第三話 病は日常から
136:賑やかな買い物
皆でサーカスを楽しんだ後は、いつものカフェで昼ご飯を食べ。
そして丁度昼をまわった頃は、大通りを散策しながらちょっとした買い物をしていた。といっても、男女で買いたいもの、みたいものは違うので、二組に分かれての散策だった。
ステファン、ウィルド、フィリップは、主に露店関係を当たっていた。当然ウィルドの意見である。
「ねえ、一体どれだけ食べるのさ」
「え、まだ序の口じゃない?」
「僕はもうお腹いっぱい」
カフェで昼ご飯を食べたばかりだというのに、ウィルドのお腹は限界というものを知らない。
あれ食べたい、これ食べたいとうるさく言って回る彼に合わせて、ステファンとフィリップも――多少小腹は空いていたので――買って食べたりはしたが、それにも限界は来る。
二人はいい加減うんざりしていた。もともと、二人は本屋を見に行きたかったのだ。にもかかわらず、強引なウィルドによって、早々その計画は打ち砕かれていた。
「こうなったら、こっそりウィルドから離れる?」
ステファンはこそっとフィリップに耳打ちした。問題児であるウィルドを一人にさせるのはいささか――いや、かなり不安だが、そうでもしなければ、この自由時間を楽しむことが出来ない。
「でも、そんなことしたら後でウィルド、カンカンになって怒りそう」
「だよねえ……」
ウィルドは一晩寝たらすっかり忘れる性格なのだが、逆に言えば、寝るまでは一日中根に持つのだ。今日は折角の家族水入らずの日なのに、ウィルドのご機嫌取りで精神をすり減らすのももったいない。
どうしたものか、と二人の兄弟が頭を抱えている中、彼らの心境などいざ知らず、唐突にウィルドが走り出した。あっと思うまもなく、彼の姿は人の波に消える。ステファンは呆れを通り越してうんざりした表情になった。
「もしかしてまだ食べるのー?」
「なにかおいしそうなもの見つけたのかも」
何しろ、ウィルドの頭にはいつも食べ物関係しかないのだ。今は多少成長したのか、騎士になるために強くなるという思いもあるのだろうが、今のところは七割が食べ物を占めているのではないかと睨んでいる。
ウィルドの姿を発見したのは、すぐ近くの骨董品の店だった。地面にシートを引き、その上にいくつかの食器や家具、文房具などを置いている。ウィルドにしては珍しい選出に、ステファンも興味津々に覗き込んだ。
「何見てるの?」
「……あれ」
ウィルドが素っ気なく指さすのは、一脚のティーカップ。凝った意匠が施されていて、なかなかの年代物ではないかと考えられる一方、セットではないせいか、お手頃な価格となっている。ステファンはウィルドの耳元で囁いた。
「ウィルドにしては、珍しく気が利くんだね」
「俺にしてはってなんだよ!」
「だってそうでしょ?」
悪戯っぽくステファンが笑えば、ウィルドはそれ以上言い返すことも出来ず、うっと詰まる。
「いや……だって壊しちゃったのは事実だしさ。折角の五脚セットのやつだったのに」
以前、完全なるウィルドの不注意で、年代物のティーカップを割ってしまったことがあった。幸い他にもカップは揃えていたので、一人が飲むのにあぶれてしまうということはなかったが、しかしやはり、五人揃ってお茶を飲むときには、格好がつかないでいた。このティーカップを買ったからと言って、不揃いであることには変わらないが、そこは気持ちの問題だろう。
「僕も出そうか?」
「えっ」
不意にステファンがそう口にした。ウィルドは驚いて彼の顔を見る。
「だってウィルド、散々買い食いしてたからお金足りそうにないでしょ」
「う」
まさにその通りで、ウィルドは何も言うことができない。フィリップも頼もしく彼の隣に立つ。
「僕も出すよ」
「フィリップ……!」
「でも僕も提案があるんだけど」
「ん?」
珍しく積極的なフィリップに、二人の兄の視線が向く。
「ティーカップを買うなら、あっちも買うってのはどうかな?」
弟がおずおずと指さした方を見て、ステファンとウィルド、二人もにんまりと顔を見合わせた。
*****
一方その頃アイリーンとエミリアは。
兄弟たちとは真逆の方向――主に洋裁店が建ち並ぶ通りを歩いていた。エミリアが服を買いたいというので、アイリーンがそれに合わせた形だ。といっても、アイリーンとしては特に行きたいところもなかったので、別段不服もなかったのだが。
のんびりと周りを見て歩くアイリーンの隣で、エミリアは計画通りとほくそ笑んでいた。服を買いたいというのは、実はエミリアの偽装である。いや、服を買いたいのは事実だが、何を隠そうエミリアの服ではなく、アイリーンのものなのだ……!
姉はおしゃれに無頓着すぎる、というのが最近のエミリアの了見である。仮にも貴族令嬢、そして流行の先駆けとなる洋裁店に勤めているにもかかわらず、普段着は何度も着古したものを更に修繕して着るばかり。ここ最近、新しい服なんて買ったことがないのではないだろうか。
エミリアの方も、それほどおしゃれに興味があるというわけではない。しかし、ある程度の流行くらいは知識として嗜んでいる。だが、姉はどうだ。
そろそろ結婚も視野に入れ始めているというのに、まずその行動に気概が感じられない。いつどこで素敵な男性と出会うかも分からないのに、変な格好ばかりしてはいけないのだ!
だからこそ、ここは一つ、子爵家唯一の妹ということで、姉の様相を整えるつもりだったのだ。そういう意味では、早々に男女に分かれることができて幸運だった。ウィルドと一緒だったならば、きっとあれが食べたいとこれが食べたいと、なかなか前に進めないだろうことは想像にたやすい。
エミリアはやがて一つの洋裁店に目星をつけると、姉の腕を引っ張って入っていった。
「ここ……エミリアには少し大きすぎるんじゃないかしら?」
「いいんです!」
おそらく、対象年齢は二十代以上の女性だろう。エミリアにしてはまだ早いのではないか、とアイリーンは訝しむが、それこそエミリアの計算内。
パパッと辺りのドレスを見聞すると、そのうちの一着を手に取った。
「あ、見てください、姉御! とっても可愛いです、きっと姉御に似合いますよ!」
「え、私に?」
グイッとドレスをアイリーンに押しつけ、エミリアは元気よく頷いた。
「ええ、もちろん! 一回試着してみませんか?」
「でも今日はエミリアの服を買いに来たのよ? 私はいいわよ」
「そんなこと言わずに!」
エミリアはアイリーンの背中を押し、試着室の方へ押しやった。アイリーンとしては、非常に不服だった。折角妹に似合う服を選ぼうと意気込んでいたのに、何がどうして、自分が着せ替えられることになっているのか。
だが、ムッと唇を尖らせる彼女の瞳に、あるものが映った。途端に彼女の顔は輝き、真っ直ぐに歩みを進める。
「ねえ、これはこれ!」
「え?」
どれか着たい服でも見つけたのか、とエミリアは期待を込めてアイリーンの後についていった。だが、彼女が指さすものを見てげんなりとした顔になる。
「エミリア、これ一回着てみない? きっと似合うわよ!」
「ええ……わたしはいいですよ」
どうしてここに子供用のドレスがあるのか。
エミリアは内心地団駄を踏みたくて仕方がなかった。
アイリーンが嬉しそうに掲げるドレスは、確かにエミリアにぴったり合いそうなものだった。少し大人びた意匠で、色も落ち着いている。洒落たところにお出かけするならもってこいのドレスだろう。
「一回、一回だけ!」
「ええ……でも」
「お願い!」
やたらと懇願するアイリーンに、エミリアが勝てるわけもなかった。しぶしぶ試着室に入り、着ている服を脱ぐ。そしてようやくはたと気がついた。なぜ自分が試着する流れになっているのか。先に試着すべきは姉御の方なのに!
そうと分かれば、エミリアは急いでドレスに着替えた。姉の気が変わらないうちに、早く試着をさせるのだ!
「できました!」
エミリアはシャーッとカーテンを引いた。先ほどのドレスがあった場所の近くでうろうろしていたらしいアイリーンは、すぐに飛んできた。
「あら……あらあら! とっても似合うじゃない! いつもとはまた雰囲気が違ってすごく可愛いわ!」
「ほ、本当ですか……?」
エミリアはちょっと頬を染め、もじもじと下を向いた。アイリーンに褒められることなんて滅多にないので、なかなか気恥ずかしいのだ。
「ねえ、これでちょっと髪もまとめてみない? いつも二つに結うだけじゃ、物足りないと思っていたのよ」
「え?」
エミリアが顔を上げた先には、にっこり笑うアイリーンと、彼女が掲げるバレッタが。ちょいちょいと手招きされるがまま、エミリアは後ろを向いた。
「大人っぽいドレスには大人っぽい髪型よねえ」
「そ、そうでしょうか?」
姉御に髪を結われるなんて、一体何年ぶりだろうか。
エミリアは始終そわそわし通しだった。迷惑をかけてはいけないと、エミリアは子爵家に来るとすぐに自分で髪を結うことを覚えたのだ。その際、なんとなくアイリーンが寂しそうな顔になっていたのを、エミリアは知らない。
「できた! ね、こっち向いてみて」
「はい……」
恐る恐るエミリアは振り向いた。そしてアイリーンと目が合う。
「似合う! すごく似合うわ、エミリア」
「ありがとうございます……」
「このバレッタも買っちゃいましょう」
「……え?」
エミリアはその言葉に固まった。何か、忘れてる……?
「ね、じゃあ次これも着てみてくれない? エミリアが試着しているときに見つけたのよ」
「え、あ」
「お願いね」
シャーッとカーテンが閉められる。エミリアはポカンとしながらも、従順に着替え始めた。何かがおかしいと思いながらも、彼女の手足は機械的に動く――。
一つ、エミリアは計算間違いをしていた。仮にもアイリーンは、洋裁店に勤めている店員である、という点だ。いくら彼女が接客が苦手だといっても、幾度も客と接するうちに、接客のいろはを学んでいても不思議ではない。アイリーンは、こう見えて努力家なのだ――。
「とっても似合うわ、可愛い!」
「そ、そうですか……?」
エミリアの方も、大好きな姉におだてられ、悪い気はしない。いや、むしろすごく嬉しい。未だかつて、こんなにも純粋に姉に褒められたことがあっただろうか?
「エミリア、次これは?」
アイリーンの嬉しそうな声は留まることを知らない。エミリアの方も、当初の計画などすっかり忘れ、満面の笑みである。
エミリアがハッと我に返る頃には、もうすっかり日が暮れていたのだった。