第十四話 会うは離散の始め

86:錯綜する思惑


 エミリアの道案内によって孤児院につくと、後ろについて来ていた数人の騎士はその場に残り、男とエミリアだけが孤児院へと足を踏み入れた。

 数年ぶりに見るそこは、何も変わっていない様に見えた。相変わらずそこで暮らす子供たちの頬はこけ、目には何の光も宿っていない。

 節制ばかりの暮らしとはいえ、エミリアの子爵家での生活は、ここと比べると何倍も素晴らしい暮らしだ。途端にエミリアは自分が恥ずかしくなってきた。アイリーンに愛され、ステファンに守られ、ウィルドと遊び、フィリップと笑った今までの生活が、ここを前にすると、途端に息を潜めた。自分が今までのうのうとして暮らして来ていた事実を突きつけられたようで、たまらなく窮屈だった。

 もしも姉御に拾われてなかったら、わたしだって今ここでこうして暮らしていたかもしれないのに。

 二人はすぐに院長室へ通された。突然の王立騎士団の来訪に、孤児院の職員たちは慌てているようだった。

「ど、どうして騎士様がこのような所へ……。すみません、大したものはご用意できなくて……」
 コトリ、と机に置かれたカップには、色の薄い紅茶が入っている。男は手を付けなかった。

「単刀直入に聞こう。数年前、この孤児院で暮らしていた彼女を知っているか?」
「……彼女?」

 院長はじーっと目を細くしてエミリアを見た。数秒経ったが、彼女の口は開かない。時間の無駄だと、エミリアは自分から口火を切った。

「わたし、エミリアです。数年前、両親が流行り病で亡くなったので、ここに来ました。その後、一年も経たないうちに、リーヴィス=アイリーンという女性が、わたしを引き取ってくれたんです。覚えてらっしゃいますか?」
「……ああ、そうね、そうね、もちろん覚えているわ、エミリアちゃん。こんなに大きくなって……」

 そういって手を伸ばしてエミリアの頭を撫でる手は、ぎこちない。

 エミリアがここにいたのは、そう長くはない。院長先生とも、そんなに話したことは無い。逆に覚えている方が不思議だ。そう思っていても、やはり、ここの人たちは変わっていないんだという思いが拭い切れなかった。

「彼女、リーヴィス=アイリーンに引き取られたと言うのだが、事実か? 今、リーヴィス=アイリーンは未成年誘拐の罪で取り調べを受けているが、彼女は誘拐されていないと言うので我々としてはどうも――」
「院長先生も承諾してくださいましたよね? 姉御がわたしを引き取ることに。契約書だって書きましたよね?」

 男とエミリア、二人は攻防するかのように、院長に向かって身を乗り出した。彼女は困ったように微笑む。

「ど、どうだったかしら……。何しろ、数年前のことだから……」
 そう言って院長は顔を俯かせる。

「リーヴィス……アイリーン……」
「何かご存知か?」

 思わずといった様子で漏らした言葉を、男は聞き逃さなかった。

「何か知っているのなら、情報提供願いたい。彼女は今、この子含む子供三名を誘拐した罪で牢に入れられている。我々は事の真偽を確かめるために――」
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでください。どうしてそうやって決めつけるんですか?」

 エミリアと男は、互いに睨み合う。そんな二人を尻目に、院長はさっと立ち上がった。

「あ、あの……ちょっと他の方と相談してきます。何しろ数年前のことですから――」

 慌てた様に院長は部屋を出て行った。男とエミリアとの無言のにらみ合いが続く。エミリアは、勝利を確信していた。少しずつ、姉の無実を証明して行けば良いと思っていた。少なくとも、自分の件については、姉はきちんと手続きもしていたのだから。

 しかし、次に院長が部屋に入って来た時、エミリアは嫌な予感しかしなかった。院長の瞳は、わざとらしい涙に塗れていた。すぐにエミリアに駆け寄ると、力いっぱい抱き締め、嗚咽の交じる声で言う。

「エミリアちゃん、私達、あれから随分心配していたのよ。突然私達の前からいなくなって……」
「はっ……え?」
「それはどういうことだっ!?」

 男は嬉しそうに勢い込んで聞いた。

「あの日、エミリアちゃん、ちょっと問題を起こして……。私達、罰として納屋に閉じ込めることにしたんです。あ、もちろん、ほんの少しの間のつもりだったんですよ? 食事もちゃんと届けるつもりでしたし、定期的に様子を見に行っていました……。でも、気づいたら、エミリアちゃんがいなくなってて……。私達も総出で探したんですけど、それでも見つからなかったんです」
「な、何を……適当なことを! た、確かにわたしは納屋を抜け出したけど、でもその後すぐに姉御と戻って来たじゃないですか! わたしを引き取るために、姉御が連れて行ってくれたんじゃないですか!」
「本当に、本当に良かった。戻って来てくれて! 騎士様、きっとエミリアちゃん、リーヴィス=アイリーンとやらに洗脳されているんですわ。そうでなかったら、こんなこと言うわけがない!」

 ぶんぶんと院長は首を振った。騎士の男は満足そうに頷いた。 
 エミリアは、サーっと血の気が引いた。何が何だか分からなくなった。真実を言っているのに、なぜそれを歪めようとする大人たちがいるのか。

「お帰り、エミリアちゃん。また一緒にここで暮らしましょうね」
 エミリアを抱き締めたまま、院長はエミリアの耳元でそう言った。彼女の甘ったるい香水の臭いも、ごつごつとした洋服の装飾も、何もかもが気持ち悪かった。

「では、我々はこれで失礼する。また後日、リーヴィス=アイリーンの件で調書を取りに来るかもしれないが、よろしいか?」
「もちろんです! エミリアちゃんは大切なここの子供です。それを誘拐するだなんて……!」

 院長の声は震えていた。エミリアはもう、自嘲気味な笑みしか浮かんでこなかった。

 院長越しに、騎士の男と目が合った。彼は勝ち誇ったように口角を上げた。エミリアが睨み付けるより早く、彼は背を向け、部屋を出て行った。完全に、世界から分断された。

「エミリアちゃん、じゃあ早速お部屋に行きましょうか。お腹は空いてない?」
「……空いてません」
「そっか。じゃあやっぱりお部屋だ。あれから新しく入った子もいるの。皆に紹介しなくっちゃね」
「…………」

 院長は、エミリアの手を引いたまま部屋を出た。もうそんな年頃ではない。それすらも、分からないと言うのだろうか。

「院長先生」
 二人の後ろから声がかかった。鈴が転がる様な声だった。瞬時にエミリアの身体が固まる。嫌な汗がにじみ出てきた。

「エミリアちゃんが帰って来たって本当ですか?」
「まあ、本当にサリーちゃんは良い子ね。待ちきれなかったの?」
「はい、それはもちろん。エミリアちゃんがいなくなってから、あたしも随分心配してたんです」

 サリーはにっこり微笑む。彼女のその笑みを、真正面から見ることはできなかった。

「じゃあサリーちゃん。エミリアちゃんをお部屋に連れて行ってくれるかしら? 皆に紹介もよろしくね」
「はい」

 行儀よくサリーは頭を下げる。院長はエミリアに向かって手を振ったが、彼女は応えなかった。
 院長が曲がり角に姿を消すと、サリーは徐にエミリアに近づいた。

「よくもまあ、のこのこと帰って来れたものね」
 サリーはエミリアの腕を強く掴む。

「こんなにふくよかになっちゃって。よっぽどいい暮らしをさせてもらっているようね?」
 そう言うサリーの腕も、周囲の子とは比べものにならないくらいふっくらしている。また他の子から献上と称して食事を取り上げているのだろうか。

「折角だから、皆にも紹介しないとね? こっちへいらっしゃい」
 サリーはエミリアを掴んだまま、問答無用で引っ張った。エミリアは、黙って彼女の頭を見ていた。

 しばらく見ないうちに、わたしはサリーの身長を越していたらしい。というよりも、自身の記憶の中で、彼女の存在が誇張されていたのだろうか。

「皆ー! 新しい玩具の登場だよ」
 サリーは乱暴に扉を開くと、唐突にエミリアを突き飛ばした。何の準備もしていなかった彼女は床に転がる。

「ほら見て、皆。エミリアちゃん、こんなにぶくぶく太っちゃって……。酷いよね、あたしたちはその日の食事にも困る始末だって言うのに、エミリアちゃんはどんな幸せな生活を送ったんだろう……」
 至って純粋そうにサリーは疑問を口にした。しかしそう言う彼女の手は、エミリアの前髪を乱暴につかみ、彼女の頭を引き上げている。

「まあいいわ。面白い玩具が手に入ったことだし、皆明日から楽しみね?」
 サリーはふふふと嬉しそうに笑った。エミリアも皆とやらに目をやる。

 皆、怯えた様に自分達から目を逸らしていた。着ているものはボロボロで、手足もやせ細っている。

 唇を噛みしめ、前だけを見る。
 いつの間にか、エミリアの震えは止まっていた。