第二話 二度あることは四度ある
129:思わぬ提案
最近、エミリアは心細い思いだった。
頼りになる兄ステファンは寄宿制の国立学校へ行き、喧嘩友達のウィルドは騎士になるため訓練の日々、姉は仕事に明け暮れる毎日だし、フィリップはというと、最近公爵家の跡取り指南として、連日クラーク公爵家に呼ばれている。独りぼっちの屋敷が、心細くてしようが無かった。そして同時に羨ましくもある。夢がある彼らのことが。
友人との約束があると、クラーク公爵家行きの話を断ったエミリアだったが、その友人との約束が思いのほか早く終わり、彼女は暇を持て余していたのだ。
「今家に帰っても、誰もいないだろうしなあ」
そう呟いた声が、人気のない教室に響く。
素直に喜ばなければいけないのに、家族がバラバラになったようで寂しかった。ステファンとウィルドは滅多に家に帰って来ないし、フィリップでさえ、公爵家にとられたようで、エミリアは溢れる孤独感を持て余していた。
「エミリアちゃん」
そんな時、教室の入り口から彼女を呼ぶ者があった。振り返れば、そこに立っていたのは、エミリアの担任であるベルタであった。
「まだ帰ってなかったのね。もう暗くなるし、家に帰った方が良いんじゃない?」
「そう、ですね」
渋々エミリアも動き出す。いくら一人きりの屋敷に帰るのが寂しいからといって、アイリーンたちが帰ってくると同時に鉢合わせしてしまったら、後がうるさいだろう。去年、いろいろな事件があったので、彼女は防犯に関してはうるさいのだ。
「何だか元気がないのね。何かあったの? お姉さん――お姉様と喧嘩した?」
なぜか恐縮して言いなおしたベルタに不審な視線を送りながらも、エミリアは首を振った。
「何でもありませんわ。少し、物思いにふけっていただけで」
「そう……。あ、そうだ、ね、少し時間ある? ちょっと話がしたいんだけど」
「構いませんけど……」
「あ、でもそれじゃあエミリアちゃんの帰りが遅くなっちゃうわね。歩きながら話しましょう」
「はあ……」
やたらと意気込んでベルタがそう言うので、エミリアもそれに従い、帰り支度を始めた。
二人一緒に校門を出ながら、エミリアはベルタを窺った。
「話というのは?」
「ええ、それなんだけど。エミリアちゃん、学校卒業したらどうするか決めてるの?」
「あ……」
エミリアは小さく声を上げた。
寂しさや不安で頭がいっぱいだったが、もうすぐ慈善学校の卒業が迫っていた。それまで、幾度も卒業後、どうしようかと考えたことはあったが、結局結論を後回しにするだけで、今のところ、何も決めていなかった。
「ま、まだ特に考えていなくて……」
「そう、お姉様とも話し合ってないの?」
「あ……えっと、姉御は学園の中等部に進めばいいと言ってくれてるんですけど……。兄がそこに通っていたこともあって」
「まあ、それなら安心ね。エミリアちゃんなら、転入試験も通過できるだろうし」
恐る恐る言ったエミリアに対し、ベルタは嬉しそうだ。
「そうか、学園ね……」
「でも、どうして急にそんなことを?」
卒業後の進路については、もうすぐ個別に話し合う機会が設けられていたはずだ。
「もしまた進路が決まっていないようなら、おすすめしたいものがあって」
「わたしに、ですか?」
「ええ、エミリアちゃんなら適任じゃないかって」
ベルタは持っていた書類を差し出した。
「王宮の侍女よ」
「侍女……?」
「ええ。今年から慈善学校からの推薦が受けられるようになったのよ。幾つか枠があるから、エミリアちゃんもどうかなって。あ、もちろん試験を受けられるようになったってだけだから、もちろんその試験に受からないと、侍女にはなれないんだけど」
エミリアは静かにベルタの話を聞いていた。思いもかけない話だったが、無性に興味を抱いたのだ。もしかしたら、彼女自身、変化を望んでいたからかもしれない。自分をおいて、どんどん先へ行ってしまう家族たちに後れをとらないように、何か新しいことを始めなければと。
「もし受かることができなくても、良い経験にはなると思うの。だってあの王宮で試験を受けられるのよ? 度胸だってつきまくりよ! できることなら私が受けたいくらい!」
「あ……はあ」
勢い込んで言うベルタだが、エミリアは冷静だった。
「でもわたし、孤児院出身ですし。合格したとしても、雇ってもらえるかは……」
もともと、王宮の侍女というのは、家柄のしっかりした令嬢がなるものである。下級貴族の娘や商家の娘が、行儀見習いとして侍女やメイドとして王宮へ上がるのが一般的だ。それが、慈善学校からの推薦として枠がもらえたというだけでも僥倖なのに、それに加えて孤児が侍女とは。さすがに許容してはくれないのではないかとエミリアは思案していた。
「学校からの推薦だから、家柄とかは関係ないのよ」
けれどもベルタは、あっけらかんと言ってのけた。
「そう……なんですか?」
「ええ。私も、始めこの話を頂いたとき、信じられなくて何度も聞き返したもの。でも、向こうは一貫として、家柄は関係ないって断言してくれたわ。勉学に励んでいる学校からも、推薦をあげたいんですって」
「……!」
次第にエミリアの頬も紅潮していく。
「どう? やってみる?」
「は、はい。やってみたいです」
「そう、良かったわ!」
ベルタはパーッと笑顔になった。いそいそと書類をまとめ、エミリアに渡す。
「これ、試験に関する注意事項と、試験を受けるための書類ね。必要事項を記入して、王宮に提出するの。試験自体は一ヶ月後よ。あんまり準備期間はないけれど……力になれることがあったら何でも言ってね」
「はい」
書類を眺めながら、エミリアは頷く。書類には、最後の方に保護者の記入欄があったが、名前を書くだけなので、多少丁寧に書いたら、なんとか誤魔化せそうな範囲内だ。
「お姉様ともよく相談してね」
「……はい」
従順に頷きながらも、エミリアは姉に話すつもりはなかった。
今はフィリップのことで忙しいだろうし、それに受かる保証もないし……。
受かったら、受かってから話そうと、エミリアはじっと書類を握りしめていた。