02:二人の勇者
日も差さない暗くじめっとした洞窟。そこで、一人の青年と少年が壁伝いに歩いていた。といっても、二人の間隔はもう随分開いている。ついには怖くなった少年が情けない声を上げた。
「兄ちゃん……待ってよお」
「おいおい、もう少し早く歩けないのか?」
「無理だよ……。ね、ちょっとそこで待っててよ」
「しょうがないなあ」
小さなため息と共に、足音が止まった。少年は喜々として足を速めた。
洞窟内は、暗くじめっとしている。等間隔にたいまつは設けられているが、それらが明るく照らし出すのはせいぜい数メートル。壁から離れて歩くのは至難の業とも言えた。
「よし。今度こそ遅れるなよ」
「う、うん」
弟が追いついたのを見計らって、青年は再び歩き出した。洞窟内からは、外の天気や時間などはさっぱり判断できない。しかし、この洞窟に入ってもう一時間は経過しただろうと青年は当たりをつけていた。
「に、兄ちゃん……。本当に大丈夫? 俺たち、変な魔物に襲われたりしないよね?」
「当たり前だろ。ここは聖なる決壊で守られてるんだ。魔物が入り込めるわけがない。そもそもお前がここに来たいって言ったんだろ? そんな弱腰でどうする」
「うん……」
兄のことは頼もしいが、いかんせんこうも視界が閉ざされた場所では、不安になるなという方が無理というもの。十一歳になったばかりの少年は、いつ何時暗闇から魔物が襲ってくるかびくびく震えていた。
「あれ……あの光」
呟く兄の声に、少年はそっと顔を上げた。そしてハッとして口をあんぐりと開ける。――目の前には、人工のものとは思えないほのかで優しい光が漏れ出していた。
「ようやくついたのかもな。行ってみようぜ!」
「うん!」
兄弟は走り出した。その光は、近づけば近づくほど強くなっていく。いつの間にか壁から離れていることにも気がつかない。曲がり角を曲がり、二人の足は止まった。
「すごい……」
「ああ」
圧巻だった。まるで辺り一帯爆発が起こったかのようにぽっかりと広がる洞窟。その中央に、まばゆいばかりに輝いている一振りの剣があった。辺りにはたいまつなどの照明は何もない。にもかかわらず、その剣から漏れ出る光は、広いこの洞窟内を隅から隅まで照らし出していた。まるで誘われるかのように、二人の兄弟は中央の祭壇に近づいた。
「これが……聖剣?」
少年はうかがうように兄の方を見上げたが、彼は魅入られたように剣を見つめるばかりで、返事をすることはなかった。
聖剣とは、古くからこの世界で受け継がれている剣のことだ。言い伝えでは、この世に唯一存在する、魔王を斬ることのできる剣だとか。だが、誰もがこの聖剣を扱えるわけではない。
祭壇に祭られるようにして鎮座しているどっしりとした岩石――聖剣は、この岩石に深々と刺さっている。見た目はただの大きな岩だが、この岩石は、どんな魔法でも、どんな剣でも壊れることはない。本物の勇者だけが、この岩石から聖剣を抜くことが出来るというのだ。そして同時に、勇者が現れたとき、魔王が現れる時が近い、とも言われている。
始めは、我こそが勇者だと、各国の猛者たちが張り切ってやってきていたものだが、その数も、時が経つにつれどんどん少なくなっていった。貴族でも貧民でも、男でも女でも、どんな人種でも、聖剣は全く抜けなかったのだ。そのうち、この聖剣の存在はかすれていくようになっていった。伝説自体は受け継がれているのだが、あまりに長い年月勇者が現れなかったものだから、人々も忘れかけていたのだ。魔王の脅威を断ち切ることの出来る剣が、この世に存在していることを。
近頃、魔物の動きが活発になり始めていた。人間は人間の領地で、魔物は魔物の領地で長い間休戦状態だったのだが、それがいつしか、魔物が人間を襲うことで解消されることになった。人間と魔物の戦いは熾烈を極め、両者ともその損害は多大なものだ。あまりに魔物が強靱なので、ついには魔王復活の時まで近いのではないかと囁かれる始末。
そんなときになってようやく、この聖剣の伝説は再び話題に上がるようになった。魔王が復活したとしても、聖剣があれば大丈夫だと、勇者が現れてさえくれれば、魔物達なんて一刀両断だと。
聖剣が奉られているこの洞窟内は、世界の全ての人間に平等に入洞する権利が与えられている。貴族でも貧民でも、男でも女でも、どんな人種でも、聖剣を抜きさえすれば、勇者たり得るのだから。そして同時に、勇者となった者には義務も生じる。魔王復活のそのときまで修行に励み、そして魔王が復活した暁には、魔王退治の旅に出なくてはならないという義務――いや、使命だ。
「ロッシュ、先にやってみるか?」
青年はどこか嬉しそうに少年に言った。やってみる、とは、言わずもがな、聖剣を抜く、ということである。
少年は、一瞬嬉しそうな顔をしたものの、すぐに勢いよく首を振った。
「う、ううん! 兄ちゃんが先にやってよ!」
「そうか」
年の離れた兄に対して、若干崇拝気味の少年。彼の頭には、その年に似合わない言葉――年功序列という言葉が浮かんでいた。。
青年は軽々祭壇を登ってみせると、ゆっくり聖剣に近づいた。まばゆいばかりに光っていた聖剣は、青年が触れると、少しだけその光を弱めた気がした。
が、次の瞬間には、再び――いや、それまで以上に強烈な光が辺りを包み込んでいた。その光は、洞窟の隙間から外にまで漏れ出す。と同時に、どこからともなく地響きが鳴り響いた。
「地震か!?」
グラグラと地面が揺れ始める。青年は立っていられなくなり、慌てて祭壇から飛び降りた。その際、支えとして掴んでいた聖剣に思い切り腕がぶつかった。大切な聖剣に傷をつけてしまったかと、一瞬青年はひやりと汗を流すが、すぐに思い直す。どうせこの聖剣は岩から抜けないのだから、傷のつけようもない――。
しかし、青年が祭壇から飛び降りたと同時に、その異変には気づいた。すぐ後ろで、カランと物音がしたのだ。まるで、何か金属が地面に落ちたかのような高い音が。
「に、兄ちゃん……!」
青年が顔を上げれば、驚愕に目を見開く少年と目が合った。信じられない、とでも言うような顔で、彼はそのまま青年の後ろを見た。
「…………」
嫌な予感を抱えながら、青年はおずおず振り返った。願わくば、自分の勘違いでありますようにと祈りながら――。
「げ……マジか」
だが、振り返って早々、青年のその祈りは砕かれた。つい先ほど祭壇の上で神々しい姿を見せていた聖剣は、今はもう、まるでガラクタのように地面に乱雑に転がっていた。視線を上に戻せば、祭壇の上で未だ鎮座している岩石。そして下には、その岩石から抜け出たらしい一本の聖剣。
「に……」
興奮のあまり、少年は一瞬言葉に詰まった。
「兄ちゃんすげえよ! かっこいいよ!」
少年は興奮して地団駄を踏む。その瞳はキラキラと輝いていた。
「やっぱり兄ちゃんはすげえ……。さすが俺の兄ちゃんだ」
「そうか?」
どこか困ったように返答する青年に、少年は勢いよく首を縦に振った。
「もちろん! 帰ったらお父さんたちにも報告しなきゃ! まさか兄ちゃんが勇者だったなんて」
興奮冷めやらぬ少年に呆れて、青年は頭をポリポリとかいた。そしてゆっくり聖剣に歩み寄ると、地面からそっと持ち上げる。
「ロッシュ、これ持ってみるか?」
「……いいの?」
返事こそ控えめだが、もうすでに少年の手は聖剣に向かって伸びている。青年は苦笑いをしながら頷いた。
「持ってみろよ」
「う、ん……」
ゴクリと唾を飲み込んで、少年はおずおずと聖剣を受け取った。ずしりと重い聖剣。だが不思議と、右手に構えると、その重さが幾分か和らいだ気がした。だんだんと少年の口角は上がっていく。
「う、うわー……! 格好いい……」
「似合うぜ、ロッシュ」
「本当!?」
目を細めて言う兄に、弟は二パッと笑顔を向けた。そしてその勢いのまま、適当に剣を構えてみる。勇者ごっこと称してよく友達と遊んだものだ。剣を構えたり、必殺技を考えたりして。
「そうしてみると、本当に勇者みたいだなあ」
「へへへ、そうかなあ」
青年のおだてに、少年はすっかり上機嫌だった。それからも、兄に言われるがまま、少年は腰に剣を収める仕草をしてみたり、魔物と戦うまねをしてみたり、思う存分遊んでいた。
……だからだったのだろうか。あまりに熱中するあまり、遠くから響いてくる複数人の足音に、少年は気がつかなかった。
「勇者様だ!」
気がついたのは、そう鋭く叫ばれた瞬間だった。
「ついにあの剣を抜く者が現れたぞ!」
地響きとまばゆい光。それらを目撃した近隣の者たちが集まってきたようだ。いきなりのことに少年は戸惑って青年の方を見やるが、わらわらと周りを大人たちに囲まれ、彼の姿を発見することが出来ない。
「お名前を教えて頂いてもよろしいでしょうか!」
「勇者様、本当に勇者様が……!」
「いや、感激するのはまだ早い。勇者様が現れたということは、魔王が現れるのもまたすぐ……ということ」
「とにかく、早く城に遣いを出さなければ!」
少しでも勇者の尊顔を目に焼き付けようと、大人たちはぐいぐいと近づいてくる。しまいには、幸運にあやかろうと握手を求める者まで現れる始末。少年は慌てふためいて、兄を呼んだ。
「兄ちゃん!」
だが、兄からの返答はない。
「兄ちゃん?」
一体どこへ行ってしまったのだろうか。
恐る恐る再度呼ぶと、遠くからかすかに自分の名を呼ぶ声が聞こえた。兄ちゃんだ、とそちらへ目を向けると、洞窟の曲がり角で、小さくなって手を振る兄の姿が目に映った。
「おーい!」
「兄ちゃん!」
喜々として少年は再び叫ぶ。が、兄の姿はどんどん小さくなっていく。近づくどころか、むしろ遠ざかっている……?
曲がり角で一旦立ち止まると、青年はもう一度大きく手を振った。
「あはははー、ロッシュ、勇者として頑張れよ! 弟が勇者なんて、兄ちゃん鼻が高いぞー」
「兄ちゃん!?」
少年は驚愕の声を上げる。それも当然だ。聖剣を抜いたのは、他でもない兄自身なのだから。
しかし、現に今聖剣を持っているのは自分で、周りの大人達に勇者だと認識されたのも自分で。
少年は、ようやくことの重大さに気がついた。
そして同時に、今までのことが走馬灯のように脳裏によぎった。
『ロッシュ、知ってるか? 子供がお菓子を食べ過ぎるとな、夜寝ている間に豚になってしまうんだぞ。そうならないためにも、お前の分は俺が責任を持って食べてやる』
『大丈夫大丈夫、すぐ戻ってくるから。だからその間、ここの掃除は任せたぞ?』
『ロッシュ、今からお前を水やり隊長に任命する! 父上の命に従い、昼までにここの畑の水やりを全て終わらせるのだ!』
……青年は、ひどく面倒くさがりだった。そして、面倒な仕事ができると、それをすぐに弟に押しつける。弟の方は、兄を尊敬しているというだけでなく、その純粋な性格も相まって、従順に押しつけられた仕事をこなしていた。
いつもみんなの注目の的だった兄を――憧れの兄を、弟はひどく盲目的に崇拝していた。
兄ちゃんはすごいんだ。格好いいし、頭もいいし、喧嘩も強い――。
しかし、今このとき、ようやくその幻想が打ち砕かれた。妙に腹の立つ笑顔のまま、兄が曲がり角の向こうへ姿を消した瞬間――。
「あんのクソ兄貴ー〜!!」
こうして、勇者の弟は、勇者になったのだ。