01:猫と不良


「ああ!?」
 学校随一の不良、古谷君。

「たらたら歩いてんじゃねえよ!」
 彼は、老若男女問わず皆に恐れられていた。
 しかし、私にはどうも彼がそんなに怖い人には思えない。

「何ジロジロ見てんだよ!?」
 なぜなら、彼は肩に猫を乗せているから。

「あ、私? ごめんね」
 つい猫に目がいっていた由紀は、さっと身を避けた。

「ったり前だろ。ボーっとしてるんじゃねえよ」
 チッと舌打ちしながら古谷君は歩き出す。ついでにすれ違う生徒たちに向かってガンを飛ばすことも忘れない。

 初めて古谷君と会話した……。そして初めて間近であの猫を見ることができた。
 由紀の中では対峙した不良生徒古谷君への恐怖よりも、猫を見られた幸福感の方が勝っていた。

「ゆゆゆ、由紀ちゃーん!! 大丈夫だった!?」
 自身の教室へ向かっている途中、どこからかパタパタと騒がしい音がやって来た。音の主はポニーテールの少女、純ちゃんだ。彼女の性格を表しているかのようにポニーテールがぴょこぴょこ跳ねる。

「何が?」
「古谷君のことだよ! さっき何か言われてたでしょ!?」
「別に大丈夫だよ。私が廊下でのんびりしてたのは事実だし」
「だ、だからってね、いきなり公衆の面前であんな風に叫ぶなんて……」

 しゅんと純ちゃんが項垂れる。その頭にぽんと手を乗せると由紀は微笑んだ。

「私は大丈夫。ね、もうすぐホームルーム始まるよ。行こう」
「由紀ちゃん、お母さんみたい」
「――一言余計だよ」

 思わず由紀は膨れたような顔で突っ込んだ。

*****

 どうやら彼の肩に乗っている猫は自分にしか見えないらしい。

 といってもそれは当たり前のことなのかもしれない。何故なら由紀は昔から浮遊霊が見えたからだ。周りの人は当然それが見えない。由紀が普通とは違うからこそ、彼の猫も見えているのだ。

 きっと、あの猫はもう亡くなっている。

 あの猫は、古谷君の肩の上が気に入っているのか、あそこから降り立つ姿を見たことがない。きっと彼の飼い猫だったのかもしれない。そしてその細い首には赤い首輪。あの猫の白い毛並みによく映えていて、古谷君が随分と可愛がっていたことが窺える。

「意外だな……」
 由紀は思わず呟く。

 そう、問題はそこだった。見た目不良、素行不良の彼が、家では美しい白い猫を可愛がっていたなど到底信じられない。しかし、いつ見ても彼の肩には猫の霊が乗っているのだ。彼を怖がれと言う方が無理なのかもしれない。

「でも今朝の古谷君、すごく怖かったね〜」
 一時限目が終わった後、後ろの純ちゃんが囁くように話しかけてきた。

「そうかな?」
「そうだよ! いつもは睨まれるだけで済むのに、今日は一段と荒れてるよ。ほら、あれ見て」

 彼女がこっそり指し示す方を向く。件の古谷君は、鋭い眼光で窓の外を睨み付けながら貧乏揺すりしていた。

「……どこが?」
「荒れてるよ! あの人の貧乏揺すりのせいで隣の山田君が怯えてる! 可哀想に、わたしだったら耐えられないよ」
「……貧乏揺すりなんかで?」
「だって授業中ずっとあんな感じなんだよ? もうきっと山田君の精神はボロボロだよ!」
「貧乏揺すりぐらい怖がられる古谷君の方が私は気の毒だよ……」

 呆れた様に由紀は言う。この学校の生徒は随分と精神が脆いような気がする。

「やっぱり喧嘩でもしたのかな……? ほら、きっと誰かが古谷君を怒らせたんだよ!」
「あの古谷君を怒らせる……ねえ」

 猫関連しか思い浮かばない。
 しかしそれもそのはず、古谷君と話したこともない由紀が、彼が怒り得る原因など知るはずもなかった。

 じーっと古谷君を眺めていると、不意に肩の上の猫がこちらを向いた。澄んだ瞳でこちらを見つめ、首をかしげる。そして顔に似つかわしくない大きな欠伸をした後、再び古谷君の方を向いた。

「可愛い……」
「え、何が?」
「ううん、こっちの話」

 気づかれたわけではないだろう。あの小さな霊には、私が見えていることに気付くほどの力はないはずだ。それでも目が合ったような錯覚に由紀は嬉しくなる。

 しかしどうにも少しだけ、違和感を感じた。真っ白い毛並みに透き通るような青い瞳。いつも見ているはずの猫の姿に、少しだけ感じる違和感。
 再び猫がこちらを向く。今度は目は合わなかったが、その瞳はどこか遠くの方を見ていて――刹那、由紀はハッとする。

 首輪が無かった。

 白い毛に良く似合っていた赤い首輪。片時も離れない様にしていた白猫の首には、いつも赤い首輪が嵌まっていたはずなのに。そうなると、古谷君が今日不機嫌なのは。

「やっぱり猫関連か……」
 先ほどから独り言を繰り返す由紀に、純ちゃんはもう突っ込むことをしない。代わりに新たな話題を思い出した。

「でもそう言えば、一か月前もこんな風に荒れてたよね?」
「そうだっけ?」
「そうだよ! 登校した時からもうすっごい怒ってて! 突然舌打ちしたりすれ違う人睨みつけたり授業中ずっと貧乏揺すりしてたり!」
「貧乏揺すりはどうしても外せない事項なの……? それを聞くと調子狂うんだけど」
「うん? どういうこと?」
「ううん、やっぱり気にしないで」

 由紀は苦笑して首を振った。時々、彼女とは感性の違いがみられるが、それもまた人それぞれだ。

 とその時、がたんと大きな音がした。その瞬間教室がシーンとなる。古谷君がたてた音とすぐ気付いたわけではないだろうに、しかし無意識のうちに彼が現在不機嫌なこと、音がすごく荒々しかったこととを結びつけたのだろう。そしてその想像は当たった。非常に気まずい沈黙の中、古谷君は教室を出て行く。何だか由紀の方が申し訳なくなった。

「どこ行くんだろう。もう休み時間も終わるのに」
 彼が教室を出てようやくクラスは元の和やかな雰囲気に戻る。純ちゃんも長い息を吐いて首をかしげた。

「サボるのかな?」
「どうだろうね」
「うわわ、サボるとか駄目だよ! 先生に怒られちゃうよ!」

 自分で言って自分で慌てている。

「大丈夫だよ。きっと先生も怖くて叱れない」
「それはそれで駄目だよ!」

 純ちゃんは拳を握る。そんな彼女に苦笑いを返して、由紀はほうっと息をつく。

「でもそうか」
 そして一言。
「もう一か月か……」
「ん? 由紀ちゃん、何か言った?」
「ううん、何でもない」

 ちょうど一か月ほど前のことだった。由紀が初めて古谷君の肩の猫を見たのは。

 そうか、愛猫が死んでしまったから古谷君は荒れてたんだ。
 そして今日も、愛猫の首輪が無くなってしまったらしく、不機嫌なようだ。

 そう考えると、余計に由紀は彼のことが怖くなくなっていった。