第二話 二度あることは四度ある
128:晩餐
幸か不幸か、クラーク公爵家お呼ばれの日は、すぐにやってきた。屋敷の戸締りをした後、アイリーンは浮かない顔で馬車に乗り込んだ。もちろん、隣には嬉しそうな顔をしているフィリップも一緒だったが、今日ばかりは彼のその笑みで心が安らぐことはなかった。
「今日はよろしくお願いいたします」
アイリーンは、馬車に乗り込む前、バトラムに向かって軽く頭を下げた。
「いえ、こちらこそ。突然の申し出、承諾してくださってありがとうございました」
御者も務めるらしい彼は、手慣れた動作で静かに馬車の扉を閉めた。彼が御者台に乗り込んでようやく、馬車が動き始める。
「はあ……」
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
「そうかしら」
どっちが年上か分からない会話をしながら、アイリーンは窓から外の景色を眺めた。まるで今の自分の心境を表しているかのように、天気はどんよりしていて、アイリーンは一層暗くなった。
「お父様と……何か話したの? この間、一緒に食事をしたんでしょう?」
そのままふさぎ込んでいても時間の無駄なので、アイリーンはフィリップの方を見た。
「勉強のこととか話したかな。どこまで習ったのかとか」
「そう」
どうしたものか、とアイリーンは天井を仰いだ。
血は繋がっていなくても、親子であるクラーク公爵とフィリップの仲を、傍から見れば他人の自分が首を突っ込んでもいいものか。
そもそも、クラーク公爵に何か心境の変化はあったのだろうか。
彼が、少なくとも過去の行動を猛省し、かつフィリップとやり直したいというのなら、アイリーンとて助力は惜しまない所存ではあるが、肝心の彼がどう考えているのかさっぱり分からないので、アイリーンも手を出しづらいのだ。
フィリップが、過去にあったことを乗り越えた上で、クラーク公爵のことを父と慕っているのだから、アイリーンとしては、二人が仲良くなってほしいとも思う。だが、クラーク公爵は、フィリップと血が繋がっていないことを、今現在どのように考えているのか……。今回の晩餐会にて、アイリーンはそれを見極めようと思っていた。
夜の帳が降り始めた頃、公爵邸に着いた。バトラムの後ろに従って、アイリーンたちは大勢の使用人に出迎えられた。大きなホールにずらりと使用人が立ち並ぶ姿は圧巻で、気後れすらする。
数人のメイドを伴って晩餐室へ連れられる頃になってようやくアイリーンは人心地につくことができ、すぐ前を歩いていたバトラムに声をかけた。
「なんとなく……屋敷全体が明るく見えるのは気のせいかしら。改装でもしたんですか?」
しかし、そう口にした瞬間にハッとする。それはそうだろう。前回この屋敷を訪れた時は、追われの身で、かつ侵入者として走り回っていたのだから。対して今回は、一応当主のクラーク公爵に呼ばれる身分。違いがあるのは当然のことだろう。
「お気づきでございますか」
しかしなぜかバトラムは自慢げだった。短くそろえられた髭を嬉しそうに撫でる。
「フィリップ様がこちらによく顔を出されるようになってから、使用人たちも一層仕事に精を出すようになりましてね。以前までは、ただ旦那様に申付けられるがまま掃除していただけだったのが、今では率先して花を活けたり、料理を勉強したり。すっかり生き生きとしていますよ!」
そう語るバトラムが、一番生き生きしている。アイリーンは何だか呆気にとられた気分だった。
「フィリップ様はいつもにこにこしてらっしゃって、使用人にも気さくにお声がけなさるので、我々も毎日が楽しいんですよ」
「そうかな……」
「そうですとも!」
バトラムはへにゃりと相好を崩し、フィリップは照れ笑いをし。
アイリーンはその間で、何とも言えない気分で彼らを眺めていた。
晩餐室に着くと、ようやくこの時が来たかとアイリーンは姿勢を正した。一番奥の椅子に座していたクラーク公爵が立ち上がり、アイリーンの表情も自然、引き締まる。
「ご足労感謝する。今日はどうぞゆっくりしていただきたい」
「こちらこそ、お招きいただき、ありがとうございます。今日はよろしくお願いいたします」
双方ぎこちない笑みを交わし、三人は腰を下ろした。無駄に大きいテーブルを囲む形だ。幸か不幸か、そのためにクラーク公爵との距離も開いているため、幾分か、アイリーンの方の緊張もほぐれてくる。
「顔を合わせるのは一年ぶりか」
食事をしながら公爵がアイリーンに視線を向けた。チラチラッと気遣わしげなフィリップの視線を横に、アイリーンは笑顔で答える。
「そうですね。あの騒動以来かと」
「…………」
何の気なしに言ったつもりが、アイリーンの言葉に、クラーク公爵は片眉を上げた。嫌みと受け取ったのかもしれない。気まずい沈黙が漂う。
「あっ、でも、二人にはいつも報告してるから、全く久しぶりって感じはしないんじゃない?」
「そう……そうね」
「そうだな」
フィリップの拙い助け船に、アイリーンと公爵は、無理矢理にでも頷いた。初っぱなから雰囲気を悪くして喜ぶ輩はいない。
「……子爵家は、うまくいってるのか」
続いて公爵は再び問いを投げかける。アイリーンは少し首を傾げた。
「家族仲、ということでしょうか? ……そうですね、悪くはないと思いますけれど」
「姉様……」
アイリーンを見上げるフィリップの顔は、どことなく不満げだ。その顔が妙にステファンに似ているような気がし、アイリーンは照れ笑いを浮かべた。
「だ、だって、普通の家族がどんな風なのかよく分からないもの」
家族づきあいどころか、友人づきあいにも疎いアイリーンである。どのくらいが仲がよく、どのくらいが仲が悪いのか、よく分からなかった。
「そちらこそ、フィリップとはうまくやっているんでしょうか」
気を取り直して、アイリーンも聞いてみる。こちらばかり質問されてばかりでは、割に合わない。
「そんなもの、フィリップに聞けばいいだろう」
「フィリップが帰ってきたら、いつも聞いてますよ。今日は折角お招きいただいたので、あなたからお聞きしたいんです」
「…………」
クラーク公爵はしばし押し黙った。
少々生意気すぎたか、とアイリーンは思ったが、一年前のあの事件、彼女は未だ根に持っていた。このくらいの返し、まだ可愛いものだろうと思い返した。
「普通だ」
「普通ってどういうものなんですか? 先ほども申し上げましたとおり、私、普通の家庭がどのようなものか、よく分かっておりませんの。詳しく教えていただけると嬉しいです」
にこにことやけに愛想良くアイリーンは言う。公爵は眉間に皺を寄せたまま彼女を睨み付けていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……話したり」
「どんなことを?」
「その日あったことを」
「直近でいうと、例えばどんなことが?」
「……花が、綺麗だったとか」
「あら、いいですわね。丁度暖かい気候ですもの」
「バトラムがお世話してる庭が、すごく綺麗なんだ。この後案内するよ」
「まあ、ありがとう」
ふふふとアイリーンはフィリップを見る。
ようやく質問の波が終わったかと公爵がホッとするのもつかの間、アイリーンは再び彼に顔を向けた。
「他には?」
「……虫が、部屋に入ってきただとか」
「もしかして、蝶のことですか? その話は私も聞いています。確か、すごく綺麗な蝶だったのよね」
「うん」
フィリップも嬉しそうに頷く。
「あとは――」
無理矢理話を繋げようと、なおもアイリーンは口を開いたが、一瞬の隙を突いて、クラーク公爵が空咳をした。出鼻をくじかれ、なんとなくアイリーンは口を閉じる。その場の視線が彼に集まった。
「フィリップももう十歳になった」
唐突に話し出した言葉からは、彼の話の意図は読めない。。アイリーンは生返事を返した。
「はあ」
「行儀作法や勉学を学ぶだけではなく、社交界に顔を出したり、王宮に上がったり、交流を広げなければ」
「何か、おっしゃりたいことでもあるんでしょうか?」
やたらと回りくどい言い方に、アイリーンも焦れてきた。居住まいを正し、真っ直ぐにクラーク公爵を見つめれば、意外にも、彼も真っ直ぐアイリーンを見返した。
「……フィリップの寝泊りは、こちらの屋敷でするよう、手配したい」
「お父様?」
フィリップが驚いたような声を上げた。聞くまでもなく、初めて聞いたことなのだろう。
「こっちで住むようにって……でも」
「これから忙しくなる。リーヴィス邸とこちらの往復ばかりにかまけてはいられないのだ。お前もその方が楽になる」
「でも……」
フィリップは視線をアイリーンに向けた。アイリーンはそれを冷静な顔で受け取った。
なんとなく、そんな予感はしていたのだ。ここ最近、フィリップが公爵家に赴く頻度が極端に多くなっていた。夜、帰ってくるのも遅くなり、このまま帰って来ないんじゃないかと思う日も出てくる始末。いつか、そう遠くない日に、フィリップはクラーク公爵家に引き取られるのだろうと、アイリーンも覚悟はしていたのだ。
「週に一度……いえ、月に一度くらいは、フィリップと一緒にご飯を食べてもいいのでしょう?」
アイリーンにしては、ずいぶん腰の低い希望だ。
クラーク公爵もそう思ったのか、訝しげな顔になった。そもそも、そう易々と自分の望みを受け入れられると思っていなかったのか。
「……望み通り、週に一度でも構わない」
「でも、それじゃあ教育が追い付かないんじゃ……」
「その辺りはフィリップの頑張り次第だろう。勉強が追い付かないのなら、月に一度に減らすのみ」
「……僕、頑張るよ」
分かりやすい公爵の発破に、フィリップは健気にも笑って答えた。
「フィリップ、週に一度、会えるように勉強頑張ってね」
アイリーンも眩しい思いで彼を見つめると、途端にフィリップは気遣わしげな顔になる。
「うん……でも」
なんとなく、弟のその顔から、彼がクラーク邸で再び暮らすことに、抵抗はないのだろうと、アイリーンはそう考えた。むしろ、残していくことになる自分やエミリアの方を気にしているのか。
ならば、アイリーンができることは、彼の背中を押すことだけだろう。いつでも帰って来ていいから、頑張って来なさいと、そう声をかけるだけだ。
話を盛り上げようと、アイリーンに話を振ったり、クラーク公爵に話を振ったり。奮闘するフィリップを見て、アイリーンは嬉しいような悲しいような、複雑な感情を抱いていた。