第九話 嵐の後の静けさ
49:侵入者
ウィルドが昼餉を食べ終わると、彼とカインはすぐに外へ遊びに出かける準備を始めた。家の中でゆっくり歓談に勤しむものとばかり思っていた護衛達は、もちろん慌てた。その筆頭、オズウェルもあまり良い顔をしない。しかし最終的にはカインに押し切られ、苦い顔で頷くこととなった。
「じゃあちょっと外に行ってくる」
「あんまりカインを振り回さないようにね」
目を離すとすぐに走って行ってしまうウィルドのことだ、カインだけでなく、その護衛達をも翻弄しそうで、アイリーンは眉を寄せて心配した。
「大丈夫だよ。この前完成した秘密基――ゴホンゴホン、その……クリフの家に行くだけだから」
「ちょっと。今何を言いかけたのかしら。秘密基地って聞こえたのだけど。まさかあんなことがあったにもかかわらず、また懲りずにあそこに行ってるんじゃ――」
「ははは、何言ってるんだよ師匠! いくら俺でもそれはないよ! じゃあ行ってきまーす」
「あ、こらウィルドー!」
アイリーンは叫ぶが、勢いよく扉を締められ、その声は届かない。と同時に、彼女の声も遮られた。危機一髪とばかりウィルドは外へ飛び出した。その瞳はらんらんと輝いている。
「ほらカイン、行くぞ!」
「おい……いいのか? 帰ったら怒られそうだが」
「気にしない気にしない! 師匠はいつも怒ってるようなもんだから」
お前が怒らせてるからじゃないのか、とは、さすがのカインも言わなかった。代わりに気の毒そうに屋敷に視線を送った。ウィルドの相手は自分でも疲れるのに、その姉ならなおさらのことだろう。
「あの、隊長さん」
カインから目を逸らし、今度はオズウェルを見上げた。
「師匠には……内緒にして欲しいんだけど、これから行くところ」
「この前の秘密基地か?」
「……いや、さすがに場所は変えたんだけど、ね」
「あれ……ウィルドはあれでバレてないつもりなの? 内緒にするも何もないと思うんだけど」
「えー何言ってんの、バレてないよ。師匠には後で誤魔化しておくからさ、ね。隊長さんいいでしょ?」
いや、絶対にバレてる。秘密基地って完全に聞き取ってたし!
しかしそれ以上反論するのも面倒で、カインはついに黙った。
オズウェエルも苦笑いだ。何と返答しようか迷う。
秘密基地はいつの世も男児の憧れだろうし、どうせここで禁止を言い渡してもこの年頃の男の子のことだ、また別の場所に基地を構えるだろう。ならば自分が言うべき言葉は。
「あんまり心配かけないようにするんだぞ」
「うん! ありがとう!」
へへ、と嬉しそうにウィルドは笑った。やっぱり隊長さんは違いの分かる男だよーとよく分からないことも口にしていた。
一行はそのまま至って順調に森の中を進んだ。馬車はこの先の開けた道に止めてある。が、半分にも満たない道中で、先頭を歩いていたオズウェルの足が止まった。何やら異変を感じたのである。
「おかしい」
一言そう漏らすと、ゆっくり辺りを見渡した。妙に静かすぎる気がした。
「見張りは?」
「連絡はまだありません」
「何かあったの?」
ウィルドが見上げる。その頭にポンと手を乗せると、周囲の騎士たちに聞こえる大きさの声を出す。
「少しずつ後ろに退却するぞ」
一気に緊張感が走る。カインも知らず知らず顔が険しくなった。
オズウェルたちは未だ馬車への道のりの半分も行っていない。本来ならば、外に配置している見張り達が、なかなかやって来ない一向に痺れを切らして合図を送る頃だ。が、見渡してみてもその兆候は全く見られず、おまけに異様なくらい静まり返っている。
その知らせを受けた時には、もう手遅れだった。
「周りを囲まれています」
「……っ」
オズウェルは黙り込み、瞬時に頭を巡らせる。
通りにある馬車と屋敷。どう考えても近いのは屋敷だ。にもかかわらず、一瞬オズウェルは躊躇った。屋敷にアイリーンやステファンがいることを考えれば、二人を巻き込んでしまうかもしれないと憂慮してしまったのである。が、その一瞬が命とりだった。
一陣の風が吹いた。瞬時に剣を振り、矢を叩き落とす。矢は真正面から放たれていた。オズウェルはさっと身を翻すと、二人の少年の首根っこを掴んだ。
「走れ」
「え……え?」
「後ろは任せたぞ」
「はい!」
右手にはカイン、左手にはウィルド。
周りを敵に囲まれている今、両手が塞がれている状態は些か不安なものだった。しかし、今ここには共に訓練を重ねてきた仲間がいる。オズウェルは彼らに完全に背中を預けると、少年たちを抱えたまま走り出した。
「なに、何が起こったの!?」
「誘拐……ではないらしい。おそらく刺客だ」
誰の、とは聞かなかった。そんなの、聞かなくても分かる。
カインはぎゅっと唇を噛むと、オズウェルの速さに遅れないよう懸命に足を動かした。
分かっていたことだった。自分のせいで巻き込まれてしまう人々の存在を。
カインがウィルドの元へと遊びに行きたいと漏らした時、王は眉をひそめた。それはそうだ。自分はついこの前、誘拐されかけたばかりだというのに。それでも説得に説得を重ね、こうしてここへやって来た、その矢先。
「もうちょっとだよ!」
ウィルドの力強い声でカインはハッとした。右手でグイッと眼を擦る。
後悔をしていても仕方がない。今は真っ直ぐ前を見なければ。
次第に感覚が無くなってくる足を叱咤し、カインはただひたすらに走り続けた。
*****
一方で、屋敷の中にいたアイリーンもぴくりと反応を示した。眠気と必死に戦いながら縫物をしていたのだが、どこか遠くの方で野太い声のような音がしたからである。
「ステファン?」
弟に呼びかけてみたが、彼は洗い物をしているらしく、姉の声すら聞こえなかったようだ。
うーんと背伸びをし、凝りをほぐす。先ほどウィルドたちは遊びに出かけたばかりだが、何か忘れ物でもしたのかもしれない。出迎えてからかってやろうか、と仕様のないことを考えながらアイリーンは玄関へ向かった。
しかしドアノブに手をかけたところではたと気づく。音は、先ほどよりも鮮明だった。今度ははっきりと分かる。人の声。それも一人ではない。数人、いや十数人の掛け声だ。まるで鬨の声のように野太い。サーッと血の気が引いた。
「ウィルド!?」
アイリーンは何も考えずに扉を大きく開いた。男たちの乱闘も目に入らずに、きょろきょろと弟の姿だけを探す。
「ウィルド!」
見つかった。弟は、オズウェルの背中に隠れるようにして蹲っていた。その傍にはカインもいる。
「うぃ――」
もう一度叫ぼうとした時、流れ矢が飛んできた。アイリーンが避ける間もなく、それはそのまま扉に刺さる。
「〜〜っ!?」
声にならない悲鳴を上げた時、カインがこちらに気が付いた。焦ったような顔で首を振られる。
「馬鹿、何やってるんだ! 向こうへ引っ込んで鍵締めろ!」
「でっ、でも――」
「早く!」
情けないとは思ったが、扉を大きく広げても弟たちはこちらへ来れるわけもない。すぐに扉を閉め、外との入口を断絶した。
知らず知らず震える手を押さえながら、アイリーンはじっと外の気配を窺った。こうしている間にも、ウィルドが、カインが刃を向けられているのではないかと気が気でなかった。
しばらくして、全ての音が止んだ。その静寂は、生者など一人もいないかもしれないとアイリーンを怯えさせる。堪らなくなって、そっと扉を開けた。瞬時に見回してみたが、動くものは何もない。神経を張りつめさせながら、アイリーンはとうとう外へ身を投げ出した。倒れている者はたくさんいたが、彼女の目は最初から子供たちにしか向いていなかった。
「ウィルド……カイン?」
二人は一人の男の傍に寄り添う様に蹲っていた。肩が震えている。地面に血が流れ出しているのを見て、アイリーンの背筋は凍った。咄嗟に二人に向かって走り出し、体のあちこちに視線を這わせる。
「怪我したの? ウィルド、カイン!」
泣きそうになって二人に縋るが、その下の子供たちは小さく首を振るだけ。
「だ……だいじょ……」
「ほ、本当に? 本当にどこも……」
「二人を家の中に連れて行ってくれ」
ウィルドの下で声がした。オズウェルのそれだ。聞き慣れた声にアイリーンは胸を撫で下ろす。が、彼を覗き込もうとしてアイリーンは固まった。地面に流れている血は、オズウェルからのものだった。
「ご、ごめっ……隊長さん」
「大したことは無い。それよりも中へ」
「でも、でも――」
「連れて行ってやってくれ。まだ一人残っているんだ」
優しげな、しかし辛そうな眼でオズウェルはアイリーンを見る。しかし彼女は動かない。動けなかった。
言葉にならない。何をすればいいのかもわからない。
刻一刻と流れ出す真っ赤な血。
アイリーンは目の前の出来事に頭が真っ白になって、その場に立ち尽くした。
「隊長!」
静寂を切り裂くように、その声は響いた。ガサガサと茂みを割って入る音が続く。
「殿下はご無事で……。隊長!?」
「殿下は無事だ。だが一人逃げられた。早く三人を中へ」
「で、でも――」
「ここに一人残していける訳ないじゃない」
アイリーンの声は、驚くほど響いた。自分でも身を震わせたくらいだ。しかしそのおかげで、頭が鮮明になった。自身への叱咤のようでもあった。
「ほら、あなたは足持って」
「は、はい!」
「二人も手伝って」
「あ、ああ……」
四人はオズウェルを抱え、よろよろと家の中に運び込んだ。時折彼は苦しそうに呻き、そのたびに、四人の顔が険しくなる。
「こ、これは一体……どうしたんですか!」
居間からステファンが飛び出してきた。血まみれのオズウェルを見て血相を変える。
「ちょっと……ね。ステファンも手伝って」
「そ……れはもちろん」
戸惑いながらもステファンも四人に加わった。が、二階まで上げる労力もなく、オズウェルの体は一階のベッドに横たえられた。
「レスリー」
「はい」
「動けるやつはどのくらい残ってる?」
「軽傷の者も合せると五、六人は」
「逃がした一人を追ってくれ。手負いだ、血を追っていけば見つかる。その後は詰所と王宮に伝令を。増援を頼んでくれ」
それだけ言うと、オズウェルは眉間にしわを寄せたまま固く口を閉じる。レスリーは、思わず駆け寄った。
「でも隊長、今すぐに治療を――!」
「行け」
「隊長……!」
戸惑ったようにレスリーは口を閉じたり開いたりする。見かねたアイリーンが彼に外に出るよう合図する。彼は困惑の表情を浮かべながらついて来た。
「この近くに腕の良い医者がいるの。案内するわ」
「は、はい!」
アイリーンが囁くように伝えると、レスリーの表情がパッと明るくなった。
「姉上、僕も行きます」
こっそりステファンも扉から顔を出している。アイリーンは口を開きかけて止めた。何を言っても彼は聞きそうにない。
「師匠」
ステファンの隣にウィルドもいた。その表情は暗い。
「俺……俺」
「ウィルドとカインはここにいてね」
「でも、でも」
珍しく取り乱した様子のウィルドをアイリーンは抱き締めた。そうすることで、自分も一層落ち着くような気がした。
「行ってくる。あの人の傍にいてあげて」