第一話 百噂は一見に如かず

123:噂好きの花屋


 そのまま、子爵家では昼餉の後までトランプをして過ごした。
 もともとトランプは昼餉まで、という暗黙の了解のもとで始められたのだが、フィリップやウィルドばかりが上位を独占するのがアイリーンにとっては面白くなく、今度はステファンとエミリアも交えての対戦よ! との宣言で、戦いの火ぶたが切られた。
 しかし「たとえステファンやエミリアが加わったからといって、アイリーンが上位に食い込むことは無く、むしろ今まで以上に下位の確率が高くなっていた。主に上位を争っているのはステファンやフィリップで、下位を争っているのはアイリーンとブレットである。
「こっちの方がよろしいのでは?」
「……いえ、俺の直感を信じます」
 スッとブレットはアイリーンの持つトランプから一枚抜き取ると、自身のそれとを見比べる。途端、みるみる彼の表情は晴れやかになった。
「上がりだ……!」
「師匠の負けー!」
「……うるさいわねっ!」
 ツンと拗ねると、アイリーンは自身のトランプを場にぶちまけ、再び集め始めた。誰に尋ねるでもなく、また次の勝負を始めるつもりらしい。
「飽きたー。トランプ飽きたよー」
 さすがのウィルドも、これには四肢を投げ出して抗議した。フィリップも苦笑を浮かべ、言葉にはしないながらもウィルドに賛成のようだった。
「自分からやりたいって言っておきながら……」
「ねえ、外に行こうよ。兄ちゃんも外をいろいろ見て回りたいだろ?」
「え……俺?」
「そうですね。折角ですから、ウィルドと一緒に街へ行ってみては? このままずっと家でトランプなんて楽しくもなんともないでしょう」
 ステファンは冷たい目で姉を見やる。うっ……と、アイリーンのトランプをシャッフルする手が止まる。
「……そうね。私もそう思うわ」
「でもウィルドだけだと心配ですわ。ウィルド、また何かしでかしそうで」
「そうだね。ウィルドが案内人なんて、問題を起こしてくださいって言ってる様なものだし」
「ひっどいなー、何だよお前ら、その言い草」
 ウィルドは唇を尖らせる。しかしブレットとしては彼らの意見に大いに同意だった。村にいた頃も、ウィルドは一人でいると色んな事をしでかしていた。勝手に摘まみ食いをしたり、誰かに悪戯を仕掛けたり、はたまた物を壊したり……。
「ウィルドを監督する者が必要ですね……。でも僕はこれから学校に戻らなくてはなりませんし」
「わたしは友達と遊ぶ予定があります」
「僕も……これから友達と一緒に」
 流れる様な会話だった。自然、皆の視線が一つに集まる。
「まさか……私がウィルドのお守を……?」
 アイリーンは頬を引き攣らせた。
「一番適任かと思います」
「……はあ」
 アイリーンは思わずため息をついた。しかしそうなるのも当然というもの。今日は久しぶりのお休みだというのに、何が楽しくて問題児のお守をしなくてはならないのか。
「えー、師匠も来んの? 俺一人で十分なんだけど」
 一人空気が読めないのはウィルドだ。こちらの気も知らないで、と思わずアイリーンは睨む。
「……分かったわ、私も行きましょう」
「ええー! なんでさ、嫌そうだったじゃん!」
「気が変わったのよ。私もついて行くわ。さあブレットさん、行きましょう。まずはどこへ行きたいですか。どこへなりとも行きましょう」
「は……はあ」
 一周回って、むしろ楽しそうなアイリーンと、戸惑うブレット、そして項垂れるウィルド……。
 こうして、この奇妙な面子での街観光は始まったのである。

*****

「さあ、本当にどこへ行きましょうか。ブレットさん、行きたいところなどは?」
 森を抜けたところでもう一度アイリーンは問いかけた。博物館や美術館、図書館や植物園、薔薇園、劇場など、この街には娯楽施設が山ほどある。アイリーンの手持ちは少ないが、折角来たブレットのためにも、そのお金が尽きるまで、しっかり案内しようと思っていた。
「あ……っと、行きたいというか買いたい物なら……」
「何でしょう?」
「ヒュルエル通りの洋菓子を買いたいんです。この辺りで有名だと聞きました。母が甘いものに目が無くて、お土産に買って帰ろうかと」
「まあ、それは良い考えですね! あそこの洋菓子は、少々お値段が高いんですけど、本当に美味しいんですよ」
「じゃあ俺たちも買って帰ろうよー。今日のデザートってことで」
「予算が足りません」
「ケチー」
 どうせ買ってくれないのなら、洋菓子店に行っても意味ないよーと駄々を凝るウィルドを引き連れ、一行はヒュルエル通りにやって来た。時刻は昼を少し過ぎたころ。時間的にはティータイムにはまだまだ早いのだが、もうその店には行列がついていた。
「これは……長くかかりそうですね」
「すみません、すぐ買ってくるので、待っていてもらえますか?」
「もちろんです。私、ここに立っていますので」
 ペコペコ頭を下げながら、ブレットは店の中へと消えていく。そんな彼を見送りながら、アイリーンは隣でボーッとしているウィルドに声をかけた。
「ウィルド、行かないで良かったの?」
「え? 何で?」
「折角の二人で話せる機会じゃない」
 虚を突かれたように、ウィルドは押し黙った。しかしすぐに顔を上げる。
「……夜に話すからいいよ」
「そう」
 自身の欲望に忠実なウィルドのことだ、果たしてはしゃぎ疲れて寝てしまわないか、とアイリーンは少々不安だったが、まあそれも経験のうちだろうと、ひとまず頭の奥へと追いやった。
「あれー、よく見ればアイリーンとウィルドじゃないか。久しぶりだねえ」
 のんびりとした口調に、思わず二人同時に振り返る。
「アマリスさん!」
「こんな所で会うなんて奇遇だねえ。二人もこの店のを買いに?」
 そう言ってあげられた腕には紙袋が下げられている。アイリーンは曖昧に微笑んだ。
「ええ……まあ、付き添いと言いますか……」
「ん? そうなんだ」
 大人二人の会話に、ウィルドはむうっと頬を膨らませた。目の前で美味しそうな匂いを放つ紙袋に、早速お腹を空かせているらしい。
「何となく事情が読めたよ。ほらウィルド、これ食べな」
「えっ、いいの!?」
 ニコニコ笑ってアマリスが紙袋から取り出すのは、小袋に包装された焼き菓子だ。途端にウィルドの顔が色づく。
「気にすることないよ。食べな」
「ありがとう……!」
 脇目もふらずに包装を剥がすと、ウィルドは無我夢中になって焼き菓子を頬張った。非常に恍惚とした表情だ。
「どこかのケチな師匠とは大違いだ……」
「聞こえてるわよ、ウィルド」
 パシリ、とアイリーンは手刀を食らわせるが、ウィルドは反撃すらしなかった。まるまる焼き菓子をお腹に収めると、満足そうな表情になる。
「美味しかった! ありがとうアマリスさん!」
「いいよいいよ。喜んでもらえてよかった」
 アマリスは嬉しそうにウィルドの頭に手を乗せる。アイリーンが同じことをしたならば、子ども扱いするなと払いのけられるだろうが、そこはさすがのアマリス、持ち前の大ざっぱな性格でそうさせまいとの無言の威圧感があった。
「すみません、遅くなりました」
 そんな中、縮こまるようにしてやって来たのはブレットだ。腕にはアマリスと同じ紙袋を二つも下げている。それを見て、ウィルドの喉がゴクリと鳴った。
 さっきアマリスさんから頂いたばかりじゃない……とアイリーンは呆れ返ったが、さすがはブレット。伊達に十余年ウィルドの兄をやっているわけではないようで、彼は紙袋二つのうち一つをウィルドに向かって持ち上げた。途端に彼の瞳が輝きだす。どこかで見た光景だ。アイリーンは頭を抱えた。
「えっ……これ、いいの!?」
「ああ。でも子爵家の皆さんに対して、だからね。一人で全部食べたら駄目だよ」
「ありがとう! さっすが兄ちゃんだぜ!」
 わざとらしくウィルドはアイリーンを見上げてみせる。アイリーンはアイリーンで、苦虫を噛み潰したような顔でブレットに頭を下げた。
「……すみません。お気を使わせてしまって」
「いえ、お世話になるんですから、このくらいさせてください」
 ブレットの爽やかな笑顔に、幾らかアイリーンも緊張の糸を解いた。ウィルドはそんな二人の心境など気にもしない様子で、嬉しそうに紙袋の中を覗き込んでいた。
「あの、そしてそちらの方は……?」
 アイリーンとウィルド、そして新たに現れた大柄な女性。ブレットは躊躇いがちにアマリスに視線を向けた。
「えっと……」
 何と紹介したものか、とアイリーンが考える最中、ポカンと口を開けたまま、当のアマリスの視線は、アイリーンとブレットの間を行ったり来たりしていた。と思ったら、いやにニコニコした表情でアマリスはアイリーンに詰め寄った。
「――ねえ」
「な……何でしょう」
「あの人、アイリーンの見合い相手?」
「……はい!?」
 思わずアイリーンの声を裏返った。ブレットに聞かれていないか、と思わず彼の方を見るが、ブレットはきょとんと見返すばかり。胸を撫でおろしながら、アイリーンはアマリスを隅へ引っ張っていった。
「どっ、どうしてそうなるんですか!」
「えっ、違うの?」
「違います! あの人は、ブレットさんと言って――ウィルドのお兄さんです。今日ウィルドに会いに来られて」
「――お兄さん? 実の?」
「はい。少し複雑なんですけれど、先日の誘拐事件で、ウィルドの居場所を知ったらしくて……」
「なーんだ、あたしはてっきりお見合い相手かと思ったよ……。アイリーンも、ついに結婚相手を探す気になったのかと」
「……全く考えていない訳ではないですけれど、でも彼は違いますから」
 そう答えるアイリーンの表情は苦い。
 彼女も、そろそろ身を固めなくては、とは思っていた。無事当主となったステファンのこともあるし、いつまでも未婚のままだと彼に迷惑がかかるかもしれない。それに、先日の誘拐未遂事件では、アイリーンはウィルド、エミリア、フィリップの三名を誘拐したとして牢にまで入れられた。それは、アイリーン自身の性格による噂のせいもあるだろうが、何より彼女の社会的地位が低いことも要因の一つだろう。もしも、彼女が身分ある男性の下に嫁いでいたならば、多少なりとも状況は変わっていたかもしれないのに。
 今現在、子爵家にはアイリーンとエミリア、フィリップが住んでいる。ステファンは国立の寄宿学校に入っているし、ウィルドは騎士見習いとして寮で暮らしている。それぞれがそれぞれの道を進んでいる中、アイリーンとしても、自分の道を考えなければ、と思い始めていた。
「ふふん……でもなるほど、あの人がウィルドのお兄さんか」
「……え?」
 熟考するアイリーンを差し置き、アマリスは嬉しそうだ。アイリーンが止める間もなく、彼女はブレットの前まで突き進んだ。
「ブレットさん、だったね。あたしはアマリス。この子たちの母親代わりみたいなものさ。よろしく頼むよ」
「え……あ、はい」
「良かったら後でうちの店にも寄りなね。いい人がいるなら、花束作ってあげるよ」
「……アマリスさんの店、花屋なんです」
 困惑した様子のブレットに、アイリーンは苦笑して付け加える。全く、彼女はいつまで経っても変わらない人だ。自分の話したいことだけを話しまくる人。
「じゃ、あたしはここらで退散するとするかね! 仲良くね、お二人!」
「……? はい」
 何だか、やっぱり勘違いをされてる……?
 そうは思ったものの、アイリーンにそれを否定する元気もなく、そのまま疲れたような顔でアマリスを見送った。