04:心優しき戦士
日も差さない暗く静かな地下室。そこで、一人の青年が床に膝をついていた。とはいえ、厳密に言えば彼は一人ではない。彼の肩にはウサギのように長い耳を持った魔獣と、彼が手を伸ばす先には、鋭い牙を持った毛むくじゃらのオオカミのような魔獣がいた。
「グルルル……」
「そんなに警戒しないでくれ。君が気を失っているときにここに連れ込んだのは悪いと思っているけど。でも仕方がないだろう? 君をそのままにしておいたら、命に危険があると思ったから」
「ガウッ!!」
瞬間、魔獣がクワッと牙を剥き、青年はすんでの所で手を引っ込めた。困ったように天を仰ぐと、己の肩の獣に目を向ける。
「なあ、リックからも何か言ってくれないか? 私は敵意を持っていないと。ただ君を手当てしたいだけだって」
「いいヨ」
リックと呼ばれた魔獣は、得意げに長い髭を動かすと、青年の肩から飛び降りた。そしてすぐに軽やかにオオカミの魔獣の元に近寄る。同族なので、青年よりは警戒せずに、オオカミはリックを受け入れた。
「クゥクゥ? カァウクッ」
「グル、グルルルル」
何やら魔獣同士の会話が行われているようだ。青年は大人しく待ち続ける。
やがて、リックが青年の元に帰ってきた。褒めて褒めてと言いたげに、青年の手のひらに顔を押しつける。
「ちゃんと言ったヨ。ウォーレンは優しい人だっテ。でも、信じられないだっテ。それに、お腹空いたとか、身体が痛いとかも言ってたヨ。あの子、まだ子供なんだヨ」
「そうか……。じゃあ早く手当てをしないと。でも、まずその前に食事をさせて、警戒を解いた方が良いかな?」
「ウン、それで良いんじゃなイ」
「あの子、何を食べるんだ?」
「分かんなイ。生肉?」
「そうだな。上から取ってくる」
青年は慌てて階段を駆け上がった。その先の重たい扉を開ければ、すぐ眩しい明かりが飛び込んでくる。窓が扉の目の前に取り付けられているので、そこから真っ直ぐ日の光が入ってくるのだ。昼食を作っている母親に、青年は息せきって尋ねた。
「母さん、生肉!」
「生肉? あなた、まさかまた野生の獣を拾ってきたの?」
「その話はまた後で。急いでるんだ!」
「ええ? まあ……干し肉にしようと思って丁度外に干したばかりだけど――って、ウォーレン、待ちなさい! 話はまだ終わってないのよ! んもう、あなたのその性分にも困ったものだわ。しまいには魔獣なんて連れてくるんじゃないでしょうね。そうなったら周りに何て言われるか――」
母親の小言を聞き流しながら、青年は、今まさに日の光を一杯に浴びていた生肉を奪い取り、また家の中に入った。まだ彼の母親は怖い顔をして待ち受けていたが、青年が素早い動きで地下に潜っていくのを見ると、早々に諦めた。獣臭く、埃っぽい地下室を、彼女は苦手としているのだ。
オオカミの魔獣は、青年が持つ生肉の匂いを嗅ぎつけたのか、彼が階段を上り終わる前から、激しく鼻を鳴らしていた。
「ほら、ご飯だ。食べてくれ」
とはいっても、青年がオオカミの前に肉を放っても、彼は警戒しているのか、食べてくれない。すぐ近くで匂いは嗅ぐが、それ以上動こうとしないのだ。
「リック、食べてくれるよう説得してくれないか。変なものなんて入ってないから」
「分かったヨ」
リックはとてとてとオオカミに駆け寄り、またしても話しかける。オオカミは始め警戒していたようだが、同族は信用しているのか、やがておずおずと生肉にかじりつく。青年はその様子を見てホッと息をついた。
「食べ終わったら傷の手当てをするからな。リック、そう言ってくれないか?」
「ウン」
リックは何やらオオカミに話しかけたが、彼は食事に夢中で聞く耳持たない。むしろ、肉に注意を引きつけられているこの状態で、素早く治療をした方が良いか、と青年は治療の準備を始めた。
青年が近づくと、オオカミは再びうなり声を出した。が、すかさず彼の側でリックが宥める。何を言っているのかは分からない。が、何故だかオオカミは次第に大人しくなり、再び肉にかじりついた。これ幸いと、青年も簡単な治療を始めた。後にリックになんと宥めたのか尋ねたところ、ご飯をくれる人に悪い人はいないって言ったヨ、と返答が返って来、あれだけ警戒心が強かったくせに、案外オオカミも可愛いなあと青年が苦笑を漏らしたのはまた別の話である。
オオカミの傷は、大きく見て二つだった。人間にやられたのだろう深い矢傷と、おまけに骨も折れていた。オオカミが人里に迷い込んでいるのを見つけたとき、オオカミはすでに自分で歩くことすらままならず、青年は駄目だとは思いながらも、つい彼を己の家に引き入れてしまったのだ。
魔獣と仲良くしているところが見つかったら、周りになんと言われるか。
それは青年自身重々承知していた。だからこそ、魔獣ではあるが、魔力が少ないリックのことを、ただの変わったウサギだと言い張っているのだし、周囲の人たちも、まさか騎士の家系として歴史も権威も人望もあるウィルクス家の息子が、魔獣と仲良くしているなどと思ってもみなかったため、今日までリックの正体は露呈せずにいる。
だが、このオオカミはどうしようか。
問題はそこだった。このオオカミはまだ子供だが、気が立っているせいか、側にいるだけで彼から魔力があふれ出しているのを感じる。勘の良い人なら、すぐにでもこのオオカミが魔獣だと気づくだろう。
退治せねばならない魔獣を治療したことが露呈したらどうすればいいのか。
「たっ、大変でございますー!」
その時、外から慌てたような声が響いてきた。彼は青年の家に入ってきたようで、上でバタバタ音がしている。驚くオオカミを宥め、青年はリックを連れて地下室を出た。
「何事です?」
丁度青年の母親が来客を応対していた。飛び込んできたのは、村の入り口で見張り番をしている兵士である。息を切らしながら、膝に手をつく。
「そ、それが、魔獣の軍勢が押し寄せてきたんでございます! 今にも村を襲おうと息巻いているようで、もうこっちは気が気でなくて……! ウィルクス様はいらっしゃいますか!」
「はい。すぐに呼んで参りますわ」
母親はすぐに二階へ上がった。青年は父の登場を待っていられず、武器も持たずに外へ出た。
村は、普段以上に大騒ぎだった。子供は大人によって家の中に連れ込まれ、固く施錠される。屈強な男達は、交戦だとばかり、各々の武器を手に村の入り口に集結していた。
「ウォーレン様!」
青年に気づいた村の男達が、次々に彼に頭を下げ、道を空けた。青年もそれに軽く反応をし、男達の第一線まで進んだ。
「状況は? なぜ囲まれたんだ?」
「それが全く分からないんです。気がついたときには、もう気が立った奴らに囲まれまして」
遠目ではあるが、村を囲んでいる魔獣はオオカミのようだった。その体躯やうなり声に覚えがあり、青年は微かに眉根を寄せる。そんな彼の耳元で、リックは囁いた。
「子供を返せって言ってるヨ」
「子供って……やはりあの地下室の?」
「たぶんそうじゃなイ? ただ、向こうもすぐ襲ってくるつもりはないみたいだヨ。人間が怖いみたイ。でも、隙があったら襲おうって気配があるヨ」
「そうか……。やはり、あのオオカミの匂いを辿ってきたのかもしれないな。行こう」
小声でのやりとりを終えると、青年はすぐにその場を退いた。不安そうに村の男達が己を見つめる視線には気がついていたが、それについては何の反応も返さない。
途中の道のりで、青年は父親に遭遇した。武装をしている彼は、青年に目で合図をし、振り向きざまに口を開いた。
「家で準備をしてこい。長丁場になるかもしれない」
「……はい」
そうならなければいいのだが。
青年は、暗い面持ちだった。オオカミを返したとして、あの群れが大人しく帰ってくれるとも限らない。それに、うまく事が収まったとして、父や村の人たちにはなんと言い訳をするのか。明らかに治療をした後が見受けられるオオカミの子供を、なぜ青年が連れていたのかをまず説明せねばなるまい。
だが、この危機を黙って見過ごすわけにも行かず、青年は地下室に戻ると、大人しいオオカミを胸に抱えた。丁度、矢傷の跡は抱えられたことで見えなくなり、足の添え木は、腕で隠せばなんとか誤魔化せそうな気もした。
「大人しくしていろよ」
「そう言っておくヨ」
リックにも助けながら、青年は日の光の下にオオカミを抱え出す。突然明るい場所に連れてこられたので、オオカミは少々暴れたが、すかさずリックが宥めるので、事なきを得る。
村の入り口まで来ると、男達はすぐに青年の存在に気づいた。武装をせず、着の身着のままで現れ、それどころか胸に魔獣すら抱えている彼に、男達はどよめいた。驚きよりも困惑の方が大きいようだ。気圧されたように彼らは道を空ける。
「ウォーレン!? お前、どうしたその魔獣は!」
第一線の父親が、驚愕したように青年に声をかけた。青年は彼を追い抜き、歩きながら答える。
「村に迷い込んでいたのを見つけたのです。おそらく、彼らの子供ではないかと」
「待て! その格好のままで行くつもりか! せめて武器を――」
「私は大丈夫ですから」
青年は落ち着いた足取りで魔獣の群れに向かって歩いて行く。オオカミ達は、子供の匂いと共に、血の臭いをも嗅ぎ取ったのか、一層うなり声を大きくする。青年の後ろでは、いつ戦闘が始まってもいいように、男達が武器を抜く音がした。
青年は、オオカミたちの数メートル後ろで止まった。
「リック、悪いが、説明してくれないか」
「ウン、いいヨ」
リックは軽やかに青年の肩から飛び降り、臆することなくオオカミたちの前まで歩く。この距離ならば、後ろの男達からリックのことは見えないはずだ。リックが魔獣と話せるということに気づくものもおそらくいない。
「クゥ? カァウクゥ、クック」
「グルルルル……」
長い時が経った。しばらくして、リックがもの言いたげに青年を振り返ったため、彼はゆっくり膝をつき、オオカミの子供を離した。子供はすぐさま親の元に行こうとしたが、骨折した足では思うように歩けない。群れの中から、一頭のオオカミが出てきた。彼は徐に子供の首の皮を加えると、群れの中へ戻った。周りのオオカミたちは、戸惑ったように彼に道を開け――ついには二人のオオカミは姿を消した。
「クァックウ」
「……グルル」
短いやりとりの後、オオカミたちは、ゆっくりきびすを返した。一頭、また一頭と、元来た道を戻っていく。オオカミがみんないなくなった後も、青年達は、しばらくその場を動くことができなかった。
「――こりゃ驚いた」
誰かがそう発する。そしてそれを皮切りに、男達の金縛りが一気に解けた。
「さっすがウィルクス様の息子様でいらっしゃる! 格好良いったらないね!」
「武器も防具も無しにあの群れの眼前までいくなんて、よっぽどの勇気がなくっちゃあ、できないことですぜ!」
「ウォーレン様がいらっしゃらなかったら、今頃俺たちどうなってたか。決して無傷はいられなかったはずですぜ」
「ウォーレン様に感謝だ!」
男達は、歓声を上げて青年の元にやってきた。
「いや……私は」
だが、青年は困ったように笑って首を振るのみである。だが、それも仕方がない。今回のことは、そのほとんどが小さな魔獣、リックの手柄なのだから。
同じ魔獣とはいえ、自分の何倍も大きく、数も多いオオカミたちの元へ説得に行ってくれたリックには感謝しかない。しかし、そんなことは口が裂けても言えない。リックは魔獣なのだ。
男達が口々に青年をもてはやす中、不意に彼らが道を空けた。青年の父親がやってくるところだった。彼は息子を見下ろすと、満足そうにその肩を叩いた。
「本当によくやった。お前が武器を持っていたら、きっとあのオオカミたちは警戒を解かなかっただろう。お前の勇気に敬意を表する」
「いえ……」
控えめに青年は首を振った。彼の肩をもう一度強く叩くと、父親は男達をぐるりと見渡し、声を張り上げた。
「皆のもの、これを機に私の聞いてはくれまいか? 実は、長い間迷っていたことがあるのだ」
「何でも聞きますぜ! 今ならどんな悪い話でも笑って受け流せそうだ!」
お調子者の声に、皆がどっと笑う。笑い声が静まったところで、父親は頷いた。
「ありがとう。――皆も聞いたことはあるだろうが、数年前この地に勇者が現れ、そしてその後を追うように、一年前魔王が復活した。魔王復活により、魔獣や魔物達の活動は再び活発化し始めた。そんな中、数日前ようやく天女様の使いが現れなさった。……時が来たのだ。一月後には、いよいよ魔王討伐隊が編成される」
一旦言葉を置くと、今まで黙っていた男達が口を開く。
「ま、まさか……」
「そう、そのまさかだ。光栄なことに、その討伐隊の一員として、ウィルクス家の名が挙げられた」
「なっ、なんと! まさかそんな名誉なことが――」
「いや、ウィルクス様なら当たり前のことだ! 何せ、十年前の隣国との戦争で功績を挙げたお方なんだぜ!」
「ウィルクス様、万歳!!」
早まった歓声に、青年の父親はついつい苦笑いを漏らす。
「落ち着いてくれ。だが、実を言えば、私もこの話を頂いたときは、歓喜に打ち震えた。魔王討伐の命は非常に光栄なことであるし、国王陛下にご恩もあるのだ、ようやく奉公ができるという意味合いも含めてな。……しかし」
彼は徐に青年に顔を向けた。話の行く先が見えつつあった青年は、ハッとして背筋を伸ばした。
「しかし、今までのウォーレンの努力、功績、そして今回の勇気ある行動をみて気が変わった。どうだ皆、私の代わりにウォーレンに討伐隊の一員になってもらうというのは」
「――っ」
一瞬の沈黙の後、男達は一層声を湧き上げた。それはもう、一体何事だと家から女子供が顔を出すくらいには。
まるで自分のことのように喜ぶ男達に、父親は再び口角を上げる。
「ウォーレンの将来のことを考えると、老い先短い私よりも、まだ未来のある若者に行ってもらった方良いような気がしたのだ。それに、最近私は身体の調子が良くなくてな」
「そんな、ウィルクス様はまだまだ現役ですぜ! しかし、今回の役目をウォーレン様にって言うのは、すごく良い考えでいらっしゃると思います!」
「そうです、そうです。俺も、これまでウォーレン様にはその手腕を振るう機会がほとんどなく、もったいないと思っていた所なんです」
「俺もそう思っていました!」
男達の期待に満ちあふれた目が、青年に向けられる。父親は息子に向き直った。
「どうだ、ウォーレン」
「……はい」
しばらくの沈黙の後、ウォーレンは首を縦に振った。
「その命、有り難く頂戴いたします」
「心してこの命を遂行するように」
「はい」
一層歓声が上がる中、青年は平静を装ってはいるものの、その内心は穏やかでなかった。
魔王討伐。
そっとその道中、遭遇する魔物や魔獣を殺める機会はごまんとあるだろう。
青年は、未だに彼らの命を奪うことに慣れていなかった。否、慣れたくなどなかった。これまで、魔獣を己の手で殺めたことは、一度や二度ならず、たびたびある。村の人間達を守るためには仕方のないことであっても、剣技を極め、そして長年摘んだ修練を、魔獣の命を奪うことで功績とするのは、どうしても肌に合わなかった。
彼らの中には、リックのように人間の言葉を覚えることのできる者もいるのに。彼らにだって子供はいるし、もし意志疎通ができれば、共存することだってできるかもしれないのに。
それを思うと、どうしても剣を振るう腕が重たくなるのだ。
魔王討伐にだって、本当は行きたくない。だが、この国――いや、この世界を守るためならば、たとえ自分の意志に反することであっても、心を無にして従うほかないのだ。