第二話 二度あることは四度ある

130:侍女試験


 エミリアは、推薦状を手に、王宮の前に立っていた。
 いよいよ、今日は侍女試験の当日である。ただでさえ、王宮という入るだけでも萎縮してしまいそうな場で、どんなものが課されるか全く分からない試験があるのだ。さすがのエミリアも、緊張しないわけがなかった。
 震える手で、門の傍らに佇む衛兵に推薦状を見せると、挨拶もそこそこにすっと中に入ることが出来た。貴族でも何でもない自分が、こんなにも容易に王宮の中には入れたことが、エミリアはひどくあっけにとられる思いだった。
 中に入ると、すぐに仕着せを着た女性が近くに寄ってきた。

「推薦状はお持ちですか?」
「あ、はい」
「エミリアさん……ですか」

 推薦状に目を落とし、女性はわずかに目を細めた。

「あなたの番号は百二十一番です。この道をまっすぐ行って突き当たりを右に。青い屋根の建物の一階が、今回の試験会場になります」
「分かりました。ありがとうございます」

 推薦状を受け取ると、エミリアはぺこりと頭を下げた。女性は目礼を返すと、次の受験者の元へ行ってしまった。
 緊張をほぐすためにも、誰かと話したい気分だったが、辺りを探してみても、それらしい受験者の姿は少ない。
 エミリアは若干気落ちしながらも、早足で会場へと向かった。
 青い屋根の建物は、すぐに見つかった。中へ入ると、同じ仕着せを着た女性が何人も立っていた。これがメイドの仕着せなのか、とエミリアは今更ながらに気がついた。

「番号は?」
「百二十一番と言われました」
「そうですか。では、あちらの長テーブルに、番号順に並んで座ってください」
「はい」

 エミリアは緊張した面持ちで、頷くと、テーブルへと歩みを進めた。
 試験ということで、エミリアも試験時間よりは大分早めに来た方だが、先には先がいたようで、チラホラもうすでに席に座っている受験者の姿も見受けられる。皆緊張はしているようだが、座っている姿からは相応の気品が感じられる。やはり、侍女試験を受ける者は上流の家柄の子が多いのかと、エミリアは少しばかり身がすくむ思いだった。
 エミリアの席は、一番後ろの左端だった。右から番号が振られているのなら、もしかして自分が一番最後なのだろうか。
 エミリアは複雑な思いで席に座った。
 それから、ポツポツと他の受験者たちも来場し、やがて会場は満員になった。一人の女性が、前の壇上に上がった。

「皆様、本日の侍女試験にご足労いただき、感謝いたします。本日の選考としましては、三つ設けております。筆記、実技、そして最終は面接です。選考に落ちますと、次の選考には進めません。ご理解いただきますように」

 彼女の言葉を受け、エミリアは途端に浮かない顔になった。番自信のない筆記試験が一次選考だという。
 エミリアは、特別学業が苦手というわけではなかったが、侍女試験での筆記対策などほとんどやっておらず、どんな問題が出るのかさっぱり分からないのだ。ベルタに聞いてみても、慈善学校の生徒が試験を受けるという先例がなかったため、対策のしようもないのだ。
 受験者一人一人に問題用紙と解答用紙が配られ、やがて女性の合図で試験が始まった。エミリアも乗り気ではないものの、試験に挑み――拍子抜けした。格別難しいわけでもないのだ。もちろん、分からない問題もたくさんある。だが、しばらく考えたら分かりそうな問題もちらほら。
 ――というより、編入試験と同じような問題傾向かしら?
 侍女試験を受けると決める前は、ステファンも通っていた学園の中等部編入試験のため、エミリアはひとりでに勉強をしていたのだが、それが役に立ちそうだ。
 侍女試験という名がついているのだから、エミリアのあずかり知らぬ――それこそ、侍女の心得やら、メイドの指南などの問題が出るとばかり思っていたのだが、どうやらそれは間違いらしい。
 単純な――といったら語弊があるが――学力を測る問題で良かったと、エミリアは小さく息を吐き出しながら問題を解いていった。
 試験が終わると、少しの休憩の後、再び先ほどの女性が壇上に上がった。もう採点が終わったのか、手には長い羊皮紙を持っている。

「今から一次選考通過者の番号を呼びます。呼ばれなかった方は、荷物をまとめて退出してください」

 短い言葉の後、淡々と番号が呼ばれていく。会場から安堵のため息や、落胆の声が上がっていく。

「――百二十一番」

 番号が呼ばれた。
 なんとか一次は通過したようで、エミリアもホッと息をついた。それでも、半分ほどは落とされており、なかなか肝が冷える思いである。しかし、エミリアとて、慈善学校の枠一つを使って推薦されたのだから、一次で落とされたなんて報告はしたくなかった。


*****


 二次選考の会場は、今いる場所とは違うらしく、最前列に座っていた十名ほどが、違う部屋へ案内された。
 周期は二十分ほどだろうか。前の列と入れ替わりで、次の列が別室へ向かっていく。その間、私語をする者はいない。

「では、最後列」

 ようやくエミリアたちの列が呼ばれ、仕着せの女性の後ろに従って、十人が移動する。彼女たちが案内されたのは、小さな談話室だった。中央のソファには、眼鏡をかけた女性がきっちりと腰掛けていた。首だけをこちらに向け、エミリアたちを値踏みするかのように、眼鏡の奥の瞳が光っていた。
 エミリアたちは、その女性のところではなく、部屋の隅の長テーブルに案内された。

「実技試験は、行儀作法を見させて頂きます。番号順に、あちらの方に紅茶を入れて頂き、その作法を試験します。ここにある道具は何を使っても構いません。十分後に始めますので、それまでに準備を御願いします」

 女性は会釈をすると、すぐに退出した。エミリアたちは、戸惑った顔を見合わせた。

「紅茶を入れるだけ……?」
「私が一番始めだなんて嫌だわ」
「特に気をつけるマナーなんてあったかしら?」

 おのおの小声で隣の者と相談をする。口ぶりと身なりから察するに、皆中流階級以上の出らしいが、少なくとも紅茶の入れ方は分かるらしい。エミリアは難しい顔で黙り込んだままだった。行儀作法なんて学校で習ったこともないし、紅茶の入れ方ももちろんよく分からない。ただ、幸運だったのは、番号が一番最後だと言うことくらいだろうか。他の人の見よう見まねで、なんとか誤魔化せるかもしれない。
 一旦マナーは置いておいて、エミリアは早速紅茶の方を物色し始めた。紅茶の種類はいくつかあるようだが、残念ながら、いつも安いものしか買ってこないエミリアは、そのどれも、見分けは全くつかなかった。
 試飲は許されているらしいので、時間のある限り、手当たり次第試飲をしてみた。エミリアとしては、もっと味の薄いものが好みなのだが、今はそんなことをいっている場合ではない。
 十分後、眼鏡の女性の合図により、試験が始まった。優雅にこなす者も、緊張で手が震えている者もいたが、試験はつつがなく進む。
 その間、エミリアはじーっと受験者を観察していた。マナーなんてものはさっぱり分からないので、入れ方の手順や、出し方などを全て頭の中にたたき込むつもりだった。だが、思いのほか、特にいつも自分がやっていることと代わりはないようで、エミリアは少々拍子抜けした。それよりも気になったのは、試験官の女性だ。彼女はカップを持ち上げると、、しばらく香りを楽しんだ後、そっと口をつけていた。
 実技試験は、行儀作法を見る、ということだが、彼女はいちいち全ての紅茶を飲み干しているようだった。受験者は五十人を超えているのだ、作法だけなら、わざわざ紅茶を飲む必要もない。
 やはり、味も重要なのだろうか。
 エミリアがそう思い至ったところで、彼女の番号が呼ばれた。わずかに緊張する中、手早く準備をし、女性に出した。

「どうぞ」
「…………」

 女性は無言でカップを手に取る。今までのように香りを楽しみ、一口。しかしその動作は流れるようで、それまでの受験者よりは、わずかばかり早かったようにも見えた。

「結構です」

 飲み終わると、突然女性が発声したので、エミリアはビクッと肩を揺らした。が、エミリアに向かって発声したのではなく、受験者全員に向けてのものだったらしく、すぐに持ち直した。

「百七番、百九番、百十五番、百十八番、百二十一番の方は、次の選考へお進みください。案内は先ほどの者が行います。合格者、不合格者ともに、彼女の指示に従って移動してください」

 おのおの、受験者の口から安堵の吐息が漏れた。他の受験者が見ている中で、一対一で試験を行うというものは、思いのほか神経を張り巡らせていたようだ。エミリアも、知らず知らず浮かべていた汗をそっと拭った。
 別室は、談話室のすぐ隣の部屋だった。三人の女性が横並びに椅子に腰掛けており、その前には、十の椅子がこれまた横並びに並んでいた。彼女たちの合図に従って、それぞれ腰掛ける。

「いよいよ最終選考の面接になりますが、形式張ったものではないので、あまり緊張なさいませんよう」

 そういう面接官の口調が、すでに形式張っている。エミリアは苦笑を浮かべながらそう思った。

「では、百七番の方から――」

 面接官の一人が何か言いかけたとき、唐突に入り口の扉が開いた。出てきたのは、先ほどの実技試験官の眼鏡の女性である。

「何事ですか」
「私も面接を担当してもよろしいでしょうか。実技試験の方は全て終わりましたので」

 面接官たちの方は、いささか不機嫌そうではあるが、眼鏡の女性は、口調こそ丁寧なものの、悪びれているようには聞こえなかった。。

「……勝手になさい。ただし、口出しは無用です」
「感謝いたします」

 女性は、一人飄々とした雰囲気のまま、自分で椅子を用意すると、面接官たちの横に座った。コホン、と面接官が咳払いをすると、それを皮切りに、エミリアたちの姿勢がすっと良くなった。