第一話 百噂は一見に如かず
124:子爵令嬢の噂
洋菓子店を後にした後、三人は特に行く当てもなく、ぶらぶらと街を彷徨い歩いていた。観光すべき場所は多いのだが、何しろそういう場所は、入るだけでもお金がかかる。先ほどのお土産で大枚をはたいたブレットは、財布がすっかり寂しくなり、対するアイリーンの方も、もともと寂しくなるほどのお金は入っていなかったので、似たり寄ったりである。
「なーんか、他に行くところ……」
「安くて……もしくは無料、ね」
情けないことだが、アイリーンはそう付け加えるしかなかった。ウィルドの兄を精一杯もてなしたいのは本心だが、しかし金銭面のことを思うと――。
「俺、普段ウィルドがどんな鍛錬してるのか見てみたいな……」
不意にブレットが呟いた。アイリーンとウィルドの視線が彼に向く。
「ウィルド、騎士になりたいんだろ? でも俺、正直村にいてばかりで、騎士がどんなことをするのかよく分からないんだよ。母さんも心配してた。ウィルドがやっていけるのかって。だから一度ウィルドの鍛錬の様子を見せてほしいんだ」
黙ったままでいるウィルドに慌てたのか、ブレットはぶんぶんと両手を振った。
「あっ……いや、別にウィルドを見定めるとかそんなつもりじゃなくて、ただ……騎士が、どんなものかよく分かってないから……」
「いいよ!」
唐突にウィルドは叫ぶ。目もキラキラしていた。
「うん、そうだね、そうしよう! 折角だから、兄ちゃんにもいろいろ見てほしいし!」
「ウィルド……」
「でも俺が普段練習してるところ、見学は駄目だと思うんだよね。だから騎士団の方に行こう!」
「――え」
あれよあれよと間に話がまとまりかけているが、慌ててアイリーンも口を挟んだ。
「ウィルド、騎士団も暇じゃないのよ? そんな軽い調子で行ける訳ないじゃない」
「大丈夫だって。団長さん、いつでも来ていいって言ってたし。最近はあんまり行ってなかったから、皆にも会いたいしさ!」
「でも……」
アイリーンとて、ウィルドが頑張っている様は見たくない訳ではない。だが、あくまで騎士団が真面目に職務を全うしている所に、見学よろしく子供と男女二名が訪れるというのは……。そもそも、騎士団は女人禁制じゃなかったかしら?
アイリーンの心配は尽きないが、そんなもので野生児ウィルドの足を止めることなど不可能だった。ずんずんと突き進む彼に、半ば引きずられるようにして三人は騎士団の詰所に現れた。門の所には、隊服をしっかり着こなした騎士が一人立っていた。
「こんにちは!」
「おー、ウィルド、随分久しぶりじゃないか。向こうでも元気にやってるか?」
「もちろん!」
ウィルドは元気よく拳を作る。
「ねえ、今日は俺の故郷の兄ちゃんが遊びに来てるんだ。俺の普段の様子が見たいって……。入っていいかな?」
「ああ、もちろん――」
いいぜ、と続けようとしたところで、門番の視線がはたと後ろの二人で止まった。
「初めまして、ウィルドの兄のブレットと申します」
「初めまして……」
この人は良い。人の良さそうな顔をしているし、ウィルドの兄という出自も明らかだ。
「こんにちは」
「……こっ、こんにちは……」
問題は、この女性だった。
この女性は、確か。
目まぐるしく回転する彼の頭の中では、様々な情報が飛び交っていた。
子爵令嬢で子供嫌いで高飛車で団長と噂になってて花売りで誘拐で――。
団長と噂!?
慌てて門番は上から下までアイリーンを観察する。金髪に青い瞳、女性にしては高い背に、何よりその継ぎはぎだらけの妙なドレス――。
間違いない、団長と噂のある令嬢だ。
「――もちろん、どうぞお入りください」
唐突ににこやかになり、門番は快く一行を通した。
どうして急に敬語……? と一行は不審がりながらも、そのまま中へ入っていく。
対する門番の方は、ホッと胸を撫で下ろすばかりだった。あの令嬢と、そう長いこと顔を突き合わせない方が得策だと思ったためだ。何せ、彼女は昔から良くも悪くも噂が飛び交う人だった。
子供嫌い人嫌いを始めとして、性格は高飛車、態度も高圧的。睨まれた者は、思わず自ら土下座して許しを請うのだと本当かどうかも分からないものまである。最近では、子供を追いかける鬼婆、引ったくりを捕まえてボコボコにする、姫を苛めて高笑いする、目があったら大量の花を売りつける、接点を持った恋人は別れてしまう……などなど、続々新しい噂が生み出されている。
最後の噂に至っては、自分達のすぐ近くにその立証者がいた……。警備騎士団副団長、マリウスである。彼は、自分からは口を開かないものの、何の因果か、あの令嬢と接点を持ったがために恋人と別れたらしい、と騎士団の中で都市伝説のように囁かれていた。何でも、丁度副団長が恋人と別れた日、子爵令嬢と口論する姿が見かけられたとか……。彼女が何かをしでかしたのは一目瞭然だった。こうして彼女の周りには様々な噂が飛び交っているのだ。
――が、何を驚こう。一番の懸念材料は、我らが警備騎士団団長が、あの令嬢と噂になっていることだろう。
門番は、思わずうう……と頭を抱える。
互いにどう思っているのかは分からないが、彼らの恋人疑惑の噂は後を絶たない。夜会にて、庭の暗がりで揉めていたとか、子爵家の家族と共にご飯を食べていただとか、酔った令嬢を団長が引きずっていただとか、花祭りの時一緒に歩いていただとか、人里離れた森で一緒に野イチゴを食べていたとか……。
どれが噂でどれが本当なのかはさっぱりだが、しかしこれだけは言える。
団長とあの令嬢を引き離さなければ!
もしも団長と子爵令嬢が恋仲になり、まかり間違ってそのまま結婚――ということになれば、騎士団の未来が無い! ただでさえよくない噂が飛び交う令嬢に、警備騎士団団長の妻が務まるわけがない!
ここは、何としてでもあの二人を近づけさせないようにしなくては……!
そこまで考えて、門番ははたと固まった。
「あっ、中に入れてしまったんだった……」
門番は自分の馬鹿さ加減に再び頭を抱えた。
女人禁制であるからだとか、一般人以外は立ち入り禁止だとか、言い訳は山ほどあったはずなのに、自分はあの令嬢の纏う高圧的な雰囲気に怖じ気づいてしまったんだ……と、門番は一人表情を曇らせていた。
今、団長は見回りに出ているが、いずれ帰ってくるだろう。あの令嬢と鉢合わせ、なんてことになったら一体どうすれば……!
悶々と頭を悩ませる門番に、一つの影が差した。その影は、困ったように一瞬立ち尽くすと、そのまま門番に声をかける。
「――おい」
「だ……だだだ、団長!」
門番は思わず目を剥く。どうして、こんなにも早くお帰りに!
しかしそれは声になることは無く、ただただ唖然と警備騎士団団長オズウェルを見上げるだけだった。
「どうした、そんなに慌てて」
「い、いえ、何でもありません……」
視線はきょろきょろと彷徨う。何か話題を、と必死だった。
「きょ、今日の見回りはどうだったんですか?」
「別に……何事もなく終えられたが」
「あ……はは、なるほど……」
「退いてもらってもいいか。中に入りたいんだが」
「あっ、すみませ――」
門番は、丁度入り口の中央で立ち尽くしていた。職業柄、すぐに謝り、身を退けて――。
「ああっ、団長……!」
またもや中に入れてしまった!
門番は慌てて声をかけたが、オズウェルには聞こえていないようだった。
オズウェルは、疲れた体を休ませようと、すぐにでも宿舎に入って行こうとした。が、その前にふと訓練場が目に入る。
珍しく、どの騎士も真面目に練習しているようだった。どうしたことか、と視線を巡らせてみれば、その中心にウィルドの姿が。
彼の勢いに釣られたのか……?
いや、違う。
彼らは、時折一点をチラッと盗み見ていた。そして身震いした後、再び訓練に精を出す。
……怯えている?
オズウェルも思わず彼らが視線をやる場所を見て見る。――と、目に入る二人の若い男女。仲睦まじげに話しているようで、その距離は近い。しかも、その女性の方は特に見覚えがあった。
……そもそも、女人禁制なんだが。
しかし、そうは言っても、特例だと言って何度かその女性を詰所に引き入れた身としては、何とも言い難い。一つ息を吐き出すと、オズウェルは微妙な顔をしながら彼らに近づいて行った。それとともに、二人の嬉しそうな笑い声も大きくなる。
「――こんな所で見合いとは、雰囲気も何もあったものじゃないな」
オズウェルの声に、その令嬢はゆっくりと振り向く。
驚いたように見開かれた青い瞳と目が合った。