第十四話 会うは離散の始め

92:結託


 詰所の前で馬車は止まった。もともとこの馬車は警備騎士団のものではないので、オズウェルを降ろした後、すぐに走り去った。

 長い間慣れない馬車に揺られていたせいか、随分体が凝り固まったような気がする。
 肩をぐるぐる回しながら、オズウェルは歩き出した。遠くの方で、訓練しているらしい騎士たちの掛け声が聞こえる。

「団長」
 オズウェルが詰所に入ると、すぐに一人の青年が駆け寄ってきた。オズウェルはその顔を見ると、ホッとしたように目元を和らげたが、すぐに真面目な顔へと戻す。

「レスリーか。子供たちの様子はどうだった?」
「はあ……それが」

 なぜか彼は言葉を濁した。

「いや、大変言い難いんですけど、誰も、いなくてですね……」
「……はあ? どういうことだ」
「俺だって何が何だか分からないんですよ! 騎士の訓練所に行ってみても、ウィルドはいないって高圧的な少年に怒鳴られるし、孤児院に行ってみれば、エミリアちゃんがまた逃げ出したーって叫ばれるし……」
「何だそれは……」

 オズウェルは頭を抱えた。どうしてこうも子爵家の人間は思い通りに行かないんだ!

「じゃあフィリップはどうだった、ちゃんと会えたんだろうな?」
「いや、結局会えませんでしたよ。具合が悪いみたいだって、執事の方に門前払いされました」
「……そうか」

 嫌な予感が当たった。
 アイリーンの言う通りだとすれば、フィリップは危険な状態にあるかもしれない。舌打ちしそうになるのを必死に堪え、オズウェルはくるりと身を翻した。

「今から行ってくる」
「ちょ――団長!?」

 それに慌てて声を上げるのはレスリー。

「どこへ行かれるんですか! まだやってもらわないといけない書類が――」
「マリウスに任せる。こういう時の副団長だ、全て押し付けろ」
「え……ええ! 頼むなら自分でやってくださいよー! 俺、すぐにあの人に丸め込まれるから何だか苦手で――って団長! まだ話は終わってませんよ!」

 もうオズウェルが答えることは無かった。足早に彼が向かったのは厩舎。ここからフィリップのいる邸宅へは遠い。ただ走るよりは断然早いと思った。

 緊急の時、いつでも駆けつけることができるよう、数頭の馬にはもう鞍や鐙を取り付けている。急いでその中の一頭に飛び乗ろうとした時、すぐ後ろから声がかかった。

「どこへ行くつもりだ」
 冷や汗が流れた。そのまま馬に乗って駆けだしたい気分に駆られるが、己の立場を思うと、そんなことはできない。ゆっくりと振り返った。

「リーヴィス=アイリーンはどこだ? 警備騎士団団長殿?」
 いささか嫌味が感じられる口調だ。見紛うことは無い、つい先ほど別れたばかりのウォーレンだった。

「嫌な予感がしたから来てみたものの……」
 彼はやれやれと首を振った。

「こんなことだろうと思っていた」
「何がだ」
「お前、あの女を逃がしたんだろう」
「…………」

 答えることは、できない。
 マリウスのように、平気な顔をして嘘を並べることができたなら、多少の時間稼ぎもできただろうが、しかし残念ながらオズウェルはそれほど器用ではなかった。

「見損なったなあ、団長殿には。私情を挟むななどと、一体どの口が仰ったのやら」

 それでも、何か言い様はあるはずだとオズウェルは必死で頭をめぐらす。どうやらこの目の前の男は、逃げたアイリーンの行方よりも、自分を貶すことに注意がいっているようだから――。

「それこそ、上に報告せねばならんな? 騎士団団長ともあろうお方が、のこのこ犯罪者を逃がしたのだから。それも過失ではない、故意にだ――」

 ウォーレンは勝ち誇ったような笑みを浮かべている。先ほど、散々オズウェルに手玉に取られたことを根に持っているようである。オズウェルにしてみれば、彼に何をどう言われようが、全く構いはしなかったが、しかし何より今はこの状況を打開する方法が――。

「すみませんっ――!」
 その時、一つの声が険悪な空気を引き裂いた。ウォーレンは腹立たしげにその少年に目を向けた。貧相な恰好をしているが、利発そうな少年だった。

「ぼ……僕のせいなんです……!」
 必死に言葉を紡ぐ彼はおどおどこちらを見上げていた。不安そうに手を組んだり解いたりしている様は、その少年をより一層頼りなく見せた。

「僕、馬車道に飛び出して馬車を止めてしまって……。その隙に女の人が逃げ出してしまったみたいで――。本当にすみません! その人、護送中だったんですよね? 僕のせいなんです、本当にすみません――!」
 言いながら、少年はウォーレンの腕に縋り付く。彼の頬は引き攣った。

「ああっ、もううるさいな!」
「本当にすみません、僕のせいで――」
「分かったから! 暑苦しいな、一旦離れろ!」

 ウォーレンは腕を強く引き剥がした。少年はしずしず後ろへ下がる。

「ちっ、運のいい奴め。過失にしろ故意にしろ、あの女の監督責任はお前にあったんだ。どちらにせよ、お前に責任が問われることは避けられないな」
「分かっている」
「犯罪者を逃がすなんて失態を犯したんだ、また警備騎士団で身柄を拘束する、なんて言わないよな?」

 オズウェルの返事を待たずに、ウォーレンは続けた。

「リーヴィス=アイリーンは、我々が身柄を拘束する。一度逃がした以上、もうお前たちに任せることはできないからな」
 口元を歪め、ウォーレンはオズウェルを見やる。何も返事は返ってこないが、満足感はあった。石牢での屈辱は晴らせた。もうこれで彼に用はないと、ウォーレンは背を向けた。彼の後ろを、同じく王立騎士団の騎士たちがついて行く。

 ようやくその物々しい集団が去って行った後、オズウェルは重いため息をついた。肩の荷が下りたようで、思わず空を仰ぐ。しかしすぐに、そうゆっくりもしていられない、と先の少年を振り返った。

「……なぜここに?」
 その少年も、オズウェルと同じく些か緊張していたようで、額の汗を拭っていたところだった。

「なぜでしょうね」
 ステファンはにっこり笑った。が、目が笑っていない。

「というより、いろいろと聞きたいのはこちらの方なんですが」
「…………」
「一体どういうことなんでしょう」

 ステファンは一歩詰め寄る。それに合わせて、思わずオズウェルも一歩下がった。

「どうして僕だけがいないことにされているのか、さっぱりです……!」
「いや、一旦落ち着け」

 オズウェルは宥めるように両手を掲げた。
 ステファンが何を言っているのかよく分からないが、しかし彼が怒っているのは確かだった。

 そもそも、どうしてこういつもステファンの怒りを受けるのが俺なんだ……。
 理不尽な彼の怒りに、オズウェルは嘆く。しかしその間にもステファンの猛攻は止まらない。

「姉上と僕は正真正銘の姉弟です。姉上が子供を屋敷に誘拐したというのなら、同じく僕だって共犯者のはず。それがなぜ! 姉だけが悪者ということになっているんでしょうか!」
「ど……どういうことだろうな……」

 オズウェルも必死で頭を回転させる。ステファンを落ち着かせたい一心だった。

「日ごろの行い、というやつではないだろうか。君の姉上は……その、少々我慢が足りないところがある。彼女の周囲の噂も……まあ多少尾ひれがついてしまった所もあるが、しかし――」
「姉上が悪いからこの誘拐事件がでっちあげられたと?」
「いや! 誰もそうは言っていない!」

 オズウェルは頭を抱えた。
 姉に関して被害者意識が強すぎる、この弟は!

 いつもいつも姉の話題になると噛み付いてくるこの弟。
 確かに、彼女を取り巻く噂のいくつかには、心無いものもあり、弟が姉の話題に過敏になるのも無理はない……とは思うが、しかし。

 冷静になるんだとオズウェルは自分に言い聞かせ、大きく首を振った。そもそも、姉に関する話をしなければいい。この弟は、姉を褒めても貶しても過敏に反応するようだから。

「……君が普段優等生だから、そんなことはしないと周囲の人間は分かっているんじゃないか? ほら、第一印象にして見ても、君に対して悪い印象を受ける人は少ない――」
「姉の第一印象は悪いっていうことですか」
「何でそうすぐに姉に結び付けるんだ……」

 オズウェルが呆れ返って天を仰ぐのも無理はない。だんだん疲れてきた。この弟の相手は。

 オズウェルがそう思っていることを肌で感じたのか、ステファンは少しだけ落ち着きを見せた。どことなく沈んだ面持ちになった。

「……皆の頭の中には、僕という存在が無いのでしょうか。それよりも、僕は元から忘れ去られているのでしょうか」

 ――何だかすごく落ち込んでいるようだ。
 どう声をかけていいものか思い悩み、オズウェルはしばらく彼を見守る。しかしもうだめだった。ステファンは壊れた。

「ふ、ふふ……」
 彼は不気味に笑っていた。

「僕だけ蚊帳の外なのが腹立たしいんです」
 やがて、ぽつりとステファンは言った。

 蚊帳の外。
 そう、ただその一心だった。

 別に問題児たちの手綱取りでもいい、保護者でもいい、尻拭い係り……でもまあ良しとしよう。別に嫌でやっているわけではなかった。子爵家の皆が、楽しく暮らせるのなら、そのためには、ステファンは努力は怠らないつもりだった。

 しかし……しかし!
 何を考えているかはわからないが、一人で突っ走ることだけは止めて欲しかった!

 アイリーンにしてみても、ウィルドにしてみても、エミリアにしてみても。それぞれがそれぞれの思うままに行動していたら、尻拭い係りであるステファンは、どこから手を付けていけばいいのか。どうせなら一緒に行動して一緒に問題を起こす方がまだ楽だというもの。

 そもそも、尻拭いを僕にさせるつもりなら、何より僕の存在を忘れてもらっては困る!

 今更ながら、ステファンの胸に沸々と怒りが沸き起こってきた。

「何で僕だけ知らなかったんだ……」
 国立学校にて、ステファンは風の噂に聞いた。子爵令嬢リーヴィス=アイリーンが、未成年誘拐の罪で捕まったと。それを話してくれた友人も、ステファンがその女性の弟であることを知らなかった。

「皆……みんな、自分勝手すぎるんだ」
 ステファンはすぐにウィルドの元へ向かった。しかしそこにウィルドはいなかった。

『だからウィルドはいないって言っただろ! 何度言ったら分かるんだ!』
 偉そうな少年に散々怒鳴られた。

 次にエミリアの元へと向かった。しかし彼女の姿も、そこには無かった。

『何よ、こっちだって知りたいくらいよ! どきなさい!』
 箒を持って追い払われた。

「勝手にいなくなるし、勝手に突っ走るし」
 ――てっきり、弟妹達も何も知らないのだと思っていた。だからこそ、自分が迎えに行って、皆で姉の無実を証明しよう、そう思っていたのに、何よりこの僕が、行動を起こすのが一番遅かっただなんて……。

 ステファンは悔しい思いでいっぱいだったが、すぐにぶんぶん頭を振って、その思いを振り払う。

 今はこんなことを考えている暇はない!
 何より、早いうちにこの誘拐事件を解決しなければ、また新たな心無い噂が続出すること請け合いだ。

「そもそも、僕がここに来たのは姉とフィリップの居場所を聞くためなんです。姉……はまあ取り敢えずおいておいて、フィリップは一体どこにいるんです? 僕はてっきりエミリアと同じ孤児院にいると思って――」
 オズウェルはハッとし、頷いた。ステファンの剣幕に拍子抜けしていた彼だったが、今は何より急がなければ。

「フィリップは父親に引き取られた。今から俺もそこへ行くつもりだ」
「――っ!」

 急にステファンが顔色を変えた。馬に乗ろうとするオズウェルの腰をギュッとつかむ。

「フィリップが父親に? 一体どんな目に遭わされるか――もう! どうしてもっと早くに言ってくれなかったんですか! こんな所であなたと言い争っている暇なんて無かったのに!」

 俺の言葉にいちいち噛み付いて来たのはそっちの方だろうが!
 そう叫びたいのを、オズウェルは必死で堪える。

「今からフィリップの元へ向かう。お前も来るか?」
「――っ、当たり前です!」
「馬には乗れるか?」
「学校で習いました。あまり……得意ではないですけど、根性で乗ります」

 ステファンの目はやる気だった。ステファンの馬を厩舎から出すと、それぞれ飛び乗った。

「……でも、なぜ俺を助けてくれたんだ。姉の立場がもっと悪くなるぞ」
 オズウェルがぽつりと言った。ずっと不思議に思っていたことだった。ステファンにしてみれば、オズウェルを見捨てて王立騎士団に行方を聞くこともできたはずだ。……まあそうなれば、彼がリーヴィス=アイリーンの弟――共犯者として、捕まってしまう可能性大だが。

「別に、あなたのためではありませんよ」
 ステファンからの返答は、半ば予想通りのものだった。

「ただ、騎士団長のあなたにがいれば、何かと有益なこともあるかと」
「……打算的なやつだな」

 悪戯っぽく笑うステファンに、オズウェルはそう返すしかなかった。

「我が強い姉を持つとそうなります」
 ステファンはしれっと答えた。