第三話 病は日常から
137:突然の贈り物
エミリアに急かされてアイリーンが店を出る頃には、辺りはもう夕焼けに染まっていた。二人は唖然として空を見上げる。
「……随分長居しちゃったわね」
「……本当に」
こんなつもりじゃなかったのに。
エミリアはボソッと呟くが、幸か不幸か、アイリーンの耳には入らない。
「待ち合わせ場所に行きましょうか。といっても、待ちくたびれてもう家に帰ってるかもしれないけど」
「帰ってるに一票です」
「私も」
ステファン、フィリップだけならまだしも、あちらにはウィルドがいる。お腹空いたと何度も零し、ついには根負けしたステファン達が一緒に家に帰る光景が容易に頭に浮かんだ。
待ち合わせ場所に指定しているのは、大通りの丁度中央にある噴水だ。よく恋人達が待ち合わせにしている光景が見られる。
アイリーンたちは両手に大荷物を抱えつつそこへ向かった。ステファン達が未だそこにいる可能性は低いが、どちらにせよ帰り道の方向なのでそう悩むほどのことではない。
アイリーンとエミリアは、最近身近にあった出来事について話しながら歩いていた。もっぱら、その内容はエミリアの職場に関することばかりだが。――待ち合わせ場所に近づいても、彼女たちは兄弟のことを思い出すことはなかった。どうせ家に帰ってるでしょうとの潜在意識が働いていたのだ。ようやく思い出したのは、少しばかり怒った様子で目の前にウィルドが立ちはだかった瞬間である。
「遅い!」
「ウィルド? てっきりもう帰ってるのかと……」
「俺たちがそんな恩知らずに見える?」
「うん……」
思わずと言ったように呟いたエミリアに、ウィルドは顔をしかめて見せた。
「二人が俺たちのことそんな風に思ってたなんてね。ようし、次からは待ち合わせなんてせずにいち早く帰ってやるよ!」
「もう、そんな極端なこと言わなくても」
すっかりへそを曲げてしまったウィルドを前に、アイリーン達は待ち合わせ場所である噴水へ向かった。
「待たせて悪いわね」
「ああ、気にしなくてもいいですよ。僕たちの方も結構時間がかかって、さっき着いたばかりですから」
なんてことない口調で言うステファン。アイリーンとエミリアの視線は自然、ウィルドへと向く。
「…………」
「……体感時間は長かったよ?」
「あっそ」
冷たく言い放ち、エミリアはそっぽを向いた。ちょっとだけ悲しそうな顔をするウィルド。
それだけでなんとなく事情を察したステファンは、フィリップと共に、噴水の縁から立ち上がり、アイリーンに向かって手を差し伸べる。
「持ちますよ」
「いいわよ。そんなに重たくないし。それよりも、あなたたちも何か買ったのね」
「え、あ……」
コホン、と咳払いをして、ステファンは紙袋を後ろに隠した。「まあ、そうですね」
もしかして見られたくなかったのかしら、とアイリーンは視線を横にずらした。フィリップは何も持っていないが、紙袋を下げているのはステファンとウィルド。ステファンが買うものと言えば、本くらいしか浮かばないが、ウィルドがこういった機会にお土産を買うのは珍しい。もしかしておいしそうなおやつでも見つけたのだろうか、とアイリーンはにんまり笑みを浮かべた。
「ウィルドー、さてはそれ、デザートでも買ったの? 夕食の後にでも食べようって?」
「いや……ちが」
「隠さなくても大丈夫よ。別に盗ったりしないもの」
「ちっ、違うし!」
急に貌を赤くして怒るウィルドに、アイリーンは首を傾げるばかりだ。何かまずいことでも言ってしまっただろうか。
「ど、どうしたのよ……」
「別にこれ、俺のものじゃないし!」
「じゃあ誰のものよ」
もしかして、今も訓練しているだろう見習い騎士達へのお土産なのだろうか? ウィルドにしては気が利くじゃないの、とアイリーンが思い始めた頃、ウィルドは無言で紙袋を突き出した。
「ん」
「……?」
「これ!」
「わ、私に……?」
恥ずかしいのか、目線を合わせようとしないウィルドの手から、アイリーンは紙袋を受け取った。見た目に反して意外に思いらしく、ずしっとした重みがかかる。開けていいものかアイリーンが迷っている中、ステファンは小さく肩を落とした。
「ウィルド……。家に帰ってから渡そうって話し合ったばかりじゃないか」
「だって、師匠があんなこと言うし」
「姉様、開けてみたら?」
「え、ええ……」
フィリップに言われ、アイリーンはおずおずと紙袋を開く。小さな箱を取り出して、そっと蓋を開いた。
「あ、ティーカップ?」
「うん……」
アイリーンは弟たちの顔を順に見ていくが、ステファン、フィリップは共にウィルドの方を見ていたため、彼女もまた、ウィルドに視線を止めた。
「その……前、俺が一個カップ壊しちゃったし。悪いかなーと思ってさ」
「あ、りがとう……」
まさかウィルドからこんな心遣いをもらえるとは。
成長したなあと思うと同時に、いささか気恥ずかしい思いもあった。
「ま、お金は僕らも出したんですけどね」
「そうなの?」
アイリーンは驚いて聞き返した。ウィルドは気まずげに視線を逸らす。
「ありがとう、ステファンもフィリップも」
「ああ、後これも僕たちからです」
「え、ステファンのも?」
ステファンは、フィリップと一緒になって、持っていた紙袋をアイリーンに渡した。
「ただのケーキですけど。今夜はこれをデザートにお茶を飲んでもいいかなって。フィリップの案です」
「ありがとう……みんな」
うまく言葉が見つからず、アイリーンは下を向いた。なんだか照れくさいのだ。ただでさえ自分は素直にお礼を言うような性格ではないし。
しかし、むずがゆいこの空気を切り裂いたのはエミリアだっだ。
「ずるい……」
ギュッと服の裾を掴んで彼女は言う。
「わたしだって姉御にプレゼント渡したかったのに。初めてのお給料で絶対に何かしようって決めてたのに。先越すなんてずるい!」
「ま、まあまあエミリア」
見当違いとも言える彼女に怒りに、真っ先にステファンが反応した。
「僕らのこれは……ウィルドのお詫びという意味も含んでるわけだし、エミリアはエミリアで純粋な感謝を込めたプレゼントをまた贈ればいいじゃないか」
「でも……!」
「もういいじゃん。早く帰ろうよー」
用は終わったとばかり、ウィルドはくるっと身を翻して歩いて行く。エミリアは悔しそうにその背中を見つめたが、頭ではちゃんと理解しているのか、もう何も言うことはなかった。
「じゃ、帰りますか」
ステファンはパンッと手を叩いた。アイリーンも頷く。
「そうね、もう暗くなってきたことだし――あ」
「どうかしたんですか?」
「ええっと……」
一つ思い出したことがあり、アイリーンは一気に気まずい表情になった。皆の視線が自分に集中していることが、更に罪悪感を抱かせる。
「悪いけど、みんなは先に帰っててくれる? 私、行かないといけないところがあったわ」
「どこに行くんですか?」
「ちょっと……いろいろ、ね」
「時間かかるの?」
「多少はね。家に帰るのは夜になるかも。だから先に家で食べていて」
「…………」
子供達は、きょとんとした貌を互いに見合わせた。
「ま、ここまで来たことだし、一緒について行ってもいいよ」
「夜に女性一人で歩かせるのは心配ですし」
なぜか上から目線のウィルド。相変わらず紳士なステファン。
「いえ、本当に私のことはいいのよ。みんな家に帰っていて」
冷や汗すら浮かべて、やたらと遠慮するアイリーン。その表情に、ステファンは思い当たることがあった。
「……もしかして、僕たちに着いてきて欲しくないと?」
「え……ええ? 別にそんなつもりは……」
「ずるいっ! どうせ自分だけ何かいいもの食べようって魂胆でしょ!」
「ウィルドじゃあるまいし、そんな意地汚いことしますか!」
思わずアイリーンは叫んでしまった。だってそうだろう。もう二十歳を超えているのに、誰がそんな子供じみたことをするというのだ。
「だったらどこに行くの?」
「う……」
もう誤魔化せない。
アイリーンは渋々口を開いた。
「……詰所よ。この前お世話になったから、そのご挨拶をしようかと」
「じゃあ僕も行きますよ。姉上がお世話になったのに、素知らぬ顔はできませんし」
「俺も行くー。久しぶりに団長さんにも挨拶したいし」
「わたしも。姉御について連絡くださいましたし」
「僕も行く」
こんな時だけ妙に一致団結する子爵家。アイリーンは大きなため息をついた。
「だから言いたくなかったのよ……。どうしてこんな大所帯で詰所に行かなくちゃならないの」
「まあまあ。行くなら早く行きましょう。どんどん帰るのが遅くなりますし」
「はいはい」
自宅とは正反対の方向にある詰所に向けて、子爵家の面々は仲良く歩いて行った。