第十四話 会うは離散の始め

87:誘拐、再び


 アイリーンが連れてこられたのは、警備騎士団の詰所ではない。王宮内の地下牢であった。さすがのアイリーンも戦慄した。国王のお膝元にまで連れてこられただけでなく、日も差さない地下牢とは。

 碌に掃除もされていないのか、辺りはかび臭く、臭いも酷い。こんな所で尋問されるのかと、違う意味でアイリーンはビクついていた。

「改めて、リーヴィス=アイリーンだな?」
「――はい」

 アイリーンをここまで連れてきた男は、ウォーレンといった。酷く神妙な顔つきで口を開く。

「とある市民から通報があった。リーヴィス=アイリーンが子供を誘拐した、と。我々が調べたところ、君は血の繋がりのない子供を三人も家に置いているそうだな。その子供とは、ウィルド、エミリア、フィリップ=クラークの以下三名だ。これは誘拐罪にあたる。何か釈明は?」
「……あり過ぎて困るくらいです。私が誘拐? あの子たちは今まで一緒に暮らしてきたんです。誘拐も何もある訳がありませんわ」
「未成年を誘拐したものは罰せられる。そんなことも知らないのか?」
「そちらこそ、何をもってして誘拐と決めつけているのか、私にはさっばり分かりませんわ。確かにあの子たちと私には血の繋がりはありません。皆……おそらく、身寄りのない子たちです。でもきちんと届け出は出しましたし、誘拐と言われる覚えは――」
「届け出?」

 ウォーレンは訝しげに聞き返す。途端にアイリーンの瞳が自慢げに輝いた。

「ええ、役所に届けました」
「三人ともか?」
「ええ、きちんと三人とも――」

 言葉が続かない。自信満々だったアイリーンの顔が固まった。

「あ……っと、エミリアとフィリップは、然るべきところに届け出たんですけれど、ウィルドについては……その、忘れました……」

 アイリーンは俯いた。
 確かに、前者二人についてはきちんと対応をした。エミリアは孤児院に引き取る旨の契約書を書き、フィリップは役所に届け出た。しかし……しかし、だ。ウィルドについては話は別。彼の言動がしっかりしていたこと、おそらく親に捨てられてしまったのではないか……と危ぶむうちに、ウィルドとそれについて話すきっかけと、役所に届け出る機会を失ってしまった。というよりも要するに、あまりにウィルドが自然に子爵家に馴染んだので、今の今まですっかり忘れていたのである。

「忘れてたで済む問題か!」
 しかし当然ウォーレンは納得しない。彼があまりに大袈裟に机を叩くので、アイリーンはすっかり委縮してしまった。

「だっ……でっ……」
 弁解をしようと口を開いたが、それが言葉になることは無かった。

 言い訳をする資格はない。確かにあれは自分の落ち度だった。
 アイリーンは深呼吸をして調子を取り戻した。

「エミリアは彼女が当時いた孤児院に、フィリップは役所に届け出ました。確認してもらえればすぐに分かると思います」
「確認……なあ。今、丁度騎士団の者が子供を保護しに行っている所だ。自ずと分かるだろう」
「保護?」

 アイリーンは不審な声を上げた。すぐに身を乗り出す。

「そうよ、あの子たちは大丈夫なんですか? 私がここに居るって知っているの――」
 ウォーレンはわざとらしく耳に手を当てた。どうやらうるさいとでも言いたいらしい。

「……おそらくは孤児院行きになるだろう。もとはそこにいたらしいからな」
「孤児院って……! 何が保護よ、結局体よく押し付けただけでしょう!?」
「我々は子供を預かるのが仕事ではない。独り立ちするまで我々が面倒を見ろと?」
「どうせすぐに私は釈放されるのだから、あなた達の所でしばらく預かっていてくれればって話よ……!」

 どんどん子爵家がバラバラになってしまうようで、アイリーンは不安だった。ステファンは国立の寄宿学校に行き、ウィルドは騎士になるための訓練、そしてエミリアとフィリップは孤児院にいると言う。

 私が……私がすぐにここを出て、エミリア達を迎えに行けばいいだけ。
 そうは思っていても、どうにも嫌な予感がしてならなかった。

「大した自信だな。自分に罪の意識はない、と?」
「当たり前でしょう。何よ、そっちだって大した自信じゃない。証拠もないくせに」

 ウォーレンはムッとした顔を見せる。

「通報があったと言っただろう」
「どうだか。そんなこと言って、その人のただのでっち上げだったらどうするのよ。あなたたち、とんだ笑い者よ?」
「でっち上げだと? ふん、たとえそうだとしても、少なくとも一人は、お前に対して良くない感情を持っているらしい。人に恨まれるようなことをした自分を恨め」
「はい? 自分の非を棚に上げて私を責めるおつもり?」

 やっと調子が戻ってきた。
 アイリーンのお得意の屁理屈である。しかしオズウェルとは違って、ウォーレンには彼女に付き合うつもりは微塵もないらしい。

「とにかく!」
 ウォーレンはバンッと机を叩いた。アイリーンの座っている椅子にまで衝撃が伝わってくる。

「子供に関わるということで、我々も確たる証拠もなしにお前をひっ捕らえたわけだが、もしこの通報が事実だったなら……どうなるか分かっているだろうな? 実刑は免れないぞ」
「――っ!」

 その時、アイリーンは唐突に理解した。
 絶対に大丈夫という保証はない。そもそも、どうして通報があったのだろうか。

 確かに自分の周囲にはよくない噂が数多く出揃っている。しかしそのほとんどが大袈裟に尾ひれがついたものばかりだし、周囲もそれを承知の上で話の種にしているだろうことは想像がつく。分からないのが、誰が通報したということだ。

 確かに子爵家はアイリーンとステファン以外血は繋がっていない。年端もいかない子供と一緒に暮らしているともなれば、周囲が誘拐と誤解するのも仕方がないが、遠巻きに子爵家を噂の種にしている人たちに、当の彼らが血は繋がっていないなどと知る由もない。ならば、いったい誰が通報したというのか……!

 明言はできないが、何かよく分からない力が働いているとしか思えなかった。そもそも、どうして警備騎士団ではなく、王族の警護や国の管理を担う王立騎士団に呼び出されたのか。

 ……分からないことだらけのまま、その日、アイリーンは地下牢に放り出された。窓一つないそこは、夜か朝かもわからなかった。ただ日に二度食事が出されるだけで、何の変化もない場所だった。かび臭いし、地を這う虫もいる。何より食事が貧相だった! 貧乏子爵家の食卓の比ではなかった。日に二度しか食事が出されない上に、いざ用意されたものは、パサパサのパンと味のしないスープ。こんなに貧相な食事は、いつぶりだっただろうか。

 牢屋の不気味な雰囲気と、カサカサ動き回る虫、変な異臭と相まって、アイリーンのそこでの食事は、人生で最も思い出したくない食事の一つとなった。

 二度目の食事が終わった頃、牢にウォーレンがやって来た。彼の顔は、どこか勝ち誇っている様にも見えた。嫌そうな顔を隠しもせずに、アイリーンは彼を迎える。

「何の用かしら」
「孤児院に子供を送り届けた騎士が戻ってきた」

 牢屋の前で腕を組み、彼はアイリーンを見下ろした。牢から出そうという様子は欠片も見られない。アイリーンは嫌な予感がした。

「そこの院長に話を聞いたらしい。お前のことをな」
「……それで」

 彼の表情だけで、何となく返事は予想できた。それでもアイリーンは聞かずにはいられない。

「彼女はお前のこと、知らないそうだ。エミリアについても、ある日忽然と姿を消し、その後ずっと探していたが、結局見つからずじまい……と言っていた」
 嫌な予感はしていた。していたが、しかしこうも予想通りになると、何をどういえば良いのか分からなくなってくる。

「ど……どういう、ことなんでしょうね」
 アイリーンは頬が引き攣るのを感じた。

「私、確かに手続きはしました。院長先生が何か勘違いしてらっしゃるのでは……?」
 珍しく低姿勢だ。しかしそうなるのも当然。間違いなくこの場の情勢はあちらに傾いているとアイリーンは確信していた。

「他の職員にも確認を取ったそうだ。それによると、当時いた職員は全員、院長と同じことを言っていた」
「……私が、何の手続きもせずにエミリアを誘拐した、と?」

 馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいが、それを証明する手立てがない。

「そう名言はしていないが、エミリアが突然いなくなったと。あれから総出で探してみたものの、見つからないから心配していたと、涙ながらに語ったらしい」
「……馬鹿馬鹿しい」

 何が涙ながらに、だ。
 エミリアを引き取った後、孤児院の職員は誰も、一度も会いに来なかったくせに。

「これで、良かったのかもしれないな」
 顔を俯けたアイリーンを見、ウォーレンがぽつりと呟いた。

「案外、子供は子供と共にいた方が幸せなこともある。お前もコブつきじゃなくなって清々しただろうが」
 返事は返ってこなかったが、ウォーレンは構わず続ける。

「両親も財もないとなれば、嫁ぐ時にきっと苦労する。その上更に余計なものまでくっついているとなれば、いよいよ歓迎されないことは確かだ」
「他人には――」

 きゅっと口を結んで続ける。

「他人には、そう見えるんでしょうね」
 拳を握るその手は震えていた。

「でも本当は……あの子たちのおかげで、私は……」
 次第に声は小さくなっていき、最後は静かに掻き消えた。ウォーレンは静かに首を振った。

「処遇は追って伝える」
 それだけいうと、彼の姿は光と共に奥へ消えていった。やがてその光すらも消える。

 それから、幾度の食事が出されただろうか。何の色もないその食事に、アイリーンはもはや食欲すら湧かず、手を付けることはなかった。

 かつて賑わっていた子爵家の日常が、遠い昔の様だった。彼女の頭の中で、かつての情景が浮かんでは消えた。何度も何度もそれは繰り返されたが、彼女がそのことに気付くことは無かった。

 考えることに疲れてもいた。日も差さない地下牢は鬱々としており、余計にアイリーンの思考を停止させた。

 どこか遠くの方で、コツコツと石牢を歩く音が響いてきたが、彼女の耳がそれを捕らえることは無かった。

「憔悴しきっているな」
 その声がようやくアイリーンの耳に入った。途端に彼女の意識も浮上する。

「な……んで、ここに」
 声がかすれた。もう長い間水すらも飲んでいなかった。

「風の噂に聞いたんだ。子爵令嬢が捕まったと。今度もまた誘拐罪らしいな?」
 茶化すようにオズウェルは笑いかけるが、今のアイリーンにそれに反応するほどの気力は残っていない。

「で、一体何の用よ。私はそんなに暇じゃないの」
「……暇しているようにしか見えないんだが」
「あなたには想像もつかないようなことを考えているの。もう、分かったらさっさと行ってよ」

 思考は追いついていないくせに、減らず口だけはポンポンと飛び出した。オズウェルも苦笑し、牢へ身を乗り出した。

「俺が出してやろうか」
 偉そうに身を反り返して見せるオズウェル。

 一瞬きょとんとした後、アイリーンの顔に少しだけ喜色が広がった。

「……できるの?」
 普段なら、何を偉そうに、と毒づく場面である。アイリーンも、それほど疲労困憊していた。

「ああ、できる」
 アイリーンは瞳を輝かせた。

 普段なら、まあここは出してもらうことにしましょうか、とツンツンする場面である。しかし彼女はそんな面倒な言い回しをする気力もなく、ただただ何度も頷くばかりだった。