第二話 二度あることは四度ある

131:一人になっても


 面接は、つつがなく行われているようだった。面接官はにこりともしないが、かといって詰問してくるわけでもない。エミリアの隣に座る少女たちは、次第にのびのびとして答えるようになっていった。こんなに和やかな面接なら、きっと誰も落とされないのだろうと、そう安心しているような調子だった。

 だが、その一方で、エミリアは、何か言い知れない不安を抱えていた。ゆっくりと迫り来る順番に、自分自身、気持ちを落ち着けなければならないというのに、心がそうさせてくれない。
 そもそも、この面接は何を見ているのだろう、何によって合格不合格が判断されるのか。

 筆記試験は単純な学力、実技試験は行儀作法や、おそらく紅茶を入れる腕というのは何となる分かる。が、面接はさっぱり分からなかった。人と人が対面するわけなのだから、人柄が見られるというのが一般的だろうが、しかし何より格式や礼儀を重んじる王宮が、人の性格などをみるだろうか?
 人柄が良くても仕事が出来なかったら駄目だ。性格が悪くても優秀ならば採用。しかし、それ以上に、ここ王宮で求められる要素はなかったか――。

「では最後の、百二十一番……エミリア、さん」

 気のせいではないだろう、わずかに面接官の声の調子が下がったのは。そのときになってようやく、エミリアは合点がいった。ずっと抱えていた不安の正体――少なくとも中級階級以上の淑女が集まるこの場で、自分は見劣りしないだろうかという不信。

「あなたは……確か、慈善学校の推薦ですよね?」
「はい」
「慈善学校?」

 訝しげな声により、さざ波のようにその言葉が広がって行った。隣に座る同じ受験者も、驚いたようにエミリアの方を向く。

「ああ……」

 そしてその波紋は、誰かの、困ったような声で収まった。まるで、エミリアをどう扱おうか考えあぐねているかのような。

「ご両親は何をなさっているんですか?」
「父と母は、わたしが幼いころに亡くなりました。今は……」

 エミリアは、子爵家のことについて言及しようとしたが、その途中で言葉は途切れた。先日、誘拐事件があったばかりで、今回の面接で、孤児である自分との接点を口に出してしまったら、彼女に迷惑をかけるのではないか。
 そんな風に思ってしまって、エミリアはそれ以上続けることができなかった。

「まあ。では孤児院出身だと?」
「あ……は、はい。今は、知り合いの家に済ませていただいていて」
「そう、苦労なさってるのね」

 面接官の声は淡々としている。その対応は、エミリアの前までやっていた受験者と似たようなものだ。だが、その声の中に、エミリアに対する興味は一欠片もなかった。孤児院で感じていたものと同じ感覚だった。淡々と話す口調に抑揚はなく、視線は自分たちに向いていない。まるで、あの頃に戻ったかのようだった。
 わたしをわたしたらしめるものは、子爵家でいくつももらったはずなのに。努力して勝ち取ったものもあれば、何の見返りもなく無償で、まるで当然であるかのように与えられたものもある。それらが、音を立てて自分から引っぺがされていっていった。
 まるで、自分がちっぽけな存在にでもなったかのようだった。

「結構です。以上で面接を終了します」

 面接官の声に、落ちたと、エミリアはそう思った。

「合格者はこの場で発表をします。合格者は、この後お話しがありますので、ここに残っていただきます。不合格者は、他の者が案内をしますので――」

 声が遠く感じられた。エミリアは俯きながら、ぼんやりと面接官の声を拾っていた。

「百七番、百九番、百十五番、百十八番――」
「…………」
「以上四名が合格者です。長い間、お疲れ様でした。もう一度言いますが、合格者はここに残って頂き、不合格者は案内に従って荷物を取りに行ってください」

 エミリアはそっと立ち上がった。
 もしかしたら、自分の考えすぎなのかもしれない。
 単に元気のなかった自分が好ましくなく、落とされたのかもしれないし、一次選考、二次選考の内容も鑑みて落とされたのかもしれない。
 孤児だから落とされたなどとそんな証拠は欠片もないのに。
 自分の実力のなさに目を向けず、自分にとってどうしようもないことをを理由に逃げ込むなんて、自分はいつからこんなに卑怯になったのだろうか。

「待ってください」

 抑揚のない、淡々とした声が響いた。自分が声をかけられたのかと、エミリアは後ろを振り返ったが、その声の主は、見当違いな方向を向いていた。

「その子は不合格にするのですか?」
「口出しは無用と言いましたよね? 何か言いたいことでも?」
「いえ、そちらのことに口出しはしません。侍女としてその子が失格ということであれば、キッチンメイドとして合格にしたいとは考えております」
「キッチンメイド……?」

 ざわっと面接官たちが騒がしくなる。小さな声で隣の者と相談している。騒ぎの元――実技試験の試験官だった、あの眼鏡の女性は、侍女長と見られる、一番年配の女性をじっと見ていた。

「…………」

 一方のエミリアは、その間、終始居心地悪くその場に立っていた。エミリアについて話しているはずなのに、当の本人たちは、誰一人彼女の方を見て話そうとしない。ある意味連帯感のある空間だった。

「キッチンメイドならいいんじゃないでしょうか。一度不合格にはなりましたが、二次選考まで突破したわけですし」
「ええ、キッチンメイドなら」

 嫌な言い方だ。
 しかし眼鏡の女性は、気分を害するなく、かといって嬉しそうな顔をするでもなく、ただ淡々と頭を下げた。

「感謝します。では、彼女はキッチンメイドとして合格ということで」
「どちらにせよ、ここは今から侍女試験合格者たちに説明を設ける場です。あなたはあなたで彼女に話したいことがあるようですから、別室に行くように」
「はい」

 スッと女性は立ち上がると、エミリアの方へやってきた。戸惑うエミリアと目を合わせるでもなく、彼女は先頭に立ち、扉を開ける。

「ついてきて」
「は、はい」

 女性は、そのまま始めの筆記試験を受けた会場へ足を向けた。まだいくつか荷物が残っているようだが、エミリアに自分の荷物を持ってくるように促した。もともと持ってきていたものは少ないので、すぐに彼女の元に駆けると、彼女は小さく頷き、身を翻した。

「歩きながら話しましょうか」
「はい」

 とりあえずエミリアは頷いてみたが、内心はまだ頭が理解に追いついていなかった。侍女には不合格だったものの、なぜかキッチンメイドには合格したと、そういうことだろうか。

「私はシャノンよ。キッチンのメイド長をしているわ」
「よ、よろしくお願いします。エミリアと言います」

 エミリアはぺこっと頭を下げてみるが、依然、視線は合わないままだ。エミリアは、小股で素早く歩くシャノンに遅れないよう、必死に大きく足を広げた。

「あなたの紅茶、おいしかったわ」

 唐突に降り注ぐ言葉に、エミリアは一瞬理解するのに時間がかかった。しかしその顔はすぐに綻ぶ。

「ありがとうございます」
「変わった味だったわ。ブレンドは得意なの?」
「あ、いえ。知り合いに、ブレンドが得意な方がいて、その方に少しだけ教わったんです」

 跡取り修行のために、フィリップが公爵家に通うようになってから、エミリアも時折彼についていくことがあった。といっても、遊びに行くというよりは、執事であるバトラムや料理長に懇願されたという形だろうか。フィリップの好きな味や料理を教えてほしいとのことだった。その際、そのお礼という形で、エミリアも紅茶の入れ方や、ブレンドの仕方など、少しだけ教わっていたのである。

「料理は何が得意?」
「シチュー、でしょうか……」

 エミリアは考え込みながら言った。特に得意料理、というものは存在しないが、一月に一度の頻度で作るのはシチューだけだ。言わずもがな、敬愛するアイリーンの好きな料理なので、自然と作る回数も多くなるのだ。――残念ながら、あまりにもシチューの頻度が多すぎて、当のアイリーンは、シチューを見る度若干胸焼けがするのは彼女だけの秘密である。

「料理はよく作るのね」
「はい。今は少し落ち着きましたが、以前は五人分の料理を毎日作っていました」

 わずかながら、声が自慢げになるのも仕方がないだろう。子爵家で得たものが、ようやく日の目を見そうになっているのだから。

「あなたには、可哀想なことをしたわね」
「え?」

 言われた意味が分からず、エミリアの口からは間の抜けた返事が飛び出した。

「本来はね、侍女にふさわしくない家柄の子や、身分不相応だと思った子たちは、私が落とさないといけなかったのよ」
「実技試験の時……ですか?」
「ええ」

 おずおずと言うエミリアに、シャノンはため息をついた。

「あなたが言いたいこと、分かるわ。結局落とされるなら、じゃあどうして慈善学校に推薦の枠が来たのか。……上からのお達しなのよ。身分に関係なく、全ての子供に雇用の機会を、とね」

 いつの間にか、二人は王宮の外に出ていた。風になびく前髪を、シャノンはうっとうしそうに掻き上げた。

「正直なところ、私もこれには賛成だわ。身分不相応な子が王宮に勤めて、やっていけるわけがない」
「そう、ですね」

 エミリアは小さく同意した。確かに自分もそう思うからだ。明らかに場違いだと、ベルタから推薦の話を聞いたとき、そう思ったのだ。しかし、諦めなければならないという理性の奥で、わずかに突き動かされる衝動があったのも確かだった。

「でもあなたなら、なんとかなりそうだと思ったの」

 エミリアからの返事は期待していないらしい。ただ自分から話し、自分で納得している体だ。
 エミリアは窺うようにシャノンを見た。理由を知りたいと思ったが、彼女はそれ以上口を開くことはなかった。
 王宮の門につくと、シャノンはエミリアに向き直った。

「私はあなたと働きたいと思ったわけだけど、もちろん強制はしないわ。今日のはまだ可愛い方だわ。でも実際にここで働き始めたら、きっと今まで以上に嫌な思いをすることになる。ここは年功序列でも実力主義でもない。家柄だけが重視される場所なの」

 別れる時になってようやく、シャノンの視線はエミリアに向いた。エミリアは自然、背筋を伸ばした。

「この先、きっとあなたに与えられる選択権は少なくなっていくわ。王宮で働くか、それとも別の道を探すか。あなたが決めなさい」
「はい……」
「もしここで働くなら、二週間後、荷物をまとめて王宮に来て。名前を言えば通してもらえるから。働く意思がないなら、ここへは来なくていいわ。上には私が言っておくから」
「はい」
「……じゃあ」

 なおも何か言いたげに、シャノンは口を開け閉めしたが、結局そこから出てきたのは、短い別れの言葉だった。エミリアは深く頭を下げると、複雑な表情で王宮を後にした。


*****


 エミリアが家に帰ると、ソファにくたっと横になったアイリーンがいた。すっかり帰るのが遅くなってしまったと、彼女の姿を視界に捉えた瞬間、エミリアはそう思った。

「ただいま戻りました」
「お帰りなさい……」
「ウィルドやフィリップがいないからって、だらけすぎですわ、姉御。お疲れでしょうけど、もっと気を引き締めていただかないと」

 一人でもやっていくことができるように。

「だって今日も朝早かったのよ……。まだ眠くて」
「だったら今日は早く寝てくださいね。じゃないと、また明日の朝起きられなくなりますよ」

 わたしが起こさなくても、一人で起きられるように。

「お腹空きましたか? すぐに作りますわ」

 エミリアは腕まくりをしながらキッチンに立った。
 今日は何を作ろうか。市場でいろいろ物色はしたものの、最近は二人分しか作る必要はないので、きっちり食べきれる量を買わなくてはいけなくなってきていた。何を作るかは、それによって自ずと幅が狭くなってくる。
 シチューを作ったとしても、二人では絶対に食べきれないし、明日に残したとしても、それは同じことだ。
 結局、うまく決められないまま、エミリアは適当な食材を買って帰ってきていた。そしてその思考は、今も雁字搦めのまま。
 エミリアはちらりとアイリーンの方を見た。彼女は起き上がって、何やら縫い物をしているらしい。

「…………」

 兄――ステファンも、出て行くときは、こんな気持ちだったのかとエミリアは思った。
 少し、不思議な気持ちだった。今までの自分だったら、自分のことしか考えられなくて、離れて寂しいだとか、うまく仕事がやっていけるのかだとか、きっとそんなことばかり考えていただろうに。
 でも今は何より、残していく人の方が心配で大切で……怖い。

「姉御」
「なあに?」

 間延びした返事が返ってくる。エミリアは心を落ち着かせると、ソファに回り込み、アイリーンの前に立った。

「わたし、今日王宮で試験を受けてきました」
「……試験?」
「本当は侍女になるための試験だったんですけれど、それには落ちてしまって、代わりにキッチンメイドにならないかと言われました」
「…………」
「それで、あの……」

 エミリアの声は、尻すぼみに消えていった。話しかけようと決起はしたものの、その内実、肝心の内容を話す、という部分については決心が鈍ってもいた。
 エミリアが口ごもっていると、今まで困惑したように口を開けていたアイリーンが、パッと笑顔になった。

「――すごいじゃないエミリア!」
「……え?」
「だって……え、王宮の試験に合格したんでしょう? 頑張ったじゃない!」
「そ、そうでしょうか……」

 エミリアは顔を俯けながらも、照れて頬を赤くした。

「もちろんよ、なかなかできることじゃないわ。それに倍率も高いっていうし。そもそも、推薦状がないと試験すら受けられないらしいものね」
「あ……でも、その辺りは、少し贔屓だったというか、わたしの力じゃなくて……」

 純粋に喜んでくれるアイリーンに、エミリアは苦虫を噛みつぶしたような顔になった。

「身分に関係なく試験を受けられる数少ない推薦の枠を、ベルタ先生がわたしにくださったんです。でも結局侍女試験の方は落ちてしまって……。その後に、キッチンメイドとして合格したのも、お情けのようなものですし」
「どうしてそんなことを言うの?」

 アイリーンは、呆れているような、悲しんでいるような、不思議な表情になった。

「ベルタ先生は贔屓をするような方じゃないし、エミリアの人柄や言動を見て、推薦の枠をくださったんでしょう? 自信をもちなさい。何より、エミリアが侍女試験に落ちたことすら、私には信じがたいのだけど……!」

 エミリアほど料理上手で愛想が良くて可愛くて礼儀正しくて毒舌な子なんて、そうはいないのに、どうして落としたのよーと、エミリアを置いてけぼりに、アイリーンは一人勝手に白熱している。
 エミリアは、そんな姉を、びっくりしたように見つめていたが、やがてクスクスと笑い声を漏らした。

「姉御は贔屓目過ぎますよ。きっと、お父さんとお母さんよりも親馬鹿です」
「そんなわけないじゃない。私なんかまだ序の口よ」

 なぜだか悔しそうに言うアイリーンに、エミリアは無性に泣きたい気分になってきた。エミリアはアイリーンにしがみつくようにして彼女に倒れ込んだ。

「わたし……本当はずっと姉御の側で暮らしていたい……! でもそれじゃ駄目だから。わたしは成長しないといけないから!」

 父と母が亡くなって、突然一人になったあの頃。頼れる人は誰もいなくて、何をすればいいのかも分からなくて、次第に心がすり減っていったあの時。子爵家で過ごすことによって、なんとかもちこたえることはできたが、ステファンもウィルドも、フィリップも家から出て行った今、エミリアは再び同じ思いに囚われそうになっていた。自分からは何もしなくて、いつも受け身でいるちっぽけな存在。寂しい寂しいと、ただ自分の感情を持て余すだけの現実。
 だが、あの頃と違うのは、エミリアには自分を奮い立たせるだけの要素があったことだ。
 料理にマナー、言葉遣い、知識、観察眼、毒舌……。加えて、忘れてはいけない、あの頃にはいなかった友達も、家族も。
 要素が多ければ多いほど、それは自信となって返ってくる。現状に甘えてばかりいないで、自分でも何か行動を起こしてみようと決心するだけの自信が。

「わたし、もっと自信を持ちたいんです! もしわたしが一人になっても耐えられるように!」

 でもそれは、まだ十分なほどではない。一度経験した喪失感が、ゆうにそれを物語っていた。
 食べ物を買うお金も、服を買うお金も、住むための家も、そして何より、一人で生きていける強さも。
 まだまだ足りない。まだ無理だ。

「わたし……頑張ります。怖いけど、でも一人で……」

 エミリアを落ち着かせるかのように、アイリーンの手がエミリアの髪を撫でる。が、エミリアはぷいっと横を向いた。それに思わずアイリーンは苦笑する。

「まだまだ甘えてもいい年頃なのに、エミリアは随分大人びたことを言うのね」

 今度は彼女に逃げられないよう、アイリーンはガシッと彼女の頭ごと掴んだ。

「まあ、今までも十分大人びていたんだけれど……うーん」

 そして今度はわしゃわしゃと豪快に彼女の髪をかき回した。

「なっ、何するんですか!」
「何かをしたいって自分が決めたのはいいことだわ。でも、今はまだ、甘えてもいいんじゃないかしら。一人になったらってさっきから言っているけど、四人もいるんだもの、そう簡単に一人にはならないわよ」

 目が赤くなっているエミリアに、アイリーンは目線を合わせた。

「それに少なくとも私は、しぶとく生きてやるつもりよ。たぶん、みんなの中で一番長生きするんじゃないかしら?」

 おどけたように言うアイリーン。だが、あながち冗談にも聞こえなくて、エミリアは堪えきれず吹き出した。

「あんまり一人で突っ走らないようにね」
「あ、姉御がそれを言いますか……」

 小さくエミリアが突っ込むと、アイリーンは素知らぬ顔であさっての方向を向いた。それがあんまり面白くて、エミリアは再び笑い声を漏らした。