は少々呆れぎみである。なかなか本題を言い出そうとしない姉に、堪忍袋の緒が切れたのだ。

「ええと、その、ステファンにちょっとお願いがあって……」
「どうかしたんですか?」

 ステファンは立ち止まってアイリーンを見る。そんな彼に、次第にアイリーンも勇気が出てきた。断られたら他に探すしかないが、言ってみるだけ言ってみようと。

「今度ね、王宮で夜会が開かれるでしょう? その招待状が家に届いてたんだけれど、私もそれに参加しようと……しなくちゃいけないことになって。ステファン、私のパートナーになってくれないかしら」
「夜会? 珍しいですね、姉上がそういったものに参加するなんて」
「ええ、ちょっとややこしいことになってて……」

 込み入った事情を話すと時間がかかるのだが、協力してもらうには、全て話した方が良いかと、アイリーンは洋裁店での出来事をかいつまんで話した。

「なるほど、それで……」
「私としてはものすごーく面倒なんだけれど。でもドロシアさんにああまで言われては、断ることもできなくて。なんとかお願いできないかしら?」

 あくまで下手に出るアイリーンに、ステファンは組んでいた腕を解いた。

「分かりました。パートナーの件、受けます――」

 が、そこまで言いかけたところで、ステファンははたと思い立った。
 はてさて、今年齢二十二にもなる女性が、弟をパートナーとして夜会に出席するなんて、あっていいものかと。
 正直、外聞も何もあったものじゃないだろう。恥の上塗りにしかならない。ただでさえ姉には様々な噂がはびこっているというのに、これ以上彼女が笑いものにされるなんて、あってはならない。
 となると、ここはどうすべきか。

「あの……ステファン?」

 アイリーンの声などてんで耳にならない様子で、ステファンは顎に手を置いた。
 自分以外にパートナーになってくれそうな相手……。
 姉に男性の知り合いが多くいるとは思えない。おそらく、騎士団が数人といったところだろう。その中で選ぶか、それとも新たな相手を探させるか。自分が手を貸すよりも、姉自らパートナーを探させることによって、強いては自分の結婚相手探しにも積極的になってくれるかもしれない――。

「いえ……その日は、少し用事がありまして」

 ステファンは口元を手で覆ったまま返事をした。思いもよらぬ僥倖に、こぼれる笑みを隠しきれずにいたのだ。
 王宮の夜会ともなれば、その辺りの適当な男性を見繕って一緒に出席する、なんていい加減なことはできない。誰が誰と来ているなんて、社交界の人々の一番の関心の的だろうし、それは姉自身重々承知済みだろう。
 ならば、彼女だって血眼になってパートナーを探すはずだ。適当な男ではない、でも一緒に出席しても構わない――多少噂になってもいい――くらいの好意を持つ男性を。

「そうなの?」
「え、ええ……まあ」

 ステファンの想像通り、アイリーンは至極残念な顔になった。彼女に嘘をつくということで、さすがのステファンも、歯切れが悪くなるが、それを申し訳ないせいだと解釈したアイリーンは、一層悲壮な表情になった。

「気にしないで。勉学の方が大事だもの。なんとかパートナーは探してみるわ」」

 だが、そうは思うものの、人間、そう簡単に割り切れはしまい。
 アイリーンは難しそうな顔をしたまま、黙り込んでしまった。
 つい先ほど、姉自らパートナーを探させることを決意したステファンではあるが、つい長年の癖から、口を出してしまった。

「誰か良い方はいらっしゃらないんですか?」
「いると思う?」

 どこか自慢げにも見えるアイリーンの問い返しに、ステファンは呆れたような半目になっていく。

「だからもっともっと早くお見合いをしてパートナーを見つければ良かったんです。それをこの人は嫌だの、あの人には断られただの――」
「それとこれとは関係ないでしょう! 今はパートナーよ、パートナー!」
「関係ありますよ……」

 小さな声でブツブツ続けるステファン。己の見合い話にまで火種が飛んでしまったアイリーンは、やけになって拳を握った。

「仕方ないわ、ウィルドにでも頼むことにしましょう」
「う、ウィルド!?」

 ステファンは素っ頓狂な声を上げた。まさか、そんな選択肢があるとは思いもよらなかったのだ。そして瞬時に思い至る。姉とウィルド。この二人が組んで、厄介事が怒らなかったことなんてない!
「絶対にそれは却下です。僕が許しません。ウィルドは駄目です」
「ど、どうしてよ……」
「分からないんですか! 夜会に行って、ウィルドがやらかさないわけがない! 野生児が舞踏会ですよ!? 軽食を食い散らかしてハチャメチャなダンスをして大きな声で笑って……! すぐに王宮から追い出されるに決まってます!」
「……いくら何でも、ウィルドにだって節度はあるわよ……。ウィルドが聞いたら怒るわよ」

 あんまりなステファンの言い草に、アイリーンは苦笑する。だが、あながち完全な間違いでもないだろう。ただ、ステファンが大げさすぎるだけで。

「とにかく、ウィルドだけは絶対に駄目です!」
「じゃあどうすればいいのよ。他に当てなんかないわよ?」
「当てがなくても……無理矢理知り合いに頼んだらどうですか?」

 ステファンも投げやりになって答える。姉の異性の知り合いなど、幾人かの騎士団員しか知らないが、彼らならまあ許容範囲だろうと、いささか偉そうなステファンの了見である。

「じゃあ……最後の手段、ラッセルさん――叔父様は?」
「はい?」

 ステファンは呆れ返って天を仰いだ。ついで、この態度では叔父に失礼だと、考え直し、首を元に戻した。己の考えまでは変えられないが。

「叔父上は……え、叔父上でいいんですか?」

 余計にひどい台詞である。ステファンは口にした瞬間、そう思い至ったが、この際気にしないことにした。早急に解決すべきは、叔父に敬意を尽くすことではない。

「駄目かしら?」
「そりゃ悪くはないですけど……いや、やっぱり駄目です」
「どうしてよ」
「恥ずかしくないんですか? いい年した女性が、一回りも年上の叔父と一緒に夜会に出席するんですよ? そんなことになったら、もう外を歩けませんよ……」

 あんまりな言い草ではあるが、確かに弟の言い分も分かる。
 アイリーンが黙っていると、ステファンは何か決心をしたように、うんと強く頷く。

「分かりました。これ以上姉上がやけになって変な相手をパートナーに選ばれても困ります」
「はあ……」
「一応聞きますけど、僕の知らない人で、異性の知り合いはいますか?」
「いないわ」

 すがすがしいほどの即答。だが、ステファンもこれは想定内だったので、厳しく追求することもない。コホン、と空咳をすると、彼女に向き直った。

「僕の知っている男性で、妙齢な男性は――三人」

 ステファンはピッと指を三本立てた。アイリーンは固唾をのんでそれを見守る。

「オズウェルさん、マリウスさん、そしてファウストさんです」
「……全員騎士団の人じゃない」

 アイリーンはこれ見よがしに肩を落とした。当然ステファンはへそを曲げる。

「悪いですか? いつも姉上やらウィルドやらが騎士団のお世話になるので、顔見知りだけが増えていくんですよ」
「だからって……いきなりパートナーを頼むなんて……。それにファウストさん? あの人は絶対に駄目でしょう。誘拐事件の時は、たまたま利害が一致しただけであって、今回は……」
「じゃあマリウスさんは?」
「あの人は恋人がいるんじゃない? 花祭りの後別れたって聞いたけど、あの人は女性に優しいから、すぐに恋人ができるでしょう」
「じゃあオズウェルさん」
「…………」

 アイリーンはなんともいえない表情で黙り込んだ。特に反論する要素はないのかと、ステファンがそう思ったとき、彼女は重々しく口を開いた。

「一体どんな顔してあの人にパートナーを頼めと? 変な感じになるじゃない」
「変な感じって何ですか」

 問い返され、アイリーンは口ごもる。深く考えてものを言ったわけではないらしい。

「その……だって私たち、犬猿の仲みたいなものじゃない」
「ええ?」

 今度はステファンが素っ頓狂な声を上げた。

「確かに最初の頃は、顔を合わせる度にいがみ合ってたような印象ですけど、最近だとそんなこともないでしょう。普通に世間話をする仲だと思ってましたけど」
「そ、れは、確かにそうだけど、でもパートナーとなると、話は別じゃない。それに、お仕事があるかもしれないし」
「聞いてみるだけ、聞いてみればいいじゃないですか。オズウェルさん以外に、当てでもあるんですか?」
「…………」

 もの言いたげにアイリーンはステファンを見るが、その口が開かれることはない。反論する余地もないようだ。

「それとも、僕が夜会までに無理矢理見合いを設けて、その人と夜会に行ってもいいんですよ。それだと、否が応でも噂が立って、後がないですけど」
「…………」

 しばらく無言でアイリーンは考え込んでいた。ステファンの言うとおり、オズウェルにパートナーを頼むか、それともお見合いの席を設けてもらうか。

「とりあえず、しばらく考えてみるわ……」

 だが、今まで異性関係のことはいつも後回しにしてきたアイリーン。彼女が、今回のような込み入った問題で、しかも自ら動く必要のある出来事に、頭の限界を超えるのはそう時間がかからなかった。

「夜会まで後もう少しなんですよ! 早めにお願いしますね!」

 これで姉の将来が決まるかも分からないのに、至ってのんきに声をかけるステファン。
 アイリーンは彼に毒されて、なんとなく脱力してしまった。