第四話 子爵家下暗し

19:喧噪


 その日、何だか街全体が騒がしく感じた。この騒がしさは、先日の不審者事件を彷彿とさせる。あの時は情報を得るのが遅れたせいで、対策が少しばかり遅れてしまった。今度ばかりはその二の舞を踏むまいと、アイリーンは決心する。街を騒がせている情報源は何なのか尋ねるため、この後お喋りなアマリスの花屋に寄ってみようかと。

 しかしその時、ちょうど顔見知りが目に入った。正直に言って彼は気に食わない人物だが、この状況が気になるには気になる。好奇心に罪はないとオズウェルの元へ行って声をかけた。

「お前か……」
 彼も嫌そうな顔を隠そうともせず、振り返った。

「ね、何だか街が騒がしいみたいだけど、何かあったの?」
「ああ、まあな……」

 言いながらオズウェルは視線を逸らす。彼としては、人の多いところでこの令嬢と二人っきりになりたくないというのが本音だった。何しろ、彼女の弟に面と向かって釘を刺されたばかりなのだから。

「焦らさないで。何があったの?」
「機密事項だ。そう易々と話せるわけないだろ」
「何よそれ」
「ほら、分かったらさっさと行け。俺は忙しいんだ」
「ケチな人ね。もういいわよ。あなたに聞こうとした私が馬鹿だったわ」

 素っ気ない対応をされ、さすがのアイリーンもムッとする。そのまま踵を返してもう二度と話しかけてやるもんか、と固く心に誓うことも考えたが、ふっと用事を思い出した。くるっと再びオズウェルに向き直る。

「ねえ」
「まだ何かあるのか」
「この前の、どうなったの」
「……あの女性か」
「ええ」
「数日前に取調べが終わった。精神に異常をきたしているということで、然るべき場所に送られることになった」
「そう」
「不満か?」
「いいえ」

 ゆっくりと首を振る。

「気持ちは……分かる気がするから。ただ、子供たちに危害が及ばないようにしてほしい」
 今度は頷く。

「ただそれだけ」
 おもむろに歩き出した。

「じゃ」
 子爵令嬢は振り返ることなく人ごみに消えていた。そうしてようやく喧騒がオズウェルの耳に戻ってきた。首を振ってようやく頭を切り替えた。

*****

 屋敷は全くと言っていいほど人の気配はなかった。てっきり皆外で遊んでいるものとばかり思っていたが、居間へ続く扉を開けると暖かな光が差し込んできた。

 どうやら、ただ単に騒がしいウィルドと、何かと忙しく働くステファンがいないだけのようだった。フィリップはソファに丸くなって昼寝しており、その傍らではエミリアが静かに本を読んでいた。何とも穏やかな時が流れている。

「お帰りなさい、姉御」
「ただいま」

 音を立てない様に扉を閉めた後、アイリーンはそっと机に近づいた。見慣れた籠が置いてあることに気が付いたからだ。その中には、これまた見慣れた赤い果実が入っていた。

「あら野イチゴ? 誰か取りに行ってくれたの?」
「あ、はい。朝にカインが遊びに来て、ウィルドと一緒に山に摘みにいったんです」
「あらそう……。カインも野イチゴの味を気に入ってくれたのかしら」

 ふふふ、と笑い声を上げる。何だかんだ、ウィルドの友人達は始めは野イチゴ狩りを嫌そうにしていながらも、日を追うごとに気に入っているようだ。クリフがこれを聞いたなら、ただあなた様のご機嫌を損ねない様にしているだけです!と心中で言い訳しそうなものだが、残念ながら彼はここにはいなかった。

「二人は遊びに行ったの?」
「はい。お気に入りの場所に行くって嬉しそうに出かけていきました」
「お気に入りの場所、ねえ……」

 子供――特に男の子は、そのような好奇心を擽られそうな場所を好むらしい。おそらく人里離れた山奥辺りに秘密基地でも作っているのだろう。

「エミリアは行かなかったの?」
「わたしはそんな子供っぽいことに興味はありませんわ」

 ツンとエミリアは澄ましたように言い捨てる。その様に、言葉を選び間違えたかとアイリーンは苦笑した。ウィルドぐらいのお年頃の男の子は、異性と遊ぶより同性と遊びたい年頃だ。きっと女は来ちゃ駄目!とでも言われたのだろうか。

「じゃ、一緒に買い物でもする?」
 男の子とは違って、女の子は逆に買い物や街を出歩くのが好きなのだろう。エミリアは嬉しそうに頷いた。

「あ……でもフィリップはどうしましょう。目が覚めて一人だったら可哀想ね」
 それにこの前のこともある。先ほどオズウェルと話したことも相まって、すぐに小さな弟を一人にすることは憚れた。そんな時、二人の沈黙をかき消すように玄関の扉が開く音がした。

「ただいま戻りました」
 その声は何かと頼りになるステファンだ。二人して顔を見合わせ、そして同時に噴き出した。

「じゃあ早速行きましょうか」
「はい!!」
「ステファン、お土産買ってくるから、フィリップのことよろしくね」
「え?」

 戸惑うステファンを他所に、女子二人は元気よく家を飛び出した。

*****

 街へ出て、しばらく他愛もない話をしながら歩いていた二人だが、街の喧騒は相変わらずだった。主に警備騎士団の者たちが険しい表情で走り回っているせいだ。それを見て町人たちも何事か、と口々に思い思いの見解を述べあっていた。

「何だか騒がしいですね」
「エミリアもそう思った?」
「はい。何かあったんでしょうか」
「そうねえ……」

 しかしそう簡単に事情を知る者がいるとも思えない。野次馬根性で隊員の者に尋ねてみたい気もするが、先ほどのオズウェルのように、言葉を濁す可能性大だ。

 そんな時目に入った人物は、今の状況にぴったり適しているように思えた。情報屋でかつお喋りな人物。

「アマリスさん」
「おお、アイリーンにエミリアじゃないか!」

 振り向いたアマリスは、獲物を見つけたとばかりいそいそとやって来た。その顔は非常に嬉しそう。久しい顔に出会えたことではなく、きっと話し相手が二人もできたことに喜んでいるだけのように思える。

「丁度アマリスさんに聞きたいことがあったんです」
「なになに? あたしの話が聞きたいって?」
「違います」
「なーんだ。取って置きのここだけの話を入手したんだけどなー」
「ここだけって……それ、周りに話しちゃいけないんじゃ?」
「あはは、あたしに話すってことは周囲に知れ渡るも同義!! 相手だってそのくらい弁えてるさ!」

 そんなに自信満々に言われては、突っ込むものも突っ込めなくなる。
 アイリーンとエミリアは顔を見合わせると、そっと頷く。この件には触れないでおこうと思った。

「今日、何だか街が騒がしいみたいですね。何かあったんですか?」
「ああ、それね」

 アマリスは嬉しそうに頷いた。

「何でも、王子様がいなくなられたんだってよ」
「王子?」
「うんうん。今朝侍女が王子の部屋を訪れた時にはもう既にもぬけの殻。その部屋の窓からは繋がれたシーツの縄が下ろされてたんだって!」
「はあ……」
「王子ともあろう方が家出なんておかしな話だねえ。よっぽど王宮暮らしがきつかったのかね」

 やれやれとアマリスは頭を振る。しかし二人はそんな彼女に恐怖さえ覚えた。

「アマリスさん、何でそんなに王室事情に詳しいんですか……」
「ん? 何でもなにも、入って来たんだよ、いろんな情報網からね」

 機密事項じゃなかったのだろうか……?

 おそらく朝から街が騒がしく、警備団も辺りをうろうろしているのは失踪したらしいこの王子を探すためだろう。しかしそれは当然機密事項。民衆が知るわけもない。にもかかわらず、目の前のこの女性がそれをべらべらと話しているということは……。

 彼女の情報網が素晴らしいのか、はたまたこの街の警備態勢が甘いだけなのか……。つくづくこの街の警備態勢が不安になるアイリーンであった。

「失礼」
 そんな時、後ろから声がかかった。聞き覚えのあるそれに振り向くと、そこには固い表情のオズウェルが立っていた。先ほども会ったばかりのその顔触れに、アイリーンは目を丸くする。

「リーヴィス子爵令嬢、アイリーンだな」
「はあ……」
「警備騎士団隊長オズウェルだ」

 なぜか改めて自己紹介をされる。ついでに身分証も見せられる。

「あたしらに何か用かい?」
「聞きたいことがある。詰所までご同行願おうか」

 アマリスを無視し、彼はアイリーンだけを見つめている。思わずそれにきょとんとした視線を返していたら、腕をもガシッと掴まれた。拘束まではされないが、それはいわば逮捕と同義。アイリーンは顔が引き釣らせながらエミリアを後ろに下がらせる。

「え……っと、これはどういうことでしょうか」
「行けば分かる」
「身に覚えが無いのですが」
「往来で問答している暇はない。こちらもあまり人には見られたくないのでな。それはそちらも同じだろ?」

 ぐっと詰まったが、瞬時にステファンの顔が思い浮かんだ。その表情は、呆れを通り越してもう諦めているそれだった。

「……分かりました」
「姉御!?」
「ちょっとアイリーン!!」
「大丈夫です。心配しないで」
「でも……だからってあんたね! 理由もなく連行するなんて横暴だよ!」
「少し話を聞きたいだけだ。あまり往来で問答したくないのでな」

 オズウェルが顎で周りを示す。釣られて三人も同じく見回した。隊長とのやり取りはたった数分の出来事だったが、それでも随分周囲の注目を集めているようで、皆こちらを眺めていた。その目には好奇心が垣間見えている。

「注目を浴びたくないのは私も同じだわ。何がどうなってるのか分からないけど、取りあえずあなたについて行く。でも、もしこれが何かの間違いだったとしたら……分かってるんでしょうね?」
「承知済みだ」
「姉御……」
「大丈夫よ。アマリスさん、エミリアのことよろしくお願いします」
「別にそれは構わないけど……」

 エミリアに、アイリーンはにこりと笑みを浮かべ、踵を返した。エミリアとアマリスは不満げな表情を浮かべたまま、その姿を見送る。そのままアイリーンは、オズウェルと連れだって歩――いて行ったと思ったら、すぐにまた振り返った。

「あ、でもエミリア! ステファンには言い訳しといてくれる? ちょっと野暮用で遅くなるって!」
 子爵令嬢アイリーン。怖いものなどほとんどないが、しかし我が弟、ステファンの小言だけはどうしても苦手だった。