第四話 子爵家下暗し

17:新しい友人


 ウィルドはその日、寂しげに通りを歩いていた。まだ日は昇ったばかりで、彼が帰る時間――夕暮れには程遠い。いつもなら野原や広場で友達とはしゃぎ回っているにもかかわらず、今日に限ってここで一人寂しく歩いているには訳がある。

 友達が皆、揃いも揃ってお誘いに乗ってきてくれないのである。
 彼のお誘いはとても単純。家に遊びに来ない?である。

 友達の家という非日常的でとっても魅力的な提案にもかかわらず、誰も乗ってきてくれない。むしろ、遠い目で顔を逸らしさえする。何かあったのかと問うても空笑いをする始末。なぜ皆揃いも揃って同じ反応をするのか、フィリップにとってはさっぱり分からなかった。

 そんな時に目に入った一人の少年の後ろ姿。ウィルドはにんまりと微笑んで彼に走り寄った。

 この少年は、先日のフットボールの試合にて仲良くなったカインだ。こちらのチームの人数が一人足らなかったので、その辺を歩いていた彼を無理矢理引っ張ってきたのである。始めは嫌そうにツンツンしていたカインだが、試合が佳境に入る頃には、額に汗を光らせながら熱中していた。試合の行く先自体も、カインが最後に決めたボールのおかげで勝利することができた。

 試合後、また遊ぼうとカインと約束して解散したのだが、その日以降彼の姿を見ることはなくなった。どこか浮世離れした雰囲気だったので、どこか遠くに行ってしまったのかもしれないと諦めていた。しかしそれはどうやら早計だったようだ。なぜなら現に彼はウィルドの目の前にいるのだから!!

「カインー!」
 ウィルドは走りながら名を叫んだ。彼は振り返り、ウィルドをその瞳に映すと嬉しそうな顔をした。しかしそれはほんの一瞬のことで、すぐにその喜色は消え、代わりに取り繕ったような咳払いがなされる。

「――な、何だよ」
「いや、随分久しぶりだなって! この前の広場にはいつでも来ていいって言っただろ? また遊びに来いよな、みんな待ってるから!」
「ひ……暇だったら行く」

 カインはぶっきらぼうにそれだけ言うと、ぷいっと背を向けた。しかしウィルドはそんなことでめげる男ではない。カインの態度など気にすることなく、彼の肩に腕を回した。

「そんなこと言わずにさ、毎日でも来いよ!」
「ま、毎日!? そんなに行けるわけないだろ!」
「ははは、冗談だってー」

 豪快に笑いながらウィルドはバンバンとカインの背中を叩く。嫌そうな顔をしながらも、カインの口元は笑っている。

「ま、とにかくいつでも来いよ!」
「……気が向いたらな」
「で、今日はどうしたんだ? 今暇なの?」
「何か用なのか?」
「いやー今俺暇でさー。カインが家に遊びに来てくれたら嬉しいんだけど」
「……遠慮しておく」
「何でだよ」

 カインはふいっと顔を逸らして否定の言葉を口にした。そのことにウィルドは眉を寄せる。

「今一瞬嬉しそうな顔したじゃん。いいだろ?」
「別に……僕にも用事があるんだよ」
「用事ってなんの」
「お前に話す義理はないだろ」
「義理って何だよ」

 ウィルドはひどく真面目な顔で切り返す。カインはそのことにはあ……っと長いため息をつき、背を向けた。

「とにかく、今日ももう帰らないと」
「この前もそう言って早くに帰ったよな? カインの家ってそんなに厳しいの?」
「……別に」

 相も変わらずカインは素っ気ない。あーあ、とウィルドはつまらなさそうに空を仰いだ。

「カインにみんなを紹介しようて思ったのになー」
「みんな?」
「ああ。ステファンにエミリアにフィリップ、そして師匠。みんな一緒に暮らしてるんだ」
「師匠って誰だよ」
「師匠は師匠だよ」
「…………」

 答える気のない、というか質問の意味が分かっていない様子のウィルドに、カインはもはやため息しか出ない。

「何だよ、行く気になったのか?」
「いや、僕はもう――」
「そうならそうと言ってくれよー!! じゃ、早速俺の家に向かおうぜ。この時間ならまだ師匠たちもみんな家にいるだろうし」
「おい! 僕はまだ行くなんて一言も言ってな――」
「じゃ、出発進行―!!」
「おい、話を聞け!」

 カインは真っ赤になって喚く。しかしすっかりご機嫌になったウィルドの耳にその声は届かない。
 カインは、ウィルドにズルズルと引っ張られる形で彼の家に向かうこととなった。

*****

 さて一方、子爵家宅では。

 アイリーンとステファン、エミリア、フィリップは全員仲良く庭に出ていた。頭には帽子、手には大きなバスケットと軍手、足には運動靴と素晴らしく準備万端だった。みな整列してアイリーンの前に立っている。

「いい、みんな? 最近ウィルドの友達が遊びに来てくれないから、私達は貴重なデザートを食べられずにいるわ。だからこそこの今日という日をデザートのために費やすの……。みんなももう分かってると思うけど……今日は野イチゴ狩りよ!!」

 わーっと一斉に歓声が上がる。いつもは面倒がるエミリアも眠そうなフィリップも、今日はやる気満々だ。――大事な栄養分、糖質を取るためには面倒だとか言ってられない子爵家なのである。

「あれ、師匠何してんの?」
 そんな時に声がかかった子爵家。聞き覚えのある声に振り向くと、言葉通りきょとんとした表情のウィルドと目が合った。

「あらウィルド? 遊びに行ったんじゃなかったの?」
「あ、うん。それがみんな何だか釣れなくてさー。途中でカインに会ったから家に連れてきた」

 ウィルドは紹介するかのように、横に退いた。アイリーンとカインが対面する。アイリーンは至ってにこやかだったが、無理矢理連れてこられたことに多少腹が立っていたカインはぷいっとそっぽを向いていた。その態度を、彼女が見逃すわけがなかった。

「あら、ご挨拶は?」
「…………」
「最近の子供はきちんと挨拶もできないのかしら」

 くっ、とカインは悔しそうに唇を噛む。いくら腹が立っていたとはいえ、こんな風に行儀作法を窘められるのは自分の矜持が許さない。
 カインはキッと顔を上げてアイリーンを睨み付ける。

「……カインだ」
「私はアイリーン。ウィルドの姉よ。よろしく」

 彼女は再びそっと微笑んだ。今までの子供たちとは違って骨があるようね、と心中で呟いた。

「師匠、結局これは何の騒ぎ? 何か始めるの?」
「ああ、子爵家恒例の野イチゴ狩りよ。近ごろウィルドのお友達が遊びに来てくれないから自分たちで摘みに行くことにしたの」
「なんだそうなんだ。野イチゴ狩りってんなら無理やりにでももっと友達連れて来たのにな」

 ウィルドはぽつりと呟く。

「クリフもみんな、野イチゴおいしいって喜んでたよ。また誘ってくれって言ってた」
「そうなの? じゃあ次回はそうしてもらおうかしら」

 この場にクリフがいたのなら、柔らかく、しかし全力でその提案を断っていたはずだろう。そしてウィルドを陰に連れて行って叫ぶのだ、お前は社交辞令という言葉を知らないのか!と。

「エミリア、二人増えちゃったけど、お弁当は大丈夫?」
「はい、もちろんです。余ったら夕食にでもしようかと思っていたので、抜かりはありませんわ!」
「さすがエミリアね!」

 姉妹はにこやかに頷き合う。

「弁当だなんてちょっとしたピクニックじゃん。エミリア、俺の好きなハンバーグももちろん入ってるんだろうな?」
「さあどうかしらね」

 照れた様子でエミリアは言う。

「何だよー、釣れないな!」
「頂上に着いてからのお楽しみよ」
「ようし、俺が一番乗りでお弁当を全部平らげてやるぜ!」
「……僕も食べたい」
「へへーん、早いもん勝ちだからな!」
「ウィルド……がめついよ」

 ステファンが突っ込み、何をー?とウィルドがいきり立つ。何だか騒がしくなってきたので、アイリーンはパンッと両手を叩いた。

「はいはい。もうみんな準備はいいわね」
 アイリーンは辺りを見回す。やる気に満ちた子供たちとおずおずとしたカイン。

「じゃ、早速野イチゴ狩りに出かけましょうか、みんな!」
 わーっと一斉に歓声が上がる。隣のウィルドも呼応するように突然野太い声を上げたのでカインはビクッと肩を揺らした。

「な……何だこれ……」
 子爵家子爵家恒例のことなのだが、初めて立ち会うカインは戸惑うばかりだった。しかしこれから彼を待ち受ける試練はこれだけではないことを、この時のカインは知る由もなかった。