第四話 子爵家下暗し

20:牢屋にて


 いくら家が貧乏だからといって、さすがのアイリーンも連行されるのは初めてのことだった。ついで牢屋に入れられるのも。いや、だからと言って全然嬉しくないのだが。

 彼女は、牢屋……というよりは取調室のような部屋に入れられた。清潔とまではいかないまでも、それなりに綺麗にされているようでホッとする。

「どういうことなのか説明してくれる?」
 二人が座った途端に口火を切ったのはやはりアイリーン。それもそうだ、何の事情も聞かされずにここまで連れてこられたのだから。もしもこれで無実だということが証明されたらただじゃおかない。

 そんな決心をしながら目の前の隊長を睨み付ける。彼はそれを涼しげな顔で受け止めた。そして口を開けば思いもよらないこと。

「王族誘拐の罪だな」
「お……王族……?」

 しばらくその言葉を逡巡してみる。王族、王族……。しばらく熟考した彼女の頭に、先ほどの会話が浮かんだ。何でも、王子様がいなくなられたんだってよ――。

「……もしかしてその王族って……失踪した王子様のこと?」
「なぜをそれを知ってる!」
「あっ、ちが……」
「やはりお前なのか……。見損なったぞ」
「ちょっと待って、誤解よ! その話は知り合いに教えてもらったの!」
「知り合い?」
「ええ! ほら、さっき私と一緒にいた女性よ。彼女、結構な情報通で、よくいろいろな話を教えてもらってるの」
「怪しいな。殿下が行方不明というのは機密事項だ。知る者は警備騎士団の隊員しか知らない。かといって彼らが情報を漏らすことなど――」
「それこそ知らないわよ! そちらの管理不足をこっちに押し付けないでくれる?」
「何だと?」

 すっかりどちらも喧嘩腰だ。しかしこうしていても話は進まない。先に息を吐いて緊張を解いたのはオズウェルの方だった。

「分かった。それについては一旦置いておこう。今は殿下の身の安全が第一だ」
「そうね。ま、責任がそちらにあることは一目瞭然なんですけれど」

 最後まで憎まれ口を叩かなければ気が済まないのか。

 オズウェルは出かかった言葉を、残った理性で必死に押しとどめた。

「で、何でしたっけ? この私が王子を誘拐したと?」
「そうだ」

 見覚えが無さ過ぎて逆に恐ろしい。アイリーンは目を瞑りながら、自分の行動を振り返ってみる。朝家庭教師先に行って、昼過ぎに家に帰って来て……で、またエミリアと外へ出かけた。これらの行動のどこに自分が王子を誘拐する暇があったと言うのか。

「やっぱり覚えがないわ。何かの間違いじゃなくて?」

 そう答えるしかなかった。

 そもそもアイリーンは、王子と呼ばれる身分の者とは面識どころか人脈もない。一応貴族の端くれでもある彼女だが、あまり社交界に顔を出さないうえ、お茶会にも滅多に呼ばれないため、そのような身分の者とどうやって知り合えと言うのか。

 しかし目の前のこの隊長は、そう易々と諦める様子はなかった。

「知らないとは言わせない。吐くまでここに居てもらおう」
「ちょ……はい!?」

 さすがのアイリーンも声を荒げる。

「そもそも私はその王子とやらになんて会ったことも見たこともないわよ! それをどうして私が攫ったなんて話になるの!?」
「近頃お前が殿下と歩いているのを見たという証言があった」
「証言……? それが怪しい。怪しすぎるわ。どうせその辺りの素性も知らない人に聞いたんでしょう」

 拳を振り上げて懸命に身の潔白を叫ぶ。

「少し落ち着け」
 しかしオズウェルは呆れた様子で首を振る。アイリーンにすればそれが余計に腹立たしい。

「じゃあそれはいつの話よ! 私が! いつ! どこで! 王子と一緒に歩いてたって言うのよ!」
「……大広場だ」

 アイリーンの大声に耳をふさぎながら、オズウェルは答える。耳鳴りが酷かった。

「大広場?」
「数日前の大広場、丁度からくり人形の劇をやっていたそうだが、そこでお前たちを見たという証言があった。何か心当たりは?」
「…………」

 確かに、行った。あんまり子供たちが急かすものだから渋々行った。そういえばあの日はウィルドの友達もいたはずだ。彼が家に遊びに来ていたこともあの広場へ行く要因となった。せっかく遊びに来てくれたのに、家にばかり閉じこもってばかりじゃつまらないとウィルドに駄々を捏ねられ、少々のお金と共に広場へ遊びに出かけた。そして証言者に見られたと言う。自分が王子と共にいた姿を。その時共にいたのはウィルドとフィリップ、そしてカインだけ。

「あの……その王子の名前を聞いても?」
 冷や汗を流しながらアイリーンは尋ねた。嫌な予感がする。

「カイン殿下だ」
 ……的中した。

「……カイン?」
「畏れ多いぞ。その名を口にするな」
「……はあ」

 どこか遠くのことのように感じながら、アイリーンは頷く。

「その……もしかして、カインって十歳くらいの少年……?」
「そうだ」
「金髪で青い瞳?」
「そうだ」
「小生意気だったりする?」
「……まあ、少しは」
「…………」

 アイリーンは声もなく項垂れる。しかし次の瞬間バッと勢いよく顔を上げた。

「カインが王子!?」
「やはり知ってるのか!」
「や、確かに知ってるけど、でも」

 混乱する頭を、必死に回転させる。しかし信じられないものは信じられない。

「そもそもカインが王子……? もしかしてあなた、私を担ごうとしてる?」
「そんなことをして何になる」
「でも……でもだからって、一緒に野イチゴ摘みに行ったりお弁当食べたりした子供が王子だなんて、信じられるわけないでしょう!!」
「おまっ、王子にそんなことさせてたのか! 不敬罪だぞ!」
「しょうがないじゃない、知らなかったんだから!」
「無知も罪だ」
「限度ってものがあるでしょう!」

 二人は息巻いて睨み合う。先に目を逸らしたのはオズウェルだった。頭を振りながら、ふーっと長いため息をつく。

「つまりは、殿下と知らずに出歩いたりしていたんだな?」
「……そうよ」
「家に来いと強制したわけではなく、殿下の方から遊びに来ていたんだな?」
「そうよ」
「決して誘拐じゃないと?」
「そうよ!! 誤解が晴れたのなら、私をここから出してよ」
「どこが晴れたんだ。自白しただけだろ」
「じ、自白!?」

 思わぬ言葉に目をむく。

「あ……違うの。その、カインなんて人、やっぱり知らない」
「もう遅い。証言も出てるんだ、諦めろ」
「なっ、諦められるわけ――」
「お前が全て自白しなければ、容疑者としてその他リーヴィス子爵家の者にも同行をお願いすることになるが、それでもいいのか?」

 ぐっと詰まる。わなわなと全身震わせながらアイリーンは考える。いや、どう考えたってもう選択肢などない。まだ先の長い子供たちにまで前科付きを味あわせるわけにはいかない。

「わ、分かったわよ」
 押し殺したような声が地を這った。

「でも本当に何も知らないのよ。カイン……様が王子だってことも知らなかったし」
「それは本当の様だな。しかし王子の居場所を吐いてもらわねば事は進まん」
「知らないものをどうやって言えって言うのよ」
「そもそも殿下とはどうやって知り合ったんだ」
「それはウィルドが家に連れて来て……」

 途端に閃く。ここに来る前エミリアから聞いたことを。

「あ……そういえば確かウィルドと遊びに行ったって言ってたような……」
「――それはどこだ!?」
「えーっと、どこかしら……。最近のお気に入りの場所だって言ってたけど……」
「だからどこだ!」
「だから知らないって言ってるじゃない!」

 同じく叫び返す。しかし再び頭に閃いた。今度は悪知恵が。アイリーンはほくそ笑んだ。

「あ、そうね。私をここから出してくれれば何か力になれるかもしれないわ」
「何?」

 オズウェルは訝しげに片眉を上げる。

「私、ウィルドの友達の家を知ってるの。彼ならそのお気に入りの場所とやらを知ってるはずだわ」
「…………」

 苦悶の表情を浮かべながらオズウェルは考え込んだ。

「何よ、そんなに悩むこと?」
「お前を出すことで更に厄介事が生まれるんじゃないかと悩んでるんだ」
「失礼ね。人を何だと思ってるのかしら」
「……よし分かった、一旦お前をここから出そう」

 その言葉に、アイリーンの目がキラキラと期待に輝く。

「ほんと――」
「逃げるなよ」

 オズウェルの鋭い眼光がアイリーンを射抜く。しかし怯むことなく、逆に彼女は堂々と言ってのけた。

「私がそんな無様なことをするとでも?」
 ……やけに説得力があった。