第十六話 団結は源なり

100:囮


 アイリーン、オズウェル組は、一度は屋敷に侵入すると決めたものの、どうやって中に入るかで揉めにもめた。ステファン達が忍び込む際に使用した窓はいつの間にか閉められていたため、早速出鼻を挫かれたというわけだ。しかしアイリーンが駄目もとで玄関の扉に手をかけたところ、開いた。まさかの、開いた。

 拍子抜けしながらも、二人はそこから屋敷の中へ入ることに成功した。多少不自然ではあったが、この好機を逃さない手はない。

 しかし意気揚々と屋敷へ侵入した時点で、再び難題が二人を襲った。広々としたその玄関ホールは、右にも左にも果てしない道が続き、そして目の前には巨大な螺旋階段が伸びていた。少し躊躇った後、アイリーンはすぐに螺旋階段へ足を向けた。

「やっぱり、当主の部屋とい言ったら最上階よね」
「……当主の部屋に行きたいのか?」
「……行きたくはないけれど、でもその近くにフィリップがいるかもしれないわ。それに、あの人たちが何のためにこの屋敷に来たのかも知りたいし」
「あまり妙なことに首を突っ込むなよ」
「もう遅いわね」

 あっけらかんと話す彼女に、それもそうかとオズウェルはすぐに納得し、それ以上何も言わなかった。

 オズウェルの言う通り、この屋敷の当主が人嫌いで、使用人すらほとんどいないと言うのは本当らしかった。足音を忍ばせて歩いてはいるが、道中誰かに出くわすことなく、そもそも人がいる気配すら感じなかった。

「意外と楽ね、侵入するのも。こんなことなら、ステファンたちと一緒に行っていれば良かった。そうすれば今頃――」
「待て!」

 オズウェルは押し殺したような声で叫んだ。アイリーンは聞き返す間もなく、彼に腕を取られ、近くの部屋に押し込まれる。そのすぐ後に、オズウェルも身を滑り込ませ、静かに扉を閉めた。

「な、何……?」
「誰かいる。ここで大人しくしていよう」

 耳を澄ますと、確かに遠くからゆっくりとした足音が近づいてきていた。その足音の主は、こちらのことに勘付いた様子はないが、しかしアイリーン達のすぐそばで何やらごそごそし始めた。二人の気は抜けない。

「何をしているのかしら。……掃除?」
「……掃除、だな」

 扉の向こうからは、窓を拭く音やら箒で掃く音やら聞こえてくる。その音は、一向に止む気配が無かった。

「長くなりそうだな」
「いずれこの部屋も掃除に来るかもしれないわ」
「……その時はその時だ。今はじっと待っていることしかできないな」

 オズウェルの言葉を最後に、どちらからともなく口を閉ざした。それぞれ顔を背けた形で壁に背を預け、思考に浸る。
 外からは未だごそごそ音がしていた。

「……この後、どうするんだ」
 不意にオズウェルが顔を上げた。

「どうするって?」
「運よくフィリップに会えたとして、その後どうするかってことだ。ここにはウォーレンもいる。そう易々と連れ戻すことはできないだろうな」
「何も……何も考えずにただがむしゃらに来たものね。でもそれは分かっているの。ただ……せめて、会って話がしたかった。こんなお別れ、私は嫌だもの」
「しかしそんな感情だけでは何も解決しない。何か具体的な策を講じないと。ウォーレンを黙らせる何かを……」
「そんなの考えたって思いつかないわ。だって私達、何がどうなっているのかさっぱり分かっていないんだもの。今はただフィリップの元へ行かなくちゃ。その際に、もしも当主と話す機会があれば――」
「それを考えなしだと言うんだ。闇雲に行ったってすぐにウォーレンに捕まるのがオチだ」
「そんなの分からないじゃない!」

 いつの間にか、二人の口論は白熱していた。相手に自分の言い分を分からせようと躍起になっていた。自分たちの声が大きくなっているのも、数人の足音が近づいているのにも気づかなかった。

「……この近くか?」
 不意に、低い声が耳に入った。最初に反応したのはオズウェルだった。なおも反論しようとするアイリーンの口を、咄嗟に片手で塞ぐ。アイリーンは目を白黒させた。

 わざわざこんな乱暴なことをしなくたって、一言言ってくれれば黙ったわよ!

 しかしその言葉は声になることは無く、彼女も大人しく耳をそばだてる。

「――はい。掃除していたら、この辺りで男女の声がして……。何だか気味が悪くなってしまって」
「おい、この辺りを捜索しろ」
「はっ!」

 バタバタと騒がしい足音が響き渡る。アイリーンは思わず息を呑んだ。

「……その部屋は?」
「旦那様の書斎でございます。今では滅多に使われておりませんので、締め切っております」

 すぐ側で声がした。アイリーンたちは身体を固くする。この扉のすぐ向こうに執事が立っているようだ。

「あなた方のお手を煩わせるわけには参りません。侵入者の対応は我々にお任せください」
 執事はしっかりと頷く。ウォーレンは思い悩むように頭を掻いた。

「……いや、こちらが二手に分かれよう。当主の部屋に案内してもらわなければならないからな。おい、お前たちは侵入者の捜索に当たれ」
 ウォーレンは部下たちに顎で示すと、すぐに身を翻した。もともとあまり侵入者とやらには興味が無いのである。彼の興味関心は、もっぱら上司の命令及び、自身の経歴、そして出世――。

 執事とウォーレンの足音は去って行ったようだが、しかし相変わらず外の騎士の気配は無くならない。ここも捜索されるのは時間の問題だった。

「なかなか向こうに行かないわね」
「ああ……そうだな」

 必死にこの状況の打開策を考えていたオズウェルだったが、不意に視線を感じだ。思わず下を向くと、にっこり笑うアイリーンと目が合った。オズウェルは嫌な予感がした。

「……なんだ?」
 聞かずにはいられない。何しろ、聞かずにいたら延々と意味ありげなその笑みを向けられ続けそうだったから。

「お願いね」
 彼女は多くは語らない。しかしたったそれだけで全てを悟ってしまったオズウェルは、思わず脱力した。たったそれだけで全てを悟ってしまった己の勘の良さが憎たらしい。

「……俺に、囮になれと?」
 憎々しげにアイリーンを見上げる。彼女は妖艶な笑みのまま頷いた。艶やかな彼女の笑みに、裏が無いわけがなかった。

「だってここで二人とも捕まったら元も子もないもの。私は足が遅いし」
 言い訳だけは一丁前だ。

「あ、騎士団の制服は脱いでおいた方がいいんじゃない?」
 至極自然な流れで、さもオズウェルが囮役であるかのように話すアイリーン。オズウェルはもう断るのも面倒になってきた。

「……そうだな。俺だと気づかれたくはない」
「かといって私が持っているわけにもいかないし。いっそのことこの部屋に置いて行きましょう。後で取りに戻ればいいわ」
「適当だな……」

 そもそも、この屋敷を出る時にそのような暇があるのだろうか。入る時ですらコソコソ侵入しているのに、出る時に大手を振って出られるとは到底思えない。
 しかし一から反論するのも億劫で、オズウェルは黙って上着を脱いだ。

「頑張ってね。くれぐれも捕まらないように」
「誰がそんなヘマをするか」

 短く答えると、オズウェルは勢いよく部屋から飛び出した。丁度この部屋の扉に手をかけていた騎士は仰天する。数秒の後、ようやく我に返った彼は、途切れ途切れに叫んだ。

「い……いた、侵入者だ。見つかったぞー!」
 彼の声を頼りに、近くの部屋を捜索していた騎士たちがわらわらと姿を現した。颯爽と逃げるオズウェルの後ろ姿を見たのち、騎士たちはすぐにその瞳に闘志が燃えたぎらせる。何も考えずに彼を追う、追う、追う。オズウェルを追う騎士の数は、いつしか二桁になろうとしていた。何でこんなことになった、とオズウェルは頭を抱える。

 そもそも、どうしてあそこにいた騎士全員が自分を追ってきているのか。いや、作戦としてはそれは有り難いことではある。しかし、先ほど、使用人は話し声がした、と言っていた。にもかかわらず、この騎士たちが脇目もふらずに追うのは自分一人の身。

 ……言外に、オズウェルが暗い一室でただ独り言を言っていた、ということになるのだが、必死な形相で走る騎士たちには、そんなことにまで考えは至らなかった。

「あっ……おい……。いい加減……止まれ!」
 騎士が声を荒げるが、そんなもので止まるオズウェルではない。